先月、タイでのエイズ・ワクチン実験で希望のもてる結果が出たと華々しく報道された後に、どうも、あの結果、実は“たまたま”だったかも……という話が出て、6年もやってまだ出来ないなら、いい加減にしろという気配に。患者アドボケイトからは、ワクチン研究に費やすゼニを患者の治療に回してくれ、との声も。:そう。こういう発想がどうして出てこないのか、私はずっと不思議だった。こういう研究に回っている費用を「医療費」の中にカウントしたら、今いわれているように「高齢者と障害者の医療費が社会の負担」というのは事実とはちょっと違ってくるんじゃないか……とか。
http://www.nytimes.com/2009/10/19/opinion/19berkley.html?_r=1&th&emc=th
http://www.nytimes.com/2009/10/19/opinion/19berkley.html?_r=1&th&emc=th
発達段階で自閉症や統合失調症の原因となる脳の変成と関係した遺伝子がどうとか……という研究。:いずれ、こういうのもみんな出生前遺伝子診断の対象疾患に入っていくのでしょうか。PGDではじけるものは全部はじいて、ワクチンで予防できるものは全部ワクチン打って、というのが今の科学研究の方向のような気がするのだけど、本当にそういうのが“予防医学”なんだろうか。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167739.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167739.php
1歳半から自閉症を見つけるための研究に米NIHから巨額グラント。:いつかの某学会での議論を思い出した。発達の過程に人間が変わる要素がいろいろ絡まりあっているんじゃなくて、もともとあるものが発現してくるんだから、あるものはある、ないものはない、という英語圏の学問的イデオロギーというヤツ。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167742.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167742.php
こちらも上記と同様のイデオロギー路線で、人間行動の違いを脳科学と遺伝子マッピングで解明しようという研究に巨額のグラント、とのニュース。そういえば、あの学会での英語圏イデオロギーというのは、どうも脳科学の専横のことなんだろうな、と、私は感じたんだった。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167692.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/167692.php
デブ差別をするな。肥満を理由に人を苛めるのはヘイト・クライムだ、という肥満差別反対運動が始まりつつあるらしい。:気持ち、分かる気がする。医療費削減コールで、まるで肥満は犯罪扱いだもんね。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8314125.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8314125.stm
妊娠中の人とか、豚インフル・ワクチンとか、健康情報に特化したSNSのサイトが流行している。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/18/AR2009101801844.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/18/AR2009101801844.html
Norman Fost医師が去年1月にNYでステロイドのディベイトでしゃべった内容を今頃になってWashington Timesでエッセイにまとめている。笑わせてくれるのは、子どもを学校へ行かせるのも認知能力の“強化”だと言って、ステロイドやバイアグラと同列に論じていること。
http://washingtontimes.com/news/2009/oct/18/solutions-fost-professional-athletes-steroids/
http://washingtontimes.com/news/2009/oct/18/solutions-fost-professional-athletes-steroids/
6日に拾って忘れていた記事で、今度はコカインのワクチンだって。中毒者に打てば、使用を半分に減らせたという調査。:そのうち、アル中ワクチン、スモーカー用ワクチン、ペドフィリア(児童異常性愛者)ワクチン、メタボ・ワクチン、皮膚障害(しわ)ワクチン、排尿障害ワクチン……いや、いっそのこと加齢ワクチンとか老化ワクチンとか?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8291681.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8291681.stm
