実は、その第1章を読んだ時に、何が、とはっきり分からないけど小さな違和感を覚えました。
その違和感が時間とともに大きくなっていき、その正体も少しずつ具体的に掴めてきたように思うので、
頭にもやもやしているものを自分自身が言葉で掴まえるために一度まとめてみよう、と。
その違和感が時間とともに大きくなっていき、その正体も少しずつ具体的に掴めてきたように思うので、
頭にもやもやしているものを自分自身が言葉で掴まえるために一度まとめてみよう、と。
私が違和感を持ったのはSchulmanが「尊厳」という概念の曖昧さを指摘している箇所。
生命の終わり、始まり、科学とテクノによる人の能力“強化”の3つについて生命倫理の論争の例を挙げて、
そのいずれにおいても賛成、反対、自己決定の3つの立場それぞれに尊厳を引っ張り出して論じることができる、
したがって生命倫理の概念として「尊厳」には問題がある、と述べています。
その中で生命の始まりの問題として取り上げられている例が以下で
そのいずれにおいても賛成、反対、自己決定の3つの立場それぞれに尊厳を引っ張り出して論じることができる、
したがって生命倫理の概念として「尊厳」には問題がある、と述べています。
その中で生命の始まりの問題として取り上げられている例が以下で
What medical interventions are appropriate to save the life of a critically ill premature infant who is likely to survive, if at all, only with severe mental defects?
仮に救命できたとしても重度の知的障害を負うとみこまれる
重態の未熟児の命を救うためには、どのような医療介入が妥当なのだろうか?
仮に救命できたとしても重度の知的障害を負うとみこまれる
重態の未熟児の命を救うためには、どのような医療介入が妥当なのだろうか?
意図的なのかどうなのか、文章が一回余分にひねってあるので文意が曖昧になっていますが、
これは実際の設問は「救うためにはどのような介入が妥当か」ではなく
「救命することそのものが妥当か否か」と問う設問でしょう。
考えうる答えとしてSchulmanがこの後に提示する内容からも、
救命の是非そのものを問題としていることが明らかです。
これは実際の設問は「救うためにはどのような介入が妥当か」ではなく
「救命することそのものが妥当か否か」と問う設問でしょう。
考えうる答えとしてSchulmanがこの後に提示する内容からも、
救命の是非そのものを問題としていることが明らかです。
すなわち、
「人間の尊厳は高度な精神機能に宿るのだから
生涯を通じて非常に重篤な(devastating)知的障害を負った人を
世に送り出すことは間違っている」と主張することも、
また
「万人の生命に等しく尊厳があるのだから
一定の人の命を“生きるに値しない”とみなしてはならず
理にかなったあらゆる救命策がとられなければならない」と説くことも、
さらに
「“尊厳と自律”を尊重して、その道徳的なジレンマの答えを出す権利は親にある」と
論じることも可能である。
生涯を通じて非常に重篤な(devastating)知的障害を負った人を
世に送り出すことは間違っている」と主張することも、
また
「万人の生命に等しく尊厳があるのだから
一定の人の命を“生きるに値しない”とみなしてはならず
理にかなったあらゆる救命策がとられなければならない」と説くことも、
さらに
「“尊厳と自律”を尊重して、その道徳的なジレンマの答えを出す権利は親にある」と
論じることも可能である。
ううぅぅぅ―――ん。でも、これ、なんか、ヘンだよ……と思うのです。
まず、設問そのものが
「重度の知的障害のある新生児の救命は
そうでない子どもの救命とは別の基準で考えるべきである」と前提し、
そう前提した時点で(つまり設問を設定した段階で)既に、
第2の「万人の生命に平等な尊厳」を認める立場は否定されているのではないでしょうか。
「重度の知的障害のある新生児の救命は
そうでない子どもの救命とは別の基準で考えるべきである」と前提し、
そう前提した時点で(つまり設問を設定した段階で)既に、
第2の「万人の生命に平等な尊厳」を認める立場は否定されているのではないでしょうか。
さらに、そのような設問に対して、
「このように3通りに論じることが可能である」とSchulmanが書くのは
この3つがすべて有効な主張であるという前提があって初めて言えることなのだけど、
そもそも、最初の主張を有効と認めることは、はたして妥当なのでしょうか。
「このように3通りに論じることが可能である」とSchulmanが書くのは
この3つがすべて有効な主張であるという前提があって初めて言えることなのだけど、
そもそも、最初の主張を有効と認めることは、はたして妥当なのでしょうか。
「重い知的障害のある人を世に送り出すことは間違っている」と主張することが是認されるなら
それは「重い知的障害のある人は生まれてはならない」との主張の是認に他ならず、
それは、法的にも社会通念からしても、認められていない見解が
是認されているということにならないでしょうか。
それは「重い知的障害のある人は生まれてはならない」との主張の是認に他ならず、
それは、法的にも社会通念からしても、認められていない見解が
是認されているということにならないでしょうか。
例えば、「妻は夫に殴られても黙って耐えるべきだろうか」という設問を立て、
「妻は夫に従属するものであり、耐えるのがあたりまえだ」と論じることも
「女性にも男性と同じ人権がある。殴るのは人権侵害である」と論じることも、
「それは各家庭で決めることだ」と論じることも
いずれも可能である、だから女性の人権は曖昧な概念だ、と
主張することは可能でしょうか。
「妻は夫に従属するものであり、耐えるのがあたりまえだ」と論じることも
「女性にも男性と同じ人権がある。殴るのは人権侵害である」と論じることも、
「それは各家庭で決めることだ」と論じることも
いずれも可能である、だから女性の人権は曖昧な概念だ、と
主張することは可能でしょうか。
個人的に「従属すべきだ」と主張する人は、そりゃ、いるだろうし、
現実にDV被害に遭う女性も後を断たない。
現実にDV被害に遭う女性も後を断たない。
しかし、夫や恋人に殴られる女性が現実にいることは
女性に人権がないことを意味するわけではないし、
「妻は夫に殴られても耐えるべきだ」とか「家庭で決めること」という見解が
法を否定し、社会通念を否定している以上、学者がそれらの見解を是と前提して
「こう論じることも可能である」と主張することは、まず、ありえないから
その先の「従って女性の人権は曖昧で無益な概念」との結論もありえないのだとしたら、
女性に人権がないことを意味するわけではないし、
「妻は夫に殴られても耐えるべきだ」とか「家庭で決めること」という見解が
法を否定し、社会通念を否定している以上、学者がそれらの見解を是と前提して
「こう論じることも可能である」と主張することは、まず、ありえないから
その先の「従って女性の人権は曖昧で無益な概念」との結論もありえないのだとしたら、
障害新生児が障害を理由に治療を差し控えられている事実があることは
決して「障害のある新生児には生きる権利がない」ことを意味するわけではないし、
「障害の有無によって新生児への救命医療には一線を引くべきである」との前提を担保するわけでもない。
決して「障害のある新生児には生きる権利がない」ことを意味するわけではないし、
「障害の有無によって新生児への救命医療には一線を引くべきである」との前提を担保するわけでもない。
もう1つの、生命の終わりをめぐる問いにも同じ問題があるような気がする。
Is it morally acceptable for an elderly patient, diagnosed with early Alzheimer’s disease and facing an inexorable decline into dementia and dependency, to stop taking his heart medicine in the hope of a quicker exit, one less distressing to himself and his family?
