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09年の以下のエントリーで
08年当時のシアトルこども病院理事会メンバーの一覧にリンクを貼ったのですが、

シアトルこども病院の理事会にはビル・ゲイツの妹も(2009/9/15)

今日、調べ物の必要から、そのリンクを開いてみたら
2010-2011年度の理事会メンバー一覧に内容が変わっていました。

探せば、どこかに代々の旧メンバーも記録されてはいるのでしょうが、
とりあえず、メンバーが変わった時に諸々の人の名前が消えると面倒なので、

まだGates氏の妹であるLibby Armintroutさんが含まれている今のうちに
2010―2011年のメンバーを以下にコピーして記録しておきます。

• Jim Ladd, Chair Elect
• Jan Sinegal, Vice-Chair
• Rhoda Altom, Secretary
• Bob Flowers, Treasurer
• Dean Allen
• Libby Armintrout
• Robb Bakemeier
• Joel Benoliel
• Jane Blair
• Julia Calhoun
• Pat Char
• Nancy Daly
• Mike Delman
• David Fisher, MD, Senior Vice President and Medical Director
• Mary Ann Flynn
• Thomas N. Hansen, MD, Chief Executive Officer
• Genie Higgins
• Judy Holder
• Cynthia Huffman
• Cilla Joondeph
• Cindy Masin
• Susan Mask
• Resa Moore
• Jeff Nitta
• Gloria Northcroft
• Laurie B. Oki
• Rob Roskin, MD
• Nancy Senseney
• Charles Stevens


Mike Delman はMicrosoft社の役員。

Laurie B. Oki もMicrosoftの関係者。
夫はMicrosoft草創期の立役者でIT長者。
夫妻はOki財団を作って、Gates財団のようなことをやっています。

これだけでもMicrosoft/Gates財団の関係者が少なくとも3人はいることが分かります。

なお、David Fisherは、
Ashley事件でWPASと合同記者会見をした際に既に医療部長でした。
この時、彼の名前でプレス・リリースが出ています。

ただし、2004年のAshleyの手術当時の医療部長は別人でした。

(WPASが執刀した外科医に聴取したところでは
手術の前に外科医は医療部長の所に行って、本当にいいんですね、と念押しし
医療部長がいいと言ったから手術したと語っているので、もしかしたら、
医療部長の交代劇には、そうした背景が絡んでいるのか……? と、
あの合同記者会見の際に、私はちょっと思ったりもしました。
もちろん、確認も、したがって立証もできませんが。)
2011.02.08 / Top↑
某MLに長野英子さんが流してくださった
権利主張センター中野での池原毅和弁護士の講演。

国際人権と障害者権利条約
2009年9月15日


自由権と社会権について。
人権と尊厳について。
尊厳とオートノミ―について。
平等概念の変化について。
障害理解と平等について。

などなど、
Ashley事件との出会いから
ずっと、私にはよく分からないままに、ぐるぐるしてきた問題の周辺を
とても分かりやすく解説してあって、とても勉強になった。

私にとって、このブログは
資料のファイリング・ツールにもなっているので、
例によって自分自身のメモとして、

ほとんど言語道断なほどの雑駁さで、以下に。


抽象的な「人間」に権利がある……から、
具体的な人間をそれぞれにイメージしつつ、それら人間に権利がある……となり、

さらに

「自律している人間に尊厳がある」という考え方から
「自律している個人に尊厳がある」という考えに傾いてきたことへの反省として、
人間であればだれでも尊厳を持っているという視点に戻ろうというのが
障害者権利条約の理念ではないか、と。

その理由として、池原氏が挙げている
以下の3点が、私には特に印象的だった。


何でだかはよくわからないけど、うまく説明できないけど、人間という集団の中により尊重されるべき人間と尊重されなくてもいい人間とか、切り捨てられてもいい人間っていうグループわけをし始めると、おそらく人間の社会というのはだめになっちゃうんだというのが20 世紀の経験だったんだろうなというのが一つですね。経験的な説明として。



これと似たようなことを Peter Singer 批判の中で Dick Sobsey も書いている。

いつか、誰かに教えてもらった「法の歴史性」というのが、
こういうことなんだろうな、と思う。


平等主義と自己決定原理の前提には価値相対主義があるということですよね。価値相対主義に立つとすると、どういうことになるかというと同様に結局人間は区別できないわけだから、尊厳とそれを呼ぶかどうかはともかくとして、それぞれの人間は同じだけ尊重されなければいけない。どっちがより尊厳が少ないとか多いという議論は成り立たない、そこまでいくと平等性とほとんど同じ概念とですけれども、やはり人間の尊厳性の前提にも価値相対主義があるだろうということがある。というのが二つ目ですね。



自己決定原理の前提に価値相対主義があるというのは目からウロコだった。

じゃぁ、
Ashleyのような重症児には尊厳はないとの主張に基づいて
侵襲度の高い不可逆な医療介入を正当化する論理は
価値相対主義を否定していることになるのだから
自己決定権の延長である親の決定権も根拠が崩れる……?

