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Washington州のGig Harbor映画祭(今年が2回目)に
“The Suicide Tourist”というタイトルの作品が出品されている。

監督はカナダ人の John Zaritsky。

Dignitasでの自殺幇助ケースを2つ取り上げており、
最初のケースは英国在住米国人のCraig Ewertさん(59)。
スイスのチューリッヒへ旅してDignitasの人たちに身を託す最後の4日間を追ったもの。

2つめはVancouverの夫婦で、
心臓病の末期の夫と、全く健康な妻とが一緒に死にたいとDignitasに希望しているケース。

(こちらのケースについては、記事にこれ以上の詳細はありませんが、
4月にBBCインタビューでDignitas創設者が語った夫婦のことと思われます)

Zaritsky氏は、すでに世界20の国または州でこの映画を上映しているが
米国では John McCain の地元 Arizona と Sarah Palin の地元 Alaska に次いで
Gig Harborが3番目とのこと。

Zaritsky氏は
自殺幇助は米国では中絶と同じくらい感情が絡んで難しい問題だ、と。

また、現在はルー・ゲーリック病の歌手でありダンサー、Carla Zilbersmithさんの
ドキュメンタリー映画“Leave Them Laughing”を製作中だとのこと。

ミュージカル仕立てで
「死ぬことについての私の最初のコメディ映画です」と。

Film explores emotional world of assisted suicide
The Peninsula Gateway, October 14, 2009


Ewertさんの映像は、既に去年末に英国で、
また今年の夏にはオーストラリアでもTV放映されたことを当ブログでも拾っています。
(詳細は文末のリンクに)

しかし、この記事の胡散臭さといったら、もう鼻をつまみたいくらいで、

・Ewertさんは「ターミナルな病気だった」と記事は書いているが、彼はALSの患者。
 自殺には症状が悪化して苦しんで死にたくないという理由のほかに、
 妻に介護負担をかけたくないとの理由も。

・EwertさんがALSなのに病名を出さずに「ターミナルな病気」としたために
現在作成中のドキュメンタリーの主人公の病名もALSとは言えなくなったらしくて、
「ルー・ゲーリック病」と。しかし、ルー・ゲーリック病とはALSのこと。

・Dignitasのことを「自殺したい人が助けてもらえる世界中で唯一の場所」。
 またDignitasは「死後の生へのトラベル・エージェントと呼ばれている」。

これだけ露骨にやれば記事の意図とか背景がバレバレになるから、
分かりやすいといえば分かりやすいわけでもありますが、

そういえば日本の新聞記事で、
Dignitasを「慈善団体」と紹介した妙なのがありましたっけ。

ドイツで消極的安楽死が法制化されたものを
自殺幇助が合法化されたかのようなデタラメに作り変え、
話をわざわざDignitasでの自殺ツーリズムとつなげてみせた、
しかも「人口増えすぎて困るから自殺幇助合法化を」とトンデモな論旨の、
あれもまた、なんとも不可思議きわまりない誤報記事でした。

(繰り返しておきますが、上記リンクの読売の記事は誤報です。
ドイツでは自殺幇助は合法化されていません。詳細はこちらエントリーのコメント欄を)


それにしても、Ewertさんの幇助自殺の映像が
既に20の国と州で流されたというのは衝撃。

そのうち、いくつの国や州で
ALSが「ターミナルな病気」と言い換えられたのだろう?

「運動神経の病気」という言い換えもよくある。
私もコメントで教えてもらうまで、引っ掛かりは覚えつつ、イマイチよくわかっていなかった。

メディアには、実に微妙・巧妙な情報操作があふれていることを
常に頭においておかなければ……。

この前、「情報リテラシー」という言葉を見て、はっとしたけど、
つまりは、こういうことなのかしら。




2009.10.16 / Top↑
2月に英米のメディアが(当ブログも)大きな衝撃と共に大騒ぎした
「死の自己決定権」アドボケイト団体 Final Exit Network による一連の自殺幇助事件で
(詳細は関連エントリーを文末にリンク)

