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Obama政権の医療制度改革議論が本格化して、コスト削減の必要と合わせて終末期医療がいかに高くついているかが喧伝され、それがC&Cによって自殺幇助の議論と結びつけられていくことについて、Wesley Smithが疑念を呈している。
http://www.firstthings.com/blogs/secondhandsmoke/2009/07/07/obamacare-roadmap-under-healthcare-reform-will-we-still-get-to-decide/

モンタナ州が自殺幇助を合法とした裁判所の判断に見直しを求めている件で、裁判所に意見を申し述べる役割を担う中立機関が、7月1日、19の様々な意見the amicus briefs を提出。
http://www.bozemandailychronicle.com/articles/2009/07/09/news/10suicide.txt

またテキサスの施設の問題。アシスティッド・リビング(自立度の高い人向けの入所施設)で、入所者のセックスに関しては職員が干渉しない新ルールを作ったために、他人の目の前での性行為や集団でのセックスが行われることとなり、42歳の女性がレイプされたとして、女性の両親が施設を訴えた。
http://www.patriciaebauer.com/2009/07/08/family-sues-sex/

米国では75年に介護職員をcompanion と規定する裁判所の判断が下されて、介護サービス提供事業者が職員の残業に最低賃金程度しか払わないで済ませる現在の慣行に繋がっている。その見直しがやっと議会に提案された。「介護職に公正な給与を」とNY Timesの社説。
http://news.bbc.co.uk:80/go/em/-/2/hi/health/8140213.stm

若いころ言語能力が高かった人は、歳を取ってから認知症にかかる確率が低い?
http://news.bbc.co.uk:80/go/em/-/2/hi/health/8140213.stm

日本語情報。米国FDAが重度強迫性障害の治療で、電池内蔵式の脳深部刺激装置システムを認可。「人道的理由により承認基準を限定的に免除する医療機器」として初めての認可とのこと。なんて、トンデモヒューマンな……。でも「同システムでOCDが治癒するわけではない。その効果には個人差があり,装置を植え込まれた患者には軽度~中等度の機能障害が依然として残る可能性が高いため,薬物治療も継続する必要がある」って、強迫性障害は機能障害なの? 「機能障害が残る」んじゃなくて「機能障害が起こる」んでは? いいのか、そういう「人道」で? こういう人道がまかり通り始めたということは、これは、もう米国ではAshley療法の論理も、きわめて人道的ということになるのだろうか。……ヘンだよ。ぜったい。
http://www.medical-tribune.co.jp/mtbackno12/4227/27hp/M42270611.htm
2009.07.09 / Top↑
前のエントリーからの続きです)

その2人のエッセイを受け、
Shakespeareの文章は事実を偽っていると指摘しているのが、米国の Not Dead Yet のStephen Drake 。

Shakespeareはここ2年ほど、
たいていの場合「ターミナル」を定義しないまま、
ターミナルな人の自殺幇助の合法化を支持して盛んに発言し、
合法化に反対する障害当事者の活動家や障害者団体を批判しているが、

「Campbellは間違っている」と書いたShakespeareは間違っている。

あまりにも安易な論理と不正確な情報で書かれたエッセイで、
学者としてあまりにも不誠実である。

まず、Dignitasの“サービス”が支払いさえすれば無差別のものだということは
以前から周知の事実だったのであり、ターミナルでない英国人が含まれていたことは
いまさら驚いてみせるような事実ではない。

次に、スイスへ付き添っていった家族が罪に問われていないことが
法の不合理を証明するかのように説いているが、
家族に付き添われてスイスで死んだ人の全てがターミナルだったわけではなく、
その中には、Daniel Jamesの両親も含まれている。

Shakespeareは、ターミナルでない人に付き添っていく行為も
告発の対象外とせよと主張するのか。

そもそも彼の言う「ターミナルな状態」とは?
MS患者や、年齢とともに進行する慢性病の患者では、
どういう状態がターミナルで、どういう状態ならターミナルでないというのか?

しかし、ただの論理展開の戦術ですまないのは
彼がヨーロッパ各国の尊厳死法について事実を述べていないことだ。

オランダ、ベルギー、ルクセンブルクは自殺幇助と安楽死の対象を
ターミナルな病気に限定していない。

そんなことも調べずに書いたとしたら学者として許されることではない。
知っていて、読者をミスリードしているなら、それは知的な不誠実である。

どんな意見を持とうと個人の自由だが、
事実を偽るような不誠実は許されない。

Tom Shakespeare Makes a Less Than Honest Case For Assisted Suicide
NDY Blog, July 8, 2009