一定のオートノミ―を失った状態には尊厳がないと感じることは個々の感じ方の違いだから、
そう感じる人には死の自己決定権を認めましょう……という主張は、
「どんな状態になっても生き続ける」との自己決定も同様に尊重されるのでなければ
価値相対主義とは言えないのだから、

現在のように「死ぬ」という一方向のみの自己決定権は喧伝されても、
逆方向からはQOLを基準に治療を拒絶する「無益な治療」論が押し出してきていて
「にもかかわらず生きる」という方向への自己決定は否定されていくのでは、やっぱりマヤカシ。


現に自律しているとか自己決定しなくてもね、少なくとも可能的な潜在的な、つまり命
というものが存在している限りにおいては、可変的であって、可能性を持った存在だとい
うのが人間



これと全く同じことを
成長抑制をずっと批判している重症児の親Clairさんが書いている。

ついでに、私もずっとそのことを娘の姿を通じて描き出したいと、
このブログの「A事件・重症障害児を語る方に」の書庫のエントリーで
拙い努力をしているつもり……。
2011.02.08 / Top↑
オランダの安楽死法で合法的に赤ん坊を殺すことが可能だと解説するブログ記事。:まだ読めていないけど、これは重要。
http://www.suite101.com/content/legally-killing-babies-in-holland-a336143

ドイツ医師会が今年前半のうちにガイドラインを出して、自殺幇助に関する姿勢を緩和する予定、とか。
http://www.bioedge.org/index.php/bioethics/bioethics_article/9380/

ミネソタ州で、妙な「無益な治療」判決が出ている。認知症の夫Albert N. Barnes(85)は治ると信じて治療を求めていた妻から代理権者としての資格をはく奪して、妻に代わる緊急代理権者を立てるよう裁判所が命じた。以下はこの事件を取り上げたブログ記事と、その判決文。:まだ詳細を掴んでいるわけではないけど、もしもこういうことが通るなら、例えば07年のゴンザレス事件みたいな事件でも母親は代理決定権者として適切ではないと病院が裁判所に訴えて資格をはく奪することも可能になっていくのか……?
http://medicalfutility.blogspot.com/2011/02/wife-loses-status-as-substitute.html
http://thaddeuspope.com/images/Barnes_Court_Ruling_02-04-11.pdf

オーストラリアで医師らが、意識のない患者の性器などを研修医に診察させていたことが問題になっている。:これは、ちゃんと読みたい記事だけど、特にその「意識がない」というのが、これまた単にコミュニケーションが普通にとれないだけの人だったりもするんじゃないか、と。
http://www.news.com.au/national/medical-students-are-performing-intrusive-exams-on-unconscious-patients/story-e6frfkw0-1225996222221
http://www.theaustralian.com.au/news/nation/no-consent-as-med-students-get-intimate/story-e6frg6nf-1225996391826

日本。子宮頸がんワクチンの自治体助成に疑義を呈した勇気ある医師がいる。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110207-00000045-mailo-l04

上のページにリンクされていた、「サーバリスクにできる事とできないこと」というブログ記事。詳しい。日本の添付文書に書かれていない情報も盛り込まれていて、興味深い。
http://medicineblog.asablo.jp/blog/2010/01/24/4836092

英国の科学者らが、すべてのインフルエンザに対応できるワクチンのブレーク・スル―。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/feb/06/flu-universal-vaccine-test-success?CMP=EMCGT_070211&

英国で、妊娠中に気持ちを翻した代理母に裁判所が「子どもはそのまま育ててもいい」と。:依頼者夫婦が身分を偽っていたり誠実でなく、子どもが既に6カ月間、女性に育てられてアタッチメントができている、というのが主な理由らしいけれど、妊娠し出産すれば育てたくなるのが人情、と代理出産そのものに疑問を呈してもいるみたい。:ざっと読んだだけ。できたら、もう一回読む。
http://www.guardian.co.uk/uk/2011/jan/21/surrogate-mother-keep-baby-court

「揺さぶられ症候群」、実は別の病気で、無実の罪をかぶった人たちがいる?
http://www.nytimes.com/2011/02/06/magazine/06baby-t.html?_r=1&nl=todaysheadlines&emc=tha210

タイとカンボジアの間で戦闘状態が起きているって、知らなかった。今日で4日め。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/07/thailand-cambodia-border-dispute-preah-vihear-temple?CMP=EMCGT_070211&

カナダの法曹界も依然として男性優位で女性が差別されていると、弁護士らから改善を求める声。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/lawyers-call-for-end-to-male-dominance/2068430.aspx?src=enews

オーストラリアと米国がスパイ衛星の情報提供で極秘に提携。:前に、諜報での協力密約で、この2国に日本も加わっているみたいな話も出ていたけど。
http://www.canberratimes.com.au/news/national/national/general/us-aust-in-secret-satellite-spy-deal/2068316.aspx?src=enews
2011.02.07 / Top↑
以下のエントリーで追いかけてきたベルギーの「安楽死後臓器提供」に関連して、

ベルギーで2年前にロックトインの女性、「安楽死後臓器提供」(2010/5/9)
ベルギーの医師らが「安楽死後臓器提供」を学会発表、既にプロトコルまで(2011/1/26)


