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Peter Singerが主張している功利主義による配給医療やそれによる障害者の切捨てについては
Obama大統領の医療改革への疑問として、これまでにも指摘されているので、
これまで当ブログが拾ったものを、以下に。


また、こうした動きを受けて障害学で有名なSyracuse大学から
「障害のある人の延命ケアと治療に関する一般原則」が提言されています。



本来なら、前のSingerエントリーの最後に追記すべきところなのですが、
既に文字数の上限ぎりぎりで入れられないので、ここに別エントリーとして。
2009.07.18 / Top↑
AP通信は、どういう意図でこの記事を書いたのか知らないけど、
なにしろ「Dignitasのサービス」、「クライアントは……」という表現、
なんだか読み方によっては、スイスへの自殺ツーリズムの解説書とも受け取れるような……。

不治の病にかかった自国民に医師による自殺幇助を認めている国もあるが
スイスでは、それに加えて外国人にも自殺幇助を認めている。
毎年、自殺幇助が禁じられている様々な国から
100人以上のターミナルな状態の人がスイスにやってくる。

その典型的なステップとは、

・外国人に自殺幇助を提供している団体、たいていはチューリッヒ近くのDignitasに連絡を取る。

・Dignitasのサービス代金は1万フラン(9200ドル)で、そこには法律上の手続きや、致死量のバルビツレートを処方してくれる医師との相談料が含まれる。前払い。

・手続きが完了すると、クライアントはDignitasが用意した部屋に入り、ベッドに横になってバルビツレートを飲む。5分後に眠りが訪れ、約30分後に死が訪れる。

・遺体を片付ける。Dignitasは火葬を勧めている。遺灰だと問題なく国外に持ち帰ることができるから。

・世論調査によると、スイスの国民への自殺幇助を国民の多くが支持しているが、外国人が来て「自殺ツーリズム」と批判される事態が起こっていることには懸念する人も多い。

Switzerland Offers Legal Assisted Suicide
AP(CBS News), July 14, 20009


しかし、この記事は正確ではありません。

毎年、海外からスイスにやってきてDignitasで自殺しているのは
決してターミナルな病状の人ばかりではありません。

Guardian紙が6月に入手した情報で、
これまで海外からDignitasに来て自殺した人のうち
21,2%は死病ではなかった、とされています。

また、先週、Dignitasは
末期がんの妻と一緒に死にたいという健康な夫まで一緒に自殺させたばかり。
それが英国の著名な指揮者夫婦だったことも手伝って賛否の議論が沸騰しているところです。

日本でもそうだけれど、
なぜ、こういう問題でメディアは正確な報道ができないのか。

腹立たしくてならない。
2009.07.18 / Top↑
NY Times MagazineでPeter Singerが配給医療制を導入せよ、と提言しています。
冒頭に書いている腎臓癌の例えが論旨を要約していると思うので、ざっと大まかに訳してみると、

腎臓癌の患者がいる。おそらく2,3年後には死ぬ。
Sutentという薬を使えば進行を遅らせて6ヶ月程度の延命が可能だが、54000ドルもコストがかかる。
たった数ヶ月の延命がそれだけの費用に値するだろうか?

たとえ、その6ヶ月のQOLがよくは無いとしても
支払い能力のある人が金を払い、薬を飲んで延命するのは、その人の勝手だ。

しかし、その患者のコストをあなたの健康保険でカバーしてやるとしたら、どうだろう?
保険会社がこの患者にsutentの使用を認めたために、あなたの保険料が高くなるのだとしたら?
たった6ヶ月の延命にそれだけの価値があると考えるだろうか?

もし、その治療が5万ドルではなく、100万ドル、1000万ドルだったとしたら、どうだろう?
他人の命を6ヶ月延ばすだけのための治療を保険会社に認めよと考えるだろうか?

