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前のエントリーで取り上げた Jodi Picoultの作中新聞記事で言及されていた
2006年のNew Hampshire州でのロングフル・バース訴訟最高裁判決について、
以下の記事を見つけたので、読んでみました。

Picoult作品のモデル(少なくともそのひとつ)と思われます。
NH州で最高裁まで行ったロングフル・バース訴訟の2例目。

まず、記事から事実関係を拾ってみると、

Sherry Hall さんは2000年12月に妊娠。
3ヵ月後の検査で胎児にトリソミー18を思わせる兆候があったため
Dartmouth-Hitchcock Medical Center(DHMC)の遺伝カウンセラーに紹介された。

超音波検査では手を握り締めている(障害のサインの1つ)他の以上はなかった。
医師は羊水穿刺を薦めた。

その際にSherryさんは医師に、
検査で染色体異常があったら中絶すると伝えた。

検査結果が出るまでの2週間を待ちきれず、1週間後に
Sherryさんは遺伝カウンセラーに中絶したいと希望し、
カウンセラーから結果を待ってから決断するように説得される。

羊水穿刺の結果には特に異常はなく、トリソミー18は否定された。
カウンセラーは2001年3月20日に「正常で健康な男の子」と夫妻に電話。

しかし、その一週間後の定期診断の超音波で
手を握り締めていることに加えて足にも奇形があることが判明し、
カウンセラーは羊水の残りを保存するよう病院に依頼した。
しかし、そのことについてはHall夫妻に告げなかった。

夫妻が病院から連絡を受けたのは4月24日になってからで、
このとき既に妊娠24週。DHMCが中絶を引き受ける期限は22週まで。
(ボストンの病院によっては24週まで引き受けるところもないわけではない)

さらに超音波検査を受けた後、
医師の説明では心臓や脳にも異常がある可能性があるが、
障害の程度はまったく分からない、とのことだった。

Hall夫妻は病院を替えて再検査を受けたが、
特に大きな異常は見つからなかったので、生むことにした。

7月25日に生まれたBrandon君には先天異常がいくつもあった。

そこで臍帯血の検査で“大変な注意を払って異常を探した”ところ、
やがて非常に珍しい染色体の異常、partialトリソミー9qだと分かった。

Sherry & Brad Hall 夫妻が訴えたのは
DHMC、羊水検査を行った遺伝検査ラボの責任者と、その雇用主であるDartmouth大学。

主張されたのは、
検査ラボについては、胎児の遺伝型が正常でないのに正常と報告したことの過失。

病院については、その遺伝カウンセリングチームが
夫妻が期限内に中絶するかどうかの「インフォームされた決断」ができるように
「完全で正確な」情報を提供しなかったことの過失。

2004年、上級裁判所の陪審員は
検査ラボとD大学については過失を認めなかったものの
DHMCについては過失を認め、2300万ドルの支払いを命じた。

病院はこれを不服として最高裁に上訴、
2006年に最高裁は上級裁判所の決定を覆した。

裁判官は
医療職が子どもの異常について「可能性が大きい(increased possibility)」を知らせずに
重大な欠損のある子どもが生まれた場合、夫婦はロングフル・バース訴訟を起こすことができるとした
1986年のNH州の判例を引いた。

父親は「あなたの赤ちゃんはここが異常だから中絶を考える必要がありますよ」と
病院はいってくれるべきだったと主張したが、
裁判官は、その夫婦の主張には、権威の裏づけがない、と述べた。

裁判の中で父親は
「Brandonにコミュニケーションの能力があったならば
自分は生まれてきたくなかったというはずだ」とも語った。

生殖法の専門家は、
これほど稀な異常でなかったら、くつがえらなかったかも、と。

ちなみに当時5歳のBrandon君には
重症の知的障害があり、経管栄養で、歩くことができず24時間介護とのこと。

‘Wrongful birth’ case overturned
The Concord Monitor, April 28, 2006


実はPicoultは小説の中に、この記事の一説をほぼそのままの形で使っています。
前のエントリーで引用した作中の新聞記事の一説や障害者アドボケイトの発言がそれです。

ただし、Picoultが
元記事にある「女性の中絶権はこの議論の中にどう位置づけられるのか」という一文を
作品では外していることが、目を引きます。

また、もう1つ、読んだ時から、ちょっとひっかかっている点として、
Picoultの作った“重症障害児”ウィロウは
身体的な障害のために正常に発達できず生涯にわたって苦痛を味わう宿命を背負っており、
生まれてこないほうが本人の幸せだったという理屈が
正当化できると感じる人もいるかもしれない病気に設定されている反面、

非常に頭がよく機知に富んで、
外見的にも性格的にも愛くるしくて誰からも愛される子どもに造形されています。

適切なケアと支援さえあって、もしも成人として生き延びることができたら、
彼女は十分に豊かな人生を送ることができる女性になるだろうと感じつつ、
読者は物語を読み進んでいくでしょう。

このようなウィロウ像に、
さすがに作家の人物造形の妙だなぁ……と感心すると同時に、
なんとなく、ちょっとズルくない?……とも考えてしまうのは、
やっぱり私が重症重複重症児の親だからでしょうか。

もちろん本人に知的障害がないからこそ、
親が「知っていたら中絶したのに」と証言することのジレンマもクローズアップされて、
小説はそれだけドラマチックになるわけですが、

ラディカルな生命倫理がやっきになって
知的・認知機能によって人間に線引きしようとしていることを思うと、
私としては、ちょっと、こだわってしまう……。

    ――――――――

もう1つ、上記記事が指摘している問題として、
遺伝子診断で現在分かる異常は1000種類にも上っており、
医療サイドはそれらの検査で一体どこまでライアビリティを問われるのか、と。

これは、私もロングフル・バース訴訟について考える点で、

医学というのは、あくまでも確率の学問だし、
臨床の現場は、私の患者家族体験では、不確実なことの中での模索の積み重ねなので、
こんな訴訟がまかり通ると、医療なんてやってられないんじゃないか……と。

この辺り、
研究者の論理や利害と、現場医療職の論理や利害とは、
もしかしたら分けて考えないといけないのかな、と。

科学とテクノの論理と利害が世の中にばらまいている科学とテクノ万能の幻想においては、
「万能」なんだから、それは「確実」性の保障もそこにくっついているかのように
世間の人々はたぶらかされてしまっているわけだけど、

実は医学を含む科学とテクノの論理と、現場の医療の論理は別物であって、
前者が優位になって世の中の価値観が「科学とテクノでイケイケ」に傾斜しすぎると、
現場の医療は逆に、その「万能・確実」幻想に
追い詰められることになるんじゃないのかな……。
2009.08.11 / Top↑
こちらのエントリーで取り上げた介護心中事件に続いて、パーキンソン病の妻とダウン症の孫を射殺した87歳の男性が自分も拳銃自殺するという事件が起こっていたらしい。こうした介護心中を慈悲殺として云々することへの批判。Wesley Smithがコメントしている。特に前のTravis事件で娘さんがしきりに父親の行為を擁護することについて、「愛する人の行為をその人が亡くなっているだけに悪く言いたくない気持ちは分かるが、殺人をおもいやりだとするメッセージはよくない」。
http://www.ajc.com/news/atlanta/elderly-mercy-killings-spur-112028.html

生まれてくる子どもたちの命を救うため、とGuardianは書くが……NHSが羊水穿刺に変わる安全な血液検査を開発中。前から、ちらちら出てきて障害当事者から懸念の声が上がっているニュースではある。
http://www.guardian.co.uk/science/2009/aug/09/research-nhs-pregnancy-blood-test

近年急増している兵士の自殺や精神障害について、何が原因なのかを探るため、の最大規模の研究が行われている。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/09/AR2009080902086.html

州の財政難から、多数の触法精神障害者が医療機関ではなく刑務所に送られて、刑務所での対応が限界を超えている。特に10代などの若年層。
http://www.nytimes.com/2009/08/10/us/10juvenile.html?_r=1&th&emc=th