2009年にTransplantation Proceedings というジャーナルに発表された論文を
見つけて送ってくださる方があり、読んでみました。

Organ Procurement After Euthanasia: Belgian Experience
D. Ysebaert, et.al.
Transplantation Proceedings, 41, 585-586 (2009)


事実関係だけをまず簡単に確認しておくと、

2005年から2007年にかけて
4人の患者が、安楽死希望が認められた後で臓器提供の意思を表明した。

4人は43歳から50歳。
いずれも脳血管疾患または多発性硬化症による重症の神経障害があった。

1人からは肝臓、腎臓2つを摘出。
1人からは肝臓、腎臓2つと膵島を摘出。
その他の2人からは、肝臓、腎臓2つと肺を摘出。


いくつか、読んでいて、気になった点を挙げておくと、

① 心停止後臓器提供(DCD)について、
心肺基準での死亡宣告によって脳死基準を満たさない脳損傷患者からも
臓器摘出が可能となると説明した後で、「unsuccessful reanimationのケースでも同様」と。

unsuccessful resuscitation なら「蘇生を試みるもかなわなかったケース」として、
これまでも何度も目にしてきた表現ですが
unsuccessful reanimation ……。

私は初めて見ました。私が知らないだけなのかもしれないけど、
なんか、や~な感じの表現。

この「unsuccessful reanimation も同様」とは、まさか、心停止していなくても、
意識が戻らなければ、もしくは意識はあるかもしれないけれども
「生き生きと活気に満ちているQOLの高い状態」に戻らなければ
心停止と同じ扱いで臓器を摘出してもいい……の意……?

もっとも現在でも人為的に心停止を起こさせて臓器を摘出するDCDのプロトコルは
ピッツバーグ方式とかいって、存在するわけですが、
それじゃぁ、unsuccessful reanimation とは、ピッツバーグ方式のことを意味しているのか?

もしかして、今後は reanimation という文言が概念化され
これまでの脳死基準やDCDプロトコルに代わって
生きている人間から臓器をとるための新基準を作っていく……なんてことは?

② ここで解説されているベルギーの安楽死法で、
 外圧を受けない自発的な要望を複数回行って安楽死が認められる患者とは
「重症で不治の病気や障害によって、医学的に無益な状態にあり、
耐え難く軽減不能な肉体的または精神的苦痛を常時感じている」人。

その人がターミナルな状態でない場合には、安楽死を行う2人の医師は、
精神科医またはその人の病気の専門医である、もう一人の医師に相談しなければならない。

書面で要望が出されてから実施までは少なくとも1カ月あけること。

すべての「慈悲殺(なぜかこの個所だけ、この表現となっている)」は
監督機関である連邦委員会に報告すること。

つまり、必ずしもターミナルな状態でなくても
「医学的に無益な状態」にあれば対象に含まれる、ということですね。

その「医学的に無益」というのは、
米国の「無益な治療」論のように量的無益だけでなく質的無益も含むのかしら?

米国の無益な治療論における質的無益とは、
治療の無益論ではなく、QOLに基づく「患者の無益」論なんだけど?

③世界医師会は2002年に
 いずれも医の倫理に反するとして
安楽死と自殺幇助を非難する声明を出し、
それぞれの国内法で認められたとしても
それらの行為に加わらないよう医師に呼びかけている。

原文はこちら。

④この論文は世界医師会の声明について触れた後で、
「しかし、患者が提供意思を強く表明した場合に、
安楽死後臓器提供の要望を拒否することができるだろうか?」と問うている。

そこで気になるのは、冒頭の4人の患者のケースを紹介した個所の表現。

4人は「安楽死の要望が認められた後で
臓器提供の意思を表わした(expressed their will )」と書かれているけれど、
それは結果に過ぎないのでは?

誘導された結果「提供します」と言わされたのだとしても
最終的に「します」と言えば express their will したことになってしまう。

そもそも、この論文を書いている医師らの意図が
安楽死を望む神経障害のある患者を「良質な臓器」の「臓器プール」と捉え、
彼らからの提供を一般化することにあるのは間違いないのだから、
そういう医師が現に存在する以上、4人への誘導がなかったとは言い切れないのでは?

それなのに「患者が強く要望した場合には拒否できるものか?」などと
患者の要望の強さに医師はかなわないと言わんばかりのおためごかしには、

重症障害があるために救命よりも臓器摘出を優先されたNavvaroさんのことを
「呼吸器を外されても臓器保存処置をされても死ねなかったために
あたら提供できたはずの臓器を提供しそこねた不運な人」扱いをして
そういう不運な人を出さないために臓器提供安楽死を提唱するSavulescuと同じ、
「よく言うよ」的な厚かましい詭弁を感じる。


去年Savulescuが生きたまま臓器を摘出する安楽死を提案する論文を書いた時、
私は臓器提供は安楽死の次には“無益な治療”論と繋がるという懸念について書きましたが、

このベルギーの医師らの論文の文言には
「医学的に無益な状態」が安楽死の条件であるとか、
DCDのプロトコルはunsuccessful reanimationのケースでも同様だとか、
彼らが「安楽死後臓器提供」の対象を「治療はこれ以上無益」とされる患者へと
いずれ広げていこうとすることの必然がチラついているのでは……?


