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このニュース、怖い。英国で抗肥満薬を処方されている18歳以下の子どもの数がこの7年間で、なんと15倍に
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8234484.stm

自尊心の低い人が肥満になりやすい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8248768.stm

中絶反対の活動家、ミシガン州の高校の外で中絶反対運動中に撃たれ死亡。
http://www.nytimes.com/2009/09/12/us/12slay.html?th&emc=th

経済格差と死亡率の格差の相関は、今も1900年と違わない。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8249092.stm
2009.09.12 / Top↑
Obama大統領が提案している医療制度改革案について
特に具体的なことをきちんと知っているわけではなくて、
ここしばらく毎日のようにメディアに出てくる記事を
ちらちら眺めている程度なのだけど、

大統領就任スピーチの中でObama氏が
「科学の力によって医療改革を行う」
「科学を本来いるべき場所に戻す」などと発言していたことに
就任当日から、ずっとこだわりを感じていたこともあって、
(関連エントリーの一覧はこちらに。)

最近になって、あの前アラスカ州知事のPalin氏が
Obamaケアは「死の委員会」で高齢患者を切り捨てようとしている、と
キャッチーな言葉でいっぺんにネガティブ・キャンペーンを勢いづかせてしまってから、

余計に、なんとなく、すっきりしない気分になってしまった。

じゃぁ、私自身は、この議論、どうなのよ? と考えたら、
この改革で一気にIHMEやSingerが説いているような功利主義的な医療が導入されるなら、
それはすごく怖いことだと思うし……でも、無保険者をこのまま放置していい訳もないと思うし……

訳が分からなくなってきたので、このあたりで、
ちょっと自分なりに整理してみるべく、例によって、ぐるぐるしてみる。

まず、思うのは、
ここには2つの議論の段階というのがあるのだけど、
それがごっちゃにされているのでは(もしかしたら意図的に)? ということ。

Obama改革の主眼は今回のスピーチで明確にされたように、
やっぱり無保険者が基本的な医療すら受けることが出来ない状況への対応として
国民皆保険制度を考えよう、ということなのだと思う。
これが、まず最初の第1段階。

で、それをどうやって実現するのか、という方法論が次の第2段階。

Palin氏を始め、共和党の人たちは
この第2段階の中に、高齢者切捨てだとか予算がかさむとかの問題があるから
(中絶まで公費負担だとか移民の医療費もかぶるとかの問題も)
第1段階に賛成できないと、後ろの問題を前の問題に返す形で反対しているのだけど、

じゃぁ、「無保険の人たちを助けてあげたいけど、そういうやり方では助けてあげるのは嫌だ」
「他の方法で助けてあげよう」と言っているのか……と考えた時に、

結局はそうじゃなくて、昨日のエントリーに書いたように、
彼らの価値観や姿勢そのものが
実は第1段階の目的を最初から否定してするところに立っているのだとしたら、
方法論が気に入らないというのは貧困層を助けてやるのが嫌だというホンネを
あからさまにしないためのゴマカシなのかもしれない。

もちろん、それほどコトは単純ではないかもしれないけど、
複雑な背景が分かっているわけではないから、
共和党の人たちの批判については、私に考えられるのはここまで。

ただ、私自身がこのブログをやりながら考えてきた範囲で気になるのは

第1段階の無保険の人たちを放っておくわけにいかないというのは、
まっとうな社会の考えることとして当たり前だと思うのだけど、

同時に、米国の医療制度を取り巻いている大きな絵を考えると、
すでに医療現場に相当広がっていると見える“無益な治療”論、尊厳死議論、
その背景で大活躍しているパーソン論・功利主義生命倫理の障害者切捨て理論……といった、

そういう大きな絵の中で
誰にも最低限の医療を供給する制度を作ろうと第2段階の方法論を考えようとする時に、
Obama政権が一体どこにバランスを見出そうとするのか、という点。

本当の問題は、問題を白か黒かに単純化することではなくて、
この第2の問題のところで、いかに丁寧に事実に即して考えていくかということだと思うのだけど、
私がずっと抱えている基本的な疑問は、

持続性のある医療の供給システムというのは、どこの国でも言われているように
「どうせ死が近い」高齢者と「どうせ生命の質が低い」障害者を切り捨てなければ
本当にもう無理なのだろうか、