カリフォルニア州最大の刑務所で、黒人とラテン系が抗争、11時間の乱闘で240人が怪我、55人が入院。そういえば、CA州は、つい先日、刑務所内の医療が人権を守れる状態を超えているので受刑者を4万人減らせと裁判所に命じられていたな。
http://www.nytimes.com/2009/08/10/us/10prison.html?th&emc=th

the Seattle Post-Intelligencer紙がオンラインのみとなって、the Seattle Timesはシアトルで唯一の紙の新聞となり、生き残りを危ぶむ噂もあったが、なんの、黒字だとか。:Seattle Timesですよ。ゲイツ財団の御用新聞の。つぶれないでしょう、そりゃ。
http://www.nytimes.com/2009/08/10/business/media/10seattle.html?th&emc=th

テクノロジーの普及で、起きたら朝ごはんよりもまずPCという人が増えている。
http://www.nytimes.com/2009/08/10/technology/10morning.html?_r=1&th&emc=th

子どもの豚インフルにはタミフルもリレンザも効かない?
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8193012.stm

脳腫瘍の治療に使われる放射線療法は、何年もたってから知的機能の低下を引き起こす、とオランダの研究者。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8189327.stm

死産を防ぐため、胎盤の大きさを正確に測る計算式を英国の研究者が作った。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8179135.stm

離婚した親にさらわれる子どもが英国で年間500人。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/aug/09/children-abduction-kidnapping-uk-data

ここ数年の間に同じような研究、いっぱいあった気がするけど、人は年をとるにつれて生き方上手になるから、病気や貧乏や先行きの不安にもかかわらず、実は幸福になっていく。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8183522.stm

2009.08.10 / Top↑
2月にこちらのエントリーで紹介した
ロングフル・バース訴訟をテーマにしたJodi Picoultの新刊 Handle with Careを読みました。
(このリンクもPBですが、さらに安くなったPBが9月に出るみたいです。ちょっと悔しい……)

2月に引用した作家自身のサイトの梗概では

主人公夫婦に生まれた娘には骨が折れやすくなる病気があり、
生涯、次から次へと起こる骨折に苦しんで生きなければならない。

医療費がかかって生活が苦しい中、
母親は産人科医に対してロングフル・バース訴訟を起こし、
賠償金によって娘の一生の医療費を手に入れてやりたいと考える。

しかし、そのためには
妊娠中に障害を知らされていれば中絶したはずだったと
母親自身が裁判で証言しなければならない。

そんな証言を娘の耳に入れることを夫は絶対に許さない。
訴訟を起こせば夫との間は修復できなくなるだろう。

さらに彼女が訴えようとしている産科医は
ただ主治医であるだけでなく、彼女自身の親友でもあった。

実際に読んでみると、全体に、てだれの作家がなるほど面白い物語を作りました……という感じで
大部な作品である割に、薄っぺらい印象に終わってしまいました。

なぜ、そう感じるのか、どこが気に入らないのか、
まだ読んだばかりでピンときていないのですが、

母親の愛情が母性神話そのものの定型パターンであることや
主治医である女性産婦人科医と親友であったという設定の無理、
2人の友情があまりにもベタな紋切り型であることなどのほかにも、

たぶん、1つには
前に読んで、それなりに面白かった「わたしのなかのあなた」
兄弟の臓器提供者としてIVFで生まれてくる子ども“救済者兄弟”がテーマだったので、
私にとっては観念的な問題でしかなかったのに対して、

今回のロングフル・バース訴訟は私にとって、
もっと直接的に生々しい自分自身の問題でもあるので、
当事者ではない読者を満足させるべく作られた物語が
どうしても一面的に感じられて物足りないのは仕方ないのかもしれない。

ここには、たぶん、ある問題を考える時の、
当事者とそうでない人の温度差の問題とか、
両者の分かりあえなさの溝を越えることは可能なのか、
可能だとしたら、どういうふうに超えられるのか、といった問題とも繋がるのかも知れず、

そのあたりのことは改めて考えてみたいとは思うのですが、
この作品だけでそれを云々するのは大して意味がないので、

ここでは、この作品から見えてきた
米国のロングフル・バース訴訟に関連したことがらについてのみ。

まず、ロングフル・バース訴訟について、作品中に解説されている一節を以下に。
(仮訳はすべてspitzibaraですが、あまり吟味はしていません)

ロングフル・バース訴訟は、生まれてくる子どもに重大な損傷があることが妊娠中に分かっていたら、母親はその胎児を中絶することを選択していたとして、生まれた子どもに障害があったことの責任を産科医に負わせるものである。原告側からみれば医療過誤の訴訟であり、被告にとっては道徳上の問題となる。つまり、誰かの人生を、あまりに限定されていて生きるに値しないと決める権利が誰にあるのか、という問題に。(P.53)

ロングフル・バース訴訟について初めて聞いて即座に拒否反応を示した父親に
弁護士が言う言葉。

オキーフさん、なんて酷いことを言うんだと思われるでしょう。でも、ロングフル・バースというのはただの法律用語に過ぎません。おたくのお子さんが生まれなかったほうがよかったと我々が考えているわけではないんです。素晴らしいお子さんですからね。ただ、我々としては、患者が受けられたはずの標準的なケアを医師が行わなかったのだとしたら、誰かがその責任を取るべきだと考えるのです。…(中略)……これは医療過誤です。ウィロウのケアにどれだけの時間とお金がかかっているか、この先もどれだけの時間とお金がかかることか、考えてごらんなさい。誰かが犯したミスのツケを、どうしてあなた方が支払わなければならないのです?(p.64)

ウィロウは主人公一家の5歳の次女で
出生前後に生き延びられないほどではないけど非常に重症で、
生涯数え切れないほど骨折を繰り返すことが避けられないだけでなく、
様々な合併症の可能性もあり成人するまで生き延びることも危ぶまれる
タイプⅢの骨形成不全症と設定されています。

(障害児本人がリアルな肉体の苦痛を生涯繰り返し味わわなければならない設定に、
その妙と同時に、ちょっっとしたズルさも感じてしまいました)

作中、地元新聞がウィロウを巡る訴訟を報じた記事の中から、
米国のロングフル・バース訴訟の実態についての言及箇所を、飛び飛びに以下に。

米国の半数以上の州でロングフル・バース訴訟が確認されており、その多くは法定外で、陪審員が決める場合よりも少ない金額で和解に至っている。医療過誤を扱う保険会社がウィロウのような子どもを陪審員の前に連れ出すことを望まないためだ。しかし、このような訴訟は複雑な倫理問題という虫が詰まった缶を開けることになる。例えば、このような訴訟が障害者に対する社会の捉え方にどのような影響を及ぼすのか。日々障害のある我が子が苦しむのを見ている親を批判することが、いったい誰にできるのか。もしも障害によっては中絶すべきだとするなら、それを決める権利は誰にあるのか。そして、ウィロウのように親の証言を聞いて分かる年齢の子どもへの影響は?

(記事に引用された障害者アドボケイトの言葉として)
「しかし、一番の問題は、その子どもに送られるメッセージです。障害のある人は豊かな十全な人生を送ることができない、完全でなければ生きていてはいけない、とね」

最近のニューハンプシャー州(物語の舞台)では2004年のロングフル・バース訴訟での320万ドルの和解金が、2006年に最高裁によって覆されている。(P.214-215)


主人公一家の父親は警察官(しかも既にベテランの巡査部長)なのですが
作中には何度も生活の苦しさが描かれる場面があります。
裁判でも、ウィロウの病気治療費と、装具や車や家の改装費などにお金がかかって、
破産状態だという母親の証言もあります。

もちろん、小説1つからは何ともいえませんが、
米国特有の高額な医療費負担の問題が1つの背景としてあって、
そのために訴訟を起こさざるを得ないという側面もあるかも……。

また医師の方は医師の方で、患者からの訴訟に備えて保険に入っていて
訴訟になっても、その保険会社の雇った弁護士が万端引き受けてくれるわけだから、
保険会社の論理で制されているような米国の医療の実態がまずあって、
それでロングフル・バース訴訟なのかも……と、ちょっと思いました。

さらに物語の中で、とても印象的だったのは、
訴えた母親の弁護士である若い女性が
生まれるなり養子に出されて実の親を知らないまま成長した人だということ。

育ての親との関係は良好で幸せな人生を送ってきたのに、
なぜ自分は親に捨てられたのか、
もしかしてこういう自分でなかったら
母親は自分を捨てなかったのだろうか……という苦しい問いを抱えて、
この訴訟を手がけながら、実の親を必死で探しています。

この弁護士の親探しの物語がバイ・ストーリーとして
やがてメイン・ストーリーと絡まりあうのですが、

もう1つの恐ろしいバイ・ストーリーは
誰にも気付かれないまま進んでいくウィロウの姉の過食症とリストカット。


子も親も夫婦も友人同士も、
みんな、自分が愛されているかどうかが不安で、
自分が愛されていることを確かめられずに、もがいている──。

裁判の最後の辺りで母親が言う言葉。

All any of us wanted, really, was to know that we counted. That someone else’s life would not have been as rich without us here.

