英国の自殺幇助に関する法律の明確化で、来週出される公訴局長のガイドラインは、「身内の自殺を助けた家族が、その人の自殺によって利益を見込んでいたと警察によって証明されない限り罪に問われることはない」という線になるらしい、と Telegraph。
http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/politics/lawandorder/6207151/DPP-to-set-out-assisted-suicide-law.html
http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/politics/lawandorder/6207151/DPP-to-set-out-assisted-suicide-law.html
2007年から米国29の州のメディケイドで低所得の高齢者と障害者がナーシングホームを出て、地域でサービスを受けて暮らせるように支援するプログラムを始めている。:そういえば大統領選の時、Obama氏はCommunity Choice Actを支持するとか言っていたけど。
http://www.nytimes.com/2009/09/19/health/policy/19aging.html?_r=1&th&emc=th
http://www.nytimes.com/2009/09/19/health/policy/19aging.html?_r=1&th&emc=th
このたびの不況で、いったんは子育てのために家庭に入った高学歴の女性が仕事に戻っている、という米国のニュース。:米国では女性がみんな働いている……みたいに日本では思われているけど、案外そうでもないのか、それとも、ここでもベースラインが全然違うよ、という話なのか。ネットで受ける印象では、重症障害児の母親は専業主婦が多い反面、その他の障害だと、複数の子どもがいても働いている母親が多いような気がする。障害のある子どもがいても両親とも働いていて、さらに養子も育てているという家庭もあるし、障害のある子どもを複数養子に引き取っている家庭も結構ある。
http://www.nytimes.com/2009/09/19/business/19women.html?th&emc=th
http://www.nytimes.com/2009/09/19/business/19women.html?th&emc=th
2009.09.19 / Top↑
これまた、人に教えてもらった情報で、
朝日新聞に沢木耕太郎氏の「私の中のあなた」レビューが掲載されていたそうだ。
朝日新聞に沢木耕太郎氏の「私の中のあなた」レビューが掲載されていたそうだ。
以下のサイトにアップされている。
“こういう路線”とは、つまり
原作となった小説が投げかけている問題が
病気の子どもを救うために人為的に臓器ドナーとして子どもを作ることの倫理性と
臓器提供における子どもの人権であるにもかかわらず、
原作となった小説が投げかけている問題が
病気の子どもを救うために人為的に臓器ドナーとして子どもを作ることの倫理性と
臓器提供における子どもの人権であるにもかかわらず、
そこからは敢えて目を逸らして、
「ここまでして病気の子どもを救おうとする自己犠牲と美しい愛の物語」にと
情緒的に問題を摩り替えていく……という路線。
「ここまでして病気の子どもを救おうとする自己犠牲と美しい愛の物語」にと
情緒的に問題を摩り替えていく……という路線。
このレビューも、
障害のある子どもの母親の多くが、おそらくは、げっぷが出るほど食傷している
おなじみの“あのトーン”で貫かれている。
障害のある子どもの母親の多くが、おそらくは、げっぷが出るほど食傷している
おなじみの“あのトーン”で貫かれている。
献身的・自己犠牲的な親の(特に母親の)美しい愛──。
沢木氏にとっては、
我が子が海で溺れていたり火事の家に取り残されれば、
自分の命を顧みずに飛び込んでいくのが親というものなのだそうな。
我が子が海で溺れていたり火事の家に取り残されれば、
自分の命を顧みずに飛び込んでいくのが親というものなのだそうな。
親から虐待されたり、殺されたりしている子どもたちのニュースが
沢木氏のところには届いていないのだろうか。
沢木氏のところには届いていないのだろうか。
この沢木氏のトーンのように
「愛情さえあれば、どんな献身も自己犠牲も苦にならないはずだ」という“母性幻想”こそが
子育てや障害児の介護に追い詰められる親から悲鳴を封じ、助けを求める声を奪っていると
私はこのブログでことあるごとに訴えてきており、
「愛情さえあれば、どんな献身も自己犠牲も苦にならないはずだ」という“母性幻想”こそが
子育てや障害児の介護に追い詰められる親から悲鳴を封じ、助けを求める声を奪っていると
私はこのブログでことあるごとに訴えてきており、
私は自分が障害のある子どもの親となってから、
こうした「病気や障害のある子どもに献身する美しい家族の物語」においては
その子どもが必ず「天使」に喩えられることに辟易しているのだけど、
こうした「病気や障害のある子どもに献身する美しい家族の物語」においては
その子どもが必ず「天使」に喩えられることに辟易しているのだけど、
沢木氏もやはり、主人公アナの姉ケイトについて「天使のような微笑の美しさ」を語る。
