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去年、米国Kansas州Whichitaで妊娠後期の中絶をやっていたTiller医師を銃で撃って殺したScott Roederが、裁判で子どもたちを守るためにやるべきことだと思ってやった、中絶を中止するために周到に準備してやった、と動機の正当性を主張。:殺人が裁かれるのではなく、中絶が裁かれる裁判に? でも、この捻じれ方、なんだか英国のGilderdale事件に対する「よくぞ殺した」みたいな受け止め方にも重なってしまうんだよね。今の私には。
http://www.nytimes.com/2010/01/29/us/29roeder.html?th&emc=th

インドの新聞のInglis事件報道記事。
http://beta.thehindu.com/opinion/op-ed/article96478.ece

自閉症ワクチン犯人説を流した医師は子どもに説明を怠って非倫理的な方法で研究を行った serious professional misconductについて医療コミッションが有罪と判断、どうやら医師資格をはく奪される可能性も。:この記事だけ読むと、ワクチン犯人説を流したことの罰を、別の罪で償わされているんじゃないのかな、という感じがしないでもない裁き方なんだけど……。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mHDQGI2F/qZM8PI2F/uM9ZZ6/xO9WSJ2F

「ライ麦畑」のサリンジャー氏、死去。享年91歳。:何回か読んだなぁ。高校生の時、あの小説でphonyという言葉を覚えた。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mHDQGI2F/qIW8GI2F/uM9ZZ6/xO9WSJ2F

英国第2のビッグ・ファーマ、アストラゼネカ社が世界中の支社で8000人のリストラ。中国にアウトソーシングする方針に切り替えるため。英国内では1500人。
http://business.timesonline.co.uk/tol/business/industry_sectors/health/article7007193.ece?&EMC-Bltn=HDQGI2F
2010.01.29 / Top↑
ついに、Diekema医師ではラチが開かなくなったと判断したのでしょうか。

この度のAJOBのDiekema&Fost論文に「こんなの成長抑制じゃない、不妊手術だ」と
批判のコメンタリーを書いたJohn Lantos医師とのディベイトに
Diekema医師ではなく、師匠のFost医師の方が出てきました。

(John Lantos医師は元シカゴ大学の小児科医・生命倫理学者。
現在はUniversity of Missouri Kansas City School of Medicine所属)

といっても、 the Center of Practical Bioethics という機関の企画で
それぞれにインタビューした音声をつなぎ合わせたもののようですが、これは必聴です。

Lantos医師は、こうしたケースを倫理委で検討することについて、
以下の3つの問題点を指摘し、

・透明性がない
・然るべきプロセスがない
・説明責任がない

倫理委で何があったか誰にも分からない」と。

裁判所の検討が絶対に必要

この療法で利益を得る子どもがいるというのはありうるかもしれないが、
その子どもを密室で選別するなんて、そんなことはあり得ない」とも。



これを言ってくれる人を、3年間ずっと待っていました。

よくぞ…… ついに……。やっと……。

思わず、目を閉じ、
モニターから聞こえてくるLantos医師の声に向かって、
しっかり手を合わせてしまいました。


          -------

インタビューの冒頭、インタビュアーが
「Diekema医師とFost医師はAshleyのケースに関わりました」と解説しているのですが、
2007年の論争当時、Fost医師の立場はそういうところでしたっけ?

彼は、中立の立場の生命倫理学者として
CNNのLarry King Live や Scientific American のメール討論に出て
いかにも中立の専門家然とした口調で擁護していたのではなかったでしょうか?