誰もが求めているのは、本当のところ、
自分が大切な存在だと確かめたいということだけ。

自分がここにいなかったなら、
誰かの人生が今ほど豊かなものではなかったのだということを。


ちょっと驚いたことに、こちらの論文によれば、
日本でも風疹とダウン症候群とでロングフル・バース訴訟の事例はあるのだとか。

また、去年読んで、私自身はもう何回か読まないと消化できそうもないと感じている本ですが、
社会学者の加藤秀一氏が「〈個〉からはじめる生命論」という本で、
ロングフル・バースとかロングフル・ライフという概念を批判しておられます。


【8月11日追記】
上に引用した作中新聞記事で言及されているケースについて
当時の記事を見つけ、こちらにまとめてみました。



2009.08.10 / Top↑
Obama政権の医療改革案に対する高齢者の不信の高まりが政権にとっても無視できないほどに。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/08/AR2009080802367.html

ブッシュ時代に、MA、CA他、いくつかの州が独自に無保険問題解消の努力をしてきたのは、この2年余りになんとなくニュースで読みかじってきたけど、マサチューセッツ州では州民の97%が健康保険加入を果たしたというのは知らなかった。まだ課題は多いにせよ、MA州のプログラムはマサチューセッツ・モデルとして、連邦政府の医療制度改革のモデルになる、とNY・Timesの社説。
http://www.nytimes.com/2009/08/09/opinion/09sun1.html?th&emc=th

不況で貧困に陥る人が増えている中、公共の場に座っている、寝ている、などの行為の取締りが強化されている。貧困を生み出しながら、その一方で貧困が犯罪視されていく社会の動き。:テクノロジーで障害児が生まれる確率が高くなるようなことを平気でやりつつ、障害児・者を嫌悪し抹殺の対象とする社会、科学とテクノで不老不死の実現に血道をあげながら、高齢者には医療費がかかって困ると切り捨てにかかる社会も……。
http://www.nytimes.com/2009/08/09/opinion/09ehrenreich.html?_r=1&th&emc=th

フィラデルフィア、紙の新聞がなくなる米国最初の都市になる? 早急に生き残り策を迫られている米国都市のジャーナリズム。
http://www.nytimes.com/2009/08/09/magazine/09Newspaper-t.html?_r=1&th&emc=th

化学薬品産業の指導者らが、方針転換。環境保護団体、保健関係団体、消費者団体と協議しつつ、連邦政府による新たな規制に情報を提供し、協力する、と。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/08/AR2009080802566.html
2009.08.09 / Top↑
Oregon州の2人の医師(Dr. Katrina Hedberg, Dr. Susan Tolle)が
尊厳死法ができた1998年から2007年までに同州で死んだ人のうち、
尊厳死法を使うことを選ばなかった大多数について研究を行い、

使うことを選ぶのは、よほど主張の強い人、

同州で死に行く人たちの大多数は医師による自殺幇助には関心がないか、
または医学的に尊厳死法に参加することができないか、のどちらかと結論づけている。

2007年までにオレゴン州でさまざまな理由で亡くなった人は296000人。
そのうち、尊厳死法を使って自殺した341人と同じ病気で死んだ人は99000人。

だから医師による幇助を受けて自殺した人というのは
よほど主張の強い、ごくわずかの人だということに。

また、尊厳死法で自殺した人の82%は末期がんの患者だったが、
オレゴンでの死者の3分の1は心臓疾患が原因で死んでいる。

これは癌の場合には余命半年という診断があるのに対して、心臓病や脳卒中では、
突然の発作で死亡するか、そうでなければ長く生きるかに分かれるためだろう、と。

また85歳以上の高齢者のうち3分の1から半数には
何らかの認知症状があると推測されており、そういう人たちは
自殺幇助の意思決定ができなかったり、意思があっても人に伝えにくい。

総じて、オレゴン州で、尊厳死法を利用する確率が最も低いのは、

・85歳以上の高齢者
・癌、エイズ、ALS以外の病気で死に瀕している人
・学歴が高卒以下の人
・白人・アジア人以外の人

尊厳死法ができたら貧困層や教育を受けていない患者、有色人種などの弱者が
無理やり参加させられるのではないかと懸念する議論があったが、
それは現実にはなっていないと研究は結論している反面、

尊厳死法に参加する人たちから
苦痛のコントロールが十分行われていないことが報告されたり、
介護者への重荷になっていることを心配する声があったり、
正式な精神科医のアセスメントを受けていない人の増加などを
懸念材料としてあげている。

Study of those who don’t use assisted suicide law
The Seattle Post-Intelligencer, August 5, 2009


この結果、私個人的には
貧困層や教育を受けていない人たちへ誘導になるという懸念を否定するというよりも、

やっぱり「死の自己決定権」文化の根っこは、
「科学とテクノで簡単解決万歳」文化やトランスヒューマニズムの根っこにある
知的レベルの高い白人エリート男性的価値観と繋がっているんじゃないのかなぁ……と考えさせられる。
2009.08.09 / Top↑
Debby Purdyさんのケースで、キューバ人の夫が口を開いた。彼は一体どう考えているのか、私はずっと気になっていた。印象的なのは「この戦いは彼女の戦いであって、自分の戦いではない」。妻が望むことだから、支援してきた、裁判所の判断が出て、彼女がハッピーだから自分としても嬉しい、と。
http://www.yorkshireeveningpost.co.uk/news/VIDEO-Debbie-Purdys-husband-tells.5533864.jp

DNAのデータベースを作って、人身売買された子どもを家族の元に返そう、というNorth Texas大学のプロジェクト。記事によると、毎年60万から80万人が国境を超えて売買されていて、その半数が17歳以下だとのこと。2010年までに人身売買が国際犯罪のトップに躍り出るだろう、と。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159800.php

人を被験者とする医学研究で倫理規制の手続きが煩雑なことが研究を阻んでいる、これではせっかくNIHの研究助成予算が増額になっても、というOp-Ed。
http://www.nytimes.com/2009/08/08/opinion/08satel.html?th&emc=th

ベルギーの高齢者施設で火事。9人死亡。3人が重態
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8188760.stm

マイケル・ジャクソンの死因となった麻酔薬propofol、実は相当に濫用されているらしい。
http://www.nytimes.com/2009/08/07/us/07propofol.html?_r=1&th&emc=th
2009.08.09 / Top↑
昨日の朝日新聞に、日本はワクチン後進国だとする記事が出ていた。

米国をスタンダードとして「日本はこんなに遅れている」
「もっと米国並みに接種を義務付けるワクチンの種類を増やさなければ」というトーンだった。


たぶん米国を意識した「国際水準」が“印籠”として振りかざされた
今回の臓器移植法改正議論とまったく同じ論法。

もちろん私には一つ一つのワクチンの是非など分からないし、
そんなことを云々する資格もない。

けれど、たまにニュースを追いかけてみるだけでも
子宮がんを予防するヒトパピローマワクチン(HPV)には
英米でも副作用を懸念する声はいまだに根強いし、

HPVの発見に結びついた研究にノーベル賞が授与されたウラでは
巨大製薬会社の激しいロビー活動があったとの噂もあった。

ここ数年の巨大製薬会社の治験にまつわる訴訟やスキャンダルや
研究者との癒着スキャンダルについて多少は読みかじっているし、

“何でも科学とテクノで簡単解決”文化の蔓延を感じさせるニュースが相次いでいることにも、
その背景にそうしたスキャンダルを起こす利権構造が絡んでいるらしいことにも懸念を感じている。