久々の続報。

Judge side with group
The Forsyth News, October 15, 2009


FEN側からの訴えを受け、
関係者の逮捕時に差し押さえられたFENの資金33万ドルを返却するよう
裁判所がGeorgia州に命じています。

差し押さえた際に、必要な書類手続きが後追いで行われることになっていたのだけれど、
あまりにも証拠書類が多くて(検察がまだ手をつけていない証拠が30箱以上あるそうで)
その手続きが行われていないため。

そういう事情ならば
地元新聞の記事のタイトル「判事、FENに味方」というのは
事実を正確に伝えているとは言えないと思うのだけど、
それはともかく、記事から気になる事実を拾っておくと、

差し押さえられなかった資金がFENには、まだ3万から4万ドル残っており、
活動は継続できる状態にあるらしいこと。

今回FEN側が資金返却を求めた裁判で
Forsyth郡上級裁判所に提出された29ページの供述書によると、

2008年6月にFENの自殺幇助を受けて死んだとされるCelmer氏の死因は
ヘリウム吸引による窒息で、殺人と断定されている。

Celmer氏の死後に、妻が死のコンピューターに残っていたFENの書類を発見。
部屋にはFENの本も複数冊あった。

また、妻が見つけたものの中には
2008年5月1日付のSheridan(逮捕されたFENメンバー)宛の手紙もあって
自殺方法としてヘリウムを使いたいと書かれていた。


2009.10.16 / Top↑
こちらのニュースで初めてその実態を知った時から


どうして平然とそういう事態を作れるのか、また放置できるのか、さっぱり理解できないし
背筋が凍りっぱなしの事態なのだけれども、

米国のナーシング・ホームでは
高齢者、障害者と触法精神障害者が雑居状態となっており、
無抵抗の高齢者や障害者に対する暴行、強姦、殺人まで起こっているのに
もう何年も実態調査もされず、対策も取られていない。

イリノイ州では、
先月、地元の新聞が長いシリーズを組んでこの問題を取り上げたのを受け、
州知事が7部局から成るナーシング・ホーム安全作業チームを立ち上げた。

現在、ナーシング・ホームには、
精神病院、刑務所、ホームレスのシェルターを経由して
精神障害者が送られているが、

そこに地域ベースのほかの選択肢を考える、
さらにハイリスクの精神障害者のみを対象とする施設の新設も検討する、と。

State Admits nursing home ills
The Chicago Tribune, October 9, 2009


まだマスコミが動けば、それでも行政は、やっと重い腰を上げるようだから、
ローカル・メディアのジャーナリズムの皆さん、どうか、がんばってください。

日本でも。
2009.10.15 / Top↑
先月、連邦地方裁判所が

数十年前に州立の精神病院に変わるものとして次々に出来た民営のアダルト・ホームに
NY市内の精神障害者約4300人が入れられていることについて、

実質的に入所施設であり、州による差別、米国障害者法に違反している、と判決。
10月半ばまでに改善計画を提出するよう、州に命じた。



この判決を受け、精神障害者の家族・親族らは
施設然とした環境から家族が開放されることを歓迎する一方で、

はたして彼らに独立して生活することが出来るのか、
以前、試みた自立生活で命に関わるような行動があったり、
薬を飲むことができなかったりしたエピソードを振り返っては
ただホームから地域に出されるのでは困ると、懸念も募っている。

精神障害者のアドボケイトらは
ホームから出せばいいということではなく、
supported housing 支援つき住居をいかに実現させていくかという問題、と。



詳しいことを知っているわけではないけど、
70年代くらいに精神病院から地域へというノーマライゼーションで
米国で州立の精神病院が相次いで閉鎖されたことは、

日本でも、例えば障害者自立支援法で
「精神障害者を病院から地域へ」という理念を打ち出す際などに
よく「欧米では」と引き合いに出されるのだけれど、

これ、ふたを開けてみたら、
実際は精神病院から出して民間の小規模施設に閉じ込めていただけだったという話?