【追記】
その後、unsuccessful reanimationで検索してみたところ、
オランダの臓器不足解消に向けて書かれた上記と似たような趣旨と思われる論文で
心停止ドナーの国際的分類「マーストリヒト分類」の第2、「救急で蘇生できなかった患者」について
unsuccessful reanimation という表現が使われていました。

なお、マーストリヒト分類は、こちらの論文から引っ張ってくると、以下の4カテゴリー。

�1. 病院搬送時にすでに心停止状態のドナー。心停止から30 分以内に適切な措置が施
されたのでないなら、この種のドナーからの臓器摘出はできない。

�2. 心臓マッサージや人工呼吸器による処置を施せる環境で救急隊がすぐに蘇生にあ
たったにもかかわらず、血行力学的回復に至らなかった場合。

�3. 予後不良のため延命治療の停止が決断されるに至った場合。

�4. 脳死判定を受けて死亡宣告がなされた後、スタッフが移植準備している間に不可
逆的な心停止状態に至った場合。


私は上のベルギーの論文を読んだ時には
unsuccessful reanimation をカテゴリー3との連想で読んだのだけど、
これがカテゴリー2の説明だとなると、それは resuscitation (蘇生) の言い替えに過ぎないのでは?
それなら、わざわざ、これら2本の論文が別の文言で言い換える、その意図は――?



【Savulescu「臓器提供安楽死」関連エントリー】
「生きた状態で臓器摘出する安楽死を」とSavulescuがBioethics誌で(2010/5/8)
Savulescuの「臓器提供安楽死」を読んでみた(2010/7/5)
「腎臓ペア交換」と「臓器提供安楽死」について書きました(2010/10/19)

このSavulescu論文も、手に入れてくださる方があって
かなり前に読んでいるのですが、けっこう密度の濃いものだったりもして、
なかなかまとめる時間がとれずにいます。


【Navarro事件 関連エントリー】
臓器ほしくて障害者の死、早める?
Navarro事件で検察が移植医の有罪を主張(2008/2/28)
臓器移植で「死亡者提供ルール」廃止せよと(2008/3/11)
Navarro事件の移植医に無罪:いよいよ「死亡提供ルール」撤廃へ? (2008/12/19)
2011.02.07 / Top↑
先日のアリゾナ州ツーソンでの乱射事件で頭を撃たれ
貫通する銃創を受けたギフォーズ議員の回復が注目を集める中、

CNNが
穿通性の重症頭部外傷を負った患者も
交通事故による頭部外傷の患者と同じように
濃密な24時間リハビリテーションによって
ほとんど完全に近い回復を示し社会復帰を果たす可能性を取り上げている。

ちょうどGiffords議員が手術のためテキサスの病院に移されたのと同じ頃に
NYのリハビリテーション病院を退院したのは

幼児期から耳が不自由な美術学生のEmilie Gossiauxさん。

去年10月8日に交通事故で脚、頭、恥骨を骨折すると同時に
脳卒中と頭部外傷を負った。

当初、家族は医師らから
Emilieさんは支持に反応しないし瞳孔も光に反応しないので
リハビリテーションの対象にならない、
ナーシング・ホームに入れなさいと
言われたが、

恋人のLundgardさんがインターネットで
サリバン先生がヘレン・ケラーに使った意思疎通方法を調べ
試しにEmilieさんの手のひらに指で I love you と書いてみると、
I love you, too. Thank you. と返事が返ってきた。

人工内耳を埋め込む手術を受けた後、
Emilieさんは、みるみる元の自分を取り戻して行った。

目が見えなくなったことからくる細かい課題は多数あったし、
脳卒中で右片マヒも、記憶障害もあるが、

歩けるようになり、医師からは学校に戻るよう勧められ、
次の作品の構想を練っている。

11月から入院で受けていたリハビリテーションを終了し、
1月末に退院した後は外来で視覚障害者へのセラピーも含めリハを続けるとのこと。

これから点字も習う予定だという。

Inside a brain injury recovery
CNN, January 24, 2011


この記事、本題は、ギフォーズ議員の怪我を受けて、
穿痛性の重症頭部外傷にも社会復帰の可能性があるという話で、
特に記事の後半は理学、作業、聴覚言語の24時間リハビリテーションの効力について
論じられているのですが、

私はそれよりも、
交通事故による頭部外傷患者の回復事例として取り上げられているEmilieさんのケースで、
これは重大な示唆を含んでいる、見逃してはならない、と強く思うことがある。

それは、

当初の医師らの「リハビリテーションに値しない」との判断の根拠となった
「指示に反応しない」「光に反応しない」というアセスメントが
Emilieさんの意識状態をまったく反映していなかったという事実。

もともとEmilieさんは聴覚に障害があったのだから
医師らが「エミリーさん、分かりますか? 返事して」と呼びかけたって聞こえないし、
「はい。右手を上げてみて」と“指示”したって“反応”できるわけがない。

