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WA州から3月に施行された尊厳死法で死者11人との報告があったことを受け、これほど利用者が少ないことは尊厳死法が危なげなく機能する証左だから、カリフォルニア州でも考えなければならない、とMercury Newsという新聞の社説。:滑り出しの数字としては、私はハイペースだと思ったんだけど。
http://www.mercurynews.com/opinion/ci_13301058

「癌の治療に使われる薬」としか書いてないのだけど、それって「抗がん剤」のこととは限らない……か? なにしろ「癌の治療に使われる薬」がアルツハイマー病の記憶力低下を改善するんだと。:な~んか、コワイな、このニュース。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/163222.php

英国でヒト受精・胚法(たぶん改正法)の施行を前に、法改正を先取りする形で、将来の妊娠のためにもっと長く保存したいとして裁判を起こしていた夫婦に、期限切れの凍結胚を破棄しなくてもよい、と。:去年、ヒト受精・胚法の改正議論については、よく分からないままに何度も追いかけたなぁ。いろんな問題がぶっこまれた法案だった。そして、「障害児はnon-person」という発言が飛び出したのも、あの議論の中だった。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6828310.ece?&EMC-Bltn=GEKDDB

アップル社のCEO、Jobs氏が肝臓移植後、初めて公の場所に。痩せているけど元気で,
移植手術について、また仕事復帰にかける意欲を語った。:今日の英語ニュースでは、Obama演説よりも多いくらい。この人、これから臓器移植の広告塔になるんだろうな。
http://www.nytimes.com/2009/09/10/technology/companies/10apple.html?_r=1&th&emc=th

ネット上の新聞のコンテンツ有料化にお役立ちのツールをGoogleが作ったらしい。もちろん新聞社にとってお役立ち。:こちらとしては、非常に困る。
http://bits.blogs.nytimes.com/2009/09/09/google-plans-tools-to-help-news-media-charge-for-content/

町山智裕氏の本で読んだのだと思うのだけど、確かブッシュの息のかかった会社にデジタル投票の機械が発注されて、工作が行われたとか、なんとか。その会社がデジタル・投票の機械部門を他所の会社に売ったとか。それでデジタル投票の信頼性の問題について。こんな疑惑が言われながら、事実が究明されていないというのも、よく分からない。
http://www.nytimes.com/2009/09/10/opinion/10thu2.html?th&emc=th
2009.09.10 / Top↑
現場で終末期医療を担う医師らが連名で
Telegraph紙に告発の手紙を送ってきた……というのだから、
それほど目に余る事態が進行しているのでしょう。

Sentenced to death on the NHS
The Daily Telegraph, September 2, 2009


英国では
死にゆく患者の最後の時間をなるべく苦しみが少ないようにとの理念で
エビデンスに基づいて看取りの前後のケアのスタンダードな手順を定めた
クリティカル・パスthe Liverpool Care Pathway(LCP)が2003年に作られて
2004年にNICEによって推奨モデルとなった。

日本でも2005年には翻訳作業が進んでいたようなので、もうできているかもしれません。
LCPの概要と、Mari Curie緩和ケア研究所によるLCPの国際パック原文がこちらに

このLCP、現在、英国では
少なくとも300の病院、130のホスピス、560のケアホームが採用している。

本来なら、
患者の状態がいよいよ最後の看取り段階に入ったことをチームで重々確認したうえで、
通常の医療からLCPに移行することが前提になっているパスなのだが、

これがNHSでは機械的に運用され、
まだ回復の余地のある患者までがさっさとLCPを適用されて
栄養と水分、治療薬を引き上げ、鎮静させられたまま死なされている、というのが
医師らの告発の内容。