私がこの3本を読んで個人的に感じたこと、考えたこととして、

CampbellもShakespeareも(特にShakespeareで)、
自分で意思を表現することの難しい障害者のことが頭から抜け落ちている。

ここ最近のいつからか、英国の議論はassisted dying に表現が切り替えられている。
(文末に関連エントリーへのリンク)
 ここでも2人とも、assisted dying という表現を使っている。
  
Campbellのエッセイへの読者コメントのトーンが、いつもながら、ひどい

「アンタがそう思うのは勝手だけど、だからといって、なぜアンタに
他人の自殺する権利にまで口を出す資格があるのよ」

「誰も、アンタに死ねとは言ってないだろ。
死にたい人に死ぬ権利があるというだけなんだよ、すっこんでろ」といった
論旨とトーンのものが多い。

障害者の視点からの社会への異議申し立てに対して、
嫌悪感や反発が露骨になってきている感じがしてならない。

でも、考えてみれば、これ、今の日本の臓器移植法改正議論と同じ論理だな、と。
「臓器あげたくないという人にまで提供しろとは言っていない。
 したくなければ、したくないと意思表示すればいいだけのこと。
 適当なセーフガードがあれば、それで何の問題があるのだ?」

反対している人が言っているのは、個々のケースで起こることだけでなく
そのことが社会の価値観に及ぼす影響まで含めて懸念しているということ、

個人の選択権が喧伝されることが個人の選択を超えた社会の圧力となっていくことの懸念を
分からないのか、分かっていて分からないフリをするのか……。


Shakespeareは区別すべきことを区別せず、グズグズのまま議論している。

一番引っかかったのは以下の部分。

As a supporter of disability rights, I back the right of disabled people to have control over the time and manner of their death, so they can avoid unbearable suffering and achieve dignity in dying. Being disabled in itself is no reason to die, but for many of those who have terminal illness, controlling the circumstances of their death becomes very important.

「障害」=「ターミナルな病気」ではないのだから、
この部分だけで、相当な自己矛盾をきたしている。

これ以外のところでも、文脈によって
「障害者とターミナルな人」と言ったり、「ターミナルな人」だけに触れていたり、
いったいどういう障害像または病状の人への自殺幇助を合法化しろと言っているのか
はっきりしない。

しかし、もしも「障害がある人がターミナルになった場合」のみを言っているのであれば、
「ターミナルな人」というだけで、そこに含まれるのだから、

わざわざ「障害者とターミナルな人」と両者に触れている以上、彼は
「障害はあるがターミナルではない」人も対象に含めているのだと思う。

しかし、その状態で死ぬことに尊厳があるとする彼の主張は、
ターミナルではなくとも「障害のある状態で生きること」には尊厳がないと言い始めている
多くの人の価値観に組することにならないか? 

もう1つ、この問題で意見が分かれているのは障害者も健常者も同じだと
話を簡単に一般化していいのか、という点。

社会には障害者への差別がない、既に解消されていると考えるのでなければ、
障害者の間でだって意見が分かれているのは健常者の間で分かれているのと同じだ、とは
言えないのでは?

奪われてきたから、それを取り戻すべく主張され獲得されてきた障害者の自己決定権と
死の時期と死に方とを自分で決めてもよいとする死の自己決定権は地続きではなく、
前者の延長上に後者があるわけではないと思う。

結局、Shakespeareの主張は
「障害者にも死の自己決定権を」というよりも
「障害者だからこそ死の自己決定権を」と聞こえて、

「障害のある生は、社会の姿勢や支援によらず、苦しく生きるに値しない」と
今の英米の社会がじわじわと広げている価値観を裏付けることになるような気がする。


・Stephen Drakeの文章の中に、オランダの障害新生児の安楽死に関する情報が出ています。
ざっと読んだだけでは、よく分からないのですが、
いずれ、ちゃんと読みたいと思うので、メモとして以下にリンクを。



2009.07.09 / Top↑
障害者運動の活動家と障害学の学者ら3人による、ここ2日間の論争を
2回のエントリーにて。

(概要はいずれも取り急ぎのまとめで、さほど吟味した訳語ではありません)

まず、7日に英国上院で意見陳述を行った障害者運動の活動家で
The Disability Rights Commissionの前チェアマンのJane Campbell
それに先立って Guardianに寄稿したエッセイ概要。

今回議会に提出されている法改正案では、自殺幇助を認めることが、
あたかも障害のある人とターミナルな病気の人の利益になるかのように言われ、
特にMSと運動神経障害(ALS)の2つのある障害者がその代表であるかのように語られているが、
ごく一部に、そう望む声があるからといって
我々障害者が自殺幇助を望んでいるわけではないことを知ってもらいたい。