米国では、ちょっと常軌を逸したほど過激なワクチン反対運動が起きていて、
私は決して運動そのものを肯定するつもりはないけれど、

営利優先で人命を軽視しているとしか思えないビッグ・ファーマ(巨大製薬会社)への不信が
その背景にはあるのだろうな……という点は分からないでもない。

今みたいに何でも薬とワクチンで予防しようと、いろんな研究が行われていけば、
(最近読んだだけでも、今後、乳がん、前立腺がん、糖尿病、エイズのワクチンができるとか)
一体どこまで子どもに接種するワクチンが追加されていくのか
短期間に子どもにいくつものワクチンを接種することのリスクは本当にないのか、
本当はその安全性など、誰も確認できないのではないのか、と
何でもワクチンさえ開発すれば解決するような風潮は心配になってしまう。


医学研究の最先端を競い合っている研究者にとって米国がスタンダードなのだろうことは想像できるけれど、
それと臨床現場とはまた別だろうから、

ビッグ・ファーマが暴走する米国の医療を
国際水準として追いかけるべきスタンダードと捉えるよりも、
むしろ、どちらかというと「おいおい、大丈夫か?」と距離を置いて眺めている医師の方が
日本の臨床現場にも本当は多いのではないのか……という気がしてしまうのですが
これは私の希望的観測というヤツなのでしょうか。


米国医療の危惧されるべき実態はほとんど報道されることなく、
日本の医療をある一定方向に誘導しようとする局面になると
必ず「米国では」「国際水準では」と、定番の“印籠”が持ち出されてくることに、
私の頭の中では昨日も赤ランプが点滅したのですが……。




2009.08.08 / Top↑
女性の更年期ホルモン補充療法に使われるホルモン剤が主要商品であるWyeth社に対しては
ホルモン療法の副作用をめぐって8400件の訴訟が起こされている。

その訴訟に関連して提出された文書によって、
1998年から2005年までに発表された
ホルモン補充療法の効果と副作用に関する論文26本が
Wyeth社に雇われたゴーストライターによって書かれたものであることが判明。

それぞれ、ホルモン剤の効果を強調する一方で、
肌の老化や心臓病、認知症などのリスクが高まる副作用については過少評価していた。

また、いずれの論文でも、Wyeth社の関与や金銭関係についての
ディスクロージャーは一切行われていない。

これらホルモン剤の売り上げは2001年には200万ドルに跳ね上がった。

その後、ホルモン剤には乳がん、心臓疾患、脳卒中のリスクが上がることが判明し、
連邦政府の治験が中止されるに至って、リスクが広く認識されるところとなった。
また、その後の研究でも、高齢患者では認知症のリスクがあることも判明している。

Robert Wood Johnson 医大産婦人科教授 Dr. Bachmannを主著者として
2003年に The Journal of Reproductive Medicineに刊行された論文は、
Design Writeという医療コミュニケーション企業(要は論文代筆企業?)が
Wyeth社に対して持ちかけた論文企画の1本。

Design Writeの社員が書いたアウトラインをBachmann医師に送り、
了解を取った上で今度は下書きしたものに、
Backmann医師が一箇所だけ訂正して発表された。

この論文でDW社はWyeth社から25000ドルの支払いを受けた。
論文はDW社のライターの名前をいくつか挙げて、その“編集協力”に感謝している。

Wyeth社は、DW社のような医学論文を代筆する会社数社と契約している。

これまでにも医学論文には陰で製薬会社が関与していることが取沙汰されてきたが、
実態は、Wyeth社のみに留まるとも思えず、
これまで考えられていた以上の広がりを見せていると思われ、

医学論文のゴーストライティングを研究したことのある
NYのMount Sinai School of Medicine 老年医学の助教授 Dr. Joseph S. Rossは
「もう、ほとんど野球のステロイドみたいなもんですね。
誰がやっていて、どの選手がやっていないなんて、見分けられない。
どの論文が汚染されていて、どの論文は違うなんて、見分けがつかない」



この記事を読んで、改めて憤りを覚えるのは、

このたびDiekema、Fost医師らが書いた成長抑制論文
重症児が3歳になったら、ホルモン大量投与による成長抑制を
選択肢として親に提示しろと結論しているのだけど、

その中で、ホルモン大量投与の副作用については「ごく小さい」と、
ほとんど取るに足りない問題として切って捨てている。

それは、一体どういうことなのだろう?

そういうホルモン剤を、成長抑制目的で幼児に大量投与することについて
医師や研究者の間から批判が出てこないのは、これまた一体なぜなのだろう?


2009.08.08 / Top↑
オーストラリア、パースで 
the Brightwater ナーシング・ホームに入所している49歳の男性 Mr. Rossiterが
全身麻痺で24時間介護を受けている状態は生き地獄なので
栄養供給を停止して死なせて欲しいと要望。

ホームを経営する the Brightwater Care Group は
本人がやめてくれと望んでいるとしたら胃ろうで栄養を入れるのは違法になるのかどうか
西オーストラリア最高裁判所に判断を求めた。

オーストラリアといえば、
当ブログで何度か話題にしてきた Dr. Death こと Dr. Philip Nitschke のお膝元。

Dr. Nitschkeは、死ぬ権利のキャンペーンにおいて非常に重要なケースだといっており、
記事のニュアンスでは、このケースに関する情報を提供したのも同医師のようです。

(その意味では、男性の自殺希望の理由や裁判所に求めた判断内容の表現には
何がしかの操作がある可能性もあるかと思います。)

この辺り、米国WA州の尊厳死法での最初の死者2人について
やはり自殺幇助合法化アドボケイトのC&Cから報告されたことと状況が似ています。

ちなみに、米国で違法な自殺幇助で多数の逮捕者を出している死の自己決定権アドボケイト FEN は
そのサイトで体が不自由になって施設に入所したら自殺は難しいが餓死を選ぶという方法がある
書いています。


Carer seeks advice on assisted suicide
Business News, August 7, 2009


「死の自己決定権」は決して社会的に認知されたわけでも
ごく一部の国と州、ごく限られた対象者以外には、倫理的、法的に、許容されたわけでもないのに、

こうして対象を限定せず、何もかもグズグズの議論が横行して、

「死の自己決定権」がこれほど声高に主張される以前なら
そんなことを考えもしなかったような人や、
考えたとしても実現不可能な空想でしかなかったような人に

だからこそ、もしかしたら別の選択肢を探したり、
絶望の中でもがきながらも、いつかそこから這い出して
新しく生きる希望を見出したかもしれない人に、

「死んでもいい、死ぬことはあなたの権利なのだから」
「あなたの状態は、死ぬことを許されるほどに悲惨なのだよ」とささやき続けている。

そうして、
「死の自己決定権」文化の汚染が、ものすごい速度で世界中に広がっていく──。


2009.08.07 / Top↑
前にエントリーに書いた作家のテリー・プラチェット氏がまたまた自殺幇助合法化支持で発言。とても象徴的な言葉がある。自分は「押される前に身を投げたい」と。がけっぷちで。それこそ「先取り不安」説を裏付けているのだけどな。
http://www.salisburyjournal.co.uk/news/4528182.Sir_Terry_speaks_out_on_assisted_suicide/

英国議会でいずれ自殺幇助合法化法案が出てくるのに警戒して、いかなる場合でも自殺幇助を違法とし「裏口安楽死」阻止することを求めて戦う、とNadine Dorries議員。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1204363/Tory-MP-moves-bolster-law-door-euthanasia.html

マウスで「これがこの病気を予防した」、とか「治した」とかって、どのくらい人間にも有望だと考えていいの?:うん。そこよ、そこのところをいつも思うのよ。人間もすぐにも治るみたいに言わないでほしい。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/aug/04/medical-experiments-on-mice

ナースが家庭訪問することで子どもの喘息が悪化するのを防げる。:こういう医療費削減の方策も、実はまだまだ未発掘の可能性があちこちにあるんじゃないかと思うのだけど。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159766.php

これはちゃんと読んでまとめたい記事。女性の更年期ホルモン補充療法の研究論文26本が製薬会社が雇ったゴーストライターの手によるものだったことが裁判の資料で判明。思われている以上に、この慣行は広がっている、と。:例のBiederman医師とJohnson&Johnson社との癒着スキャンダルで、ゴーストライターに書かせることをB医師がJ社に承諾したメールが出てきていたけど。
http://www.nytimes.com/2009/08/05/health/research/05ghost.html?_r=1&th&emc=th