瞳孔が光に反応しなかったのだって、
脳に受けた損傷のために視覚を失っていたからに過ぎない。

意識がなくなっていたのではなく、
ただ、聞こえなかった、見えなかっただけ――。

手のひらに I love youと書いてくれれば
「私も愛しているわ。ありがとう」とちゃんと返事が返せる人のことを捕まえて
「リハビリの対象にならないほど脳損傷が酷い」とは、
なんという、お粗末な「医学的アセスメント」なのだろう。

これは私自身、重症児の親として、またAshley事件からも、いつも思うことだけれど、

単に「普通のやり方ではコミュニケーションが取れない」というだけのことに
医療は、あまりにも理解を欠いているのではないか。

そして、その無理解のために、
本当は意識に障害などないかもしれない人のことを
植物状態だとか最少意識状態だとか重症知的障害だと決めつけているのではないか。

そして、あろうことか、
どうせ植物状態だから、最少意識状態だから、重症障害者だから、と、
その命をも軽視していたりするのではないか――。

           ―――――――

何年も前のことですが、
「作業療法ジャーナル」で連載シリーズを書いていた時、
ICUで急性期の作業療法という当時は画期的な試みをやっていたOTさんを取材し
とても貴重な話を聞いたことがあります。

この人は、ありとあらゆる手段で意思疎通の手段を探るというのですが、

医師が「植物状態です」と家族に告げた脳出血の患者さんを
発症から4日目に担当した、そのOTさんは、かすかにだけど、
その患者さんが足を動かしていることに気づくのです。

「私の言っていることが分かったら足を蹴ってみて」と声をかけてみたことから
その人はYes と No の意思疎通が可能になった、というのです。

つまり、意識はちゃんとあったわけですね。

その患者さんは、その後、主婦としての生活を取り戻したとのこと。驚くことに、
植物状態だと告げられた時に家族が自分の枕もとで会話した内容を鮮明に記憶しており、
その内容は家族に確認すると、事実の通りだったとのこと。


私がこのOTさんから聞いた話で、もうひとつ面白いと思ったのは、
自分は必ず健側(マヒしていない側)からアプローチするのに対して、
医師は必ず患側(マヒしている側)からアプローチする、という話。

「だって、例えば右耳が聞こえない人に話しかけるなら、
誰だって左から話しかけるじゃない?」と、彼女。

彼女がやってみているのは、例えば動く方の手に鉛筆を握らせてみる。
いわゆる「鉛筆握り」をすれば、それが鉛筆だと認識できていることになる。
パチンコが好きだった人には、パチンコの玉を握らせてみる。
いとおしそうに懐かしそうに握り込んだり、まさぐったりすると、それも認識できている証拠。
つまり今は何も表現できなくなっているとしても、意識はあるということが分かる。

そんなふうに動くところからアプローチして意思疎通の手段を探る彼女の意図は
病んだところをどうするかが医療の仕事だと考える医師には
(少なくとも当時は)なかなか通じないようだった。

彼女がマヒしていない方の手を動かしたりしていると、
医師から「キミ、そっちは動くんだよ」と注意されたりするんだそうな。

なるほど、
左耳が聞こえない人の、その左耳に「聞こえたら返事して」とささやきかけるようなアセスメントで
「返事しないから、この人は意識がない」と、Emilieさんは判断されていた……。

そのOTさんの話と、
私が07年からずっと主張している
「わかる」の証明不能は「わからない」ではない、という話は以下のエントリーに。

「わかる」の証明不能は「わからない」ではない(2007/9/5)


その他、関連エントリーはこちらに ↓

脳死宣告された男性が回復し「気分良好」と(2008/4/3)
楳図かずおの脳死?漫画(2008/4/3)
23年間“植物状態”とされた男性が「叫んでいたのに」(ベルギー)(2009/11/24)
「なぜロックトイン症候群が植物状態と誤診されてしまうのか」を語るリハ医(2009/11/25)
重症障害児・者のコミュニケーションについて、整理すべきだと思うこと(2010/11/21)
2011.02.06 / Top↑
石原都知事の同性愛者に関する「どこかやっぱり足りない」「遺伝とかのせい」発言に、ヒューマン・ライツ・ウォッチから撤回を求める声明。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw28511

自殺幇助合法化に関する意見聴取が行われているカナダのケベック州で、聴取最終回に社会的弱者のアドボケイトいくつかから安楽死無用論が出たらしい。
http://www.montrealgazette.com/news/Quebec+groups+question+need+euthanasia+assisted+suicide/4227427/story.html

米国の家族計画への宣戦布告。
http://www.nytimes.com/2011/02/05/opinion/05collins.html?_r=1&nl=todaysheadlines&emc=tha212

ツーソンの乱射事件で撃たれたギフォーズ議員の夫は宇宙飛行士で、NASAのミッションの責任者としてスペース・シャトルに乗り込む、と決意表明。妻のそばにとどまるべきか、ミッションをとるべきか、の論争に? 妻と夫の立場が逆だったら? と、どうしても考えてしまう。
http://www.nytimes.com/2011/02/05/us/05kelly.html?nl=todaysheadlines&emc=tha23