アルツハイマー病の初期と診断されて、この先認知症が進み、要介護状態になることが避けがたい高齢患者が、自分にとっても家族にとっても苦しみが少ないように、早く死にたいと望み、心臓の薬を飲むのをやめることは、道徳的に許容できるだろうか?
アルツハイマー病の初期と診断されて、この先認知症が進み、要介護状態になることが避けがたい高齢患者が、自分にとっても家族にとっても苦しみが少ないように、早く死にたいと望み、心臓の薬を飲むのをやめることは、道徳的に許容できるだろうか?
ここでも、「認知症になって生きることは家族に迷惑をかけることだから
早く死んだ方が本人と家族のため」という判断が設問の段階で、予め了承され含意されていて
「だから十分な介護支援が必要」という現在の社会通念で一般的と思われる方向は最初から否定されています。
早く死んだ方が本人と家族のため」という判断が設問の段階で、予め了承され含意されていて
「だから十分な介護支援が必要」という現在の社会通念で一般的と思われる方向は最初から否定されています。
これら2つの問いをぐるぐる考えていて、思うのですが、
この2つは、Ashley療法論争の問いを始め、ほかの多くの設問と同じく、ぶっちゃけていえば、
「知的機能が低い人に、そうでない人と違う倫理基準を当てはめることは正当化できるか」という
実は1つの問いなのでは?
この2つは、Ashley療法論争の問いを始め、ほかの多くの設問と同じく、ぶっちゃけていえば、
「知的機能が低い人に、そうでない人と違う倫理基準を当てはめることは正当化できるか」という
実は1つの問いなのでは?
それならば、Schulmanが持ち出してくる第1の立場は、
問いの答えを先取りした上に立っているので成立しないことになります。
問いの答えを先取りした上に立っているので成立しないことになります。
つまり彼は、第2の立場を予め否定した問いを立て、その問いの答えを先取りした第1の立場を採用するという
2重のマジック操作を行って「正当化できる」というハトを見せているだけで、
「尊厳」が曖昧でどうにでも使える概念だとは、ちょっとも論証していないのでは?
2重のマジック操作を行って「正当化できる」というハトを見せているだけで、
「尊厳」が曖昧でどうにでも使える概念だとは、ちょっとも論証していないのでは?
いずれ、もうちょっと、うまく表現できれば……と思うのですが、
私は、ここのところに、(米国のリベラルな)生命倫理のいかがわしさがあるような気がする。
私は、ここのところに、(米国のリベラルな)生命倫理のいかがわしさがあるような気がする。
これは私が無知だから思うことなのかもしれないのですが、
過去の歴史を踏まえて法を整備してきた先進国社会はこれまで
法的にも社会通念的にも第2の「万人に平等な権利がある」との立場をとってきたし、
いま現在でも、おおむねの基本は、そこのところに根強く保たれているのではないでしょうか。
過去の歴史を踏まえて法を整備してきた先進国社会はこれまで
法的にも社会通念的にも第2の「万人に平等な権利がある」との立場をとってきたし、
いま現在でも、おおむねの基本は、そこのところに根強く保たれているのではないでしょうか。
ただ、法や社会のシステムの変化が追いつかない速度で科学とテクノロジーが進歩してしまったために、
長い歴史と議論や検討を積み重ねて形作られてきた法や社会システム・通念に
本当は抵触する既成事実への規制が間に合わず、
ある特定の分野で既成事実が一定の数、積み重ねられてしまった。
本当は抵触する既成事実への規制が間に合わず、
ある特定の分野で既成事実が一定の数、積み重ねられてしまった。
そのため、法やシステムの方が機能不全に陥っているように見えたり、無力化させられて、
「できるのだから、やるやらないは個人の勝手、それこそ自己決定権」という
上記のSchulmanのいう第3の立場の主張が出てくることとなる。
「できるのだから、やるやらないは個人の勝手、それこそ自己決定権」という
上記のSchulmanのいう第3の立場の主張が出てくることとなる。
従来の法や社会システム・通念と
科学とテクノの既成事実が内包している価値観との相克が
現実の社会の中で、とてもリアルな形でいくつも起こっている──。
科学とテクノの既成事実が内包している価値観との相克が
現実の社会の中で、とてもリアルな形でいくつも起こっている──。
でも、本当は、米国社会でも、まだ、そこのところでバランスはあやうく拮抗していて
第2の立場を否定する第1の立場は、ごくわずかな人による極論に過ぎないのではないでしょうか。
第2の立場を否定する第1の立場は、ごくわずかな人による極論に過ぎないのではないでしょうか。
そういう中で、道徳的な設問であることをカムフラージュに
法と社会通念がいまだに依拠している第2の立場を予め否定する設問が立てられ、
法と社会通念に抵触する第1の立場も妥当な答えとして受け入れられて
いずれの論も成立するから曖昧で無益な概念だと「尊厳」が否定され、
その実、そこで結果的に否定されていくのは万人に平等に認められた「人権」。
つまりは最初から第2の立場を否定する論理によって、さらに否定の論拠が固められてしまう。
法と社会通念がいまだに依拠している第2の立場を予め否定する設問が立てられ、
法と社会通念に抵触する第1の立場も妥当な答えとして受け入れられて
いずれの論も成立するから曖昧で無益な概念だと「尊厳」が否定され、
その実、そこで結果的に否定されていくのは万人に平等に認められた「人権」。
つまりは最初から第2の立場を否定する論理によって、さらに否定の論拠が固められてしまう。
もはや、これまで積み重ねられてきた「法の歴史性」など無意味であるかのように
(この言葉、最近教えてもらったばかりなので、半可通で申し訳ないけど、ちょっと使ってみた。
なるほど、こういう文脈で効くんだなぁ……)
(この言葉、最近教えてもらったばかりなので、半可通で申し訳ないけど、ちょっと使ってみた。
なるほど、こういう文脈で効くんだなぁ……)
法や社会通念を超越したところに科学とテクノロジーの可能性を想定した
ご都合主義で特権的な議論の場を創造し、それによって万人に認められた「人権」を否定して
「知的機能によって人間の間に線を引くこと」を使命として背負っているのが
(科学とテクノの御用学問としてのリベラルな)生命倫理という学問……?
ご都合主義で特権的な議論の場を創造し、それによって万人に認められた「人権」を否定して
「知的機能によって人間の間に線を引くこと」を使命として背負っているのが
(科学とテクノの御用学問としてのリベラルな)生命倫理という学問……?
もしかして「特権的な議論の場」というよりも「治外法権的な議論の土俵」を作った?