最近ちっとも追いついていないけど、これもちゃんと読みたい記事。英国のNHSがIVFの対象者の条件をいろいろ付けるので、受けられない女性が多いとの批判は前から出ている。プライマリー・ケア・トラストによってバラツキがある不公平とか。2本目の記事はエッセイでタイトルは Women need more choice over children 「子どもについて女性が選べる選択肢もっと必要」。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2009/aug/05/ivf-restrictions-nhs-postcode-lottery

ナースのストライキで安全な出産ができなくなっている医療現場の状況を訴えようと、ザンビアの独立系の新聞の女性編集長が、病院にいながら自力で子どもを出産途上の女性の写真を政治家や女性の人権団体に送ったところ、ポルノ写真をばら撒いた罪に問われ裁判に。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8185221.stm

自閉症の人がボディ・ランゲージを正しく読めないのは、視覚情報の処理プロセスの問題かも。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8183447.stm

カリフォルニアの緊縮予算で無保険の子どもが倍増する見込み。:CA州はS-CHIPほか、子どもの無保険解消には長いこと独自の努力を続けてきて、ブッシュ時代の中央との交渉でも先頭に立ってきた州だっただけに、残念。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159690.php

連邦判事の委員会がカリフォルニア州に対して、刑務所の医療が憲法違反状態だから、15万人の囚人を4万人減らせ、と命じた。:減らせったって……。
http://www.nytimes.com/2009/08/05/us/05calif.html?_r=1&th&emc=th

デートDVの予防に学校での教育が有効。:これ、日本でも考えた方がいいんじゃないのかな。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/159645.php
2009.08.06 / Top↑
「介護保険情報」(社会保険研究所)という雑誌に
大阪大学大学院の堤修三教授の「パンセ - 社会保障をめぐって」という連載があって、

時には途中でドロップしそうなほど難解なこともあるのだけど、
論理的で鋭利な刃物のような批判の筆さばきを、いつも楽しみに読んでいる。

昨日、仕事の都合で今年の3月号を引っ張り出したついでにめくってみたら、
前にも読んだはずの「パンセ」に改めて新鮮に響いてくる言葉があった。

この回のタイトルは「無名で有用の人々 有名で無用の人々」。

昨今の官僚バッシングについて書かれた文章で、
(ちなみに堤氏は介護保険創設に功績の大きかった元厚生官僚)
前半の文意は、

官僚は官僚機構の一員に過ぎず、個々の官僚にそれほどの権限があるわけではない。
通達も職名で発するのだから官僚とは本来無名の人である。
そこを勘違いする官僚がいると、世の中に迷惑が及ぶ。
官僚個人の責任を追及できるシステムを望むなら、上位者を政治任命にする方法を
官僚機能の変革として国民が慎重に選択することは可能だ。

でも、この文章が面白いのは後半で、

一方、大学教員は匿名で論文を書くなどありえない有名の人であるが
書いた論文が現実社会の何かの決定に直接結びつくわけではないから、
自分の仕事が無用であることに耐えなければならない。
それに耐えられない人が時に政府の審議会などに積極的に出て行って政策にコミットし、
引き換えに研究者としての自由な立場を失うのだ、と。

思わず笑ってしまったのは以下の言葉で、

自分の興味のあることを自分の名前で書いて、
それが直ちに有用であるなどという、旨い話があるわけないではないか。

大学教員も無用者の自覚を持って自在の仕事をし
それが万一、有用に繋がることがあれば、
得難い僥倖と考えるべきだろう。


ついでに、ブロガーって「無名で無用の人々」だよね……と考えて、笑ってしまった。

引用の関係で、ちょこちょこ実名は出してはいるけど、
私はまったく無名のライターだから、
このブログも無名の人がやっている無用のブログなのだけど、

それでも始めた当初は
自分が勝手に興味を持って調べているうちに行き当たったAshley事件の“真相”に
どうにも許せない……こんなの放っておけない……みんなに知らせなきゃ……
なんて、むちゃくちゃ肩に力を入れて気負いこんでいた。

Ashley事件の真相が隠蔽され、問題の本質が摩り替えられ、一般化されていくのを、
何とか、とめられるのではないか、と、どこか本気で考え、願ってもいたし。

一方では「ペリカン文書」が頭の隅っこにチラついて、
新しいエントリーをアップするたびに胃が痛くなるほど恐ろしくて
手も震えんばかりの緊張でガチガチで。

当時このブログを読んでくれる人は1日にせいぜい5人くらいだったのだけど。
しかも5人のうち毎日1人は必ずウチの配偶者で、もう1人が心優しい編集者さんで。
(あと1は、もちろん自分で)

配偶者が、この前「今でこそ明かすが」という口調で打ち明けたところによると、
会社でわざわざ複数のPCからチェックしてカウントを上げてくれたこともあったらしい。
まるで「最後の一葉」みたいだ。

自分としては、それなりに、ものすごいことを書いていると思っているのに
誰にも相手にされないことに一人で鬱々していた時期もあった。

ちょっとカウントが増えた日には、なんとなく気分が浮き立って、
誰も来てくれない日には、自分が無意味なことに一人で必死になっているバカに思えて落ち込み、
何かの拍子にわっとカウントが非日常的なレベルに跳ね上がると、
世の中の人たちみんなから認めてもらったような錯覚を起こして嬉しがった。

そんな、いろんな体験を経て、それでも2年以上やっていれば、
日本語と英語の2つのブログを通じていろんなことを知り、いろんな人と出会った。
ブログを通じて見えてくるものが当時とは比べ物にならないほど広がった今、

他人の目にどう思われているかではなく、常に自分自身の目で、どうなのか。

問題にすべきはそれだけだ、と考えることを学んだ。
少なくとも、そう考えようと努めることを学んだ。

「誰にやれと言われてやっていることでもないんだからさっ」というのが
いつのまにかブログ関連で落ち込むことがあった際の口癖になった。

それでも今でも時々、ブログの魔力には気をつけなければ……と自戒するのは
やっぱりカウントに左右されている自分の気分に気づく時。

このブログに何らかの役割があると考えて、
それを果たそうと力み、“がんばって”しまっている自分に気づく時。

自分がしてきた仕事が正当に認められないとボヤく心の声に気づく時。

有名であれ、無名であれ、人はみんな、
自分のやっていることは有用な仕事なのだと考えたがっている。

そこへ、
自分の好きなことをやっていて、それがそのまま有用であるなどという
旨い話があるわけないではないか、と、卑しいスケベ心を見透かす、みごとな一喝……

――ぶははっ。 まったく、その通りだ。


無名な人が無用のことをやっている。
無名な人が無用のことをやるからこその自在さで──。

自在であることの得がたさと、
自在でいられることの爽快感に、
「ほら」と指差して気づかせてもらったことの爽快感──。

ブロガー、ぜんぜん悪くないかも。
2009.08.06 / Top↑
カリフォルニアで、とんでもない判例ができてしまいました。

当ブログでも、あらまし追いかけてきた事件ですが、
脳卒中の後遺症で寝たきりになった兄がヘリウムの吸引で自殺するのを幇助したとして
妹の June Hartleyさんが逮捕・起訴されていた事件で
(詳細は文末にリンクしたエントリーに)

州の上級裁判所が月曜日に言い渡した刑は
260ドルの罰金と、3年間の保護観察、250時間の地域奉仕。

言い渡された瞬間、法廷に詰め掛けた支持者から歓声が上がったとのこと。

裁判長は
「Hartleyさんの行為を容認するわけではない」が
この犯罪を取り巻く「特異な状況」にかんがみ、軽い刑を適用した、と。

障害者の権利擁護アドボケイト the Disability Rights Education and Defenseで
政策アナリストをしている Marilyn Goldenさんは
「虐待を自殺幇助に見せかけるのは簡単です」と語り、

特に要介護状態の高齢者を介護者である娘・息子が虐待するケースは多いにも関わらず、
自殺幇助が合法化されている州では詳細な規制が行われていない。
特に低所得層や高齢者が虐待に晒されがちである、と指摘。

またSan Joaquin ホスピスの広報担当者は
「自殺幇助の他にも選択肢があることが知られていない。
それこそ、ホスピスがやろうとしていることで、ここには他の選択肢があるのに」と。