地域に受け皿やサービスを先に作ることをしないで、
病院から追い出すことを先行させれば、
それは日本でも同じことが繰り返されるだけのような……。

自立支援法では、精神病院の敷地内にそれらしい施設さえ作って、
患者を敷地内で移動させればそれでいい、という話もあったみたいだし。

高齢者では、支援つき住居の整備が
ここ数年、急ピッチで進められている印象があるのだけど、
障害者の場合も、支援つき住居で支援を受けながら自立して暮らすということが
もっと、いろいろ検討されてもいいんじゃないのかなぁ……。
2009.10.15 / Top↑
仕事の関係で、”救済者兄弟”や映画「私の中のあなた」のこと
まだ、あれこれと考え続けている。

そしたら、今日、
ものすごく基本的な疑問が、ふっと頭に浮かんだ。

なんで今まで考えてみなかったんだろうと不思議なくらい、ごく基本的な疑問。

米国ではES細胞研究でヒト胚を作って廃棄することの倫理問題は
ものすごく大きな議論となって、

そのためにブッシュ政権下ではES細胞研究への公的助成が制約されていたくらいだった。
(民間の資金ではバンバンやってもOKだったところが、倫理問題としてはどうなのか、よく分からないけど)

そういう倫理観を持った国で、
”救済者兄弟”を作るために余分のヒト胚をたくさん作って、
ドナーとしての条件に合うもの以外は廃棄するということの倫理性は、
どうして黙って見過ごされてしまうのだろう。

その矛盾は、一体どういうことなのだろう?

2000年に世界で初めて作られたコロラドの救済者兄弟では
30個の胚が作られたというのだから、
29個は廃棄されたことになるのだけど……?





2009.10.15 / Top↑
すごい。Obama大統領の医療改革案が上院の委員会を通過。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/8304375.stm

エストロゲンとプロジェストロン併用のホルモン療法では、乳がんだけでなく肺がんのリスクも上がる。:これ、A事件においても重大な情報。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2809%2961526-9/abstract?&elsca1=Vol.%20374%20Number%209697%20Oct%2010,%202009name&elsca2=email&elsca3=segment

Lancetにまたも早産に関する global burden の研究。この、burden という言葉が、私は癇に障って仕方がない。早産も障害も、みんな世界の“負担”であり、“お荷物”・“重荷”であり、“迷惑”だから、それがいかに迷惑かということを数値化して分かりやすく示してみよう……IHMEのthe Global Burden of Diseaseプロジェクトの理念とは、結局そういうもの。この早産の調査研究も、March of Dimesがやったものだけど、後ろにはシアトル子ども病院、IHME(WA大学)や、ゲイツ財団がいるに決まっている。
http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736%2809%2961762-1/fulltext?&elsca1=Vol.%20374%20Number%209697%20Oct%2010,%202009name&elsca2=email&elsca3=segment

Johns Hopkinsの助教授がWPで豚インフル・ワクチンの疑問について答えている。:問題は、こういう権威ある病院の権威ある研究者への信頼がもう崩れてしまっていることかも。私もこのブログをやりながら、なるべく偏見は持たないようにしたいと自重しているつもりだけど、時代というものの方向性とか世界で起こっていることの大きな図を考えると、真実と偏見の境がさっぱり分からなくなってしまう。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/13/AR2009101303171.html

アルバニアが今頃になって、カルカッタに埋葬されているマザー・テレサの遺骸を引き渡せとインドに要求、インドが蹴った。なぜか……までは読んでいない。(いつもながら補遺の記事は、ほとんどタイトルだけ、せいぜいがリード部分を流し読み程度の、ブックマーク代わりなもので)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/8306423.stm
2009.10.14 / Top↑
Trafiguraといえば、当ブログでも以下のエントリーで追いかけてきたように、
毒性廃棄物を象牙海岸に打ち捨てて甚大な被害を引き起こした英国の悪徳石油会社ですが


この事件が現在、英国の議会で追及されています。

そこで、Trafiguraは法律事務所を使って、
国会に提出された事件の報告書の内容を報道することに対する裁判所の禁止命令をとり、
Guardianに対して口封じの圧力をかけた。

昨日の夜になって法律事務所から連絡を受けたGuardianは
当日の今日、議員による質問の内容を報道することができなかったのだけれど、
(おそらく他のメディアも事情は同じだったのでしょう)

