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乳がんの死亡率が下がったのは治療法の進歩のためであり、乳がん検診で発見率が上がったためではない、むしろマンモグラフで間違って陽性と出て不要な治療を受けさせられている人が多い、との調査結果。コペンハーゲンの Nordic Cochrane CentreがNHSの乳がん検診プログラムについて調べた。:去年もどこかから同様の報告が出ていたような記憶がある。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6993062.ece?&EMC-Bltn=OMTDB2F

先週、米国のFDAが食品容器に含まれるBPAのリスクを警告する報告書を出したばかりだけれど、今度は英国の研究者から同様の指摘。ただしヨーロッパの主流の見方は、通常の方法で使っている分には危険性は低い、とするものらしい。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/plastic-food-container-alert/1728300.aspx?src=enews

治療薬としてのマリファナ合法化論争。
http://www.nytimes.com/2010/01/19/health/policy/19marijuana.html?th&emc=th

このところ男児への割礼の是非論争が再燃している。この問題、たいていDiekema医師がコメントで出てくるのだけど、この記事は読んでいないので不明。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/15/AR2010011503106.html

昨日、ドイツがInternet Explorerを使わないように国民に呼びかけたのに、フランスも続いた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8465038.stm

米国の夫婦5組に1組で妻の方が高学歴で高収入なんだとか。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/01/18/AR2010011803895.html
2010.01.19 / Top↑
Sue Tollefsenさんは59歳で
ロシアでの生殖補助医療によって2年前に女児を出産している。

今回はロンドンのクリニックでのIVFを希望。

クリニックでは
夫の同意書と、主治医の支持を表明した文書
カウンセラーとの綿密な相談と、詳細な健康チェックを条件に
受け入れを検討中。まだ結論は出ていない。

しかし、59歳のIVF希望に
かねてよりくすぶっていた年齢制限の必要議論が表面化している。

NHSでIVFが受けられるのは40歳までで、
民間のクリニックも50歳以上の女性には治療を行わないのが通例だが
これまでに少なくとも2人、58歳の女性が治療を受けている。

生殖補助医療の専門家らは

「50代女性への治療では母子双方へのリスクが増加するので
私を含めて多くの医師はやらないが、
社会はクリニックが個別に判断することだと考えている」

「ヒト受精胚機構(HFIA)や法律で何歳かで線を引き規制したところで、
どうせその規制ラインを1歳程度超えた女性が現れて
受けられないのは法的不平等だと訴えるに違いないのだし」などと言い、

ドナーの卵子を使用する限り年齢制限の必要はなく、
あくまでもケース・バイ・ケースの判断で、と年齢制限に反対。

しかし、英国医学会の医療倫理委員会会長は
やるとしたら、このクリニックは
それが子どもの最善の利益であることと親の養育能力について
HFEAに正当化してみせなければならない、と。

ちなみにTollerfsenさんの希望については
BBCのドキュメンタリー・チームが追いかけているとのこと。


まさか、スペインやインドの高齢出産記録と競りたい医師もいる……なんて……?

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専門家が科学とテクノで簡単解決文化へと誘導しておきながら
最終的なところで社会の意識や個人の自己責任に責任転嫁する論法で思い出したのと、

この59歳女性の妊娠希望ケースを
BBCのドキュメンタリー・チームが追いかけているという部分に、
BBCはもともと科学とテクノ関連のニュースが好きだしなぁ……
NHKもBBCに似てきたのかなぁ……という連想も繋がったので、

昨日の「クローズアップ現代」で考えたことを、ついでに。


昨日のNHKの「クローズアップ現代」が取り上げていたのは、
脳とコンピューターのインターフェイス(BMI)の可能性。

BMIで現在既にできること、将来できるようになるかもしれないことの
素晴らしい可能性を次々に描き出しておいて、
いよいよ番組の最後のところにきて専門家が言うのは

「もちろんリスクはあるので、
利益とリスクをはかりにかけて利益が上回る場合にのみ適用する」

「BMIが脳を変容させるリスクもあるので、研究者も現場も一般の人も
利益とリスクとをきちんと把握・比較したうえで、利用するように」。

でもリスクについては、それ以上の説明はなかったし
番組の中でもリスクを描いた部分は、まったくゼロだった。

番組以外での情報提供で考えてみても、
BMIの利益の研究とリスクの研究でいえば、
きっと圧倒的に前者が多いはずだし、

情報提供されるのは効果と可能性という“利益”ばっかりで、
リスクに関する「ない」研究は「ない」ことそのものが見えなくなるという陥穽に
世間の大半の人ははまったままだというのに、

それでどうやって一般人が“利益とリスクを把握し比較検討”できるというんだろう……? 