No jail time in Lodi assisted suicide case
Recordnet.com, August 4、2009


妹の幇助を受けて自殺したとされるのは脳卒中の後遺症で障害を負った人です。
ターミナルだったわけではありません。

しかも、現在、
自殺幇助を合法化しているOregon、Washingtonの2州において認められているのも、
他の州や他の国々で議論になっているのも、医師による自殺幇助であって、
家族が勝手に自殺を手伝ってもいいという話ではありません。

脳卒中で障害を負った状態を、
家族が自殺を手伝っても、ちょっと風紀を乱して世間を騒がせた程度の刑にするほど
「特異な状況」と公的に認めてしまうことによって、

この判事はどれだけ多くのCA州の障害者・病者を
「勝手に自殺させてもいい特異な状況にある人」と規定したことになるのでしょうか。

この事件で自殺した人が要介護度の高い人であったことを考えると、
Goldenさんの指摘する介護虐待の懸念は、リアルなものとして
自殺幇助合法化議論において真剣に検討するべきだと思うのだけど。

この判例、大きな禍根となりそうな──。




2009.08.05 / Top↑
Purdy判決で公訴局長が明らかにする法のガイドラインは、海外での自殺幇助だけでなく国内の事例にも適用される、と。
http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/politics/lawandorder/5968756/Assisted-suicide-law-will-apply-to-deaths-in-Britain-and-abroad.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8182844.stm

これ、26日にもAIに関して出ていた重大な警告だと思うのだけど、自分の意思と判断で人を殺すロボットが戦争に導入されつつあることについて国際的な議論が必要だと Sheffield 大学のNoel Sharkey教授。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8182003.stm

7月30日の補遺で取り上げた事件で、ズボンを履いた罪に問われているスーダンの女性Lubna Ahmed Husseinさんの裁判が延期に。その直前、警察はHusseinさんの支持者らに催涙弾を発砲。Husseinさんが国連職員であることから治外法権を認めようとした当局に対して、Husseinさんは国連を退職することで抵抗。裁いてみよ、と戦う姿勢を見せている。再度、エールを。それにしても、いまどき、公開で鞭打ちの刑だと。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/8182658.stm

医学教育に投資しレベルの高い医師を育てては、あちこちの国に派遣し、医療貢献を通じて外交と資源確保を行ってきたキューバは、高い評価を受けているが、個々の医師らにとっては薄給で自由のない働き方よりも、米国で高給をとって自由に働きたいと、マイアミ周辺に亡命する医師が増えている。ただ米国で医師免許を取得するには言葉の壁が厚くて、看護師でもいい、と。:う~ん……。1ページしか読んでいないけど、じわじわと悲しくなってしまう記事だった。
http://www.nytimes.com/2009/08/04/health/04cuba.html?_r=1&th&emc=th

医療の配給制は当たり前、とManoj K. Jain氏(誰か知らないけど。)冒頭、80歳のターミナルな患者に肺移植を希望する家族のエピソードがあって、だから配給も理にかなっていると主張する材料になっているけど、今日エントリーで取り上げた英国NICEの腰痛痛み止めの配給中止という例も、その対極にあるわけだし。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/03/AR2009080302235.html

肺炎で死者3人、感染者そのほかに8人出て中国北西部の町を閉鎖。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/03/AR2009080300130.html

マウスのあごの骨に、歯を作る細胞と作り方の情報をもった組織を埋め込んで、歯を作ることに日本の研究者が成功したと、こういうニュースはやっぱりBBC。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8182684.stm

欠陥遺伝子が次世代に繋がるのを阻止することでマウスの癲癇をとめたのは英国リーズ大学の研究者。報道はBBC。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8178703.stm

イーライ・リリー社が2009年の最初の4半期から研究者らに支払っている顧問料の詳細を明らかに。
http://www.newsinferno.com/archives/10209

結婚している人は独身者よりも健康度が高いけど、いったん離婚すると、再婚では修復不能なほどの健康へのダメージを起こすストレス。
http://www.nytimes.com/2009/08/04/health/04well.html?_r=1&th&emc=th
2009.08.04 / Top↑
英国医療技術評価機構(NICE)が原因不明の慢性腰痛の治療に関して
これまでNHSで認められてきた、cortisone などのステロイド剤の注射を今後は認めず、
医師らは鍼や整骨などの治療を提供しなさい、と。

痛み止めの注射はNHSで年間6万件以上行われており、
今回のガイドラインによって年間3000件程度に減らし、
それによってNHSは3300万ポンドを節約することが狙い。

しかし、専門家は、この変更によって患者が激痛を耐えなければならなかったり、
それを避けようと思えば自費の治療に500ポンドも支払わなければならなかったり、
または50%の高率で失敗に終わる手術を選択する人が増える、と懸念。

専門のペイン・クリニックの中には閉鎖に追い込まれるところも出てくると見込まれ、
患者にいったいどこに行けというのか、と専門医らから猛批判が起こって、
ガイドラインの執筆に関わった英国痛み学会の会長が
会員投票で辞任に追い込まれる騒ぎにまで発展している。

NICEでは、
痛みが始まって一年以内の新規の患者で、原因不明の場合のみに適用されるのみで
全ての患者が対象になるわけではないと反論するが、

(しかし、それで本当に数値目標を達成できるとも思えないし)

この注射の効果は数年単位で続くので、
2年に一度の注射で痛みを抑えて
家族の介護をしながら普通の暮らしができるという患者もいる。



英国では、同様の薬や治療の配給医療制度によって
延命効果がある抗がん剤を使わせてもらえない癌患者の急増も問題視されている。

症状や薬の効き方、治療法の選択と効果など、
一人ひとりの患者によって微妙に違うだろうし、
その個別の違いを見ながら丁寧に判断していくのが臨床医の仕事だろうと思う。

その際に、鍼や整骨や心理療法が有効な人もいるかもしれないから、
もちろん一律に「誰でもすぐに痛み止めの注射」という慣行があるとしたら
もうちょっと丁寧に選択肢を検討してくださいよ、というのは分からないではないのだけど、
そのことと一律に痛み止めの注射を否定することとの間の距離は大きい。

中には注射でしか対応できない患者さんだっているだろうから、それはあんまりなのでは……。

そもそもの始まりとして、
6万件以上の注射を3000件まで減らそうという数値目標の根拠って、どうやって弾き出すのだろう。

もしも先に削減コストの数値ありきだったとしたら、
それって日本でも、コイズミ政権下で決まって、
路線変更にえらく時間がかかった社会保障費年間2200億円削減目標と同じことのような……。
(その間に日本の医療と介護は見るも無残に崩壊した……。)

数値目標だけに目を奪われたコスト効率には大きな盲点があるんじゃないかと思うのは、
人が医療や福祉など社会保障の恩恵を受けながら暮らしている日々の生活は
決して医療なら医療だけが他と切り離されてそこにあるわけではなく
人と関わりあいながら社会の様々な側面が複雑に錯綜しているものだということの広さ・大きさが
単純計算では捉えきれないんじゃないのか、ということ。

誰かを介護している人にとって、腰痛はどうしても不可避な面もあるけれど、
痛み止めを打つことによって介護者としての役割を果たし続けることができれば、
必要な在宅ケア・サービスの量は増えないし、それだけ在宅ケアの期間も延びて、
大きな意味でのコスト削減になるわけで、

そこまで広い範囲で捉えるのと、
ただ医療の中に限定して、腰痛患者一人の肉体についてだけ眺めるのとでは
薬や治療のコスト効率の検討も、まるで違う計算になるんじゃないだろうか。

また腰痛の人が痛みのために仕事を休んだり辞めるしかなくなることを考えれば、
その中には、それをきっかけに貧困に陥って福祉の対象になる人もでてくるわけだから、
痛み止めの注射のコストは、その人の生産性や生活力で実はカバーできているのかもしれないし。

それとも、
そういう七面倒くさいことまで丁寧にやってられないから
体が利かなくなったり、痛みがあったり、ゼニと手間のかかる人たちは
手っ取り早く、さっさと「自己決定権」を行使して死んでください──
というのがホンネなんだったら、何をかいわんやなんだけど。

だって、今の英国での自殺幇助合法化ロビーの勢いの一方に、
抗がん剤もダメで腰痛の痛み止めの注射もダメで……という医療を置いてみたら、
結局はそういうことになりません?