なんと、すばらしい、インターネット時代。
SNSやTwitterの利用者が議会での質問内容を次々とアップするうち
Private Eyeというネット雑誌と名の知れたブログ2つが全文掲載。

Guardianが他の全国紙と一緒に対応を検討していたお昼には
法律事務所もメディアへの口封じを諦めたようです。

しかし、今回のTrafigura側の行動には
当の質問をした議員から、議会侮辱罪にあたるのではないか、との指摘も出ている。

裁判になった案件で民間企業がその事件に関する事実を伏せておこうとして
禁止命令をとるという例がこのところ増えており、
それは大手企業を利することになるだけで、
言論の自由の封殺、社会の番犬としてのジャーナリズムの機能封殺に繋がるので
裁判所はこうした命令に対してもっと慎重になるべきだ、との批判が出ている。



おー、おー、なんとも、えげつないこと。

しかし、悪徳企業が隠蔽しようとした情報を
SNS、Twitter、ブログといった一般市民のツールが次々と伝えていったという下りには、
思わず血沸き肉踊りコーフン、頭の中に雄雄しいマーチが鳴り響くかのようでした。

日本でも、ある主の情報は報道されないことになっているようでもあり、
日本のメディアには、もはや社会の番犬としてのジャーナリズムの機能は
期待できないのかもしれないと思うことは多いし、

Ashley事件の背景を考えると、
米国のメディアは、もっと恐ろしい力の影響下にあるらしいという気がするし、

そういうことを考えると、
時に絶望的な気分にも陥りそうになりますが、
この英国のニュースには、ちょっと希望を感じさせてもらいました。

人が真実を知ろうとする限り、
真実は、いずれ必ず明らかになるもの――。

Ashley事件の真実も、いつか必ず──。

私はずっとそう信じてきたし、
これからも、できる限り、そう信じ続けたいと願っている。
2009.10.14 / Top↑
英国で終末期医療のクリニカル・パスとして作られ日本でも翻訳されている
Liverpool Care Pathway(LCP)が機械的に適用されて
ただ手間をかけずに患者を死なせていくためのプロトコルと成り下がっていると
現場医師らからメディアへの告発があったことを、
つい先日、こちらのエントリーで紹介したばかりですが、



このような現場の思考停止状態の犠牲者がついに出ました。

Jack Jonesさん76歳。
癌が再発しているので、もう打てる手はないと医師に告げられ、ホスピスに入った。

ところが、家族によると、
食べ物と水分を与えられず、出てきたのは鎮痛剤だけだった。

Jonesさんは2週間後の1月14日に死亡。
死後になって、実は癌の再発ではなく、肺炎だったことが判明した。
適切な治療を受けていれば命を落とすことはなかったのだ。

未亡人は夫の受けた治療を「野蛮」、医師による殺人だと批判。
訴訟を起こし、病院は未亡人と和解し18000ポンドの慰謝料を支払った。

が、病院側弁護士はライアビリティを否定。
ただ裁判に持ち込むと多額のお金がかかるので、和解しただけだ、と。

病院側はJonesさんにLCPが適応されていたわけではないとしているものの、
LCPを採用している病院であることから
患者一人ひとりを丁寧にケアする姿勢が失われて、
患者を機械的に分類し、その分類が一人歩きしているのではないかと
LCPの適用姿勢への疑問が大きくなっている。



これは、自殺幇助議論がかまびすしい英国からのニュースなので
一応「尊厳死」の書庫に入れることにしましたが、

実際には「終末期医療」とか「尊厳死」の問題というよりも英国版「無益な治療」という感じ。

……というよりも、
「尊厳死」の問題が、ものすごい速度で「無益な治療」概念に近づいていっている。
もう、ほとんど重なりかけている、という気がする。
2009.10.14 / Top↑
ネブラスカ州 Lincoln の地味なローカルニュースですが、
先日来、時々、目に付いていた事件。