沢木氏にとって、
何の罪もなく病気を背負ってしまった「天使のような」我が子のために
子への愛情から腎臓を提供するのは、親ならば、
「そこには選択という問題は起こりえない」ほど当然のことなのだ。
何の罪もなく病気を背負ってしまった「天使のような」我が子のために
子への愛情から腎臓を提供するのは、親ならば、
「そこには選択という問題は起こりえない」ほど当然のことなのだ。
母親のサラは自分にはそれができないから
「どんなことをしてでも助けよう」と「人工授精まで」したのであり、
彼は“救済者兄弟”を、親の愛を実現するための究極の手段として、
もしかしたら親の臓器提供の意思を別の形で実現する代理提供のようなものとして
捉えているように感じられる。
「どんなことをしてでも助けよう」と「人工授精まで」したのであり、
彼は“救済者兄弟”を、親の愛を実現するための究極の手段として、
もしかしたら親の臓器提供の意思を別の形で実現する代理提供のようなものとして
捉えているように感じられる。
親はそれでともかく、それが兄弟姉妹であればどうなのだろう、と
一応、答えを出さない形の問いかけで終わってはいるけれど、
一応、答えを出さない形の問いかけで終わってはいるけれど、
しかし、
親から子への臓器提供を「選択という問題は起こり得ない」ほど当然視する点で、すでにして
臓器提供については本人の自由意志によるものとの原理原則について
沢木氏の認識は間違っている。
親から子への臓器提供を「選択という問題は起こり得ない」ほど当然視する点で、すでにして
臓器提供については本人の自由意志によるものとの原理原則について
沢木氏の認識は間違っている。
この原理原則は、特に生体間の場合、たとえ親子の間であっても夫婦の間であっても、
どんな間柄であっても、厳しく守られなければならないものだ。
どんな間柄であっても、厳しく守られなければならないものだ。
移植によって助かる可能性のある人の身内に、どんな形であれ、
「臓器を提供するのが当然だ、選択という問題じゃない」などという
プレッシャーがかけられるようなことは絶対にあってはならない。
「臓器を提供するのが当然だ、選択という問題じゃない」などという
プレッシャーがかけられるようなことは絶対にあってはならない。
当人が「嫌だ」という権利が、何よりも優先して守られなければならない。
それが、この小説の主張するところの1つでもある。
それが、この小説の主張するところの1つでもある。
しかし、親による提供を当たり前視するのと同様の甘さで(あるいは居丈高さで)、
沢木氏はアナの葛藤について書く際に
「手術を拒むことは姉を殺すことになるかもしれないが」という表現を
無造作に使ってしまう。
「手術を拒むことは姉を殺すことになるかもしれないが」という表現を
無造作に使ってしまう。
「アナの腎臓提供によってケイトの命が救われる可能性がある」ということは
「だからアナが腎臓を提供しないことは、アナが姉を殺すことだ」ということではない。
「だからアナが腎臓を提供しないことは、アナが姉を殺すことだ」ということではない。
その区別をつけることなく書かれた「姉を殺すことになるかもしれないが」との一文から、私は
どこかで聞いた「罪もないこの子たちに死ねというのか」という恫喝の匂いを感じる。
どこかで聞いた「罪もないこの子たちに死ねというのか」という恫喝の匂いを感じる。
「では、誰かの命を救うために、同じように罪もないこの子たちに死ねというのか」という声は
ほとんど聞かれなかったように、
ほとんど聞かれなかったように、
沢木氏もケイトの「苛立ちや怒りや涙」を書きながら、
原作には丁寧にリアルに書き込まれている、アナの肉体に加えられた13年分の痛みや
一家の中での存在感の薄さや、愛されていないと感じる苦しみや自己不全感や
苛立ちや怒りや涙には一切触れることなく、
「さまざまな治療のドナーをつとめてきた」とだけ書く。
原作には丁寧にリアルに書き込まれている、アナの肉体に加えられた13年分の痛みや
一家の中での存在感の薄さや、愛されていないと感じる苦しみや自己不全感や
苛立ちや怒りや涙には一切触れることなく、
「さまざまな治療のドナーをつとめてきた」とだけ書く。
「つとめてきた」と表現される時、
それは既に「果たすべき務め」であり「義務」として
姉の臓器庫としてのアナの役割と存在は、そう書く人によって肯定され是認されている。
それは既に「果たすべき務め」であり「義務」として
姉の臓器庫としてのアナの役割と存在は、そう書く人によって肯定され是認されている。
親ならば提供するのが当たり前だけど、兄弟姉妹ならどうなのだろうという問いかけの答えは
文章のあちこちに巧妙に(あるいは無意識に?)忍び込まされている。
文章のあちこちに巧妙に(あるいは無意識に?)忍び込まされている。
なによりも、このレビューを読んで私が一番びっくりするのは
「病気の子どもを助けるために遺伝子診断でドナーとなる子どもを作る」という行為に
沢木氏がまったく衝撃を受けていないことだ。
「病気の子どもを助けるために遺伝子診断でドナーとなる子どもを作る」という行為に
沢木氏がまったく衝撃を受けていないことだ。
それは、当ブログで先日から推測しているように、
多くの日本人にとってあまりにも現実味を欠いた荒唐無稽な話のように思えて、
いくつかの国では既に合法化され、れっきとした現実なのだということが思いもよらず、