2009.10.19 / Top↑
前のエントリーで触れた NEJMの認知症終末期ケア関連論文の1。
米国NIHが資金を出している、この研究
その名称からして、なにやら臭うのだけれども、
その名称からして、なにやら臭うのだけれども、
The Choices, Attitudes, and Strategies for Care of Advanced Dementia at the End-of-Life
(CASCADE)という。
(CASCADE)という。
「終末期における末期認知症ケアのための選択、姿勢、そして戦略」。
ボストン地域の22のナーシングホームに入所している
認知症が進んだ323人を18ヶ月間にわたって調査したところ、
認知症が進んだ323人を18ヶ月間にわたって調査したところ、
認知症が最後の段階に至った人たちでは
「記憶障害があまりに重いために近親者ももはや分からないし、
6単語以上のものをいわないし、
大小便ともコントロールできないし、
歩くことも出来なかった」。
「記憶障害があまりに重いために近親者ももはや分からないし、
6単語以上のものをいわないし、
大小便ともコントロールできないし、
歩くことも出来なかった」。
調査期間内に177人が亡くなった。
被験者の死亡率を高くしたのは、肺炎、発熱、摂食障害などの合併症で、
その他の症状も多く、終末期に近づくにつれて
傷みや褥そうや、息苦しさ、発汗などの不快な症状が増加した。
被験者の死亡率を高くしたのは、肺炎、発熱、摂食障害などの合併症で、
その他の症状も多く、終末期に近づくにつれて
傷みや褥そうや、息苦しさ、発汗などの不快な症状が増加した。
医療に関する代理決定件を付与された代理人の96%は
患者の安楽を第一に、と考えていたにもかかわらず、
調査期間中に死亡した人の41%では最後の3ヶ月に
救急搬送、点滴、経管栄養など何らかの医療介入が行われていた。
患者の安楽を第一に、と考えていたにもかかわらず、
調査期間中に死亡した人の41%では最後の3ヶ月に
救急搬送、点滴、経管栄養など何らかの医療介入が行われていた。
代理人の81%は合併症が起こる可能性を理解していたにもかかわらず、
医師から相談があったという人は3分の1だった。
医師から相談があったという人は3分の1だった。
……ということから、
論文の主著者のDr. Susan L. Mitchellが主張しているのは、どうやら、ぶっちゃけ、
論文の主著者のDr. Susan L. Mitchellが主張しているのは、どうやら、ぶっちゃけ、
「代理人さえ、認知症の末期に合併症が起こるのは当たり前で、
どうせ治療しても予後は悪いんだということを理解していれば、
終末期になって、こんな利益の疑わしい介入をすることもなく
緩和ケアを受けることを選ぶはずなのだから、医師はそのつもりで選択させろ」
どうせ治療しても予後は悪いんだということを理解していれば、
終末期になって、こんな利益の疑わしい介入をすることもなく
緩和ケアを受けることを選ぶはずなのだから、医師はそのつもりで選択させろ」
そこで、著者は声を大にして強調してみせる。
「認知症はターミナルな病気です」
認知症はターミナルな病気なのだという認識を
みんな、もっとしっかり持ちましょう、とね。
みんな、もっとしっかり持ちましょう、とね。
ううううぅぅ。ひっかかる。ものすご~く、ひっかかる。
ターミナルというのは病名を問わず段階のことでしょう?
ターミナルな病状( terminally ill)というのはあっても
「ターミナルな病気( terminal illness)」なんて、ありえないと思うのだけど、
そりゃ、一体なんなんだ?
ターミナルな病状( terminally ill)というのはあっても
「ターミナルな病気( terminal illness)」なんて、ありえないと思うのだけど、
そりゃ、一体なんなんだ?
実は、この妙な用語、自殺幇助議論に関連したニュースでは
ちょこちょこ目にするようになっている。
ちょこちょこ目にするようになっている。
だいたいの場合、
本当の病名を明かすと、実はターミナルな状態だったわけではないことが明らかになるので
それを回避して、その自殺を「重い病気や障害」で漠然と正当化したい心理が働いた時に使われているようだ。
本当の病名を明かすと、実はターミナルな状態だったわけではないことが明らかになるので
それを回避して、その自殺を「重い病気や障害」で漠然と正当化したい心理が働いた時に使われているようだ。
自殺幇助議論関係の文章を読んでいて、この用語に出くわすと、
私の中では警戒アラームが点灯するので、必ず、その人の病名と、
自殺を希望した時の病状を出来る限り確認することにしている。
私の中では警戒アラームが点灯するので、必ず、その人の病名と、
自殺を希望した時の病状を出来る限り確認することにしている。
そんな非科学的な文言を、それこそ“定義”もせず用いるMitchell医師って
一体どういう科学者よ?
一体どういう科学者よ?