28歳の男性が22歳のルームメイトの自殺を幇助したと
自分で友人にぺらぺらしゃべって、
それで逮捕された、という事件。

当初、自殺幇助の容疑で逮捕されたのですが、

今日、出てきた続報で、
検察は当初予定していた自殺幇助の容疑をランクアップさせて
第2級殺人で起訴することに決めた模様。

20年の懲役から終身刑の対象。

裁判の記録によると、
Dallas HustonはルームメイトのJohnsonさんの身体を毛布でくるんで
顔にポリラップをかぶせた。

Johnsonさんが息をしようとラップを取り外したので、
Hustonは枕で窒息させた、とのこと。


それでも、今日のニュースタイトルは
「自殺幇助事件で……」となっているのが、すごく不思議。

そもそも、ターミナルで耐えがたい苦痛がある人が死にたいと望んだ場合に
一定期間を置いて複数の医師が慎重に判断したのちに、
医師が毒物を処方しても良いかどうか、という「自殺幇助」が議論されているはずだったのに、

「ルームメイトが死にたがっていたから手伝って殺してあげた」という事件に対してまで、
「自殺幇助」という言葉でくくられて、どんどん社会の垣根が低くなっていくような気がする。

そして、いつものように、
「死の自己決定権」の“すべり坂”はここにこういう形で既に起きているじゃないか、と思う。






【11月28日追記】

Hustonは裁判で無罪を主張したようです。

2009.10.14 / Top↑
早稲田大学の岡部耕典氏による、カリフォルニア州の知的障害者の自立支援、調査報告。Supported Living Servicesについてなど。:CA州は財政破綻で教育と福祉の予算を切っていると聞くけど、影響どうなんだろう。
http://www.eft.gr.jp/supported-living/091011okabe-sub.pdf

ロシアの障害児・者の惨状。障害児は教育を受けられないまま。バリアフリーなどないため、何年も家から出たことがない障害者。障害者へのヘイト・クライムは多発して、家の前で殴る蹴るの乱暴を受けた障害者は「ソビエト時代より酷い。この社会は障害者に宣戦布告でもしたみたいだ」と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8302633.stm

かの権威あるメイヨー・クリニックに、メディケア、メディケイドの患者受け入れを制限している、との批判。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/12/AR2009101202803.html

まれなケースだけど、母親から胎児に癌が移ることも?
http://www.guardian.co.uk/science/2009/oct/12/cancer-passed-from-mother-foetus

イラクで一番死傷しているのはハケン・契約兵士。イラクとアフガニスタンの米軍の半分は民間の契約兵士で、正規の兵士3人に対して民間の契約兵が1人死んでいる計算になるのだけれど、国防省に無視されている。
http://www.propublica.org/feature/kbr-contractor-struggles-after-iraq-injuries-1006
http://www.propublica.org/feature/civilian-contractor-toll-in-iraq-and-afghanistan-ignored-by-pentagon-1009
2009.10.13 / Top↑
Matthew Millington さん31歳はイラクからの帰還兵。

不治の呼吸器疾患があったため2007年4月に両肺の移植を受けたのだけれど、
そのドナーは一日に30~50本もタバコを吸うヘビー・スモーカーだったため、
6ヶ月後に肺がんになってしまった。

通常なら、移植臓器に不具合が生じた場合には
NHSで再度の移植を受けることが出来るのだけれど、

がん患者には臓器移植は行わないというルールに引っかかって
次の移植は受けられなかったばかりか、
移植後に飲んでいた拒絶反応を抑制する薬によって
がん細胞の増殖が加速されてしまった。

去年2月に死亡。

移植を手がけたPapworth病院は心臓と肺の移植を手がける英国の主要的センターで
調査の結果、このような事態を招いた背景にあったのは
放射線技師と担当医らのコミュニケーション不足、とされ、
検視官はMillington氏の死因を「臓器移植の合併症」と記録。

ドナー肺について病院側は
移植前にレントゲンで調べた際には異常はなかったし
移植に使う臓器は厳重にチェックしている、と。

Millington氏の父親は
「ミスがあったとしても、悪意からのものではないし
Papworthで移植に使われる肺の51%は喫煙ドナーのものだというのも事実。
そういう肺を使わなければ、もっと多くの人が移植できずに死ぬのだから」と述べ、
特に法的な措置をとる考えはない、と。