利益ばかりを研究し、利益に関する情報ばかりを流して、
科学とテクノによる簡単な問題解決と簡単な欲望充足文化へと
社会を誘導し、その意識や価値観を変容させておきながら、
「でも、もちろんリスクはある。最後は自己責任ですよ」という論法はないでしょうに。

番組では、米国で売り出された、
集中すれば脳波を感じて球が浮き上がるオモチャが紹介されていて、
子どもが遊んでいるシーンがあった。

その子どもの目を見た時に、
このオモチャは危険だ……と私は直感したのだけれど、
(もちろん素人の直感なんて何の根拠にもならないのは承知だけれど)

「何かの作業に集中した時に、その集中の結果として一定の脳波が出る」ということと、
「その脳波を出すことを目的にした集中を意図的な作業とする」こととは
結果として出る脳波が表面上は同じであっても、
脳で起こっていることと、そのことの脳への作用は
全く別物のはずではないのでしょうか。

(ここの論理の倒錯は「うつ病は脳内の化学変化が原因だから薬物で治る」という
因果関係の捉え方の倒錯に、ちょっと似ているのではないでしょうか?)

もしも、最後の解説で言われた「BMIは脳を変える」というリスクが
多少でも、その違いと繋がっているとしたら、
誰かが、このオモチャの危険性を指摘するべきではないのでしょうか。

実際に被害を受ける子どもが多数出て、
誰かが因果関係を指摘する声を上げるまでは、
このオモチャも出回り続けるのかもしれないけれど、

その段階で指摘されたところで
因果関係を最終的に証明することは不可能だろうし、
証明できないものは存在しないことになるのが科学的思考というものらしいから
製造元が因果関係は証明できないと突っぱねれば、それまでになるのでは……と思うと、

イヤ~な予感がした。

生殖補助技術の安全性についても、ホルモンや遺伝子や脳についても、
まだまだ解明されていないことの方が圧倒的に多いはずなのに、
先走りの見切り発車的な“やったもん勝ち”で、いじられていく――。
2010.01.19 / Top↑
去年4月18日のエントリーで紹介した Gilderdale事件の続報。

慢性疲労症候群(ME、筋痛性脳症)で17年間寝たきりだった娘Lynnさん(31)を
献身的に介護してきた母親(看護師)の Bridget Kathleen Gilderdale(55)さんが
モルヒネの過剰投与で殺した、というもの。

(Lynnさんの状態とメディアの報道に大きな疑問があります。詳細は上記リンクを)

検察は殺人未遂で起訴。
母親は殺人未遂ではなく、自殺幇助だったと主張している事件。

裁判が始まったようです。

そこで明らかになった事件の詳細をBBCから以下に。


Lynnさんが、もう死にたいと言った際に
母親は1時間かけて「まだ死ぬ時ではない」と説得を試みた。

2008年12月3日。
母親がLynnさんにモルヒネの入った注射器2本を渡し、
Lynnさん本人が点滴のカテーテルを通じて体内に入れた。

(つまり、Lynnさんはしゃべれるし、手も使える。
では、身体的には口からモノを食べられる状態だったのであり、
経管栄養になっていたのは、精神的な理由によるものだったのでは?)

3時間後、それでは死ぬことができなかったために
母親は家にある錠剤を探して粉々に砕き、鼻に通してあった栄養チューブに入れた。

翌4日。
母親がモルヒネ2~3回分を点滴に注入。

その後、自殺幇助支援団体 Exit に電話で助言を求めたのち、
さらに空気を注射器3本分、注射。



去年読んだ記事では、本人が死にたいと語っていたという情報は出ていなくて、
むしろ本人の意識状態そのものが曖昧なまま
どちらかというと「話もできなかった」という表現が
非常に誘導的に使われている印象だったのですが、

