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昨日の障がい者制度改革推進会議・総合福祉部会。:「政府から依頼されて議論しているのに、われわれに何の連絡もなかった。部会の議論の中身が十分に反映されていない改正法案を拙 速に議員立法することは、(国と障害者自立支援法違憲訴訟団の)基本合意書に反する、われわれを愚弄する行為だ」
http://blogs.yahoo.co.jp/e999jp/60723489.html

米ウィスコンシン州の矯正施設で、同房者の自殺を幇助したとして逮捕・起訴されていたJoshua Waltersが罪状を認めた。去年4月にこちらのエントリーで拾った事件。:これまで「自殺幇助」と呼んではいかんだろう……と当時つぶやいた事件。
http://www.signonsandiego.com/news/2010/jun/01/wis-inmate-pleads-guilty-in-assisted-suicide-case/

有害ゴミを象牙海岸にぶちまけて多くの死傷者を出したTrafiguraスキャンダルで、アムステルダムでの裁判が始まったらしい。:初めて当ブログでニュースを拾ったのは2007年だった。うやむやにならなかったのは、とにかく良かった。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jun/01/trafigura-trial-toxic-waste-netherlands

J&J社の子どもの鎮痛剤に関する品質管理の問題で、去年2月にFDAが同社幹部に対して改善を勧告していたのにもかかわらず、4月末のリコールまで対応が遅れた、と議会の公聴会で。
http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-na-tylenol-hearing-20100528,0,1137250.story

10代の子たちに集中力がないと大人が嘆くけれど、それは彼らが怠けているせいではなく、彼らの脳が未成熟で大人の脳とは違っているからだと脳科学から説明する科学者。:でも、それが「なぜ最近の子どもたちは昔の子どもたちほど集中できないのか」という問いの答えにはならないような気がするのだけど。
http://www.guardian.co.uk/science/2010/may/31/why-teenagers-cant-concentrate-brains

バイオテクノロジー産業の安全規制が時代遅れなため、研究者の感染被害が後を絶たない。
http://www.nytimes.com/2010/05/28/business/28hazard.html?src=busln

ガン細胞が形成される前の段階で発せられるシグナルを検知する検査を英国人科学者が研究中。
http://www.thetimes.co.uk/tto/health/news/article2535216.ece
2010.06.02 / Top↑
HIV感染を診断された後、ちゃんとした説明もなく
本人の同意もなしに不妊手術を施されたNamibiaの女性3人が、
政府を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こしている。

人権団体の調べでは2008年以降、同様の被害が15件確認されている。

The Legal Assistance Center(LAC)の関係者によると、
これらの手術では、女性は何をされているのか分かっておらず、
また既存の病気もまったく考慮されずに行われたケースもある、とのこと。

訴訟の開始に合わせて、300人が抗議デモ。
他にも、連帯を示すデモが南アフリカ、ザンビア、英、米で。

Namibia HIV women sue over forced sterilisation
BBC, June 1, 2010


これまで当ブログが拾ってきた強制不妊の情報は
ペルー、日本、タイ、米(Ashley)、オーストラリア(Angela)、ウズベキスタン。

それらの情報はこちらのエントリーにまとめました。
2010.06.02 / Top↑
39歳のスペイン人男性が統合失調症を患っているにもかかわらず、
その精神状態について、わずか数行の説明でごまかした文書で、
チューリッヒの婦人科医に処方させ、
DIY自殺キットを手渡したとして、
スイスの医療当局がDignitasに調査を開始。

この記事に書かれているのは、その他2点で、

2005年には
ドイツの女性が自国で職場に提出すると偽ってGPに書かせた末期であるとの証明書で
Dignitasで自殺幇助を受けて問題となったことがある、とのこと。

(ただ、スイスの法律は、特にターミナルな人という条件を付けていないはず。
というか、もともと自殺幇助が違法でないという解釈の問題のようでもあり。
といってもスイスの当該法について詳細を知っているわけではなく、ニュースからの断片情報のみ)

もう1点は、当ブログにも何度か登場している看護師で
元Dignitas職員のSoraya Wernliさんのこと。

創設者のMinelliはこれまでいくつもの訴訟を起こされながら
違法な殺人で起訴されたことはないのだけれど、

Dignitasは倫理的な安楽死をやっているわけではなく金もうけの手段にしているだけだとして、
Wernliさんは次々に訴訟を起こしては告発を続けていて、
絶対に有罪に持ち込むと燃えている、という話。

辞職する前の8ヶ月間はWenrliさんは警察の潜入スパイとしてDignitasで働いていた、
ということも書かれていて、

それで、これまで警察がMinelli氏を逮捕できていないなら、
Wenrliさんの告発の信ぴょう性は……? とも、考えてしまった。

Swiss suicide clinic Dignitas probed after ‘patient suffering from paranoid schizophrenia was given suicide kit’
Daily Mail, May 31, 2010


DIY自殺キット……。

もう自殺幇助関連のニュースを追いかけて、かなり経ちますが、
この表現は初めて見ました。

医師が処方した致死薬のことを、DIY自殺キットと最初に呼んだのは
Dignitasなんだろうか。それともメディアの誰かなんだろうか。
その感覚そのものが、なんか、おぞましくない?


