米国が自国で購入分の新型インフルのワクチンの1割を低所得国用にWHOに寄付する、と。その他に、オーストラリア、ブラジル、英国、フランス、NZ、スイスも寄付するそうだ。:日本は?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/17/AR2009091704297.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/17/AR2009091704297.html
オーストラリアの人口増加率が以前の予測を上回って、大変なことになりそうだ、と。:じゃぁ、少子高齢化・人口減の日本にちょっと来てもらって……というわけのものでもないし。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/booming-population-to-hit-35-million-in-40-years/1627027.aspx?src=enews
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/booming-population-to-hit-35-million-in-40-years/1627027.aspx?src=enews
それなのに世界中で難民が増えて、オーストラリアにもやってきている。21世紀の大問題だ。そんなのなんとかなるみたいなフリするな、と移民大臣。:そういえば、ダウン症の子どもがいて社会的なコストがかかるとの理由でドイツ人医師の在住許可の更新を蹴って、世論の反発(ただし障害を理由にしたことではなく、地域に貢献した医師なのに、ということで)を受け、大臣がその決定を撤回させられたのは、この国だった。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/political/aust-faces-tide-of-refugees-for-years/1627024.aspx?src=enews
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/political/aust-faces-tide-of-refugees-for-years/1627024.aspx?src=enews
小児の鉛の血中濃度が高いと、知的・情緒的発達に問題が生じる、という英国の研究。:結論はとっくに出ているようで、でも、まだまだ研究と論争は続く。「科学的エビデンス」とかけて「最善の利益」と解く。そのココロは、どっちの方向にも、出そうと思えば、ひねくりだせる……? あ、そのための資金さえあれば。……てことは、この研究資金も、あの療法の辺りから出ているということか。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8259639.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8259639.stm
2009.09.18 / Top↑
今日、人から教えてもらった情報。
フランスでも2004年の生命倫理法改正で着床前診断の適応が拡張されて、
いわゆる”救済者兄弟”目的での着床前診断技術の使用が合法となっている。
いわゆる”救済者兄弟”目的での着床前診断技術の使用が合法となっている。
「薬としての赤ちゃん」の倫理問題
― フランス生命倫理における人間の尊厳と人体の利用-
小出泰士
― フランス生命倫理における人間の尊厳と人体の利用-
小出泰士
検索してみたら、
2002年段階の国家倫理諮問委員会CCNEの
検討報告らしき文書の仮訳(日本語です)がひっかかってきた。
2002年段階の国家倫理諮問委員会CCNEの
検討報告らしき文書の仮訳(日本語です)がひっかかってきた。
この文書の位置づけとかタイトル、
前後の状況がイマイチ分からないものの、
ファンコニ病の2症例がここでは問題になっているようなので、
前後の状況がイマイチ分からないものの、
ファンコニ病の2症例がここでは問題になっているようなので、
フランスでは、まずファンコニ病の子どもを持つ親からの要望があって、
それら具体的な症例の検討から、法改正議論に発展したということなのかもしれません。
それら具体的な症例の検討から、法改正議論に発展したということなのかもしれません。
それにしても、このCCNEの結論は、非常に微妙というかタテマエ論というか、
それがCCNEの悩ましさを物語っているのかもしれないけど、
だいたい以下のようなことを、何度も繰り返し、ぐるぐるぐるぐる語っている。
だいたい以下のようなことを、何度も繰り返し、ぐるぐるぐるぐる語っている。