本当に、医療制度がもたないほどコスト負担をかけているのは
高齢者と障害児・者の医療なのだろうか、ということ。

ちなみにシアトル子ども病院の2007年生命倫理カンファの講演で、
Wilfond医師は「無益な治療論」ではコストの議論が一定の比重を占めているが、
医療費全体の中では大した額ではないのだから
コストばかりを重視するのはやめよう、と主張している。

私はこのブログをやりながら、
米国のリベラルな生命倫理学は科学とテクノの御用学問だと考えるに至ったので、
そうした生命倫理の知能至上価値観に基づいた高齢者・障害者切り捨て論と
Obama大統領が「科学の力によって医療を改革する」といった言葉とが
どうしても結びついてしまう。

でも、一部のリベラルな生命倫理が説く障害者切捨て論は
「障害児・者の医療で医療制度が持たないから切り捨てましょう」と言っているわけではなく
「どうせ能力が低いのだから、生きる価値がないのだから、切り捨てましょう」と言っているのであり、
本当は主張の出発点はまるきり別問題なのに、それが都合よく医療経済学に取り込まれて
DALYだのQALYだのが、もっともらしく議論されるのも、本当は理屈がちっとも通らない。

Obama大統領の医療改革も、
結局は高齢者・障害児・者の切捨てを伴わなければ制度が維持できないという方向に向かうのだろうか。

「科学の力による医療改革」で私がまず連想するのは
予防医学の研究を進める、ということなのだけど、

予防医学の究極が不老不死なのだとすると、
「増えすぎて困るから死んでもらわないと」と切り捨てつつ
どうして高齢者を増やそうと研究に資金をつぎ込むのか
矛盾しているんじゃないかと思ってしまう。

それに、今の予防医学には、むしろ病気でないものを次々に病気にして
これまで治療の必要がなかったところに治療の必要を創出してもいて、
それが医療コストを上げる方向に向かっているという面だってある。

そうして何でも薬とテクノの簡単解決で予防・予防イケイケで
子どもたちにも高齢者にも飲ませる薬がどかどかと増えて、
または人類が未だかつて体験したことのない病気が出現したりもして、
もしかしたら予防医学をはじめとする“薬とテクノ万歳”文化が
よってたかって不健康を作り出しているのでは、と思えたりもする。

そういう報道を拾い読みしていると、
予防医学研究の推進力になっているのは、
本当はトランスヒューマニストのような純朴な科学オタクの夢想ではなくて、
たぶんマーケット拡大のビジネスチャンスに鵜の目鷹の目の人たちの方なのでは……
という気もしてくるのだけど、それは、

「科学の力による医療改革」には
医療の本来の目的とは別方向に向けて暴走型の市場原理が働く可能性が
付きまとっているということじゃないんだろうか。

そんなふうに、一方で、“科学とテクノ”研究にかかる莫大なお金と、
その1の成果を100くらいに誇大に見せかけてはビジネスに仕立て、
医療費をどんどん増大させていく人たちがいる状況があって、

しかも、その“科学とテクノ”研究の国際競争が生み出す構図は
経済のグローバリズム・ネオリベラリズムと同じ軌跡を描いて、
たぶん世界人口のほんの1%程度の“スーパー能力リッチ”な人だけが恩恵をこうむるために、
世界中のその他の人たちが能力でランク付けられ、
低位にランクする人たちは研究資材として、または医療資材として使い捨てられ、
切り捨てられていくのだとしたら、

そういう図の中で、各国の医療制度が行き詰って改革が必要だといわれ、
高齢者の終末期医療と障害児・者のコストが足を引っ張っていると
しきりに言われるのは、そうなのかな、本当に?

Obama大統領は、どこに制度持続性のバランスを見出していくのだろう?

      ―――――――――

これを書いて、日本のことを、ふっと思ったのだけど、

もしも本当に予防医学で医療費削減をするというのなら、
リハビリテーションって、ものすごく予防効果の大きい医療だと思うのだけど、どうしてやらせないんだろう?

元気高齢者にパワー・リハをせっせとやらせる介護予防だ、予防医学だと大騒ぎして
日本中の病院や施設に高価な高齢者向けの筋トレ機器を導入させる反面、

いったん病気になったり障害を負った高齢者のリハビリテーションはやらせない、というのは
予防効果のコスト効率の問題なのか、それとも市場原理のコスト効率の問題なのか……。
2009.09.12 / Top↑