ニュー・オリンズの人口、この10年で3分の2に。
http://www.usatoday.com/news/nation/census/2011-02-03-louisiana-census_N.htm?csp=Dailybriefing

Bernie Sanders上院議員が In These Timesに「ミドル・クラスを救う時」と題した論考を寄稿している。最初の部分を読んだだけだけど、ごく一部の金融関係者の強欲で米国の中流階級がつぶされてきたことに思いを致し、政府は中流の再興のために経済策を打て、と。
http://www.inthesetimes.com/article/5987/time_to_save_the_middle_class/
2011.02.06 / Top↑
自殺幇助合法化への圧力が高まる一方の米国で、
Idaho州から面白い動きが出てきている。

共和党の Russ Fulcher上院議員ほか7名が
自殺幇助を重罪とする法案を議会に提出。

国中で自殺幇助を「権利」に仕立て上げようとする動きの中、
それに抵抗を狙ったもの。

昨年9月に同州の最高裁からは
アイダホ州には現在のところ自殺幇助を違法とする規定は存在しない、との
判断が出ているらしい。

法案は、1994年にケンタッキー州が作った法律をモデルにしたもので
Fulcher議員によると、既に30州がこのような法律で自殺幇助を禁止している、とのこと。

Idaho Lawmakers Open Door For End-Of-Life Debate
AP, February 4, 2011

Bill would ban assisted suicide
Magicvalley.com, February 5, 2011


それにしても、このAP記事の方のタイトル、
「アイダホの政治家が終末期議論にドアを開く」って、ヘンじゃない?

どうもAP通信って、妙なことをするのよ。

去年、ドイツで延命治療停止の判断が出た際も、
「ドイツが自殺幇助を合法化」と大嘘のタイトルを打って報じた。

その後、形だけ訂正はしたけど、
もちろん訂正記事の方は、ほとんどの人の目には触れない。

いやらしいことに、この時、
NYTimesまでが同じことをやっていた。

詳細はこちらに ↓

ドイツ最高裁が本人意思なら延命治療停止は合法との判断(2010/6/25)
ドイツの延命治療停止判断を自殺幇助とグズグズに書く NY Times(2010/6/29)
AP通信がドイツの「自殺幇助合法化」報道を訂正(2010/7/3)
2011.02.06 / Top↑
英国で
肺に疾患のある8ヶ月の未熟児 Zakkari Johnson君をめぐる「無益な治療」事件――。


慢性の肺疾患のため、これまでに3回の手術を受けているが
生まれたときには24時間生きることも不可能だと言われていたという。

病院が生命維持停止を検討していると聞いた母親のJade McKayさん(22)は
「何でウチの子を殺したいのか分からない」と語り、
必要なら裁判所に訴えてでも息子を守る、と。

Mum: I won’t let docs kill my premature baby by switching off life support
The Sun, February 5, 2011


少なくとも、この記事についている最新のコメントいくつかを見る限り、
母親へのエールが続いていることに、ちょっと安堵。


生れた時に24時間ももたないだろうといわれたZakkari君が
3回もの手術を経て8ヶ月も生きている――。

ジュベール症候群で、どうせ助からない、助かってもQOLが低すぎるからと
心臓のドナーにと親と医師とで決められてしまったカナダのKayleeちゃんは
心臓を採るために呼吸器を外されても自力で呼吸し続けて、生きた――。

これらの事実が、
人の生死について謙虚であることの必要を能弁に物語っている……と思う。



【Kaylee事件関連エントリー】
心臓病の子の父に「うちの子の心臓をあげる」と約束してヒーローになった重症児の父、呼吸器はずしても生きる我が子に困惑(2009/4/13)
Kaylee事件について障害者人権アドボケイトからプレスリリース(2009/4/14)
Kaylee事件から日本の「心臓が足りないぞ」分数を考えた(2009/4/15)
What Sorts ブログのKaylee事件エントリー(2009/4/15)
「Kaylee事件」と「当事者性」それから「Peter Singer」(2010/11/3)
2011.02.06 / Top↑
カナダ医師会ジャーナルCMAJのコメンタリーが
自殺幇助と緩和ケアの問題は人権という文脈で議論すべきだ、と。

現在、少なくとも70%が緩和ケアへのアクセスを欠いているし、
アクセスできる人の中でもケアにはばらつきがある。

Manitoba大学の法学部の助教授 Mary Shariffは
「自殺幇助合法化の前に、緩和ケアの平等が実現されなければならない。
そうでなければ、現実のリスクとして
肉体と精神の苦痛緩和を選ぶことが事実上できないために
幇助死を望む意思決定をする人が出る。
それは完全な同意ではない」

Shariff氏は
可能な限り最善の健康状態を楽しむ権利をうたった国連人権宣言の第12条を引き、
自殺幇助合法化の前にカナダの緩和ケアシステムが完全なものとならなければならない、と説き、