子供を産みたいという当然の願望と子供を物として扱う権利とを同列に考えることはできない。研究や医療行為を目的として胚を作製することが容認されないのと同様に、生まれてくる子供の立場からすれば正当視できない目的で妊娠に踏み切ることも許されるものではない。いわゆる「治療のために利用される子供」(remedial children)というのは、これまでにもいたに違いない。しかし今回のケースでは、そこに医療従事者が決定的な役割を果たしている。あまつさえ、生まれてくる子供自身のためではなくドナーのために胚を選択し子供をつくるというのは、CCNEが常々尊重している倫理観に照らしても、とうてい考えられるものではない。しかし、新たに子供を産みたいという願望が前提にあり、そのうえで今生きている子供の遺伝性疾患を治すことにも一抹の希望を寄せながら、その新生児の胚を選択するということであれば、それは第一義的な目的ではないにしても容認できる。
「まず、子どもが欲しいんですよね。ドナーが欲しいから作るんじゃなくて」
「はい。もちろんです。まず、子どもです。子どもが欲しいから生むんだけど、
どうせ生むんだったら、ついでにドナーになる子どもがいいな……と。
あ、あくまで、ついで、ですよ、ついで」
どうせ生むんだったら、ついでにドナーになる子どもがいいな……と。
あ、あくまで、ついで、ですよ、ついで」
これって、まるで子どもの障害を理由に車の税金免除の手続きを受ける時の、
「子どもさんの送迎以外には、この車は使っていませんね。
例えば、通勤とか買い物には使っていませんね」
例えば、通勤とか買い物には使っていませんね」
「はい。もちろんです。子どもの送迎以外には乗らない車です」
「では、税金の免除を認めます」
あれと同じ……ような気がするんだけどなぁ。
(税務署の方へ:我が家では娘の送迎以外には車は使っておりません)
(税務署の方へ:我が家では娘の送迎以外には車は使っておりません)
で、要約を教えてもらった冒頭の論文の趣旨はというと、
病気の患者を救うことは社会の義務であるとする「連帯の原則」の一方に
病気の患者を救うために身体の一部を提供するのは
あくまで本人の自発的意思によるものとする「自律の原則」を置いて考えたら
まだ意思どころか存在すらない第二子に第一子の治療手段であることを求めるのは
連帯性の行き過ぎではないか、
病気の患者を救うために身体の一部を提供するのは
あくまで本人の自発的意思によるものとする「自律の原則」を置いて考えたら
まだ意思どころか存在すらない第二子に第一子の治療手段であることを求めるのは
連帯性の行き過ぎではないか、
第二子の尊厳と統合性、傷つきやすさへの配慮を優先させるべきではないか。
CCNEの文書にも、連帯という言葉はあるので、
フランスの生命倫理の議論には、この「連帯」が原則の1つなのかもしれません。
フランスの生命倫理の議論には、この「連帯」が原則の1つなのかもしれません。
私は英語ニュースで英語圏の生命倫理の議論ばかりに触れているからか、
着床前遺伝子診断技術が主として
障害を持って生まれてくる子どもを助けるという「連帯」の拒絶に使われていることを
まず、考えてしまう。
障害を持って生まれてくる子どもを助けるという「連帯」の拒絶に使われていることを
まず、考えてしまう。
フランスでは違うのかもしれないけど、
もしも英語圏の生命倫理で病気の子どもを助ける社会の義務だとか連帯とかを持ち出されたら、
ダブルスタンダードも、たいがいにせ~よ……とムカつくだろうな。
もしも英語圏の生命倫理で病気の子どもを助ける社会の義務だとか連帯とかを持ち出されたら、
ダブルスタンダードも、たいがいにせ~よ……とムカつくだろうな。
これで、当ブログが把握している”救済者兄弟”を合法化した国は英国、スウェーデン、フランス。
スペインでも生まれているけど、その法的な位置づけは、このブログでは掴めていない。
米国では無規制とのこと。
スペインでも生まれているけど、その法的な位置づけは、このブログでは掴めていない。
米国では無規制とのこと。
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この、米国の無規制ということについて、ちょっと触れておきたいのですが、
現在Obama大統領の医療制度改革案をめぐって共和党からものすごい抵抗が出ていることの背景にあるのも、
医療はあくまでも個人の選択の問題だという米国人に根強い感覚のようで、
現在Obama大統領の医療制度改革案をめぐって共和党からものすごい抵抗が出ていることの背景にあるのも、
医療はあくまでも個人の選択の問題だという米国人に根強い感覚のようで、
モンタナ州の最高裁で進行していて、もうすぐ判決が出る裁判で焦点になっているのも
