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シアトル子ども病院が自ら組織して(この鉄面皮には呆れるのだけれど)
みんなで議論を行った末に(何故そんな必要があるのかよく分からない)妥協点に達したと
(WUの職員5人だけが出てきて)称するワーキング・グループが、
成長抑制の対象となる子どもの障害像の基準として挙げているのは
小山さんの報告によると、

①歩けない、②意思疎通が出来ない、③ずっとその状態が変わらない 。

②の部分は2007年以降のDiekema医師らの主張ではずっと
「重い知的障害」または「重い認知機能の障害」ということだったのに、
ここへきて「意思疎通が出来ない」と変わっていることが
ずっと、ものすごく引っかかっている。

そこで、
Ashleyとほぼ同じ障害像をもち言葉のないウチの娘との
この週末の一コマを紹介してみたい。

彼女が文字通り3度の飯より好きなものが
「おかあさんといっしょファミリーコンサート」のDVDで、
朝食後と昼食後に1回ずつ見ることになっているという話は前に書いた通り。


この土曜日の朝のこと。
目が覚めて暫くしてから
向こうを向いて横になっている娘に
「そろそろ上を向いて着替えようよ」と声をかけると
娘のパジャマの背中はきっぱりと「イヤだ」といい、布団の端っこに、じわっと逃げた。

敷布団の端を掴んだ片手に力が入って「ヤだ」とゴネつつ
目がウヒャウヒャしているのはいつものことで、
親を困らせては喜ぶヤンチャが、こともあろうに寝起きから全開になっている。

寝起きの目がどれだけキャピキャピしているかが
彼女の場合は体調のバロメーターでもあるので、
これだけウヒャウヒャしてもらえれば親もまずは安心というものなのだけど、
いつまでも、そっちを向いて寝返りを拒まれたのでは
とんと着替えができないから困る。

寝ている時の娘の身体は
あちこちをクッションやタオルで支えてポジショニングしてあるので
寝返りと一口に言っても、そう簡単なことではない。

ガリガリに細くて、特に脚は変形・硬直しているので
乱暴に扱ったり無理やり動かすとすぐに骨折してしまう(実際、もう2回も骨折している)。
そこで、体の向きを変えるための安全な動作とは
娘自身がある程度自力で身体を動かして協力してくれるタイミングに合わせて
親がそれを手伝ってやる共同作業ということになるわけで、

それが分かっているからこそ、
わざと敷布団の端っこにしがみついてゴネてみせるのが
また娘には楽しくてならん……という事情。

この土曜日は特に手ごわくて、なかなか寝返りする気になってくれなかった。

そこで母は一計。
前にも書いたようにミュウは言葉はなくとも相当に理屈ばったヤツなので
ここは正面から理屈で説得することに。

「ミュウ、いい、あのね、よ~く考えてみようよ」
ちょいと口調を改めると、
ミュウは向こうを向いたまま、目を「お?」とそばだてた。

「今から、やらなきゃならないことがいろいろあるわけだから、
アンタに協力してもらえると何かと早いと、お母さんとしては思うんだよね。
だって、ほら今から、まず着替えないといけないじゃん」

ふむふむ……とマジに聞いている。

「それから車椅子に座るでしょ。
朝の薬を飲んで……」

この辺り、明らかに頭にその段取りを思い浮かべつつ、

「……お父さんとお茶を飲んだら、みんなで朝ごはんだよね」

目がだんだんと輝いてくる。

「で、ゴハンを食べたら……おかあさんといっしょのDV……」

顔全体が「キャァー!」と弾けたかと思うと、皆まで言わせず、
次の瞬間、さっと自力で上を向いた。

親の手伝いなんぞ不要な、すばらしい寝返り。おみごと──。

「さ、おかあさん、早く。早く着替えちゃおーよ!」
今度は全身をばっこんばっこん弾ませて、催促かよ……。
なんちゅう現金なやっちゃ……。


──こんなウチの子のコミュニケーション能力。
親から見たら、時に「うざい」と感じるほどに高いのですが、

娘が入所している重心施設のスタッフの中にも
上記の親との会話とまったく同じように娘とコミュニケートできる人が沢山いる一方で
「この子はどうせ何も分からない」と思いこんでいる人も(決して多くはないけれど)複数います。