それにしても、自殺した人の骨壷を湖に投棄したり、
精神障害を隠して自殺用の薬を手に入れて渡したり、
Minelli氏はもう感覚がマヒしているとしか思えない。

(Dignitasは事実上Minelli氏一人がやっており、つまりDignitasとはMinelli氏なのです)

そういうのは、きっと、
個々の行為がスイスの法律にのっとって違法か合法かという問題ではなく、
たとえ個々の人の自殺幇助に法律上の問題がなくとも、
たとえ彼らの遺骨を湖に放り捨てる行為がさほどの重罪ではなかったとしても、

それの行為が一人の人間の中で繋がっているというところには
法律を超えた倫理の問題としてゼッタイに見過ごしてはいけないものがある、と思う。

定義もできないし、合理的な説明がつかないから、そんなものは無意味だと
英語圏の一部の生命倫理学者は「尊厳」という概念を切って捨てるのだけれど、
では、Dignitasで死んだ人の遺骨が無造作に湖に投げ捨てられていた事実に、
なぜ私たちはこんなにも心を逆なでされるのか。

もう死んでしまった人の遺骨がどこに置かれようと、そんなの、
その人にとっては利益も不利益もないと言ってしまえば、それまでだ。

チューリッヒ湖の底に眠り続けるのが「本人の最善の利益」だと
倫理学者がどこかから正当化の理屈を探してきてコネくり回すことだって可能だろう。
あの人たちはそういうことがショーバイなのだから。

そういえば、Diekema医師やFost医師は、
「Ashleyには自分の尊厳を感じることすらできない」と言った。
だから、彼女の身体を侵襲することは尊厳を侵害することにはならない、と。

その論理を転用すれば、
遺骨を湖に捨てられた死者には自分の尊厳を感じることなど、もうできないのだから
ほら、やっぱり、生命倫理学者のご高説によれば、「別に、捨てたって構わない」ことになってしまう。

でも、大半の人は、遺骨を湖に投げ捨てるという行為にショックを受け、心を痛める。
それが自分とは全く関わりのない赤の他人の遺骨であっても、「許せない」と感じる。

それは、その行為が尊厳を侵していることを
理屈抜きに感じるからではないのだろうか。

誰か特定の人の尊厳が侵されていると同時に、その行為は、
あなたも私も含めた、人というものの尊厳を踏みにじっていると
感じるからではないのだろうか。

一人の人の尊厳を侵すことは、
すべての人の尊厳を侵すことに通じていくからではないのだろうか。

尊厳なんて定義できないんだから無益な概念だと切り捨てて、
合理の世界だけのヘリクツをこねくり回しては、
人の生や死や身体を操作することを繰り返していると、
人の感覚は麻痺していく。きっと。Minelliのように。

自分が手を貸して人を死なせることにも、
その遺骨を手近な湖に投げ捨てることにも、
精神障害のある人が死にたいと言ってきて、それは症状かもしれないのだから、
もしかしたら症状さえ収まれば気持ちが変わるかもしれないと知っていたとしても
この人一人が死ぬこと1つが、どっちに転んだって、そんなの大した問題じゃないし……と、マヒしていく。

そして、そういう人は、だんだんに人として腐る。

尊厳って、やっぱり頭で理屈をこねて考えるものじゃなくて、
心で感じるものなんじゃないんだろうか。

「すべり坂」も、
死の自己決定権や、生命の操作や、重症児の身体の侵襲や、人の身体の資源化など
個々の問題において、セーフガードが効かなくて、その技術やルールが、
本来ターゲットになるべきでない人に濫用されてしまうというだけじゃなくて、

本当は、一番おそろしい「すべり坂」は
人の心が、いのちや、人の生死に対する畏怖や、身体に対しての敬意の感覚を鈍らせて、
人としての心の感度を失っていくことにこそ、あるのでは――?

そして、人間の社会全体が、
人の遺骨を無造作に湖に投げ捨てるような行為に対して、
「その、どこに問題があるのか」と頭で受け止めるようになり、
心を痛める、ということをしなくなっていくこと、

そんなふうに人が人として腐っていくことに――?



【尊厳について、考えてみたエントリー】
「尊厳は定義なしに使っても無益な概念」をぐるぐる考えてみる(2009/6/29)
大統領生命倫理評議会の「人間の尊厳と生命倫理」と「おくりびと」(2009/6/30)
「いのちの選択」から「どうせ」を考える(2010/5/21)
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