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英国NHSに関する漏洩文書に、コスト削減目標に達するために職員の1割、13万7000人をリストラする計画が。
http://timesonline-emails.co.uk/go.asp?/bTNL001/mAEMGBB/qANM7BB/uM9ZZ6/x309HBB

で、その問題で野党から突き上げられた政府は、「いや、そのコンサル案は却下したんだ」と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8234841.stm

          ――――――


グアンタナモとかアブグレイブなどのテロリスト虐待事件で、CIAに雇われた医師や心理学者が、新しい拷問テクニックを試すための違法な人体実験を行っていた疑い。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/sep/02/cia-usa
2009.09.03 / Top↑
モンタナ州の最高裁の審問が始まったみたいで

地元のテレビ局がサイトで「これから2時間、刻々と展開をお知らせします」と
記事を書いている。



ちゃんとサイトに行って検索すれば間も見つかるのかもしれないけど、
今日のところは、ま、いいか……。

ここ2日くらいのメディアの騒ぎ方だと、今日にも結論が出るみたいだったけど、
今日は双方の弁論と、判事の質問で終わったようです。

州の弁護士の弁論での主張は、

自殺幇助が憲法で保障された権利ということになると
ターミナルな病気の人に留まらなくなる。

また、たとえば直接その患者を知らない医師が
治療可能な患者に毒物を渡すことも起こりうる。

判事からの質問は、

意思決定能力のある人が銃を買いにいって、
「これは自殺に使うんだ」と言った場合に(売ったら)殺人になるか?

州の弁護士は
それは殺人です。

また、Baxter側の弁護士への判事の質問は

州の憲法の理念が生きる権利を守ることにあるとしたら
そのバランスはどのようにとられるのか?

Baxter側の弁護士は

医師が苦痛軽減のための薬物投与を認められているなら
さらに死ぬための薬物を投与していけない理由はない。

患者が死にかけているのであれば、
(毒物を投与する行為は)命を奪うことにはならない。


――うげっ。

どうせ死にかけているだから、殺したっていいじゃん。
どうせ薬で朦朧とさせるんだから、ついでに殺したっていいじゃん。

こんな程度の弁論で
Baxter側の主張が認められるとしたら、ちょっと……。



【9月4日追記】
ふっと思ったのだけど、

「どうせ死に掛けている人なら、医療的に死なせても命を奪うことにはならない」という論理って
いわゆる”慢性的な臓器不足”を解消したい人たちにとっては、たまらなく魅力的なのでは?

ターミナルな病状の人本人さえ了承していれば、
生きた人から臓器を提供してもらって、その結果死ぬとしても、命を奪うことにはならないのだから。

実は、この理屈、あの Norman Fostらの
「死亡者提供ルールを廃止せよ」との主張そのものです。

去年、WA州での住民投票の際、合法化ロビーには州外からも法外な資金が流入していました。
C&Cは米国以外でも組織され、活発に活動しています。資金が潤沢な証拠でしょう。

そのことの意味は、もちろん、ないわけでは、ない……?
2009.09.03 / Top↑
昨日のエントリーで、
自分で意思表示・決定できにくい患者の医療における決定がどうなっているのか、
疑問と懸念をあれこれ書いた。

夕方、ちょうど届いたばかりの「介護保険情報」9月号をめくっていたら、

認知症なんでもサイト」の運営者で
認知症の人と家族の会顧問、京都保健会盛林診療所前所長の、
三宅貴夫先生の連載「認知症の人と家族を考える」(事例編)で、
まさに、認知症の患者さんの医療をめぐる同じ問題がずばりと指摘されていて、
ちょっと小躍りする気分だった。

こういう時って、こういう「必然のような偶然」が起こるものなのよね。うふふ。

それに、こうして明確なルール作りの必要を感じ、訴えてくださる医師もあるということが
なにより、嬉しかった。

三宅氏は認知症の人の場合について
同意を得る方法論や同意が得られない場合の対応は未解決の課題だとし、

こうした課題が未解決のまま、医療や介護のサービスが提供されたり、されなかったりしています。実態としては、本人に代わり家族との同意や契約で行われています。

しかし、本人に代わる家族の同意が法的に有効とされる根拠があるわけではありません。
(P.50)