いや、どこかで上限を決めてもらわないと、と考えるなら
あなたも私と同じく配給医療を導入せよと考えているのである。

長文なので、かいつまんで、以下に。

人の命を救うための銭金を云々するのは道徳的でないという考えは、もはや維持できない。
医療資源は限られて、メディケアの財源はあと8年で底をつくといわれている。

Obama大統領も米国の医療制度が破綻していることは認めている。
このまま国の財布から莫大な医療費を支出し続けて
どうやって国全体として国際競争力を維持していけるのか。

英国では昨年、NICEが一年間の延命に認められる費用の上限を3万から4万9000ポンドと定めた。
6ヶ月の延命効果しかないSutant にかかる費用は、それを上回るのだが
メディアの叩きと特定の患者の姿をクローズアップするセンチメンタリズムによって
NICEは今年に入って、腎臓癌の患者数が少ないことと終末期への配慮を理由に
Sutantの使用を認めると決めてしまった。
 
米国では製薬会社が薬の値段を吊り上げているので、英国の決めた上限など簡単にオーバーしてしまう。
メディケア、メディケイドの対象患者でも薬代を支払えないという人が少なくない。
医療が民間の医療保険に依存している以上、米国の医療は支払い能力のある人しか受けることができない。
患者を拒むことができないERでも公的医療保険の患者は支払い能力のある患者ほどの治療を受けられない。
つまり米国の医療は、既に実質的には支払い能力による配給制になっているのであり、
いまさら、一人の命も100万人の命も人間みんなの命も同じだと主張してみたところで
現実問題として非倫理的である。

それぞれの治療の効果と副作用を比較検討すればコスト効率に沿って配給基準を設定することは難しくない。

ただし、その際に延命期間だけを検討するのは間違っている。
85歳の人間の命を救っても、その後に生きるのはせいぜい5年。
すると、10代の人間1人の命を救うことは85歳の人間14人の救命に等しいことになるし、
四肢麻痺の状態で10年生きることと障害のない状態で4年生きることを比べれば
たいていの人は後者の4年を選ぶはずだから、そういう等価換算をすればよい。

このように医療経済スタンダードQALY(quality-adjusted life-year) によって
配給基準を設定することは可能である。

Why We Must Ration Health Care
By Peter Singer,
The New York Times Magazine, July 15, 2009

障害当事者からの批判を予測して書いている部分が以下。
Some will object that this discriminates against people with disabilities. If we return to the hypothetical assumption that a year with quadriplegia is valued at only half as much as a year without it, then a treatment that extends the lives of people without disabilities will be seen as providing twice the value of one that extends, for a similar period, the lives of quadriplegics. That clashes with the idea that all human lives are of equal value. The problem, however, does not lie with the concept of the quality-adjusted life-year, but with the judgment that, if faced with 10 years as a quadriplegic, one would prefer a shorter lifespan without a disability. Disability advocates might argue that such judgments, made by people without disabilities, merely reflect the ignorance and prejudice of people without disabilities when they think about people with disabilities. We should, they will very reasonably say, ask quadriplegics themselves to evaluate life with quadriplegia. If we do that, and we find that quadriplegics would not give up even one year of life as a quadriplegic in order to have their disability cured, then the QALY method does not justify giving preference to procedures that extend the lives of people without disabilities over procedures that extend the lives of people with disabilities.

障害新生児を殺してもかまわないと主張する時にもSingerはこの論法を使っていたような気がしますが、

この後で、故クリストファー・リーブの例を引いて、
障害のある状態が障害のない状態よりも望ましくないわけでないなら
治療を模索することも無意味になってしまう、と主張。

障害者は研究費をかけてもらって障害をなくして欲しいのか、
それとも障害があるのは望ましくない状態だと認めるか、どちらかを選べ、と言っています。

ゲイツ財団とワシントン大学がIHMEを通じて進めているDALYだけでも
私は危機感を募らせていたのですが、

これからは「障害を加味した生存年数」が「QOLを加味した生存年数」に言い換えられ
もちろん、それによって切り捨て対象が拡大するわけですね……。

片方で、このように「もう重病人と障害者には十分な医療は受けさせませんよ」という声を大きくしながら
その一方で、それとまったく無関係であるかのように「死の自己決定権」が喧伝されることの方が
自殺ツーリズムに付き添う人を取り締まりきらないことの”偽善”よりも、はるかに悪質な”偽善”だと思う。
          ―――――

日本でも2006年に官僚からは抗がん剤を保険の対象からはずすという提案が出ていたようです。


日本では、この問題に限らず、表立って議論が行われず、広く報道されることもなく、
水面下に潜行して、なし崩しに進行していくことが、とても怖いような気がする……。

2009.07.18 / Top↑