障害者にとって何がベストかを社会が勝手に決める時代は終わり、
障害者自身がエンパワし、自分で決めることができるようになった。

2004年にも上院でターミナルな人へ死の幇助法案が審議されたことがあったが、
その時の危機感から Not Dead Yet UK も創設されている。

我々を引き合いに出して自殺幇助を正当化するのはやめて欲しい。
我々はむしろ、そのような主張によって
障害のある人の生は生きるに値しない苦痛に満ちた生であるかのように思われて
慈悲殺の論理が社会に広がっていくことを懸念している。

さらに、医療と介護の経費削減のために最も安上がりでお手軽な解決策のように言われることや
自殺幇助を求める声の中に「家族に介護の負担をかけたくない」という理由が必ず挙げられてことも
懸念の材料となっている。

しかし、本当に、それでいいのか。
この社会は障害者とターミナルな病気の人に本当にそういうメッセージを送ろうとするのか。

Assisted dying: not in our name
Disabled and terminally ill people reject the view that our lives are a tragic burden. We can speak for ourselves – hear us now.
By Jane Campbell, July 7, 2009

Champbellさんが上院で行った意見陳述の内容について書いたDaily Mailの記事はこちら


このエッセイに対して、
「それは違う。多くの障害者とターミナルな病気の人が幇助死の合法化を望んでいる」と
反論するのはTom Shakespeare。

現在既に115人もの英国人がスイスのDignitasで自殺幇助を受けていて
彼らに付き添っていった家族や友人が誰も罪に問われていない。
これは、いかなる自殺幇助も違法とする現行法が現実と整合していないことを意味するとの
今回の法案提出の理由は、正当なものである。

しかし、一方でDignitasでは無差別に自殺幇助が行われて
ターミナルでない人まで対象となっている問題を思えば、
今回の法改正は第一歩に過ぎず、さらに幇助死そのものが合法化されなければ
本当の解決にはならない。

ヨーロッパでは合法化する国が相次いでいる。

私は障害者の権利を訴えてきた者として、
耐え難い苦しみを回避し尊厳ある死に方をするために
障害者が自分の死の時と死に方を選択する権利を支持する。

Jane Campbellのような自立生活運動の活動家が
ここで障害者に人生の終わりの選択権を否定するのは矛盾している。

健常者の中でそうであるように、障害者の中でも、この問題で意見は割れているが
調査に見られるようにマジョリティは賛成している。

A chance for dignity in dying
Jane Campbell is wrong. Many terminally ill and disabled people want effective assited dying legislation.
By Tom Shakespeare
The Guardian, July 7, 2009

次のエントリーに続く)
2009.07.09 / Top↑
カリフォルニア州オレンジ郡からのニュース。

Joshua Fry。21歳。
両親はともに薬物中毒者。
8歳で自閉症を診断される。
養家を転々とし、高校では問題行動が目立っていたが、万引きで逮捕され、
心理ケアの必要な青少年の施設に15ヶ月間収容された。

18歳の時に祖母が裁判所に申し立てて法的後見人(? conservator)となった。

グループホームで暮らしていたFryに海軍のリクルーターが接触し、入隊を説得。
祖母はFryの入隊には自分の同意が必要だと主張したがリクルーターに無視されたという。
(リクルーターの接触には気づかなかったとも言っているので、その点ちょっと矛盾も)

2008年1月に海兵隊に入隊。

しかし、ブートキャンプが始まるとFryは
命令に混乱して上官に向かってわめく、
キッチンでピーナツバターを盗もうとして捕まる、
自室に放尿する、訓練の指揮官に逆らう、ひげを剃ろうとしない、
あげく、家に帰ろうとするかのように正門に向かったところを阻止された。

その時になって初めて自分に自閉症があることを上官に明かしたのは
当人にすれば、打ち明ければグループホームに帰してもらえると思ったからだったけれど、

実際には歩兵隊に戻されて訓練を最後までやらされた後に
任務放棄と児童ポルノ所持で逮捕され、現在までほぼ1年間、収監されている。

この先の軍法裁判では自閉症であることを隠して入隊した罪状も加わる模様。
(隠した罪は本人よりもリクルーターにあると思うのだけど?)

祖母は「向精神薬を飲んでいるし、双極性障害と診断されたこともあるんです。
監禁状態には耐えられない子なのに」と。

弁護士は、
もともと本人の症状からすれば法的契約ができないとみなされて
入隊が許可されなかったはずだと主張し、起訴とりさげを求めたが、却下された。

リクルーターにだまされて入隊させられた人たちの訴訟を扱う弁護士によると、
リクルーターがノルマを達成することが年々厳しくなっている事情で、
以前なら入隊を許可されなかったような人たちが許可されるケースが急増しているとのこと。



大学進学への奨学金をエサに貧困層の若者たちを入隊させるとか
そのために軍のリクルーターが高校に出入りしているとか、といった話は
堤未果さんの「ルポ貧困大国アメリカ」で読んだけど、

貧しい若者を騙して釣り歩くだけで足りなくなったら、
今度は誘導しやすい障害者がターゲットになる……ということか?