そういう「治外法権的な聖域なき議論の土俵」として生命倫理という学問は機能している……?
2009.07.07 / Top↑
Walesの社会サービス副大臣がスタートさせるオンライン・障害児・病児家庭支援プログラム、Family Fund Extra。ざっと読んだ感じでは、ネットのアフィリエイト制度の限定版のような。Family Fund Extraのサイトで提携ショップの商品を購入すると、代金の一定割合がファンドに寄付される。障害児・病児の家族は、提携ショップの商品を購入すると一定割合で割引が受けられるほか、生活支援プログラムや情報提供を受けることができる……という話だと思うのだけど、ちょっと面白そうなので、サイトをちゃんと覗いてみたい。ちなみにFamily Fund Extraのサイトはこちら。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/156290.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/156290.php
英国で入所施設を閉鎖して地域生活支援サービスに置き換える動きが目立っているが、ちゃんとしたケアを保障するためには入所施設も必要で、在宅支援だけが唯一の道だというとらえ方や財政問題ばかりを優先させて高齢者から選択肢を奪うのはよくない。:賛成。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/156254.php
http://www.medicalnewstoday.com/articles/156254.php
APが現在民主党を中心に議会で議論されている米国の医療改革案について、項目ごとに詳細を解説する記事を打っている。とても分かりやすい。国民皆保険を実現するための財源は、メディケア・メディケイドのカット、新しく税を新設、富裕層に対する増税。メディケア・メディケイドのカットがどういう影響をもたらすのか、気になる。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/06/AR2009070600297.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/06/AR2009070600297.html
黒人と低学歴の国民の間で、親が収監されることで子どもが一時的にホームレスになったり、社会的孤立、問題行動を引き起こすなど、罪を犯した親が残していく子どもの問題が指摘されている。子どもへの支援がないために引き起こされる犯罪の連鎖。
http://www.nytimes.com/2009/07/05/us/05prison.html?_r=2&th&emc=th
http://www.nytimes.com/2009/07/05/us/05prison.html?_r=2&th&emc=th
2009.07.06 / Top↑
米国医師会の会員向け新聞において、
現在米国でただ2つだけ医師による自殺幇助を合法化しているOR州とWA州の
同法の適用実態がまとめられています。
現在米国でただ2つだけ医師による自殺幇助を合法化しているOR州とWA州の
同法の適用実態がまとめられています。
まず今年3月に試行されたばかりのWA州について。
尊厳死法の適用を受け医師の処方による致死薬を飲んで死んだ人は5人。
うち2件では精神医療の専門家が相談を受け、不服を申し立てた。
亡くなった5人のうち2人はCompassion & Choiceの支援を受けた。
(これら2件については当ブログで追いかけており、文末に関連エントリー)
(これら2件については当ブログで追いかけており、文末に関連エントリー)
この記事の締め切り時点で致死薬の処方を受けた人は14人で、
そのうち13人が薬局で購入済み。
そのうち13人が薬局で購入済み。
(私は個人的に、この薬のトラッキングが誰の責任でどのように行われるのか、
患者が飲まずに死んだ場合には、その確認と回収はどうなるのか、とても気になります。
今のところネットの英文情報で、そうした懸念が表明されているのを見たことはないので、
何らかの方策が法文に盛り込まれているのかもしれませんが)
患者が飲まずに死んだ場合には、その確認と回収はどうなるのか、とても気になります。
今のところネットの英文情報で、そうした懸念が表明されているのを見たことはないので、
何らかの方策が法文に盛り込まれているのかもしれませんが)
一方、Oregon州では、
1998年以来400人以上が尊厳死法によって死亡。
1998年以来400人以上が尊厳死法によって死亡。
昨年は最も多く、
88人が致死薬の処方を受け、
60人が死亡。
88人が致死薬の処方を受け、
60人が死亡。
医師による自殺幇助に反対する医師らの団体
Physician for Compassionate Care Education Foundation の副会長 Kenneth R. Stevens氏は
死亡60件のうち、たった2件でしか精神科医の関与が求められていない点と
2008年では全ケースの88%がC&C Oregonによって援助(facilitated)されており
十分な情報と支援が与えられず誘導された懸念がある点とを問題視。
Physician for Compassionate Care Education Foundation の副会長 Kenneth R. Stevens氏は
死亡60件のうち、たった2件でしか精神科医の関与が求められていない点と
2008年では全ケースの88%がC&C Oregonによって援助(facilitated)されており
十分な情報と支援が与えられず誘導された懸念がある点とを問題視。
(この高率はちょっとショッキング。
実は、この60人のうち59人がホスピスケアを受けていたとC&Cが明らかにしており、
Oregon では C&C がホスピスケアにも入り込んで患者を誘導している、恥を知れと
Wesley Smith が批判しています)
実は、この60人のうち59人がホスピスケアを受けていたとC&Cが明らかにしており、
Oregon では C&C がホスピスケアにも入り込んで患者を誘導している、恥を知れと
Wesley Smith が批判しています)
Montana州でも去年12月に下級裁判所によって
ターミナルな病気の人は医師に自殺幇助を受ける権利が
憲法(州の?)で認められているとの判断(Baxter v. Montana)が下されたものの
州当局が上訴し、口頭弁論が秋に予定されているところ。
ターミナルな病気の人は医師に自殺幇助を受ける権利が
憲法(州の?)で認められているとの判断(Baxter v. Montana)が下されたものの
州当局が上訴し、口頭弁論が秋に予定されているところ。
米国医師会の方針は「自殺幇助を合法化するいかなる法案にも強く反対する」
その理由は「癒す者(healer)としての医師の役割と基本的に一貫しないから」。
その理由は「癒す者(healer)としての医師の役割と基本的に一貫しないから」。
記事には、
1998年から2008年までのOregon州尊厳死法での
書かれた処方箋数、死亡者数、処方箋を出した医師数の一覧表があります。
1998年から2008年までのOregon州尊厳死法での
書かれた処方箋数、死亡者数、処方箋を出した医師数の一覧表があります。
5 people die under new Washington physician-assisted suicide law
Fourteen patients in that state requested doctors’ aid in dying. Meanwhile, more patients than ever made use of Oregon’s death-with-dignity law in 2008.
American Medical News, July 6, 2009
Fourteen patients in that state requested doctors’ aid in dying. Meanwhile, more patients than ever made use of Oregon’s death-with-dignity law in 2008.