この記事で、私が大きなインパクトを感じたのは、
残された妻(記事に寄せられたコメントでは婚約者としているものも)の言葉で

「Matthewが望んでいたのは、
ただ、もう一度、別の肺(another set of lungs)が欲しいということだけだったのに。

『不良品(a dud pair)を使われたんだから、別の(another set)をくれよ』と言ってたわ。
克服できると考えていたのに、それから、あっという間に状態が悪くなってしまった」



このニュースには、
喫煙者の肺を移植に利用することそのものの安全性、
病気が潜んでいる可能性のある臓器を移植に使うこと一般の安全性、倫理性、
その場合の検査手順の厳格化や、病院の責任の範囲の明確化、レシピエントへの説明の問題、

移植が成功しなかった場合に再移植を受けられるルールの問題、
がんの原因が移植そのものであった場合に、そのルールが適用されるべきかという問題、

次の移植を受けられずに死んだ患者さんがイラクからの帰還兵だったことが
一般の患者の場合とは、また違った国民感情を引き起こしている可能性がありそうだ、
と、私は記事に寄せられたコメントを読んで感じる、その問題、

この国民感情が仮に制度化されるとしたら、Norman Fostの「無益な治療」論のように、
社会にとっての患者の有益・無益が治療の有益・無益に置き換えられていきそうな不気味さ……

……などなど、いろんな別問題があるのだろうと思うのだけど、

記事と、そこに寄せられた読者コメントを読めば読むほど、英国では
臓器というものは、いつでももらえて、何度でももらえて、それが当たり前のもののようで……


この記事を読んでいたら、
深刻な臓器不足という言葉が頭に浮かんで、だんだんと大きくなっていき、

another set、a dud pair と一緒になって、蛍光色のネオンサインみたいにチカチカし始めた。
2009.10.13 / Top↑
米国で豚インフルエンザ・ワクチンの接種が始まり、
医療の第一線にいる職種の人たちに対しては優先的・強制的に行われることになっているものの、
その医療現場の医師や看護師の間からワクチン拒否が起こっているらしい気配を
先日来のニュースでいくつか拾っていたのですが、

例えば、9月26日のWPで医療職がワクチンを拒否する理由として挙げられているのは以下。

・製造を急いだワクチンの安全性には疑問がある
・ワクチンの実験に使われたくない
・接種は個人の選択によるべきもの

Mandatory Flu Shots Hit Resistance
The WP, September 26, 2009


米国社会では、ワクチンに対する拒絶反応というのは
自閉症のワクチン犯人説(これは科学的には否定されたということなのですが)を中心に、
なにやら非常に過激な政治運動にまで発展しているところがあって
そのあたりのことになると私にも理解を超えているのだけど、

その背景にあるのは、
利益至上の価値観で平気でデータを捏造したり
潤沢にマーケティング・ロビー活動資金を使う巨大製薬会社と
その働きかけに易々と癒着してしまう研究者、政治家、FDAの実態とに
薬に対する信頼感が根底から揺らいでいるのだろうということは理解できる。

日本ではほとんど報道されないし、
それ自体が実はアメリカの現実以上に怖い面もあると思うのだけど、
実際に、薬を巡るスキャンダルには目を覆わんばかりのものがあります。

それが今回の豚インフル・ワクチンへの不信に繋がっていても、ちっとも不思議ではないけれど、
今回の抵抗が医療職から出てきているだけに、なんだか、余計に考えさせられる。

ちょっと脈絡は遠いように見えるかもしれませんが、個人的には
スポーツでのステロイド解禁説の最先鋒である Norman Fost 医師が
自分自身は頭痛薬すら極力飲まないようにしているという話を思い出した。


そうした世の中に漂う不安感に対して、
保健部局は強制接種の開始を前にした9月末に

「豚インフルエンザのワクチン接種が始まると、
接種後に心臓発作を起こして死ぬ人も出ます、
脳卒中を起こす人流産する妊婦も出るでしょう。
痙攣を起こす子どもだっています。