腰痛ですか? まず鍼とか整骨をやってみてくださいね。あ、心理療法もいいかも。
ダメでした? いまいち効かなかった? へぇ、もう耐え難いほどの痛みなんですか?
NHSでは注射はできませんから、自腹でやってみます? え? お金もないの?
それって、ずいぶんと尊厳のない状況ですねぇ。

でも、大丈夫、そういう人には、もうすぐ自殺幇助が合法化されて
NHSで医師が処方する毒物による尊厳のある自殺ができるようになりますからね……。

もうちょっとの辛抱ですよ……。


2009.08.04 / Top↑
米国医学生協会(AMSA)は
ホスピス運動の先駆けであり、現在も全米でホスピスを展開しているVITASと提携し、
このたび終末期教育フェローシップ・プログラムをスタートさせた。

夏休みの6週間、AMSAの卒業生に
終末期医療の研究機会を提供する、というもの。

内容は毎週のセミナーと、
地域のホスピス、ナーシング・ホーム、入院病棟での実習。

初回の今年は5人の医学生が既に研究を終えた。

ホスピスでは、
医師・看護師・ソーシャルワーカー・チャプレン・グリーフカウンセラーとボランティアから成る
他職種協働チームにその一員として参加し、

終末期医療に不可欠な基本的な面接能力、コミュニケーション技能を身につけた。
また、死と死ぬことに関する心理・社会・文化・精神面についても理解を深めた。

AMSAの会長 Dr. Lauren Huges は
「ベビー・ブーマーが歳をとるに連れて
終末期のスキルは医学教育に必須となってきます。
AMSAとしては全ての医学部とレジデンシー研修プログラムとが
医学生とレジデントに死と死ぬことについて研修を提供するよう求めます」と。



先走って「死の自己決定権」を云々する前に
まず、こういうことを、ちゃんと、やろうよ。


         ―――――――


先日、重症心身障害児施設で長年看護師をやって、
現在は大学の看護学部で教えている人と話をしていたら、

学生は実習には出て行くけれど、たまたま重心施設の実習に当たるのでなければ
大半の学生は重症障害児など見たこともないまま現場に出て行くのだ、と嘆いていた。

そういうことなのだとすれば、障害児・者の医療についても、
終末期医療についてここで書かれているのと同じことが言えるのでは?

医療職の無知や無理解・偏見が
死ななくてもいい障害者を死なせてしまう事例は実際に起きている。
(英国でオンブズマンに訴えられたケースを文末にリンクしました。)

障害児・者や死にゆく人をまっとうにケアする知識と技術を欠いた状態を放置したまま、
障害があるから、ターミナルだから、死にたければ死なせてあげようという議論が横行するのは
やっぱりアベコベなのでは?


2009.08.04 / Top↑
以下、某ML情報の転載です。


「着床前診断」という言葉を聞いたことはありますか?

着床前診断とは、体外受精によって作られた障害のない受精卵を着床させる方法です。障害のある受精卵の場合は廃棄されてしまいます。

命の選別に繋がる「着床前診断」に、私達神経筋疾患ネットワークは障害を持つ当事者として、反対してきました。

全ての命は歓迎されるはずであり、重い障害を持ちながら、その人らしい充実した人生を送っている障害者は多くいます。

今回のシンポジウムを、「着床前診断」に関する問題点やその背景にある社会のあり方、そして障害のあるなしに関わらず生きるということのすばらしさについて、多くの方々と共に考える時間にしたいと思っています。 是非ご参加下さい。

と き 2009年9月5日(土) 13:00~16:30(受付12:00開始)
ところ 京都府立総合社会福祉会館 ハートピア京都 3階大会議室
〒604-0874 京都市中京区竹屋町通烏丸東入る清水町375番地  TEL 075-222-1777

参加費 500円(資料込み)
(受付にカンパ箱を設置します。もし宜しければご協力をお願いします。)

定 員 100名


第一部 着床前診断とは? 見形信子 神経筋疾患ネットワーク
パネルディスカッション「それぞれの立場で考える着床前診断」

パネリスト 杉浦真弓氏 名古屋市立大学産婦人科教授・(社)日本産科婦人科学会理事
          立岩真也氏 立命館大学大学院教授
          中尾悦子  神経筋疾患ネットワーク
コーディネーター 岡田健司  神経筋疾患ネットワーク

第二部 紙芝居「飛び出せ未来へ~タマゴたちの大冒険~」  
生まれてきてよかった ? 私たちの幸せ自慢!!

司会者 加古雄一
石地かおる・上野久美・寺田さち子・丸田君枝・山本奈緒子
神経筋疾患ネットワークによる

第三部 質疑応答

申し込み方法: 申し込み用紙にご記入の上、郵送かFAXまたはメールでお送り下さい
(定員になり次第締め切らせていただきます)

申し込み先 : 自立生活センター・アークスペクトラム気付「神経筋疾患ネットワーク」
〒615-0022 京都市右京区西院平町6三喜ビル1F
TEL&FAX 075-874-7356
E-MAIL cil-arcsp@rg7.so-net.ne.jp

主 催:神経筋疾患ネットワーク 
2009.08.03 / Top↑
英国保守党の医療制度改革案。受診時原則無料は維持するものの、最新治療と人口の高齢化に対応するため、貯金をそこに注ぎこまなければ。さらに病院機能の集約化を進め、専門病院の数を絞って……などなど。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article6736853.ece?&EMC-Bltn=9DMH5B

癌の新薬の治験に参加するボランティアがいない、募ろうとする臨床医も少ない。それで癌の治療に関する研究が進まないで、研究者が困っている。:アメリカのビッグ・ファーマに対する不信は根深いだろうな、と思う。
http://www.nytimes.com/2009/08/03/health/research/03trials.html?_r=1&th&emc=th

米国の子どもたちはビタミンD不足なんだとか。前にも、こういう話題があったような気がして検索してみたら、去年の10月に米国小児科学会が子どもにビタミンDのサプリを飲ませろと推奨していました。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/02/AR2009080202114.html

カメルーン出身の女性HIV患者で、初めてゴリラが感染源だと、HVIに新たな感染ルート。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8175379.stm

子宮がんのリスクを40%も上げる遺伝子の欠陥が分かった。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8176612.stm

早産を引き起こす原因となるたんぱく質をブロックすれば、早産を防げる。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8179043.stm


【英国自殺幇助議論関連】


Purdyさんも安楽死合法化アドボケイトも(メディアも)、今回の法律の明確化を求めた最高裁の判断について、合法化への一歩だと喜んでいるが、明確化されれば逆に自殺幇助はやりにくくなるのでは、との読みが出ている。上のIrwin医師の逮捕も、Purdy判決が出された後のこと。:厳密に線引きがされれば、そうなるだろうし、そうならないとまずいだろう、と思う。
http://business.timesonline.co.uk/tol/business/law/article6735619.ece
http://www.independent.co.uk/life-style/health-and-families/health-news/purdy-court-ruling-could-make-assisted-suicide-more-difficult-1766267.html

カナダの新聞がPurdy判決を受け、「安楽死はすべり坂」というタイトルのエッセイを掲載。その中にある情報では、Purdy判決の翌日、さっそくに個人提案の法案として自殺幇助合法化法案を提出した議員がいるそうだ。もっとも日程的に審議は無理だと分かってのジェスチャー。いずれにせよ、今後、こういう動きはどんどん起こってくるに違いない。
http://www.calgaryherald.com/news/Euthanasia+slippery+slope/1855571/story.html
2009.08.03 / Top↑
「グローバルな新トレンド 医療ツーリズム」

英国から南アに飛んで手術
英国スタフォードシャー在住のイエイツ氏(当時70歳)は2000年10月、右股関節の痛みに苦しんで専門医のところへ行った。5年前に左股関節を人工関節にしてもらった時にも3カ月ほど手術を待たされたので、そのくらいの覚悟はあった。ところが今度の手術は1年半も先になるという。イエイツ氏は大いにショックを受けたが、そこはIT時代の高齢者である。さっそくパソコンに向かった。まず米・仏・独の病院を調べ「結構いい値段だなぁ」などと思っていると、ひょっこり見つけたのが南アフリカはヨハネスブルクのクリニックだった。