American Medical News, July 6, 2009
【WA州尊厳死第1例、第2例関連エントリー】
WA州の尊厳死法で初の自殺者をC&Cが報告(2009/5/23)
WA尊厳死法に反対したALS患者、第1例女性と同日死去(2009/5/28)
WA自殺幇助第2例:またもC&Cが報告、詳細は明かさず(2009/6/4)
WA州の尊厳死法で初の自殺者をC&Cが報告(2009/5/23)
WA尊厳死法に反対したALS患者、第1例女性と同日死去(2009/5/28)
WA自殺幇助第2例:またもC&Cが報告、詳細は明かさず(2009/6/4)
【その他関連エントリー】
Oregon尊厳死法による自殺者増加(2008/3/21)
2008年にオレゴン州で医師による幇助受けて自殺したのは60人(2009/3/4)
C&Cが移植医と一緒に「尊厳死法に参加しましょう」と医師らに呼びかけ(2009/4/16)
Oregon尊厳死法による自殺者増加(2008/3/21)
2008年にオレゴン州で医師による幇助受けて自殺したのは60人(2009/3/4)
C&Cが移植医と一緒に「尊厳死法に参加しましょう」と医師らに呼びかけ(2009/4/16)
そのほか「尊厳死」の書庫に多数あります。
2009.07.06 / Top↑
オーストラリアでも、スタッフの退職率が高くて病院が機能できない、という問題が起きている。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/staff-attrition-rate-making-qbn-hospital-unworkable/1556842.aspx?src=enews
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/staff-attrition-rate-making-qbn-hospital-unworkable/1556842.aspx?src=enews
医師が老年医療の基礎知識を持っていることが予防医療そのものでありながら、米国の医学教育では老年医療は必須となっていないので、高齢患者が入院すると病気が悪化したり、高齢者に関する知識を欠いた医師によって病気にされたりしている。これは日本でも、たぶん同じ。高齢者だけでなく、障害者についても同じことが言えると思う。一般的な医学の知識に、さらにプラス・アルファの知識と配慮が必要なのに、それがなかなか理解されない。どちらかというと、その逆の対応になっているような気がする。でも、最終的に医療費の削減に繋がるのは、やはり最初からプラス・アルファがあることだと思うのだけど。
http://www.nytimes.com/2009/07/02/opinion/02leipzig.html?_r=1&th&emc=th
http://www.nytimes.com/2009/07/02/opinion/02leipzig.html?_r=1&th&emc=th
統合失調症のリスクに繋がる遺伝子の変異が何千と特定された、と。でも、ほら、自閉症だって遺伝だと言われつつ、まだ妊娠中のトラブルだ高齢出産だと、諸説出てくるし。やっぱり何か1つで発症するというものじゃなくて、だから「遺伝だ」ということもまた、それだけみたいに言ってしまうと、きっと違うんじゃないのかな。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8128005.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8128005.stm
2009.07.03 / Top↑
去年9月17日の米国テキサス州 El Pasoでの事件。
かつては子どもに農場体験をさせるアミューズメントで名を馳せた牧場のガレージで
経営者の女性 Patricia Kirchnerさん(81)が一酸化炭素中毒で死んでいるのが見つかった。
経営者の女性 Patricia Kirchnerさん(81)が一酸化炭素中毒で死んでいるのが見つかった。
警察は息子の Travis Bob Kirchner(56歳)を殺人容疑で逮捕したのだけれど、
検察の求刑は殺人罪よりも軽い自殺ほう助罪。
検察の求刑は殺人罪よりも軽い自殺ほう助罪。
このまま自殺ほう助罪で有罪が確定すれば
最高2年間の懲役と最高1万ドルの罰金。
最高2年間の懲役と最高1万ドルの罰金。
(殺人罪なら終身刑の可能性も)
Patriciaさんは両親の死後、相続した牧場でパーティを開いたり、
子どもをポニーに乗せたり、乗馬レッスンをするなどのアトラクションで
新しい牧場経営に乗り出したビジネスウーマンだった。
子どもをポニーに乗せたり、乗馬レッスンをするなどのアトラクションで
新しい牧場経営に乗り出したビジネスウーマンだった。
解せないのは、Patriciaさんの“自殺”に関する事実関係で、
記事によると、
記事によると、
母と息子はガレージの車で一緒に自殺しようと決めた。
そこで母親に睡眠薬を2錠飲ませ、
テレビを見ていたら母親が眠ったので、
ガレージの車まで引きずっていき、
車に乗せて、エンジンをかけた。
そこで母親に睡眠薬を2錠飲ませ、
テレビを見ていたら母親が眠ったので、
ガレージの車まで引きずっていき、
車に乗せて、エンジンをかけた。
「しごく単純な話なんです。2人の悲しい高齢者が死にたかったというだけの」と
逮捕された後にKirchnerは語っている。
逮捕された後にKirchnerは語っている。
この記事だけでは分からないことが多すぎるのだけど、
解せないのは、じゃぁ、なんで息子は死ななかったのだろう。
解せないのは、じゃぁ、なんで息子は死ななかったのだろう。
母親が病気だったという話は記事にはまったく出てこないけど、
では彼女が死のうと考えた理由はなんだったのか。
では彼女が死のうと考えた理由はなんだったのか。
息子が母親と一緒に死のうと考えた動機はなんだったのか。
「2人の悲しい高齢者」の「悲しい」とは具体的にどういうことなのか。
特に死にたいと思っているわけでもない母親を薬で眠らせて、殺して、
「一緒に死ぬことに決めたので」と説明している可能性を
否定するようなエビデンスがあったのだろうか。
「一緒に死ぬことに決めたので」と説明している可能性を
否定するようなエビデンスがあったのだろうか。
よく分からない事件。
テキサス州で自殺幇助罪が適用されるのは極めて異例だというのだけど。
【追記】
内緒コメントでご指摘いただき、読み誤っていた箇所に気づいたのですが、
それによると、死の6日ほど前に、近所に住む義理の弟夫婦から訴えられていた訴訟に負けて
牧場が閉鎖する事態となっていました。
内緒コメントでご指摘いただき、読み誤っていた箇所に気づいたのですが、
それによると、死の6日ほど前に、近所に住む義理の弟夫婦から訴えられていた訴訟に負けて
牧場が閉鎖する事態となっていました。
友人が「そのことで2人がうつ状態になった可能性はある」と。
2009.07.03 / Top↑
テーマ:わたしたちは生きています!―人工呼吸器をつけた子と親からのメッセージ
講師:人工呼吸器をつけた子の親の会〈バクバクの会〉
大阪大学附属病院看護師(「脳死と臓器移植を考える会」)
日時:7月12日(日)午後2時~5時
会場:大阪府社会福祉会館4階404 (TEL 06-6762-5681)
地下鉄「谷町6丁目」下車4番出口から南へ徒歩10分
参加費:500円(資料代)
主催:「脳死」臓器移植に反対する関西市民の会
連絡先:06-6392-4441(岡本)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「脳死」を人の死とし、家族の同意だけで臓器の摘出を可能とする臓器移植法改定案
(A案)が衆議院で可決され、参議院での審議が始まりました。
〈バクバクの会〉の子どもたちの中には、医師から「脳死」「脳死に近い状態」と宣
告されながらも、人工呼吸器を用いて毎日を精いっぱい生き、その子なりのペースで
成長している子どもたちが大勢います。もしもA案が成立するようなことになれば、
このような子どもたちの生きる権利が脅かされるのではないかと懸念されます。