当ブログでは、
Fost医師こそ、Ashley父と一緒になってウラで筋書きを描いている張本人と見てきましたが、
やはり、図星だったようです。
2010.01.29 / Top↑
Should our loved ones be able to help us end our lives?
私たちの自殺に愛する人が手を貸してくれるのは許されるべきでしょうか。

――こんな、あきれるほど不注意で大雑把な問いを立てているのはGuardian。

Guardian Daily: Assisted suicide and the law
The Guardian, January 29, 2010


Guardianがここで「我々の専門家パネル」と呼んでいるのは
最初の部分だけ聞いてみたところでは(イギリス英語は聞いても全然分からないので)
どうも、これまでの映像資料から音声を抜いて集めただけで、
実際にこの人たちを集めて議論させたものではないようなのですが、

そのポドキャストのページのサブタイトルにあげられた「専門家パネル」のテーマが、
上記の、改めて考えると実に恐ろしい問いなのです。

「手を貸す」って……最初にDebby Purdyさんが言い始めた時は
まだしも「付き添ってDignitasへ連れて行ってくれる」ことを意味していたはずなのですが、
今では「致死量のモルヒネやヘロインで殺す」ことと、みんなガッサリと一まとめ。

(31日追記:実際に討論が行われていました。詳細はこちらに)

この問いに象徴される、ある重大な事実を、
今の英国で冷静に分かっている人が少なくないことを私は心から祈りたいのですが、

英国で現在進行している「自殺幇助合法化」議論は
これまで、まだどこの国も合法化していない種類の「自殺幇助」です。

今の段階でオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、
米国のオレゴン、ワシントン、モンタナの3州で合法化されているのは
一定の要件を満たした人が所定の手続きを経た場合の、医師による自殺幇助です。

ここのところの英国での、かまびすしい議論では、
医師の自殺幇助は、むしろ単なる手段の提供に過ぎず、その中心はむしろ、
この問いに象徴されているように「愛する人」つまり近親者による自殺幇助

私は去年9月のDPPのガイドライン暫定案が出た時から
その飛躍の重大性があまり言われないことがずっと気になっているのですが、
(自殺幇助の”方法”についても、たいそう無頓着なガイドラインだったし)

このまま英国が、
私にはまるで集団ヒステリーとしか思えないような今の“世論”に流されて
(個人的にはGilderdale事件の陪審員はこの空気に流されたんじゃないかと……)
近親者の自殺幇助をなし崩しに事実上合法化してしまうとしたら、

世界で初めて、近親者による「合法的自殺幇助」へと
道が開かれることを意味するんじゃないかと思うのだけど……。


ちなみに、この「専門家パネル」に発言を引っ張ってこられているのは
Debby Purdy, Baroness Finlay, Evan Harris MP, Baroness Warnock の4人。

Evan Harris という議員さんはFinley議員と同じく反対派らしいのですが
当ブログは把握していません。

残り3人について、それぞれの関連エントリーを以下に。

Debby Purdy (夫の付き添いでDignitasに行って自殺したいMS患者)


Baroness Finlay (Baroness は女性議員の称号と思われます)
(良い死に方に関する超党派の議員グループの会長)


Baroness Warnock(議員であり、著名な哲学者でも)

2010.01.29 / Top↑
Gilderdale事件の実質無罪放免について報道が続いています。

インターネットに流れてくる情報を拾っていると、英国社会は
「美しい母の慈悲殺愛!」「自殺幇助合法化を!」という声で沸き返り、
まるで「よくぞ殺した!」とKay Gilderdaleを称賛するかのようです。

そんな中で、ME患者のAnn Farmerさんという方の目立たない投稿に
私は却って目を引かれました。

8年間 ME(慢性疲労症候群)を患ってきた者として、故Lynn Gilderdaleさんが自殺したいと感じていたのは分かります。あれほどの重症だったことを思えば、なおさらです。MEという病気は理解されていません。研究も患者団体が資金を出しているものしか行われていません。MEでは体力が低下し、疲労感に襲われます。それでも患者は支援を求めて闘うことを余儀なくされているのです。この国だけでも何千人もの患者がいるというのに、そんな病気があることそのものを疑う人もいます。

障害のある人を身内が殺して刑罰を受けなかったという、この事件は、我々の社会のダブル・スタンダードの、さらなる1例です。つまり、患者自身の苦痛よりも、病人のケアをしている人のほうに同情が集まる。