映画の中の単なる“空想”として捉えているからだろうか。
多くの日本人にとってあまりにも現実味を欠いた荒唐無稽な話のように思えて、
いくつかの国では既に合法化され、れっきとした現実なのだということが思いもよらず、
映画の中の単なる“空想”として捉えているからだろうか。
それが現実の話ではないという前提に立っているから
そのように生殖補助医療によって臓器目的の子どもを作ることの倫理性については
考える必要を感じないのだろうか。
そのように生殖補助医療によって臓器目的の子どもを作ることの倫理性については
考える必要を感じないのだろうか。
それなら、もしも氏が、これは紛れもない欧米の現実だと知れば、
このレビューは全く違う視点から書き直されるのだろうか。
このレビューは全く違う視点から書き直されるのだろうか。
しかも、非常に気になることとして、沢木氏は冒頭で
終わり方が全く違って、映画の終わり方の方が優れているから
映画を見る前に先に原作を読まないほうがいい、と薦めている
終わり方が全く違って、映画の終わり方の方が優れているから
映画を見る前に先に原作を読まないほうがいい、と薦めている
沢木氏が単なる「アクロバティックな終わり方」と「静謐で落ち着いたもの」と
テクニカルな、または情緒的な印象レベルでの違いと捉えているものは、
本当に、それだけの違いなのだろうか。
テクニカルな、または情緒的な印象レベルでの違いと捉えているものは、
本当に、それだけの違いなのだろうか。
それは私たちには、映画が封切りされてみなければ、わからない。
私は一人でも多くの人に
まず、欧米ではこれはれっきとした現実なのだということを知り、
その上で、先に原作小説を読んでから、映画館に行って欲しいと思う。
まず、欧米ではこれはれっきとした現実なのだということを知り、
その上で、先に原作小説を読んでから、映画館に行って欲しいと思う。
(欧米での”救済者兄弟”の実態については、
当ブログが把握している範囲の詳細エントリーを文末にリンクしました)
当ブログが把握している範囲の詳細エントリーを文末にリンクしました)
【映画関連エントリー】
ピコー「私の中のあなた」、キャメロン・ディアス主演で映画化(2009/6/22)
映画「私の中のあなた」は“空想”でも“未来の話”でもなく、既に現実(2009/9/15)
臓器移植ネットワークが映画「私の中のあなた」とタイアップすることの怪(2009/9/16)
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映画「私の中のあなた」は“空想”でも“未来の話”でもなく、既に現実(2009/9/15)
臓器移植ネットワークが映画「私の中のあなた」とタイアップすることの怪(2009/9/16)
2009.09.19 / Top↑
アフリカの貧困地区が先進国の有害ゴミの捨て場所になった3年前の事件について
これまで、以下の2つのエントリーで触れてきましたが、
これまで、以下の2つのエントリーで触れてきましたが、
この事件で、まだ続いている損害賠償集団訴訟があって、
その原告の数、なんと英国の裁判史上最多の3万人以上。
その原告の数、なんと英国の裁判史上最多の3万人以上。
有害廃棄物を送り出した英国拠点のTrafigureは
現地で廃棄作業を請け負ったTommyの責任だとして
15人の死者を出したこの事件のライアビリティをいまだに認めていませんが
ここへ来て原告それぞれに1000ポンド以上の和解金を提案。
被害者たちもやっと医療費を支払うことが出来そうだ、とのニュース。
現地で廃棄作業を請け負ったTommyの責任だとして
15人の死者を出したこの事件のライアビリティをいまだに認めていませんが
ここへ来て原告それぞれに1000ポンド以上の和解金を提案。
被害者たちもやっと医療費を支払うことが出来そうだ、とのニュース。
しかし、一方で、
一時的な症状の人だけが和解の対象となって
被害の大きな慢性の障害を負った人への賠償が無視されるのでは、との懸念も。
一時的な症状の人だけが和解の対象となって
被害の大きな慢性の障害を負った人への賠償が無視されるのでは、との懸念も。
さらに、国連の人権関連機関から今週
15人の死を直接的に廃棄と結びつける報告書が出されたり、
15人の死を直接的に廃棄と結びつける報告書が出されたり、
同じく今週リークされた同社の内部メールで
社員は廃棄物の毒性を認識していたことも明らかになっている。
社員は廃棄物の毒性を認識していたことも明らかになっている。
Trafiguraと繋がりのある下院の保守党幹部は同社との繋がりを絶つ、と。
数日前にも、似たような重大なニュースがあったばかりで、
こちらは核廃棄物が違法に海に捨てられている、という怖い話。
こちらは核廃棄物が違法に海に捨てられている、という怖い話。
カリブのマフィアが、イタリア沖で核廃棄物を積載した船を海に沈めた、と内通者があり、
警察が捜査中。
警察が捜査中。
どうも、船に乗せては爆破して海に沈めるのが
マフィアによる違法な廃棄手段となっているらしい。
マフィアによる違法な廃棄手段となっているらしい。
いったい、どこの国の──?
それに、海の安全は、食の安全は──?
2009.09.19 / Top↑
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