今回は、人工呼吸器をつけて暮らす子と親の立場からのお話に加えて、臓器移植実施
医療機関で働く看護師さんからも問題提起していただきます。
今こそ、「脳死」臓器移植についての市民の意見を大きく発していきましょう。
講師:人工呼吸器をつけた子の親の会〈バクバクの会〉
大阪大学附属病院看護師(「脳死と臓器移植を考える会」)
日時:7月12日(日)午後2時~5時
会場:大阪府社会福祉会館4階404 (TEL 06-6762-5681)
地下鉄「谷町6丁目」下車4番出口から南へ徒歩10分
参加費:500円(資料代)
主催:「脳死」臓器移植に反対する関西市民の会
連絡先:06-6392-4441(岡本)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「脳死」を人の死とし、家族の同意だけで臓器の摘出を可能とする臓器移植法改定案
(A案)が衆議院で可決され、参議院での審議が始まりました。
〈バクバクの会〉の子どもたちの中には、医師から「脳死」「脳死に近い状態」と宣
告されながらも、人工呼吸器を用いて毎日を精いっぱい生き、その子なりのペースで
成長している子どもたちが大勢います。もしもA案が成立するようなことになれば、
このような子どもたちの生きる権利が脅かされるのではないかと懸念されます。
今回は、人工呼吸器をつけて暮らす子と親の立場からのお話に加えて、臓器移植実施
医療機関で働く看護師さんからも問題提起していただきます。
今こそ、「脳死」臓器移植についての市民の意見を大きく発していきましょう。
ちなみに、バクバクの会から5月17日付で
全国会議員に当てて出された緊急アピールの本文がこちら。
全国会議員に当てて出された緊急アピールの本文がこちら。
2009年5月17日
国会議員のみなさま
人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>
会長 大塚 孝司
臓器移植法の改定にあたっては、慎重かつ十分な議論をお願いします。
私たち人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>の子どもたちの多くは、病気や事故など理由は様々ですが、長期に渡って常に人工呼吸器を使いながら生活しています。子どもたちの中には、医師から「脳死」「脳死に近い状態」と宣告されながらも、専門家の予測を覆し、その子なりのペースで成長を続け、毎日を精一杯生きている子どもたちが大勢います。人工呼吸器をつけていても、重度の障害があっても、どの子どもたちも、それぞれの家庭で、学校で、地域社会で、絶対的な存在感で、ほかの子どもたちと同様にかけがえのない“ひとりの人間、ひとりの子ども”として認められながら、日々、生き抜いています。
2006年に起きた富山県の射水市民病院での呼吸器外し事件以後、さまざまなところで終末期医療のガイドラインや倫理委員会が創られる中、重度障害や進行性の難病をもつ子どもたちについても、“選択的医療”と称し、治療の打ち切りや差し控えについて堂々と公表され議論されるようになりました。私たちは、重度障害等の子どもたちの生きる権利が脅かされていくことを危惧し、命の切り捨てではなく、どんな病気や障害を持っていても安心して暮らしていけるような社会を作っていくことが大切だと訴えています。
今回は、臓器移植法の改定への動きが急に高まってきていると、頻繁に報道されています。改定の大きな目的は、子どもの国内移植に門戸を広げることだと言われています。そのために「脳死」は一律に「人の死」とし、子どもの場合は家族の同意だけで臓器提供可能という案も検討されているようです。このことは、重度の子どもたちの生きる権利がより脅かされることになるのではないかと、いっそうの懸念を抱かざるを得ません。
私たちは、「脳死」「脳死に近い状態」と言われながらも、日々成長しながら生き抜こうとしている目の前の子どもたちに対し、「あなたたちは死んでいるんだよ。」と語りかけることはできません。機器の助けを借りてはいても、そこには、確かに、生きているという事実が実感として感じられ、生きたいという子ども自身の意思をも感じられるからです。「脳死判定」についても、いくら厳密な方法で実施しようと、方法そのものが、重篤な状態の子どもの命を縮めかねない無茶な方法である以上、臓器移植を前提として、むやみに判定を実施すべきではありません。「脳死判定」は拒否できるようにしたらいいというむきもありますが、法律で「脳死」を一律に「人の死」とされてしまった場合、判定を拒否した場合には、「無駄な延命をさせている。」「なぜ、臓器提供してあげないんだ。」という社会の無言の圧力が働かないと言えるでしょうか。
もうひとつ、本人の拒否がなければ家族(親)の同意だけでよいという点について一言申し上げます。私たちは、どんなに重度の障害をもっていても人工呼吸器をつけていても、ひとりひとりかけがえのない子どもであると世間に訴えています。しかし、この考え方は、実際に子どもたちと共に生きてきた中で、子どもたちによって価値観をひっくり返され、気付かされたことなのです。病気や障害に対する予断や偏見や差別的な考え方は、世の中にまだまだ多く見られます。私たち親が、子どもたちから学ぶ機会もなしに、差し迫った中で、限られた情報だけで下す判断が、子どもたちにとって最大の利益となるとは限りません。被虐待児の場合だけでなく、どんな場合でも、私たち親が子どもにとっての必ずしも最良の代諾者にはなりえないのです。(もちろん、専門家についても同様です。)子どもの命は、親のものではなく、子ども自身のものです。
全国には、国内での臓器移植の拡大を切望されているたくさんのご家族がいらっしゃると思います。子どもたちが一日でも長く健やかに生きてほしい、子どもらしく豊かに生きてほしいという気持ちは、痛いほどよくわかります。重度障害といわれる子どもの親であるわたしたちの願いも同じだからです。どちらも大事な命です。
だからこそ、臓器移植法の改定にあたっては、国会議員のみなさまには、移植を待っておられる側だけではなく、ドナーとされる子どもたちの命と人権にもきちんと向き合い、慎重に議論を尽くして下さいますように、お願いいたします。
私たちは、どんな命も大切にされる社会、ひとりひとりの人間がその与えられた命を精一杯生きられるような社会を望んでいます。
国会議員のみなさま
人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>
会長 大塚 孝司
臓器移植法の改定にあたっては、慎重かつ十分な議論をお願いします。
私たち人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>の子どもたちの多くは、病気や事故など理由は様々ですが、長期に渡って常に人工呼吸器を使いながら生活しています。子どもたちの中には、医師から「脳死」「脳死に近い状態」と宣告されながらも、専門家の予測を覆し、その子なりのペースで成長を続け、毎日を精一杯生きている子どもたちが大勢います。人工呼吸器をつけていても、重度の障害があっても、どの子どもたちも、それぞれの家庭で、学校で、地域社会で、絶対的な存在感で、ほかの子どもたちと同様にかけがえのない“ひとりの人間、ひとりの子ども”として認められながら、日々、生き抜いています。
2006年に起きた富山県の射水市民病院での呼吸器外し事件以後、さまざまなところで終末期医療のガイドラインや倫理委員会が創られる中、重度障害や進行性の難病をもつ子どもたちについても、“選択的医療”と称し、治療の打ち切りや差し控えについて堂々と公表され議論されるようになりました。私たちは、重度障害等の子どもたちの生きる権利が脅かされていくことを危惧し、命の切り捨てではなく、どんな病気や障害を持っていても安心して暮らしていけるような社会を作っていくことが大切だと訴えています。
今回は、臓器移植法の改定への動きが急に高まってきていると、頻繁に報道されています。改定の大きな目的は、子どもの国内移植に門戸を広げることだと言われています。そのために「脳死」は一律に「人の死」とし、子どもの場合は家族の同意だけで臓器提供可能という案も検討されているようです。このことは、重度の子どもたちの生きる権利がより脅かされることになるのではないかと、いっそうの懸念を抱かざるを得ません。