医師による自殺幇助を受ける患者の権利は州憲法で保障されたプライバシー権であるか否か、の判断。
医師による自殺幇助を受ける患者の権利は州憲法で保障されたプライバシー権であるか否か、の判断。
Ashley事件でも、擁護派から根強かったのが
子どもの医療に関する決定権は親のプライバシー権である、との主張でした。
子どもの医療に関する決定権は親のプライバシー権である、との主張でした。
だから、例えば、”テクノによる簡単解決”で胃のバンディング手術を受けさせられる肥満の子どもが
米国では急増していたりもする、
米国では急増していたりもする、
また、米国では個々の医療に関する法的な判断は州にゆだねられており、
国家レベルの法規制の網1つで、ばさっと……という文化ではない、という背景も。
国家レベルの法規制の網1つで、ばさっと……という文化ではない、という背景も。
しかし、そういうことと
連邦法レベルで保障されているはずの、守られるべきものとしての人間の尊厳とか自由とか、
障害者の権利とかいったものとの整合性がどういうふうにつけられているのか、私にはずっと疑問で……。
連邦法レベルで保障されているはずの、守られるべきものとしての人間の尊厳とか自由とか、
障害者の権利とかいったものとの整合性がどういうふうにつけられているのか、私にはずっと疑問で……。
2009.09.18 / Top↑
2007年の10月、
Fiona Pilkingtonさん(38)は障害のある18歳の娘と車に乗り込み、
10リットルのガソリンをまいて火をつけた。
Fiona Pilkingtonさん(38)は障害のある18歳の娘と車に乗り込み、
10リットルのガソリンをまいて火をつけた。
DNA診断でなければ身元確認が出来ないほどの
焼け方だったという。
焼け方だったという。
この心中事件の背景が今になって明らかになった。
Fionaさんはシングルマザーで、
障害名の診断は付いていないものの排泄介護が必要なほどの知的遅れのある娘Franceccaさんと
重度の失読症のある息子の3人暮らしだった。
障害名の診断は付いていないものの排泄介護が必要なほどの知的遅れのある娘Franceccaさんと
重度の失読症のある息子の3人暮らしだった。
Franceccaさんの介護で働いていなかった。
そんな一家が、町の子どもたちのギャングの標的になった。
その一帯を跋扈する16人ほどの“ストリート・キッズ”の中には
10歳程度の少年少女も含まれているという。
その一帯を跋扈する16人ほどの“ストリート・キッズ”の中には
10歳程度の少年少女も含まれているという。
(ストリート・キッズというのは、家出をして仲間でたむろしていたりする子どもたちのこと?
それとも、ここ数年、社会問題になっている街で粗暴なギャング化した若者グループのこと?
この親子が住んでいたのはvillageとなっているので、どちらかというと田舎のようなのですが。)
それとも、ここ数年、社会問題になっている街で粗暴なギャング化した若者グループのこと?
この親子が住んでいたのはvillageとなっているので、どちらかというと田舎のようなのですが。)
少なくとも6軒がターゲットになっていたが
母親と障害のある子ども2人の一家を
彼らはほとんど軟禁状態にして嫌がらせを尽くした。
母親と障害のある子ども2人の一家を
彼らはほとんど軟禁状態にして嫌がらせを尽くした。
息子は学校でナイフで脅されて小屋に閉じ込められたり、
殺してやると脅されていた。
殺してやると脅されていた。
その期間、なんと、10年間。
7年間の間に20回以上もFionaさんは警察に電話をかけ
殺してやると脅迫されていると助けを求めたが、
警察はそのたびに「カーテンを引いて、無視しなさい」と相手にしなかった。
殺してやると脅迫されていると助けを求めたが、
警察はそのたびに「カーテンを引いて、無視しなさい」と相手にしなかった。
一家がギャングに監禁状態にされていると、
近所の住民が緊急通報したこともあったが、動かなかった。
近所の住民が緊急通報したこともあったが、動かなかった。
Fionaさんは地方自治体にも相談していた。
地元の国会議員に手紙を書いて、
子どもたちを守ってやることが出来ない、
ストレスで髪の毛が抜け始めた、と訴えて、やっと、
警察が重い腰を上げたが、
地元の国会議員に手紙を書いて、
子どもたちを守ってやることが出来ない、
ストレスで髪の毛が抜け始めた、と訴えて、やっと、
警察が重い腰を上げたが、
すでにFionaさんはギャングの襲撃のストレスから、うつ病にかかっていた。
気力が尽きてギブアップしてしまったのだろう、と
親子を助けるために途中から同居するようになったFionaさんの母親。
親子を助けるために途中から同居するようになったFionaさんの母親。