さらに状況によっては、家族の同意が必ずしも本人の利益を代弁するとは限らないことを指摘。

また、家族がいない場合は、成年後見人には介入が認められていないので、

このため、家族がいない場合は、ケアマネージャーなど本人をもっとも代弁すると考えられる人の意思をもって、医療や介護の利用の根拠としています。しかし、この方法は適切であるかもしれませんが、法的な裏づけをもたず脆いものと思われます。
(P.50)

三宅氏は成年後見人の権限を広げることを提言しています。

私も、医療や介護の必要な場面における職種間の力関係を考えると、
やはり、医師や病院の権威に対して、きちんと本人利益が代弁できるためには
その人に代弁者としての法的な根拠が与えられていることと、
代理の意思決定の手順のスタンダードがきちんと確立され共有されていることが
必要なんじゃないかと思う。

もちろん、その手順において、ケアマネージャーの視点や意見は
とても重要だし尊重されて然りだとは思うけど、
本人利益の代弁者の役割までケアマネジャーに担えというのは過酷な気もする。

法的に位置づけられた本人の代弁者がいて、
身内やケアマネやボランティアなど周辺で本人の生活を支援している関係者も含めて、
プロセスを重視した意思決定の手順というのがあるのがいいと思う。

それが口で言うほど簡単でないのも分かってはいるけど。

一身専属といっても、
本人が決めることが出来ないのを分かっていて、
「本人にしか決められないこと」で終わってもらったのでは、
その肝心の本人が守られない。

この問題は、日本ではほとんど触れられることがないので、
もう一度しつこく繰り返して、英国で報告された実態を文末にリンクしておきますが、

このように、自分で意思を表明・決定することができにくい人に対しては、
そうでない人になら無条件に行われるはずの、ごく基本的な医療が
「どうせ」との軽視・蔑視によって、行われていないケースが少なくないはず。

三宅氏も、この記事の最後に、
認知症の人の終末期に関して、

この際、誰が終末期と判定し、認知症の人本人の意思が確認できなくなった時に誰が変わって終末期の医療を決めるのか、という課題があります。

……中略……

この場合、「終末期もどき」とも呼ばれる「作られた終末期」ではないか、注意しなければなりません。さらに認知症の人の終末期は、「どうせ認知症だから」と偏見・差別から医療を放棄することがあるかもしれません。
(p.51)

認知症のことをロクに知らない専門外の医師が単独で
「この人は終末期」と判定するのでは
「終末期もどき」が起こりやすいだろうし、

だからこそ、厚労省も医師に認知症の知識と理解を徹底する努力をしたり
認知症の人をめぐって地域で多職種が協働するシステム作りも急いでもいるのだろうけど

認知症患者が癌になった場合の判断という問題もあるように


この問題は本質的には認知症の人たちだけの問題ではなくて、
広く、障害のために自分で意志を表明・決定することが難しい人たち全ての問題だと思う。

認知症の人も含めて知的・認知障害のある患者の医療では
病気の治療に当たる医師と、当該障害について詳しい専門医との連携体制ができることと

1つの病院の中でそれが出来るだけでなく、
特に、病院や施設間で患者の移動がある時には、
「こっちが引き受けた以上そっちは口を出すな」みたいなプライドや縄張りではなく、
「患者のためにどうするのがいいか」をめぐっての施設間の連携体制ができること。

そして、医療に関する決定について
医療サイドでも家族サイドでもない、
本当に当人だけの利益を代弁する人の存在を確保すること、
その人の発言力が担保されるだけの裏づけと手順のスタンダードが出来ていること。

(病院内倫理委の「患者の最善の利益」議論で決められることの危うさを
提示しているのがAshley事件でしょう)

治療の差し控えだの中止だの、終末期医療だの尊厳死だの、という議論が
こんなに声高に議論されるなら、

それ以前に、こうしたセーフガードが必要だとも
もっと主張されて然りだと思うのに、

そういう声は、低く、少ない──。

三宅先生、本当にありがとうございます。


2009.09.03 / Top↑