私たちは、「脳死」「脳死に近い状態」と言われながらも、日々成長しながら生き抜こうとしている目の前の子どもたちに対し、「あなたたちは死んでいるんだよ。」と語りかけることはできません。機器の助けを借りてはいても、そこには、確かに、生きているという事実が実感として感じられ、生きたいという子ども自身の意思をも感じられるからです。「脳死判定」についても、いくら厳密な方法で実施しようと、方法そのものが、重篤な状態の子どもの命を縮めかねない無茶な方法である以上、臓器移植を前提として、むやみに判定を実施すべきではありません。「脳死判定」は拒否できるようにしたらいいというむきもありますが、法律で「脳死」を一律に「人の死」とされてしまった場合、判定を拒否した場合には、「無駄な延命をさせている。」「なぜ、臓器提供してあげないんだ。」という社会の無言の圧力が働かないと言えるでしょうか。
もうひとつ、本人の拒否がなければ家族(親)の同意だけでよいという点について一言申し上げます。私たちは、どんなに重度の障害をもっていても人工呼吸器をつけていても、ひとりひとりかけがえのない子どもであると世間に訴えています。しかし、この考え方は、実際に子どもたちと共に生きてきた中で、子どもたちによって価値観をひっくり返され、気付かされたことなのです。病気や障害に対する予断や偏見や差別的な考え方は、世の中にまだまだ多く見られます。私たち親が、子どもたちから学ぶ機会もなしに、差し迫った中で、限られた情報だけで下す判断が、子どもたちにとって最大の利益となるとは限りません。被虐待児の場合だけでなく、どんな場合でも、私たち親が子どもにとっての必ずしも最良の代諾者にはなりえないのです。(もちろん、専門家についても同様です。)子どもの命は、親のものではなく、子ども自身のものです。
全国には、国内での臓器移植の拡大を切望されているたくさんのご家族がいらっしゃると思います。子どもたちが一日でも長く健やかに生きてほしい、子どもらしく豊かに生きてほしいという気持ちは、痛いほどよくわかります。重度障害といわれる子どもの親であるわたしたちの願いも同じだからです。どちらも大事な命です。
だからこそ、臓器移植法の改定にあたっては、国会議員のみなさまには、移植を待っておられる側だけではなく、ドナーとされる子どもたちの命と人権にもきちんと向き合い、慎重に議論を尽くして下さいますように、お願いいたします。
私たちは、どんな命も大切にされる社会、ひとりひとりの人間がその与えられた命を精一杯生きられるような社会を望んでいます。
2009.07.02 / Top↑
昨日のエントリーでちょっと触れたように、
昨日からリバプールで開かれている英国医師会の年次大会に
現在議会で審議中の自殺希望者を海外に伴う行為に関連した法改正と、
さらにターミナルな患者に自殺幇助を認めるよう求める動議とが提出されており、
昨日からリバプールで開かれている英国医師会の年次大会に
現在議会で審議中の自殺希望者を海外に伴う行為に関連した法改正と、
さらにターミナルな患者に自殺幇助を認めるよう求める動議とが提出されており、
その行方がたいそう気になっていたのですが、
今朝一番で見つけたニュースでは、
医師会会員の投票では、いずれの動議も否決されたとのこと。
医師会会員の投票では、いずれの動議も否決されたとのこと。
前者の、身近な人が海外へ自殺するために行く際のサポートを違法としない法案支持では
賛成44% に対して反対 52% の僅差。
賛成44% に対して反対 52% の僅差。
しかし後者の、ターミナルな患者の自殺幇助合法化支持の動議では大差だったとのこと。
英国医師会はこれまで自殺幇助についてのスタンスが揺らいできたものの
2006年以降は現行法支持で一貫している。
2006年以降は現行法支持で一貫している。
議会の良い死にかたに関する超党派グループの会長である Finlay氏は
「ケース・バイ・ケースで判断する現行法は、厳しい顔と親切な心を持っている。
厳しい顔があるからその気がない患者への強要が防止でき、
優しい顔の思いやりもある。
それでどこに不都合が?」と。
「ケース・バイ・ケースで判断する現行法は、厳しい顔と親切な心を持っている。
厳しい顔があるからその気がない患者への強要が防止でき、
優しい顔の思いやりもある。
それでどこに不都合が?」と。
まずは、よかった。
ちなみに、大会では
医師が患者のスピリチュアル・ケアに関与することの是非についても議論があったようですが、
これについては、これまでの経緯をまったく知らないので、よく分からないながら、
医師が患者のスピリチュアル・ケアに関与することの是非についても議論があったようですが、
これについては、これまでの経緯をまったく知らないので、よく分からないながら、
患者のために祈った行為に対して看護師が停職処分を受けるという事件があったらしく、
その看護師を支援するための動議だったようです。
その看護師を支援するための動議だったようです。
自殺幇助関連法改正の動議を提出したDr. Kailash Chandが
その主張するところを書いている同じくGuardianの記事は、こちら。
日付は同じですが、こちらは投票前のものです。
今日、この内容をまとめてエントリーを立てようと考えていたのですが、
めでたく否決されたので、パス。
めでたく否決されたので、パス。
気になった点のみ、いくつか指摘しておくと、
・自殺幇助を合法化することが「唯一の」人間的で合理的かつ思いやりのある選択である、と主張している。
なにかといえば Ashley事件を引き合いに出して申し訳ありませんが、
シアトル子ども病院が子宮摘出の違法性を認めた際のプレスリリースでも
成長抑制ほかの医療介入がAshleyのQOLを維持する「唯一の」方法だと
両親が訴えたと書かれていました。
シアトル子ども病院が子宮摘出の違法性を認めた際のプレスリリースでも
成長抑制ほかの医療介入がAshleyのQOLを維持する「唯一の」方法だと
両親が訴えたと書かれていました。
Dr. Chandの主張においても、いとも簡単にケアという選択肢が無視されており、
「強調すること」は「事実を偽ること」と同じではないはずなのに、
どうして平気でこういうウソをつくかなぁ……。
「強調すること」は「事実を偽ること」と同じではないはずなのに、
どうして平気でこういうウソをつくかなぁ……。
もしも「唯一の選択肢」だと主張するならば、そう主張する人は
「明白で説得力のあるエビデンスを提示することによって」
それ以外の選択肢がないことを証明してみせなければならないはず。
「明白で説得力のあるエビデンスを提示することによって」
それ以外の選択肢がないことを証明してみせなければならないはず。
・既成事実が法改正の正当化に使われている。
既にスイスのDignitasで自殺した英国人が115人にも上るという事実が、
正当化の論拠として使われているのですが、
正当化の論拠として使われているのですが、
「外国の法律を変えることはできないのだから、もはや国内で法律を変えるしかない」
「現行法を厳密に適用したら、身近な人の自殺に付き添った100人以上が有罪になる。
今でも付き添っていく人たちは犯罪者になる可能性におびえつつ
愛するもののためにリスクを引き受けている。
現行法のこの曖昧さは解消すべきである」
今でも付き添っていく人たちは犯罪者になる可能性におびえつつ
愛するもののためにリスクを引き受けている。
現行法のこの曖昧さは解消すべきである」
「現行では、海外渡航が可能な富裕な人だけが自殺幇助を許されている。
これは不公平であり、誰でもが国内で同じことができるようにすべきである」
これは不公平であり、誰でもが国内で同じことができるようにすべきである」
しかし、これらはすべて
スイスに行って自殺するという行為も、それに付き添っていくという行為も
ともに是とすることを前提にして成り立っている議論であり、
スイスに行って自殺するという行為も、それに付き添っていくという行為も
ともに是とすることを前提にして成り立っている議論であり、
その前提からして、議論の余地があるはずでは?