なぜか、このニュースを読んで、
7日の厚生労働委員会の脳死・臓器移植法改正の参考人質疑で
A案提出者の立場の参考人である医師から出た言葉が、
妙に生々しく思い出された。

社会の資源としての臓器──。

この人は臓器移植を推進したい医師として、こんな感覚を持っているらしい。
じゃぁ、これと同じ感覚を政治家がもっていたら、どう言うのだろう。

国家の資源としての国民──?

一部の国民は、ただ抱えているだけだったらコストがかかるばかりで厄介だけど、
資源として有効利用が、できないわけでもない──?
2009.07.09 / Top↑
人工呼吸器をつけた子の親の会バクバクの会から
昨夜出された要請文。

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 【再要請】 臓器移植法改悪反対の声を参議院へ!

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◆わたしたちは「脳死」が「人の死」だとは思いません!

◆脳死判定は絶対的な状態を判定できるものではありません。

◆参院厚生労働委員会で、森岡正博参考人が指摘されたように、「無呼吸テストを厳密に実施した脳死判定で、脳死のこどもの3割以上が長期脳死になっており、2割は100日以上、心臓が動いている」という厳然たる事実があります。

◆「脳死」を「人の死」とされれば、臓器提供以外の場面でも必ず影響があります。

◆「脳死」を「人の死」とされれば、安易な治療差し控えや打ち切り、そして尊厳死へと必ずつながっていきます。難病や重度障害を持って生きることも否定する社会風潮となります。欧米の例が証明しています。

◆命も臓器も本人のものです。本人の意思と家族の意思が同じとは限りません。家族といえども本人にとって最良の代諾者とはなりえません。

◆意思表示の困難な子どもや重度障害のひとたちが拒否できない法律は間違っています。


「欧米の例が証明しています」の部分については、
当ブログがその実例のいくつかを拾っていると思うので、
直接的に臓器移植と関連したものだけ一部をまとめた4月21日のエントリーを以下に再再掲。

以下、4月21日のエントリーの再掲に、
最後に1つ最近のエントリーへのリンクを追加しました。

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夕方のニュースで日本の脳死・臓器移植法改正の問題が取り上げられていたのを機に、
当ブログ開設からの2年間に取り上げた臓器移植関連の海外ニュースをまとめてみました。

日本ではあまり報道されることはありませんが、
世界では(といっても読んでいるのが英語ニュースなので英米が中心になりますが)
こんなことが起こっている……というのを知った上で考えるのと
知らないままで考えるのとでは、
かなり話は違ってくるのではないかと
夕方のニュースを見ながら思ったので。


【Navarro事件 関連エントリー】

臓器ほしくて障害者の死、早める?
Navarro事件で検察が移植医の有罪を主張(2008/2/28)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)


【Hannah事件 関連エントリー】

13歳少女、延命効果なくても心臓移植やりたがる医師にNO(英)(2008/11/14)
Hannahの移植拒否報道に思うこと(2008/11/15)


【Kaylee事件 関連エントリー】

心臓病の子の父に「うちの子の心臓を上げる」と約束してヒーローになった重症児の父、呼吸器はずしても生きるわが子に困惑
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー


【救済者兄弟 関連エントリー】
救済者兄弟:兄弟への臓器提供のために遺伝子診断と生殖補助技術で生まれる子ども

”救済者兄弟”
英国の”救済者兄弟”事情 追加情報
兄弟間の臓器移植 Pentz講演
臓器目的で子ども作って何が悪い、とFost
「わたしのなかのあなた」から
「わたしのなかのあなた」から 2
「わたしのなかのあなた」から 3


【その他 臓器移植関連エントリー】

臓器移植で「死亡提供者ルール」廃止せよと(2008/3/11)

移植臓器不足は誇張されていた(2008/3/26)

脳死宣告された男性が回復し「気分良好」と(2008/4/3)

死体の闇売買のため障害者を狙って殺害(中国)(2008/9/11)

「植物状態」5例に2例は誤診?(2008/9/15)

心臓を停止から75秒で摘出・移植しているDenver子ども病院(2008/10/14)

ブタの臓器10年後には人間への移植可能に?(2008/11/8)

”息をする死体”に過ぎない植物状態の人は実験利用に、と2006年から(2009/4/16)

「臓器提供に家族の同意得るためには医師はコーディネーター伴って」と(2009/4/22)

「脳死」概念は医学的には誤りだとNorman Fost(2009/6/8)
2009.07.09 / Top↑