国民の税金で国民全員に平等に適切な緩和ケアを提供できないなら
自殺幇助合法化に向かうよりも、政治家はその事実を認め対処すべきだ、と結論。

Assisted Death, Palliative Care And Human Rights
MNT, February 1, 2011


これ、日本の障害者福祉についても高齢者福祉についても、
全く同じことが言えると思う。

年々、医療、福祉、支援の現場の運営状況が過酷になっていき、
ケアは劣悪になっていくばかり。

そちらの手当てはされるどころか、
まだ努力が足りないと尻がたたかれては
心あるプロたちが傷つき、燃え尽き、やる気を失っていく。

そのツケはみんなさらに劣悪なケアとなって
患者や障害児・者、高齢者、その家族たちに向かう。

このまま事態が進めば、
「ターミナルで耐えがたい苦痛があるから」ではなく
「こんな劣悪なケアしか受けられないことが肉体的・精神的に耐え難い苦痛だから」
死にたいと望む人がぞろぞろと出てくるに決まっている。

いや、たぶん今でも既にそういう人はいるはず・・・・・・。

そういう現実がある以上、
なにが「自己選択」だ「自己決定」だというのだろう。

現在、世界中で喧伝されている「死の自己決定権」が
医療費削減のための患者切捨て策の表看板に過ぎないなら
それは人権侵害のカムフラージュ以外のなんでもない――。

このコメンタリーが言外に指摘しているのは、それだと思う。

そして、「自己決定」が人権侵害のカムフラージュに使われるのは
それしかないところに追い詰めておいて、貧しい女性を代理母として利用し
「女性が自己決定でやること。それに、これはウィン・ウィンの条件」と言うのでも同じ。

いい加減、「自己決定」の化けの皮も、はげてきたと思うのですが・・・・・・?
2011.02.06 / Top↑
ちょっとお久ですが、例のAshley事件の“怪現象”です。WordPressのデモ・サイトに。:でも、なんでGoogleはこのページに日本関連のサイトへのリンクを拾ってくるの? 気味悪いなぁ……。
http://bmwbaby.com/how-will-this-effect-ashleys-gender-development/

ハワイ州上院議会が自殺幇助合法化法案の審議へ。
http://www.staradvertiser.com/news/hawaiinews/20110204_Senate_panel_to_debate_assisted_suicide.html

Kevorkian医師の半生を描いたテレビ映画 “You Don’t Know Jack”の主演アル・パチーノのインタビュー。:英国メディアそのものが自殺幇助合法化に向けたロビー活動をやっている……という気がする。
http://www.telegraph.co.uk/culture/tvandradio/8302177/You-Dont-Know-Jack-Al-Pacino-interview.html

ロンドンの病院で1歳児を巡って親と病院が対立する「無益な治療」論争。Joseph Marraachili v. Victoria 病院。
http://medicalfutility.blogspot.com/2011/01/joseph-maraachli-v-victoria-hospital.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29

テキサスの無益な治療法に、倫理委員会の免罪を外す改正法案が出ているらしい。ただ、なぜか事態は逆に動いている……って、どーして?:テキサスでは無益な治療法を維持しようとする勢力と、葬ろうとか、改正しようとする勢力とが、もう長いこと、せめぎ合っている。らしい。という話を読んだ。ちらほら、とだけど。
http://medicalfutility.blogspot.com/2011/02/remove-ethics-committee-immunity.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+MedicalFutilityBlog+%28Medical+Futility+Blog%29

ビデオ・ゲームが11歳から16歳の子どもに与える影響を調査したどこだかの大学のチームによると、親が(特にお父さんだってさ)一緒に遊んであげる限りにおいて女の子ではメリットが確認されたんだそうな。そのメリットというのが、品行がよくなって、家族との繋がりが強くなって、メンタル・ヘルスが強化されたんだって。男の子では親が一緒にゲームをしたからって、どうってことなかったらしいけど。:こういう研究報告を見るたびに、猛烈な、ほとんど憤りに近い不快感でいっぱいになる。「大人にとって都合がいい子ども、学校でいい成績を取れる子どもに、どうやったらさせられるか」のノウハウを探すことに血道を上げるのが科学の使命なんですか? なんか、そういう”科学研究”の報告がやたらと目につくん気がするんですけど? それに、その実験、別にビデオ・ゲームでなくたって、一緒に時間を過ごす、ということが問題だったんでは? 父と娘が云々については、単なる研究者の偏見に基づいた解釈に過ぎないのでは? 科学の名のもとに、単なる当該学者の偏見がまかり通っていることって、多いですよ。Ashley事件もその1例だけど。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/215385.php

米国の子どもたちの肥満は遺伝によるのではなく生活習慣によるもの。:そう、そう。なんでも遺伝子決定説も、なんでも脳決定論も、科学者の単なる思い込み、偏見だったりする……という私の偏見。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/215385.php

BIO国際会議でブレア前英国首相が基調講演。思いこみだろうが偏見だろうが、そこに巨大利権がからんでいれば、それが科学的エビデンスの役割をなぜか代行して、それでまかり通って行く。……てことは、「思いこみ」や「偏見」ではなくて「作為」ってことになるんだけど。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/215230.php