現に当のスイスに、Dignitas規制への動きも見られるわけだし。
2009.07.02 / Top↑
Psychosomatics誌の最近号に「患者の求める不合理な自殺と合理的な自殺、その他の(たぶん尊厳死?)を区別することについて」というタイトルの論文が掲載されている。もちろん登録なしでは読めない。アブストラクトもない。
http://psy.psychiatryonline.org/cgi/content/full/50/3/195
http://psy.psychiatryonline.org/cgi/content/full/50/3/195
処方薬の鎮痛剤 Percocet と Vicodin は禁止に、薬局で買えるTylenolは一回量を減らすべき、とFDAアドバイザー。これらに含まれる acetaminophenに肝臓を害する可能性。 日本の鎮痛剤は? 米国の薬の一回量って、日本のよりもずいぶん多いんだったっけ?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/30/AR2009063004228.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/30/AR2009063004228.html
妊娠中の健康トラブルや高齢出産で自閉症児が生まれるリスクが高くなる、との調査結果。自閉症の原因説って、本当に様々。この記事では、周産期で関係が指摘されている要因はいずれもエビデンスが不足と考えられているらしい。それだけ、この30年間の急増がはなはだしい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8126574.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8126574.stm
「我々は子どもを薬漬けにして殺している」というタイトルの米国の医療ニュース・サイトの記事。冒頭、訴訟の具体例が出ている。子どもの名前がフルネームではないので、ウラが取れる情報かどうかは定かではないけど。
http://www.healthnewsdigest.com/news/Guest_Columnist_710/Drugging_Our_Children_to_Death.shtml
http://www.healthnewsdigest.com/news/Guest_Columnist_710/Drugging_Our_Children_to_Death.shtml
富山市が生活保護者の遺体を本人の同意なしに大学に献体。同様のケースが他でもあることが明らかに。どうせ物言えぬ弱者の体だから便利に有効利用しようとの発想が、現にここに、ある。臓器移植で同じことが起こらない保障がどこにあるのだろう?
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20090629/23373.html
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20090629/23373.html
ベジタリアンは血液が関係した病気や癌になりにくい?
http://www.guardian.co.uk/science/2009/jul/01/vegetarians-blood-cancer-diet-risk
http://www.guardian.co.uk/science/2009/jul/01/vegetarians-blood-cancer-diet-risk
2009.07.01 / Top↑
BBCに語ったもので、
「意思決定能力がある人が不治の病にかかって、
不快な死に直面するよりも自ら死にたいと望むことはあるだろう」
「意思決定能力がある人が不治の病にかかって、
不快な死に直面するよりも自ら死にたいと望むことはあるだろう」
「それが real law に抵触するとは思わない」
(法で禁じられてはいても
自殺目的で海外へ行く人に付き添ったことで罪に問われた人は実際にはいないので、
現在の法規定はreal ではない、という意味でしょうか。
それとも、 common law に対して real law? この辺、分かりません)
自殺目的で海外へ行く人に付き添ったことで罪に問われた人は実際にはいないので、
現在の法規定はreal ではない、という意味でしょうか。
それとも、 common law に対して real law? この辺、分かりません)
上記リンクからインタビューの一部のビデオが見られますが、
う~ん……なんか、ひっかかるなぁ……。
う~ん……なんか、ひっかかるなぁ……。
「別に年寄りや、邪魔くさい婆さんたちを、こうやって片付けようという話でも、
死にたいと望まない人に死を、という話でもないんです。
死にたいと望まない人に死を、という話でもないんです。
例えば、動物で考えたら、
sheep dog(羊を追う犬)がもう羊を追うこともできなくなって、
惨めな状態になったとしたら、きっともう死なせてくれと望むでしょう。
sheep dog(羊を追う犬)がもう羊を追うこともできなくなって、
惨めな状態になったとしたら、きっともう死なせてくれと望むでしょう。
もちろん我々は動物ではないけど
人間はきっと、通常言われているよりも賢くて、
死が差し迫って避けがたいと分かっているのに
なすすべもなく、ただ座して(lying around useless)死を待つというのは
嫌なんだと思うんです」
人間はきっと、通常言われているよりも賢くて、
死が差し迫って避けがたいと分かっているのに
なすすべもなく、ただ座して(lying around useless)死を待つというのは
嫌なんだと思うんです」
(一部、聞き取りに自信がない箇所もあります)
犬でも人間でも、基本イメージは、どうやら useless らしい……。
なんの役にも立たないのに……。
なんの役にも立てないまま……。
なんの役にも立てないまま……。
ちなみに、英国医師会は今日からリバプールで年次大会を開いており、
自殺幇助合法化を求める意見表明の動議が出されています。
自殺幇助合法化を求める意見表明の動議が出されています。
動議の提出者 Dr. Kailash Chandiが、
その意図などをGuardianに書いているので、
こちらについては、できたら明日のエントリーで。
その意図などをGuardianに書いているので、
こちらについては、できたら明日のエントリーで。
現在、議会で審議されているのは
自殺目的で海外へ行く人に付き添う行為を違法としないとの法改正に過ぎないのに、
自殺目的で海外へ行く人に付き添う行為を違法としないとの法改正に過ぎないのに、
Pratchettの話の中にも、医師会の動議の中にも、
ターミナルな人の自殺幇助そのものの合法化が含まれていることの不思議――。
ターミナルな人の自殺幇助そのものの合法化が含まれていることの不思議――。
それを言えば、
BBCの記事タイトルまでが「自殺幇助法案」となっていることも不思議――。
BBCの記事タイトルまでが「自殺幇助法案」となっていることも不思議――。
2009.07.01 / Top↑
去年11月にSouth Carolina大学の遺伝カウンセリング・プログラムの呼びかけで
米国の以下の5団体の代表者が一堂に会して2日間の会議を行い、