メールで医師と直接やり取りをしたところ、欧米の約3分の1の費用で手術が受けられると分かった。1年半も待つよりは、と翌年3月に南アに飛んだイエイツ氏は到着の6日後に手術を受け、4週間滞在して帰ってきた。「あちらでのサービスは全くもって素晴らしかった」と満足している。

イエイツ氏の体験談が紹介されているのは、2001年5月31日付のガーディアン紙の記事「NHS(国民医療サービス)の手術待ちにうんざり? では海外はいかが?」である。

氏のように医療サービスを求めて海外へ出かける人は、その後も急増しており、世界中でmedical tourism(またはhealth tourism)が一大ビジネスを成しているらしい。「医療を求めて海外へ」というと、日本では臓器移植をイメージしてしまうが、どうやら一般的な医療にまで広がっているところが新しいトレンドのようだ。

安くて早い、便利で豪華
その最先進国の一つが、タイだ。Board of Investment of Thailand のウエブ・サイトによると、タイはアジアの医療ハブをめざして「5カ年計画」を2004年にスタート。同年に60万人だった海外からの医療ツーリストは、06年にはざっと100万人に膨れると予想されている。呼吸器・循環器系の手術から美容整形、タイ式マッサージ、ホリスティックまで守備範囲は多彩だ。首都バンコクにあるバムルンラード病院は、世界のどの病院よりも外国からの患者を多く受け入れていると豪語(CBSニュース05年9月4日)。豪華ホテル並みの病室と8カ国語の通訳がいる国際患者センターを備え、そのHPは14カ国語で読むことができる(日本語版もあり、日本語でのメールも可)。

もう一方の雄はインド。在英インド高等弁務局のウェブ・サイトには「インドの医療施設」というページがあり、インド各地で受けられる治療を詳しく解説。掲載されているインド最大の医療コンツェルン、アポロ病院の写真は、まるで宮殿のようだ。医療ツーリズムをIT産業に次ぐ次世代の成長産業と位置づけるインドは、民間医療サービスへの助成など国を挙げて力を入れており、2012年には23億ドル産業に成長すると見込まれている(International Herald Tribune05年12月2日、CNN8月1日など)。

シンガポールも負けていない。9月に同国で開催されたIMF(国際通貨基金)の年次大会では、各国代表と同行者を対象に、最新流行の美容治療と健康診断を1割引で売り込む病院が現れた。年間20万人という海外からの患者は半数以上がインドネシアからとあって、欧米への顧客拡大を狙った作戦だったようだ(BBCニュース9月12日)。

参入しているのは他にもフィリピン、マレーシア、トルコ、ドイツ、ハンガリー、ラトビア、コスタリカ、キューバ、レバノン……もっと調べれば、まだまだ出てくるだろう。国によって得意分野があるが、美容整形から整形外科、呼吸器、循環器系の手術、臓器移植、生殖補助医療まで、ありとあらゆる治療が並んでいる。治療費は欧米の3分の1から10分の1。それでも人件費が安いから、サービスは充実。コールボタン一つでナースが飛んでくるそうだ。

病院のHPはもちろん、往復から滞在中のすべてをパックで引き受けるツアー会社、お好みの治療を探してくれるブローカー会社など、各種リンクが張られた医療ツーリズム関連サイトは、ネット上にまさに目白押し。それぞれ医療レベルの高さや治療費の安さ、豪華なアメニティ、エキゾチズムや独自色を強調し、売り込む声がにぎやかだ。アフターケアや医療過誤の際の対応に懸念の声もなくはないが、医療ツーリズムは外貨獲得の手段として既に立派に確立したビジネスのようである。

背景には先進国の医療崩壊
しかし、こうした医療ツーリズム隆盛の背景にあるのは、実は欧米先進諸国における医療の行き詰まりである。アメリカでは医療費の高騰と無保険者の増加が社会問題となって久しい。その結果、治療を拒むことが出来ないERに患者が殺到し、本来の機能が危ぶまれていたり(Washington Post 6月15日・9月28日)、中間所得層や、さらにその上の所得層でさえ医療費の支払いに問題を抱えているという調査結果が報告されている(AP8月17日)。

医療の荒廃に、ブレア政権による必死の医療改革も追いつかないイギリスでは、心臓手術すら1年以上待ち。病院では看護師不足で食事介助の手が足りず、入院中の高齢者の6割に低栄養の懸念がある(Yahoo!UK&IRELAND News 8月29日)というから、すさまじい。

治療待ち患者リストの長さに病院の処理能力が追いつかず、ついに患者の選別に踏み切ったのはニュージーランドのカンタベリー州だ。5300人の患者に待機リストからの削除を通知したそうだ(The Press8月4日)。削除された患者はどうなるのだろう。

医師不足が深刻なオーストラリアでは、陣痛が始まっているのに病院に受け入れを拒否された妊婦が、道端の車の中で死児を出産するという事態まで発生した(The Australian 6月8日)。

ここまで自国の医療が崩壊すれば、見切りをつけたお金持ちは、安くてスピーディな医療を買いに発展途上国に出かけていく。「医療のグローバリズム」と品よく呼ぶことも出来ようが、医療ツーリズムとは、金持ち国の医療が貧乏国にアウトソーシングされる構図にほかならない。

片や貧困と病気に喘ぐ自国民
 欧米のお金持ちが優雅に療養するアポロ病院から程遠い、国民の3分の1が暮らすというインドの田舎からは、こんなニュースが聞こえてくる。インドの農家も最近では国際競争に晒されるようになり、競争力をつけるには、アメリカから高価なバイオテクの種や肥料などを買わなければならない。しかし、その一方でアメリカが自国の農家に巨額の助成を続けるので、綿の価格は下落。インドの零細な農家が生き残るには高利貸から借金を重ねるしかなく、かんがい施設も災害保険も不備な中で、ひとたび娘の結婚や不作の年があれば完全なお手上げ状態だ。2003年には17000人以上の農夫が自殺し、その後も続いている(NYTimes9月19日)。

前出のInternational Herald Tribuneの記事によると、インドでは簡単に治療できる下痢で年間60万人が命を落としている。結核で死ぬ人が年間50万人。人口1万人に対する医師の数を比較すると、イギリスの18人に対して、インドは4人。もっと自国民の健康増進に力を入れろ!……と、インドのお医者さんたちは怒っている。

もっともな怒りだと思う。

児玉真美
「世界の介護と医療の情報を読む ⑤」
介護保険情報」2006年11月号 (P.80-81)


この記事を書いた当時は
まだAshley事件も「無益な治療」論や自殺幇助合法化議論も知らなかったので、
経済のグローバリゼーションで起こっているのとまったく同じことが
医療でも起こっていることに初めて気づいた衝撃が大きくて、
調べるにつれて出てくる事実の思いがけなさに
いちいち「え? えっ?」と仰天した。

その後、Ashley事件と出会い、その背景を調べるに連れて、
Ashley事件という小さな窓から見えてきたのは、さらに恐るべき光景だった。


バブリーな医療に莫大な資金が投入されている一方で、
スローな医療にかかる費用だけが計算され、あげつらわれて、
医療費高騰の犯人だと名指しされ、切り捨てられていく。

バブリーな医療の恩恵にあずかれる一部の金持ち国の富裕層の医療を支えるために
ごく基本的な医療すら奪われ、安価な臓器の刈り取り場として扱われ、
人として最低限の尊厳を奪われ踏みつけにされていく
貧しい国の貧困層。

そんな、大きな図をある程度つかまえた上で、
英国で急速に進む自殺幇助合法化議論を追いかけている今、
改めてこの記事を読み返してみたら、つくづく思った。

本当に考えなければならない「尊厳」は
金持ち国の富裕層が望みどおりの死に方ができないという意味での「尊厳のなさ」ではなく
インドの田舎で下痢で命を落としていく貧困層の死に様の「尊厳のなさ」の方ではないのか──。

「死の自己決定権」を云々するなら
まず、誰もが最低限の医療を平等に受けられる状況を保障し、
その上で万人が平等にその権利を行使できる状況を作ってからにすべきではないのか――。
2009.08.03 / Top↑