スイス人のセラピストがスイスとドイツの精神障害児・者のケアホームで30年間に渡り100人以上の患者に性的虐待。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/01/care-home-therapist-sex-abuse?CMP=EMCGT_020211&

酒の飲み過ぎとホルモン補充療法が乳がんリスクを上げる。
http://guardianmail.co.uk/go.asp?/bGUA005/x1Y1HM2/qXS67M2

村の長老の命令で、竹のムチで100回打つ公開処刑に処せられた14歳の少女が死亡。バングラデシュ。少女が自分の夫と話をしているところを見たという女性の告げ口で。で、実行した4人を逮捕。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/03/bangladeshi-girl-100-lashes?CMP=EMCGT_040211&

「名誉」とか「正義」の名のもとに、子どもや女性など弱い者の弱みに付け込んだ強い者の単なる「憂さ晴らし」が横行している。例えば ↓

ナイジェリアの子どもたちの悲惨(2007/12/14): 現代の“魔女狩り”
「男の子と話をした」と家族会議にかけられ生き埋めにされた16歳の少女(トルコ)(2010/2/6)
去年問題になったイランの投石処刑も実態は同じだと思う。

リヴァプールの住環境改善による健康格差解消策について調べたばかりなのだけど、リヴァプールはCameronさんが提唱していた「大きな社会」構想のパートナーだったそうな。ところが昨今の連立政権のコスト・カット策で「いち抜~けた」と。:1月27日の補遺でのガウタマ・シンラン・ソリドゥスさんの懸念が早くも実現してしまいました。それにしても「大きな国家」じゃなくてCameronさんが言っていたのは「大きな社会」だったんだ……? 背景知識の欠落のため、こういう時にお手上げになるなぁ。
http://www.guardian.co.uk/society/2011/feb/03/liverpool-big-society?CMP=EMCGT_040211&

パキスタンのクリケット選手らにも“八百長”疑惑。:あらぁ、そちらもですか?
http://www.bbc.co.uk/news/uk-12365517

銃規制というと米国が頭に浮かぶけど、イタリアで話題になっている。狩猟シーズンに入って4カ月で35人も死者が出たため。多くは一緒に山に入った仲間に誤って撃たれた人たちだという。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/feb/01/italy-hunting-crisis-35-deaths?CMP=EMCGT_02021
2011.02.06 / Top↑
24日にスコットランドでAshley事件を材にとった演劇のエントリーで紹介した国立劇場のブログが、
この作品 Girl X について続報エントリーを書いている。

Girl X blog – part 2
National Theatre of Scotland, January 31, 2011

また、“Girl X”のFacebookのページがこちら ↓
http://www.facebook.com/event.php?eid=196211043722295


Facebookの解説は、

Eleven year old Girl X has severe cerebral palsy and the mental age of a 5-month old infant. Her condition will not, cannot, change or improve.

Her mother believes that, for Girl X, the physical changes that accompany adolescence can only bring distress. So, to spare her the onset of menstruation, Mrs X has requested that surgeons remove her daughter’s womb.

The doctors have accepted the argument that this controversial surgery ...will, ultimately, improve her quality of life and have sought legal approval to carry out the procedure.

In Girl X the case is examined from the point of view of the onlookers, a Greek chorus that asks what could or should happen next? Performer and disabled rights activist Robert Softley challenges this chorus, examining the case and related ethical issues. When do private matters become public concern? Is the majority always right? Do wheelchair users know better? Where will it all end?

Inspired by debates on internet forums, Girl X is a powerful and provocative new fully staged piece of theatre from Pol Heyvaert, the creator of the National Theatre of Scotland’s extraordinary Aalst which was co-produced with Belgian theatre company Victoria. ("Courageous, and achieving the highest standards of performance and production" - Sunday Herald)

Like Aalst, Girl X is certain to elicit strong views and provoke passionate discussion and is recommended for those aged 16+

The show will be fully surtitled.




11歳の重症脳性マヒの少女Girl Xの母親が、
生理が始まると苦しむのではないかと恐れ、子宮摘出を要望する、という物語。

外科医がその要望を受け入れると、
舞台上のコーラスが倫理問題を投げかけていき、
それに俳優であり障害者の権利擁護の活動家 Robert Softleyが挑んでいくという趣向らしい。

Robert Softleyは、
上記リンクのブログを書いている、この作品の企画者で、車いす使用の障害当時者。

詳細なSoftleyの履歴はこちら

この説明から見る限り、コーラスが投げかける問いとは、

「この次はどうなる?」
「個人的な問題がいつから皆の問題になるのか?」
「マジョリティは常に正しいのか?」
「車いす使用者はそうでない人よりもものが分かっているのか?」
「この問題はどこまでいくのか?」

その意気やよし、と言いたい気持ちがないわけではないけれど、
これほど複雑怪奇なAshley事件をこんなにも単純化して提示し、
それによって重症児の子宮摘出の是非という大問題の議論を再燃させようとすることに
あまり愉快でないものを感じてしまう。

実際、Facebookでは、すでに是非を巡る議論が行われていて、
07年のKatie Thorpe事件の際の掲示板のスレッドをリンクしてきた人もいる。
2011.02.01 / Top↑