このたび、一定のコンセンサスと今後の努力目標を発表。
米国の以下の5団体の代表者が一堂に会して2日間の会議を行い、
このたび、一定のコンセンサスと今後の努力目標を発表。
The National Down Syndrome Society (NDSS)
The National Down Syndrome Congress(NDSC)
The American College of Obstetricians and Gynecologists(ACOG)
The American College of Medical Genetics (ACNG)
The National Society of Genetic Counselors(NSGC)
The National Down Syndrome Congress(NDSC)
The American College of Obstetricians and Gynecologists(ACOG)
The American College of Medical Genetics (ACNG)
The National Society of Genetic Counselors(NSGC)
発表されたコンセンサスはこちら。
これら医療専門職とダウン症候群アドボケイトの間で合意されたコンセンサスとは
・ダウン症の人の生活と価値についてのバランスが取れた、正確でパブリックな情報が必要。
・医療専門職がダウン症候群について最新の情報に基づいた教育を受けることが必要。
・妊娠中の親に対して行われる遺伝子診断に関する教育は一貫していること、
・そして、遺伝子診断を受ける親への情報は、完全で一貫しており、善悪の判断や強制を含まないこと。
・医療専門職がダウン症候群について最新の情報に基づいた教育を受けることが必要。
・妊娠中の親に対して行われる遺伝子診断に関する教育は一貫していること、
・そして、遺伝子診断を受ける親への情報は、完全で一貫しており、善悪の判断や強制を含まないこと。
その他、これら機関は今後、
一般の人やアドボケイト、医療職に共通して見られる「誤解」の解消に努めるとしている。
(原語は misconception なので「誤解」よりも「誤った認識・事実誤認」というニュアンス)
その誤解とは、
一般の人やアドボケイト、医療職に共通して見られる「誤解」の解消に努めるとしている。
(原語は misconception なので「誤解」よりも「誤った認識・事実誤認」というニュアンス)
その誤解とは、
・産科医が出生前診断を進めるのは先天性の障害や遺伝病の人を社会から減らすためだというのは誤解である。
・全ての妊婦に出生前診断を提供することの目的が、ダウン症候群の子どもを減らすためだというのは誤解である。
・出生前診断でダウン症候群と診断された妊娠の90%は人工中絶されているというのは誤解である。
・NDSS と NDSCがプロ・ライフの組織だというのは誤解である。
・修士号を取得した遺伝カウンセラーは親に人工中絶を受けるように誘導するというのは誤解である。
・出生前スクリーニングと検査はひとえにダウン症候群の検出のために行われるものだというのは誤解である。
・全ての妊婦に出生前診断を提供することの目的が、ダウン症候群の子どもを減らすためだというのは誤解である。
・出生前診断でダウン症候群と診断された妊娠の90%は人工中絶されているというのは誤解である。
・NDSS と NDSCがプロ・ライフの組織だというのは誤解である。
・修士号を取得した遺伝カウンセラーは親に人工中絶を受けるように誘導するというのは誤解である。
・出生前スクリーニングと検査はひとえにダウン症候群の検出のために行われるものだというのは誤解である。
今後もこれら団体の代表者は対話を続けていく、と。
また今後の協働の可能性として、
また今後の協働の可能性として、
・NDSS と NDSCが助成金を受け
ダウン症候群の診断を受ける親に渡す情報の“ゴールド・スタンダード”と
親同士のサポートの研修マニュアルを作る。
NSGC, ACMG, ACOGの代表者はこのプロジェクトに協力する。
・これら組織は、ダウン症に関する、最新の包括的な情報を家族に提供するべく、
ガイドラインや患者教育の資料作りに協力する。
・ あるべき医療のモデルを作るべく、研究協力をする。
ダウン症候群の診断を受ける親に渡す情報の“ゴールド・スタンダード”と
親同士のサポートの研修マニュアルを作る。
NSGC, ACMG, ACOGの代表者はこのプロジェクトに協力する。
・これら組織は、ダウン症に関する、最新の包括的な情報を家族に提供するべく、
ガイドラインや患者教育の資料作りに協力する。
・ あるべき医療のモデルを作るべく、研究協力をする。
――――――――
この合意、どう捉えていいのか、ちょっと、よく分からない。
よく読んでみると
9割が中絶されているという統計があったのは事実で
ただ、最近の統計がないまま古い統計が使われているから
早急に最新の統計を出さなければならないという話に過ぎないので、
それを「9割中絶というのは事実誤認である」と言い切ってしまうのは
言い過ぎではないのか、とも思うし。
9割が中絶されているという統計があったのは事実で
ただ、最近の統計がないまま古い統計が使われているから
早急に最新の統計を出さなければならないという話に過ぎないので、
それを「9割中絶というのは事実誤認である」と言い切ってしまうのは
言い過ぎではないのか、とも思うし。
「中絶に誘導する」とか「減らすための診断だ」というのは事実誤認だという部分も、
あくまでもインフォームドされた自己選択のための情報提供である、
というのが中身だったりもする。
あくまでもインフォームドされた自己選択のための情報提供である、
というのが中身だったりもする。
医療職に正しい知識をしっかり持ってもらうべく教育を、というのは大賛成だし、
両者で情報提供や医療のスタンダードを作るという方向そのものには賛成なのだけど、
両者で情報提供や医療のスタンダードを作るという方向そのものには賛成なのだけど、
ダウン症についてのみ合意が行われることが
出生前診断で分かる病気や障害の中に一定の線引きをすることに繋がる可能性はないのか、という点とか、
出生前診断で分かる病気や障害の中に一定の線引きをすることに繋がる可能性はないのか、という点とか、
ダウン症で「親の意思決定をサポート」というスタンスが確認されてしまうと、
これから出生前遺伝子診断で分かる病気や障害がどんどん増えていく可能性のなかで、
それらに対しても「親の決定権」が規定路線という前提を設定することにはならないのか、とか。
これから出生前遺伝子診断で分かる病気や障害がどんどん増えていく可能性のなかで、
それらに対しても「親の決定権」が規定路線という前提を設定することにはならないのか、とか。
(それとも英米では既に規定路線なのか?)
医療と親だけでいいのか、
実際に社会で障害児・者を支援していく方策の議論がそこに加わらなければ
「産むか産まないかは親の決定権、だから社会に迷惑をかけず自己責任で育てなさいよ」ということに
落ちていきかねないのではないか、とか。
実際に社会で障害児・者を支援していく方策の議論がそこに加わらなければ
「産むか産まないかは親の決定権、だから社会に迷惑をかけず自己責任で育てなさいよ」ということに
落ちていきかねないのではないか、とか。
2009.07.01 / Top↑