さっさと水分を引き上げたのでは高齢患者は脱水から混乱状態となり、
今度はその混乱状態に対応するための鎮静が行われてしまう。

こんなふうに機械的に沈静させてしまったのでは、
患者に回復の兆しがあったとしても把握できない。

患者に尊厳のある死を、という理念で作られたLCPが
手がかからないように患者を眠らせたまま、さっさと死なせるための自動的な手続きと化している。

機械的な手続きと化すことで現場の医療職が考えることをしなくなり、
医師らは注意深く患者の症状の変化を見守ることをやめてしまった……と。

           ――――――

そういえば、かつて「病院で死ぬということ」を書いて
日本にホスピスが一気に広がるきっかけを作った山崎章夫氏が、

ホスピスが広がるにつれて
建物とか部屋とか形とか手順とか形式的なことばかりに意識が集中するようになり、
一定の基準を満たしていたら、それがホスピスであるかのように錯覚されて、
一番肝心の緩和ケアの理念が置き去りにされるようになった、と嘆いて、
ホスピスの現場から地域医療への軸足を移すことにした、
これからは地域医療の中で緩和ケアの理念を実現していく、と
どこかで書いておられたのを読んだ記憶がある。

たぶん、自殺幇助の合法化で米国のEzekiel Emanuel医師がいう
「医師らの抵抗感が薄れて、いずれ例外がルールになる」というのは
こういうことでもあるのでしょう。


日本でも臓器移植法改定が決まった現在、小松美彦氏が書いておられたように
次なる議論は当然のことのように終末期医療の法制化に向かうのでしょう。

臓器移植法改正議論の際に、
英米を中心とする「国際水準の移植医療」で本当は何が起こっているかなど
森岡正博氏の朝日新聞の記事以外、何一つまともに報告されないまま
ただ「国際水準の移植医療」に追いつく必要だけが言われ、
世論がA案に向かって誘導されたことを考えると、

これから日本で本格化するに違いない終末期医療の自己選択の議論の前に、

「無益な治療」概念の広がり、自殺幇助議論、
小児科学会の栄養と水分の停止容認など
英米の医療で起こっている高齢者・障害児・者の切捨て、

ゲイツ財団やWHO、IHMEがグローバル・ヘルスに着々と広げていく
「価値を割り引かれる命」「コスト効率がすべて」という
功利主義・パーソン論基盤の医療基準の現実など、

「国際水準の医療」で本当は何が起こっているかを、しっかりと見すえておきたい。

「日本は遅れている。国際水準に早く追いつかなければ」という
時代錯誤の空疎なマヤカシに踊らされないように──。
2009.09.10 / Top↑
前のエントリー
「認知症の人の痛み」という医療でも介護でも見過ごされている問題に
正面から取り組むプロジェクトを紹介したので、

ついでに、今度は「コミュニケーションの廃用性」という、
これもまた、知的障害や認知障害のある人について見過ごされがちな問題について。

「介護保険情報」誌がこのところシリーズでリハビリテーションの対談をやっていて、
8月号では全国老人保健施設協会会長の川合秀治氏と
日本言語聴覚士協会会長の深浦順一氏が対談している。

「コミュニケーションの廃用性」というのは
そこで深浦氏の発言に出てきた言葉で、

コミュニケーションに障害がある方の場合、引きこもり状態になると、
コミュニケーション面での廃用性が生じるようになります。
コミュニケーションをする楽しさ。それから食べる、味わうという楽しみ。
それらがやはりいつまでも保持されるということが大変重要だと思います。
(p.25)

コミュニケーションの廃用性──。

それは物理的な引きこもりだけでなく、
精神的な引きこもりでも起こると思う。

抵抗するすべがない身となり、
尊厳のない扱いをされたり機械的な介護を受け続けたような時に、
表情を失い、しゃべらなくなる高齢者や重症障害者は少なくない。

それが認知機能や身体機能の衰えだと誤って判断されているようにも思うのだけど、
実は自分の尊厳をせめて守ろうとする精神的な閉じこもりであったり、
または人として扱われ、人として他者とかかわることに対する諦めであったり、
……ということだってあるはずだ。