子どもたちの虐めが酷くなるハロウィーンやガイ・フォークス・ナイトを特に恐れていた。
ハロウィーンは10月30日。
ガイ・フォークス・ナイトは11月5日。
ガイ・フォークス・ナイトは11月5日。
2007年10月の夜、娘と家族のペットのウサギを車に乗せ、
人目につかない場所でとめると、車の中にガソリンをまいて火をつけた。
人目につかない場所でとめると、車の中にガソリンをまいて火をつけた。
Fionaさんの母親はいう
「あの子たちは、ただ、娘たちがそこにいるのが気に入らないといって、
3人をいじめたんです。他の人たちと違っているから」
「あの子たちは、ただ、娘たちがそこにいるのが気に入らないといって、
3人をいじめたんです。他の人たちと違っているから」
今に至るまで、ギャングの子どもたちは誰一人逮捕されていない。
衝撃的な内容だけに、
この記事に寄せられたコメントがけっこうあって、
この記事に寄せられたコメントがけっこうあって、
親が親としての責任を果たしていないのがいけない、
50年代、60年代に戻って、悪いことをしたらバシッと躾ければいいんだ、
いや法律が子どもに甘いのがいけない、
英国の身分階層社会に根っこがある……などなど。
50年代、60年代に戻って、悪いことをしたらバシッと躾ければいいんだ、
いや法律が子どもに甘いのがいけない、
英国の身分階層社会に根っこがある……などなど。
でも、私は、そういう問題じゃないと思う。
生命倫理学者さんたちが繋がりに気づかないのか、敢えて目をつぶっているだけで
これこそが“科学とテクノでイケイケ”の能力至上価値観の”すべり坂“なのでは、と思う。
これこそが“科学とテクノでイケイケ”の能力至上価値観の”すべり坂“なのでは、と思う。
英国で特に先鋭的な“科学とテクノ万歳”文化の能力・知能至上主義や、
そんな価値観を基盤に置いて毎日繰り返されている「死の自己決定権」議論は
せっせと子どもたちにメッセージを送り続けている。
そんな価値観を基盤に置いて毎日繰り返されている「死の自己決定権」議論は
せっせと子どもたちにメッセージを送り続けている。
能力、特に知能の低い人には価値がない──。
だから尊重しなくてもいい──。
だから尊重しなくてもいい──。
その同じ息の下から「障害児だからといって苛めるなんて……」と呆れ返るなら、
ダブルスタンダードもいいところだ。
ダブルスタンダードもいいところだ。
それに、子ども自身も“科学とテクノの簡単解決”の世の中で
親の都合や好みに合わせて自由に選別され作られる、
親が望む能力を持っていることだけが価値であるような、
一定の条件を満たさなければ愛される資格のない存在にされていく。
親の都合や好みに合わせて自由に選別され作られる、
親が望む能力を持っていることだけが価値であるような、
一定の条件を満たさなければ愛される資格のない存在にされていく。
世界中で大人の欲望のはけ口や、金儲けの道具にされていく。
大人に踏みつけにされる子どもたちが自分たちのはけ口を求める先が
大人たちから「生きるに値しない、価値の低い生を生きている人たち」
「あの人たちが社会の重荷」と名指しされている存在であることは
なんら不思議なことではないでしょう。
大人たちから「生きるに値しない、価値の低い生を生きている人たち」
「あの人たちが社会の重荷」と名指しされている存在であることは
なんら不思議なことではないでしょう。
そして、それら全てが本当は、
大人の世界そのものが、
ごくわずかの強いものだけの都合で
大人も子どもも弱いものはみんな踏みつけられ、
使い捨てられ、見殺しにされていく世の中へと
この世界が急速に作りかえられていることの1つの現れでしかないんじゃないだろうか。
大人の世界そのものが、
ごくわずかの強いものだけの都合で
大人も子どもも弱いものはみんな踏みつけられ、
使い捨てられ、見殺しにされていく世の中へと
この世界が急速に作りかえられていることの1つの現れでしかないんじゃないだろうか。
英語圏の“科学とテクノ”とその御用学問の専横の“すべり坂”は
決して“科学とテクノ”の直接の応用範囲や自殺幇助合法化の問題に限定して起こっているわけじゃない。
決して“科学とテクノ”の直接の応用範囲や自殺幇助合法化の問題に限定して起こっているわけじゃない。
こんなふうに複合的に、
世の中の多くの人々の心に力だけの論理をジワジワと浸透させ、その心を蝕んでいく形で
世の中の多くの人々の心に力だけの論理をジワジワと浸透させ、その心を蝕んでいく形で
人類はとっくに“すべり坂”を転げ始めている……という気がする。
2009.09.18 / Top↑
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