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Isaiah James May君が生まれたのは去年の10月29日。
40時間にも及ぶ難産で、無酸素脳症となったため
ヘリでStollery 子ども病院に運ばれ、
呼吸器をつけNICU入院となった。

1月13日、両親のもとにAlberta Health Services(AHS)から手紙が届く。
(カナダの医療制度は英国に似ていて、受診時原則無料。
AHSは、英国のNHSトラストに当たるものと思われます)

あらゆる治療を尽くしたが出生時の無酸素脳症から回復は見込めないとし、

「診断は変わりません。
息子さんは出生時に無酸素状態で脳に損傷を負い、
不可逆的な脳損傷状態となりました。
回復の見込みはありません」

「したがって、残念ながら、2010年1月20日水曜日の午後2時以降、
治療チームはIsaiah君の人工呼吸器をはずします」

両親が裁判所に停止命令を求めて提訴。

裁判官が、中立の立場の専門家の意見を聞いたうえで1月27日に判決を下すとしたため、
20日の取り外しはとりあえず棚上げされることに。

当初、成長もしないし、動くこともないといわれていたIsaiah君が
体重が増えたり、髪の毛が伸びたり、このごろは
開眼したり手足を動かすことも増えてきているとして
両親は、状態が変わるかどうか確かめるために90日間の猶予を求めている。

病院側は、30日しか待てない、と。



前のエントリーでDiekema医師が感染症の転帰として並べた
「脳損傷、死、障害」という順番にこだわったばかりですが、

米国・カナダの医療における「無益な治療」概念は
「脳損傷」を「死」よりも忌避すべき状態として位置付け始めているのでは――?


この記事を読む限り、不可解なのは
病院からの手紙にある「回復の見込みがない」という表現。
There is no hope of recovery for Isaiah.

なぜ「救命の可能性が低い」ではなく「回復の見込みがない」なのか。

それは呼吸器取り外しの理由が
「治療しても救命できる見込みがなく本人が苦しいだけだから」ではなく
「救命はできるが、救命しても重症障害を負うこととなり、
その障害からの回復が見込めないから」なのでは?

しかも、この下りは
「脳に不可逆的な損傷を受けた。回復の見込みはない」と一続きになっています。
今のところ、一旦損傷された脳細胞は元には戻らないとされているのだから
「脳損傷に回復の見込みがない」というのは本来、わざわざ断る必要もない無用のこと。

脳に損傷を受けて、そのために障害を負いながらも、
適切な支援を受けて通常の日常生活を送っている障害者も世の中には沢山います。

それなのに「脳損傷そのものに回復の見込みがない」ことを直接的な理由に
「呼吸器をはずす」とAHSが言っているのだとしたら、

例えば、事故や脳卒中で脳に損傷を負った人たちに
リハビリテーションで回復の可能性があるとしても、
脳損傷そのものは不可逆だから、
そういう人からも急性期のうちに呼吸器が外されかねない
非常に危うい論理なのではないでしょうか。

しかもIsaiah君は新生児。
脳損傷そのものが不可逆的だとしても、
いろんな意味での可塑性は大きく、新生児だからこそ可能性は大きいはず。

今でも呼吸器をつけて2カ月以上、彼は生きているのだし、
救命可能性について病院が触れていないのだとしたら、

結局のところ、
病院が治療を停止しようとする理由は「救命できないから」ではなく、
「救命するにはIsaiah君の障害が重すぎると判断したから」であり
つまり「救うに値しない命だと判断したから」なのでは?


もうひとつ、気になることとして、
この記事からテレビニュースでの両親のインタビューも見られるのですが、

両親にインタビューする前の記者の解説では
「病院は“脳死”だと言った」と「脳死」という言葉が使われています。

記事には「脳死」という言葉は出てきていないので、

病院はIsaiah君に脳死判定を下しているのだけれど記事がそれを書いていない可能性があります。
「成長しない」(ビデオのインタビューによると「髪も伸びない」とも)との説明は
その可能性を思わせます。しかし、それなら、なぜ記事はそう書かないのだろう。

今後の展開が気になるケースです。

【21日追記】
追加情報があったのでこちらのエントリー書きました。

【関連エントリー】
「無益な治療」事件一覧(2009/10/20)
2010.01.20 / Top↑
ちょうど1年前のMichigan Law Reviewという法律関係のジャーナルの特集で、
親の個人的な信条による子どものワクチン免除についての議論が行われています。


現在、米国では医療上の理由によるワクチン免除はすべての州で、
またMichigan州を含む20の州で親の個人的信条による免除が認められているものの、
貧困層が多かった、かつてとは様変わりして、近年は
高所得・高学歴の親の免除希望が増えてきている。

ワクチンが自閉症その他の障害を起こすとの風説などが原因と思われ、
それにつれて米国では撲滅されたはずの麻疹やおたふくかぜなどの伝染が増えてきている。

我が子のワクチンを拒否する親は、その子どもが他の子どもに病気をうつした際には
法的責任を問われるべきだろうか。

以下からシンポの論文がすべて読めます。

Liability for Exercising Personal Belief Exemptions from Vaccination
Michigan Law Review, Volume 107, No.3, January 2009