あんまり気が進まないのだけど事実だから書いてしまうと、その中の1人は発達小児科の専門医です。

Ashleyのあんな大きな笑顔の写真を見て
「生後3ヶ月の赤ん坊と同じで何も分からない」というDiekema医師らの
何の根拠もない“アセスメント”に疑いを感じないでいられる人が

このエントリーを読んだ後でウチの娘を実際に目の当たりにしたとしたら、きっと
「な~んだ、親が勝手に自分の子は分かると思い込んでいるだけで
本当はこの子、何も分からないに決まってるよ」と考えるだろうと思います。



――こんなウチの娘は

シアトル子ども病院の成長抑制ワーキンググループの
「意思疎通ができない」子どもという”基準”に

当てはまるんでしょうか──?
当てはまらないのでしょうか──?




2009.02.09 / Top↑
先天的な視覚障害者で作家のStephen Kuusisto氏が
自身のブログでAshley事件の最近の展開を取り上げて
いくつか鋭い指摘をしています。

まず、シアトル子ども病院で成長抑制が強引に正当化されようとしている事実に注意を喚起し、

障害学の学者や障害者の人権アドボケイトがきちんと議論に含まれていないと
小山さんと同じ点を指摘。

それ自体はこれまで繰り返されてきたことではあるが、
医療のフリをした相対論というポストモダンなヤリクチで正当化させるには
今回の問題は倫理の侵犯が大きすぎる、とも。


Microsoftの社員であるAshleyの父親が効率の名の下に
人体実験を進めるべく倫理の捉え方を変えようと動いているのは明らかだが

(彼は子ども病院の2つのシンポも父親の意向を受けて出てきたものだと捉えています。
 私はむしろ病院の隠蔽の必要と父親の利害が一致して出てきたものだと解釈していますが)

小さければケアしやすいし、本人にはどうせ分からない、という理屈は
そもそも現象論であって倫理の議論ではないのに、
学者や医師らがこれほど易々とそれに乗ってしまうのは興味深い、
まるで催眠術だ、と。

そして、優生の歴史においても
このような理由付けによって人体実験が許されてきたのだと警告。

ちょっと面白いこととして
個人的に知っている医師の何人かがオフレコで
「成長抑制はsniff testを通らない」と言っているとのこと。

(臨床実験をやってデータをとっても効果が実証できないという意味だろうと思うのですが
sniff testというのがよく分かりません。どなたかご教示ください)



この人がAshleyの父親をMicrosoftの社員だと断定している根拠が気になるのですが、

「まるで催眠術だ」というのは本当に言い得て妙。
もちろん政治的な圧力を感じていれば学者も医師もさぞ催眠術が効きやすかろうというものですが、

特にDiekema医師がしゃべると、
なぜか聴く人が簡単にたぶらかされてしまうらしいのも確か。
その辺りが稀代のペテン師の天分じゃないかと私は前々から感じています。

その天分がAshley父の政治的影響力やAshley療法一般化への熱意とタグを組むと
これは恐ろしいことになるのではないかとも書いてきたのですが、
どうやら、当ブログが危惧した通りのことが起こりつつあるような……。

しかし、なにより
小山さんが当日行ってくださったばかりか詳細な報告を書いてくださったお陰で
当事者の人たちから少しずつ批判が出てきていること、

そうした当事者の人たちが
重症重複障害児の尊厳の侵害を自分たち自身の尊厳と同じ問題と受け止め、
線引きをせずに問題視してくれていることが、とても、とても、嬉しい。
2009.02.09 / Top↑