もしも身障のない人が死にたいと言って、身内がその人を殺したという犯罪だったとしたら、それは間違いなく殺人となったはずです。自分で身を守るすべを持たない弱者をケアしている人たちに向かって、この事件は誤ったメッセージを送ります。「介護者が助けてほしいといっても、その願いは無視されますよ、でもね、もしも、どうにもできなくなって自殺を手伝うのだったら、同情をもって迎えてあげますよ」とね。



この人が指摘しているのは、実際には3つのダブル・スタンダードだと思う。

①患者の苦しみには理解がないのに、
殺す介護者の苦しみにだけは理解を示すダブル・スタンダード。

②同じように自殺希望があったとしても、
障害のない人を殺したら「許すべからざる殺人」で、
障害がある人を殺すのは「美しい愛の行為」というダブル・スタンダード。

③介護している間の介護者の苦難には温かい手を差し伸べることをしないのに
思い余って殺してしまったとたんに温かく同情を寄せるダブル・スタンダード。


私も障害児・者と介護者を巡る社会のダブル・スタンダードには
ずっと疑問を感じ続けています。

一昨年、福岡で発達障害のある子どもをお母さんが殺した事件の時に
やはり「ダブル・スタンダード」という言葉を使ってエントリーにしたことがありました。





          ―――――――

上記リンクで書いたように、
障害児・者や介護の問題を語る時に美意識を持ち込むのはやめてほしい……と
私はずううううううっと思ってきたのですが、

Ashley事件からこちら、英語圏の動きを追いかけていると、
「愛と献身」がやたらと大安売りされて、

そういう、本来は見当違いなはずの美意識を煙幕に、
再び家庭・家族に介護が押し籠められていっているような気がする。

ただし、今度は、
そのために、ホルモンで背を縮めたり、チップを埋め込んだり
介護される人の体を都合よく変えるのも勝手だし、
ありとあらゆるセンサーを使って、バイタルから
冷蔵庫のドアの開閉に至る行動の逐一まで、遠くにいる家族が把握するのも自由だし、
モニターを使って、離れた所でもヴァーチャルで食事を共にすることもできる。

あ、もちろん、ロボット介護も、いずれはお好みのままで、
ご本人様を“ロボット自動介護ベッド”に寝かせてもらったら、
後は放っておいてもらって全然OK。

定時の体位交換も、排せつも、胃ろう管理も、投薬も、
設定さえしてもらえれば、リハビリだって、ちゃんとやっちゃう優れもので、
誰もがハッピーな"快適老老介護”を実現します

――そんな、“科学とテクノ”でバージョン・アップされた“家族介護”。

なんてったって家族は「愛と献身」の代名詞だし。やっぱ「家族愛」っしょ。
「愛憎」とか「近親憎悪」なんて言葉は、この際、無視しておいてね。
それが「本人の最善の利益」なんだから。

本当は、お金のある人しか、この“新バージョン・家族介護”には手が届かないのだけど、
それも、まぁ、あまり大きな声では言わないように。

あ、もちろん、「尊厳を無視した介護はイヤだ」と時代遅れなことを言われる
頑固で意固地な偏屈はいつの時代にもおられますから、そういう方は
どうぞ、勝手に、ご家族が徒手空拳でご奮闘ください。ただし、
選んだのはアンタたち家族なんだから公的支援はありませんよ。

で、 “科学とテクノ”を駆使できるほどお金がなかったり、
そういうのを駆使しても家族だけでは介護できない状況だったり、
まぁ、その他もろもろの事情で「もう、イヤだ」ということなら、

そうね――。
ご本人様に「死の自己決定権」を行使していただくか、

もしくは、これも、あまり大きな声では言えませんが、
適当なところで殺していただけば、一応、無罪放免ということで……。

だって、心に「愛と献身」と「慈悲」をもってやる「美しい行為」なんですもの――。


私たちが向かっていこうとしているのは
結局は、そういう世の中なの――?
2010.01.29 / Top↑