私が読んだのは、この中から、
問われるべきではないとするJay Gordonという人の論文と
問われるべきであるとするDiekema医師の論文の2本。


Gordonが問われるべきではないとする根拠は、主に2点で、

ワクチン接種そのものからくる反作用と、接種しないことからくる反作用のどちらもあり、
ワクチン接種の有効性を疑問視する医学的研究が存在している以上、
親の両義的な姿勢も根拠がないわけではない。

子どもがある伝染病に感染した場合に、
誰によって感染したかを特定することも困難。

Gordonは親に感染への法的責任を負わせるよりも、
むしろ「拒否する権利を守るためにも行動に責任を持って」と訴えようとする方向。

ちなみに、この論文にはちょっと目を引く指摘があって、

「毎年ワクチンによって米国では33000人の命が救われている」という説明が
推奨の根拠として使いまわされてきたが、
それは1900年代なかばの医療水準を基準にした数字であり、
現在の医療水準では、ワクチンが救っている命の数も
ワクチンの害を受けている人の数も、推計することは難しい、と。


それに対して、Diekema論文は、おおむね
06年の子ども病院生命倫理カンファでの講演内容や
08年の論文での主張(詳細は文末にリンク)に沿った議論ですが、
これまでよりも踏み込んだ結論になっている気がします。


現在、CDCの免疫委員会が推奨しているのは
6歳までに14種類のワクチン。

面倒なので、英語のままで以下にあげておくと、

Hepatitis B, hepatitis A, rotavirus, diphtheria, tetanus, pertussis, haemophilus influenza type B, pneumococcus, poliovirus, measles, mumps, rubella, varicella(chicken pox), influenza.

これらの感染を防ぐワクチンは20世紀の最も効果的で重要な医療介入である。
その効果のためには集団として免疫をつけることが必要である。

一方、ワクチンで防ぐことのできる、これらの病気は
重症化すると致命的ともなりうる。

……と述べたうえで、Diekema医師が
これまでと同じく引いてくるのはJohn Stuart Millの害原則論。

人には他者に害を与えてはならない義務がある。
他者に害を与えるリスクがある場合には、
個人の自由や権利に対する公権力の制約が正当化される。

したがって、
我が子にワクチンを接種させないことは他児に感染の危険という害を与える行為であり、
他者に害をなさない義務に反する。

また、子どもが感染した場合に、
誰によって感染したか感染源の特定も比較的簡単に可能、と主張。

不法行為責任を適用して、
子どもに接種させない親は他児への感染の法的責任を問われるべきだと結論。

A parent whose child suffers brain damage, death, or disability as a result of contact with another child whose parents chose to forgo vaccination has been harmed unfairly. While the current system in the United States has a publicly funded mechanism for compensating those injured as a result of vaccine side effects, there is no corresponding public mechanism to guarantee that a child harmed by an unvaccinated child will receive the medical care, services, and support necessary. The best mechanism for justice in this situation may be the tort system. It would be unreasonable for those who have made good-faith efforts to participate in the vaccination program to suffer harm at the hands of those who have not, without some mechanism for recompense.

親がワクチンを接種させなかった子どもと接触したために
我が子が脳損傷をこうむったり、死んだり、障害を負ったりした子どもの親は
不当な害をこうむったのである。

ワクチンの副作用の被害者への補償制度は整備されているのに
ワクチンを接種していない子どもによって害を受けた子どもには
医療やサービスや支援が受けられる制度が整備されていないのもフェアではない。

この不正な状況をただすには、不法行為責任制度の導入がよい。

良心的にワクチン・プログラムに参加した人が、
そうしなかった人の手によって害を受け
保証を受けられる制度もないまま苦しむのは不当である。

なにやら反動的な響きすら漂う結論――。

そもそもDiekema医師はワクチンの効果だけを論じ、
副作用リスクについては全く取り上げていないのです。

この論理がさらに向かっていく可能性のある方向を考えると、
それは、もう全員へのワクチン強制しかないでしょう。

この論理を使えば、例えば今回の豚インフルエンザ・ワクチンでも、
子どもに限らず全員が接種を強制されることになり得るし、

そして、この論理の一歩先にあるのは、
打たなかった人がインフルエンザにかかったら、
周囲の感染者から「あいつが犯人だ」と指さされ、
「不法行為責任」を問われる空気なのでは?

親のワクチン拒否問題への解決策として出てきた議論によって、
病気感染の法的責任を個人に追わせる論理の筋道が付けられてしまう――。

これ、かなり怖い議論なのではないでしょうか。

今の段階では出てきていないけど、
ここには、そのうち、その個人が社会に負わせる医療費コストの試算も、
かぶせられてくるのかもしれないし……。

          ―――――

それにしても、「ん?」と思ったのは、引用の最初の部分で
感染の結果として起こることをDiekema医師が挙げている、その順番。

脳損傷、死、または障害

彼の無意識では、きっと「脳損傷」は「死」よりも悪い、
「脳損傷になるくらいなら死んだ方がマシ」な状態と認識されているのでしょう。



2010.01.20 / Top↑