それは外から来る刺激に対して心を閉ざし、
自分の中に引きこもってしまうことなのだから、
ここでも、いわば、心の動きに廃用が起こってきてもおかしくはないという気がする。

「廃用性」ということとは、ちょっと違うのだけれど、
言葉を持たない重症重複障害児を見ていても、
コミュニケーションを諦めてしまっている子どもは少なくない。

早いうちから微妙で繊細な信号を周囲にしっかり受け止めてもらえる子どもは
受け止めてもらえることに自信を得て、「分かってもらえる」と周囲への信頼を育て、
どんどん自分から声を出したり、目や顔の表情や手や足で意思を発信していくし、
周囲とのやり取りの中で徐々にその方法にも工夫がされ、
その子なりの意思表示の方法ができていくのだけど、

逆に、
弱いながら自分なりに信号を発しているのに受け止めてもらえない体験を重ねると、
その子はだんだんと思いを表現したり、意思を訴えることをしなくなる。
表情が乏しくなり、一方的にされるがままに甘んじて
周囲は、それによって、本当に何も分かっていない子どもだとの誤解を深くするという
とても不幸な状況だ。

身体障害のない、あるいは軽い子どもであれば、
言葉がなくても自分で行動して思いを実現させようとすることもできるのだけど、
寝たきりの重症児では、誰かがまず近くに来てくれて、
自分とちゃんと向き合ってくれなければ何も始まらない。

せっかく側に来てくれても、
ちゃっちゃっと無言でオムツを替えて去っていかれたのでは
誰もこなかったのと同じこと。

彼らは、それほど、はなはだしく受身で“あなた次第”の状況に置かれている。

様々な職員のケアを受ける入所施設の重症児・者たちを見ていると、
彼らが職員一人ひとりの姿勢を実に見事に見抜き、
相手によって的確に対応を変えることに
私はいつも舌を巻いてしまう。

「この人は自分のことを“どうせ何もわからない”と思っているから、
この人には言っても伝わらない」と読むと、
彼らは何も求めず、何も訴えず、ただされるがままになって、
本当に“何も分からない重症児・者”という役どころに甘んじるのだけど、

「この人なら、言えば分かろうとしてくれる」と思えるスタッフがやってきた時には、
にわかに顔や目に生き生きとした表情を浮かべて、
そのスタッフに向かって、大いに声を出し、手を振って訴え始める。

面白いのは、後者のスタッフは前者のスタッフが見えていないことに気づいているけど、
前者のスタッフは、自分が見えていないことにも、
自分が見えていないことを見ている人がいることにも気づいていないこと。

「どうせこの子は何も分からない」と決め付けているために、
呼んでいる声にも、周囲の会話に応じている目の動きにも気がつかない人は
親の中にだっていないわけではない。


アルベルタ大学のBrown準教授のワークショップ
認知症の人の痛みのわかりにくさについて指摘されていることは
障害のために言葉を持たない人のコミュニケーション能力についても
実はそのまま当てはまる。

重症児を対象にホルモン大量投与による成長抑制療法を
一般化しようと目論んでいるDiekema医師やFost医師らは、
対象児の条件の中にコミュニケーションが取れないことを含めているし、

シャイボ事件の判断においても、パーソン論においても
言葉を持たないことが、あまりにも安易に
意識がないことのエビデンスに使われてしまっているけど、

言葉がないから、どうせ分からないから、
人格ではないとか、殺してもいいとか議論する前に、
障害ために言葉を持たない人のコミュニケーション能力や意識状態について、
その廃用性の懸念も含めて、もっとしっかりと調査・研究されるべきではないんでしょうか。

ここでもまた、
行われることのない研究は、それが“ない”という事実が見えにくいために、
それが、“何故ないのか”まで覆い隠されてしまっているけれども──。




【関連エントリー・A事件でのコミュニケーションの問題】
Ashleyの眼差し
Ashleyのカメラ目線
Anne McDonaldさんの記事
Singerへの、ある母親の反論
2009.09.10 / Top↑