この論文、the New England Journal of Medicine の10月号に掲載されたもので、
前のエントリーで取り上げたDr. Sachsの論説が同時に掲載されている。
前のエントリーで取り上げたDr. Sachsの論説が同時に掲載されている。
表向き、両者は同じことを言っているフリをしている。
NIHの命を受けたMitchell医師だって、
「認知症の末期の人の緩和ケアを見直せ」と一応は言っていて、
この論文を受けたSachs医師も一応は、その主張の意義を認めてみせている。
「認知症の末期の人の緩和ケアを見直せ」と一応は言っていて、
この論文を受けたSachs医師も一応は、その主張の意義を認めてみせている。
でもね、この2つの論文。
どう考えてもニュアンスはまるで逆。
どう考えてもニュアンスはまるで逆。
Mitchell医師らの論文は「医療か安楽ケアかの2者択一」を迫るもの。
実質的には「どうせ死ぬんだから代理人は安楽ケアを選択しろ」と迫っているのであって、
実質的には「どうせ死ぬんだから代理人は安楽ケアを選択しろ」と迫っているのであって、
そこから感じられる姿勢とは、
英国で今ちょうど問題になっている
「この人はどうせターミナル」と一旦カテゴライズされたら重鎮静で意識をなくして眠らせたまま
手間をかけずに脱水で静かにお亡くなりいただくことのルーティーン化ではないでしょうか。
(詳細は文末にリンクした関連エントリーに)
英国で今ちょうど問題になっている
「この人はどうせターミナル」と一旦カテゴライズされたら重鎮静で意識をなくして眠らせたまま
手間をかけずに脱水で静かにお亡くなりいただくことのルーティーン化ではないでしょうか。
(詳細は文末にリンクした関連エントリーに)
「認知症はターミナルな病気だと認識しろ」とは、
その思考停止を医療サイドだけではなく、患者の代理決定件者にも迫っているのに他ならない。
その思考停止を医療サイドだけではなく、患者の代理決定件者にも迫っているのに他ならない。
どちらの論文も「緩和ケアの見直し」が必要と言っているのだけど、
こちらの研究は「緩和ケアを選択させろ。どうせ死ぬ患者に無駄な医療を行うな」という見直しで、
要するに「認知症患者の終末期ケアにコストをかけるな」と言っているだから、
こちらの研究は「緩和ケアを選択させろ。どうせ死ぬ患者に無駄な医療を行うな」という見直しで、
要するに「認知症患者の終末期ケアにコストをかけるな」と言っているだから、
Sachs医師の論説が「認知症患者の痛みや不快に、もっと細やかな観察と配慮を」と
緩和ケアにもっと金をかけろ、質をあげろと求めているのとは姿勢がまるで逆。
緩和ケアにもっと金をかけろ、質をあげろと求めているのとは姿勢がまるで逆。
だから、たとえ、ある特定の患者さんでの医療決定が結果的に同じになったとしても、
その決定が患者さんにとってどういう意味を持つかも、
おそらく、まるで逆になるんじゃないだろうか。
その決定が患者さんにとってどういう意味を持つかも、
おそらく、まるで逆になるんじゃないだろうか。
例えば、この人に経管栄養は、もはや負担にしかならないとして
中止や差し控えの判断をするとしても、
中止や差し控えの判断をするとしても、
Dr. Mitchelleのチームは、
その中止や差し控えの判断そのものが緩和ケア・安楽ケアだと捉えて
代理人にそういう判断をさせることに意を用い、たぶん、それ以上は考えない。
その中止や差し控えの判断そのものが緩和ケア・安楽ケアだと捉えて
代理人にそういう判断をさせることに意を用い、たぶん、それ以上は考えない。
Dr. Sachsのチームなら、
栄養を中止したところから本当の緩和ケア、安楽ケアが始まると考えるんじゃないだろうか。
栄養を中止したところから本当の緩和ケア、安楽ケアが始まると考えるんじゃないだろうか。
私は専門家ではないから、そこで何が出来るのかは分からないけど、
口が乾燥して不快そうだから水で湿らせるとか、
口腔ケアを丁寧にするとか、痛み止めを処方するとか、
それを、訪れた家族や代理人に声かけしながらやってもらうとか、
できることは個々に、いろいろあるような気がする。
口が乾燥して不快そうだから水で湿らせるとか、
口腔ケアを丁寧にするとか、痛み止めを処方するとか、
それを、訪れた家族や代理人に声かけしながらやってもらうとか、
できることは個々に、いろいろあるような気がする。
目の前の患者さんその人とも、その人の人生の終わりともちゃんと向かい合って、
その人が感じている痛みや不快を知ろうと細かく観察し、
せめて、それを取り除いてあげるための工夫や手立てに意を用いると思う。
その人が感じている痛みや不快を知ろうと細かく観察し、
せめて、それを取り除いてあげるための工夫や手立てに意を用いると思う。
Dr. Mitchellのチームにとっては、そんなのは無駄なケアだ。
どうせ死ぬんだから。
どうせ死ぬんだから。
どうせ「近親者も分からないし、6単語以上しゃべらないし、
大小便失禁で、歩くことも出来ない」んだから。
大小便失禁で、歩くことも出来ない」んだから。
実は、この記事を読んで、この論文の中で一番怖いと感じたのは、この部分。
ここに挙げられている4つの状態は
いずれもターミナルであることとは本当は直接的には関係がない。
いずれもターミナルであることとは本当は直接的には関係がない。
そればかりか、“Ashley療法”を「どうせ」と正当化する理由や
自殺幇助合法化議論で「生きることには尊厳がない」と言われる状態にぴたりと重なっている。
自殺幇助合法化議論で「生きることには尊厳がない」と言われる状態にぴたりと重なっている。
まさか、こんな状態を万が一にも「ターミナルな病気」の条件に使われたら、
意思・感情の表出能力の低い重症障害者はみんなターミナルにされてしまうのだけど、
意思・感情の表出能力の低い重症障害者はみんなターミナルにされてしまうのだけど、
こんなふうに、終末期医療からも、自殺幇助議論からも、パーソン論をはじめとする生命倫理からも、
包囲網はそこに向かって着々と狭められているような気がしてならない。
包囲網はそこに向かって着々と狭められているような気がしてならない。
2009.10.19 / Top↑