どうやら、本人が死にたいと望んだ、
最初のモルヒネは自分で注入したということのようです。

そういう意味では確かに「慈悲殺」事件ではないのかもしれません。

検察側も、Lynnさん自身の自殺の企てが失敗したために、
その後は「ひとえに娘を殺すことを目的として、さまざまな行為を行った」という
解釈をしている様子。

ただ、Lynnさんの障害像がそういうものであったとしたら、
余計に去年の記事で感じた疑問が大きくなります。
Lynnさんに必要なのは自殺幇助ではなく病気から回復するための支援だったはず。

母親が「こんな悲惨な状態では”まともに生きている”とは言えない」と感じていたことの重大性が、
今後の裁判の過程でで、どのように捉えられていくのか、注目したいところです。

また今回の記事を読んで、
私には、さらに新しい疑問がわいてくるのですが、

看護師だったとはいえ、なぜ家にモルヒネがそんなに大量にあったのでしょうか。

Lynnさんの病気は、それだけでターミナルになるような性格のものと思えないので、
本人にモルヒネが処方されることはありえないように思うのですが、
このあたりは、もし私の思い違いだったら、どなたかご教示ください。

ただ仮にLynnさん自身に処方されていたとしても、
致死量が家に置いてあるということがあるでしょうか。

もしも看護師だった立場を利用して母親が手に入れていたとしたら、
この人には看護師としての法的責任も問われるべきではないのでしょうか。

改めて、この事件は
去年9月に出された公訴局長DPPの自殺ほう助に関する法的解釈のガイドラインが
医師の自殺幇助と、家族や友人の自殺幇助とを明確に区別していないことの問題点
こちらのエントリーで詳しく書きました)を
浮き彫りにしているように思います。

それから、もうひとつ。
「死人に口なし」なのだから、
殺した方が「死にたいと本人が言ったんです」「最初は本人がやりました」といったからといって
それが真実だということの立証など、不可能なのでは……?

それが不可能である限り、こうした事件が
この母親の主張するように「自殺幇助」として扱われてしまったのでは、
「障害を抱えて生きたいはずがない」という思い込みで殺したい放題になってしまう。
2010.01.19 / Top↑
以下、まだ全然、掘り下げられていなくて、
ただの思いつき程度の内容なのですが、
とりあえず自分自身のメモとして書いておきたいので。


マーサ・ファインマンが「ケアの絆」で力を入れて批判していた
フェミニズムのジェンダー中立性重視というのは、たとえば

社会で男性と対等の権利を手に入れることを重視するあまり
会社で男と同じだけ働いて、家に帰っても、また働かなければならない状況が作られたり、

離婚の際の親権をめぐる男親と女親との評価においても
全く同じ条件で比較されることが平等だということになって
却ってシングル・マザーに非常に不利な状況が作られてしまったり、

平等を求めたはずが、あまりにも政治的な正しさとしてジェンダー中立性にこだわったあまり
回りまわって不平等を後押ししてしまったじゃないか…・・・ということのようだったのですが、

本を読んだ後も、なんとなく、そのことをぼんやりと考え続けていたところに
モンタナの自殺幇助合法化判決の続報が出てきたりしているうちに、

ふっと思い出したのが、Tom Shakespeareの
「健常者には認められる“死の自己決定権”が障害者には認められないというのはおかしい。
障害者にも健常者と同じように“死の自己決定権”が認められて然り」という論理。

これ、読んだ時から、ずうっと引っかかっていて
自分がどういう理屈でこれを否定しようとするのか、
たびたび考えてみようとしては、いまいち整理できていないのだけど、

Shakespeareはここで、
フェミニズムのジェンダー中立性重視の轍を踏んでいる、とは言えないかなぁ……。

障害者が“生きる権利”において差別され、不利益をこうむっている事実を
女性が家庭において差別され、不利益をこうむっている事実と並べてみたら、

社会での男女平等だけを求めすぎたために、
家庭での差別はそのまま温存されて、社会での悪平等を引きかぶることになった
フェミニズムの失敗と同じように、

“生きる権利”における差別と不利益は温存されたまま
政治的正しさとしての“死ぬ権利”での平等を求めても、それは結局、
生きることにおいても死ぬことにおいても障害者が差別され、
さらなる不平等と不利益をこうむることにしか繋がらないんじゃないだろうか。



2010.01.19 / Top↑