The New England Journal of Medicineの10月号に認知症終末期ケア関連論文が2本。
そのうちの1について。
そのうちの1について。
近年、認知症で死亡する成人が増えているにもかかわらず、
認知症患者の終末期ケアはもう何十年と変わっていない。
認知症患者の終末期ケアはもう何十年と変わっていない。
政治家、保険会社も巻き込んで、
自分で症状を訴えることが出来なくなった高齢者の医療全体を底上げするべく
支援と資金を検討すべきだ、と、Indiana大学の一般内科と老年医学教授Dr. Sachs。
自分で症状を訴えることが出来なくなった高齢者の医療全体を底上げするべく
支援と資金を検討すべきだ、と、Indiana大学の一般内科と老年医学教授Dr. Sachs。
“Since individuals with advanced dementia cannot report their symptoms, these symptoms often are untreated, leaving them vulnerable to pain, difficulty breathing and various other conditions. We shouldn't allow these people to suffer. We should be providing palliative care to make them more comfortable in the time they have left,”………….
While it is not easy, caregivers and medical personnel should attempt to pick up on nonverbal clues of pain, such as the individual holding the body in a certain way to avoid a painful posture, or exhibiting swollen, tender joints, he said. These observations, reported by a caregiver or found on medical examination, may help the physician make the patient more comfortable, and help identify underlying conditions.
While it is not easy, caregivers and medical personnel should attempt to pick up on nonverbal clues of pain, such as the individual holding the body in a certain way to avoid a painful posture, or exhibiting swollen, tender joints, he said. These observations, reported by a caregiver or found on medical examination, may help the physician make the patient more comfortable, and help identify underlying conditions.
理念だけでなく、アルベルタ大学作業療法学科のプログラムでは
具体的な痛みの発見方法や対応も提唱されている。
具体的な痛みの発見方法や対応も提唱されている。
一方、この論説で Sachs教授が対応すべき症状として挙げているのは痛みだけでなく
浅い呼吸、だるさ、吐き気、食欲低下、不眠など。
浅い呼吸、だるさ、吐き気、食欲低下、不眠など。
Sachs教授もまた、
患者の行動をきちんと観察することによって
こうした症状に気づき、対応することが出来ることを認識すべきだ、と。
患者の行動をきちんと観察することによって
こうした症状に気づき、対応することが出来ることを認識すべきだ、と。
自分で症状を訴えることができない人では、
その症状があっても、ないものと決め付けられたり、
最初から考慮の外におかれたりしてきたけれど、
その症状があっても、ないものと決め付けられたり、
最初から考慮の外におかれたりしてきたけれど、
(ここにある「どうせ何も分からないんだから」という意識が
Ashleyケースの正当化の根っこにあるものと同じであることを指摘しておきたい)
Ashleyケースの正当化の根っこにあるものと同じであることを指摘しておきたい)
認知機能・能力の低さとされているものの多くが
実は表出能力の低さであったり、それどころか
受け止める側の感度の低さに過ぎないことだって大いにあるはずなのだから、
実は表出能力の低さであったり、それどころか
受け止める側の感度の低さに過ぎないことだって大いにあるはずなのだから、
やっと、こうした声が上がってきたことがとても嬉しい。
こうして認知症患者さんたちから気づき始めてもらって、次には
自分で表現する手段を持たない知的障害者や重症障害者にも目を向けて欲しい。
自分で表現する手段を持たない知的障害者や重症障害者にも目を向けて欲しい。
そして、それが、
自分で表現できない人へのケアの必要性が認識されることにつながり
自己表現や自己決定の能力の低い人の生や存在も尊重されるべきだとの共通認識となって、
自分で表現できない人へのケアの必要性が認識されることにつながり
自己表現や自己決定の能力の低い人の生や存在も尊重されるべきだとの共通認識となって、
自己表現能力を持たない人の非人格化と命の切り捨て正当化論が
じわじわと狭めてくる包囲網が完成しないうちに
ちゃんと間に合いますように──。
じわじわと狭めてくる包囲網が完成しないうちに
ちゃんと間に合いますように──。
心から、そう祈っている。
2009.10.19 / Top↑
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