でも、ワクチンを打たなくてもそういうことは起こる一定の確率はあるのだから、
なんでもかんでもワクチンのせいにして大騒ぎしないように」と。



そしたら、今度は英国でも、
NHSのスタッフから豚インフルのワクチン拒否が相次いで問題になって
保健相が各NHSの責任者に現場スタッフに確実に接種させるよう指示を出している。

どうやら季節性インフルエンザのワクチンでも
もともと医療現場のスタッフの接種率は伝統的に低いらしいのですが、
今回は1割ないし2割程度しか接種するつもりがないとの調査結果もあって、

NHSスタッフの間では、ワクチンは有効ではないし副作用もある、
毒性が低いことを考えると、打たないほうがいい、という話が流布しているとの話も。

当局は、
これでは、医療スタッフから患者に感染させることになりかねない、
第一線の医療職に免疫がなければ患者が危険に晒されるんだぞ、
ワクチンはパンデミックの押さえ込みには欠かせない措置だし
一部だけが受けたのでは意味がないではないか、
第一、現場の医療職がやられて休むしかなくなれば、
押し寄せる患者にどうやって医療が対応できるというのだ……と。


Swine flue fears grow as NHS staff shun vaccine
The Guardian, October 11, 2009/10/12


同日の米国からはNY Timesのニュースで、
米国人成人の41%はワクチン接種するつもりがない、との調査結果が報告されており、

この記事では、ワクチンについての
安全でない、治験が不十分、危険な添加物、危険な保存料、の噂の1つ1つを否定して見せている。

Nothing to Fear but the Flu Itself
The NY Times, October 11, 2009


それにしても、ずっと疑問なのだけど、
英語では当初から「豚インフルエンザ」という名称が変わらず使われているのに、
日本では、いつからか「新型インフルエンザ」に統一されたけど、なんでなんだろう?
2009.10.13 / Top↑
テルアビブ大学の研究で、子どもの命に関わる病気での遺伝子治療はやるのが当たり前のように考えられているが、子どものDNA情報へのアクセスには倫理問題があることを考え、子どもの遺伝子情報に関するプライバシーの問題を慎重に検討すべきだ、と。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/166552.php

米国の自閉症アドボケイトAutism Speakが作った啓発ビデオが批判されている。:見たけど、確かにこれは、ちょっと……。病気や障害の擬人化は危うい。「自分が起きている限り、あなたも眠らせるものか」とか「結婚しているなら、その結婚は必ずや破綻させてやる」とか。偏見を強化するだけだし、後半、一転して、そんな自閉症に立ち向かうのに、家族の愛、みんなの愛の力を合わせて……というのも、安易過ぎると思うし。2007年にNYで出てきた発達障害からの「脅迫状」啓発作戦を思い出した。
http://www.youtube.com/watch?v=HDdcDlQVYtM

生殖補助医療で生まれる子どもは多胎児になる確率が高く、また障害を負う確率も高い。:遺伝子異常が発生する確率も高い、という話がこちらにあった。
http://www.nytimes.com/2009/10/11/health/11fertility.html?_r=1&hp

ヘイトクライムの定義を拡大し、同性愛やトランスジェンダーを理由にした暴力も含める
法改正案が下院を通過。:281対146。反対票が146もあるというのにびっくりした。
http://www.nytimes.com/2009/10/09/us/politics/09hate.html?th&emc=th

07年に105歳で亡くなった慈善家のBrooke Astorさんの息子に、母親のアルツハイマー病に付け込んで財産を不正に手に入れたとして有罪判決。
http://www.nytimes.com/2009/10/09/nyregion/09astor.html?th&emc=th

現在富裕国で生まれている赤ん坊の半数以上が100歳まで生きる。:10月3日の補遺でも、英国の新生児について同じことが言われているニュースを拾っている。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/166426.php

ICUで死亡する患者の半数は入院から24時間以内に死亡するのにもかかわらず、ICUでは終末期の医療に関する体制が出来ていない。:安楽死とか自殺幇助とか、「死の自己決定権」に一足飛びに行く前に、こういうことをちゃんと丁寧に考えましょうよ……といつも思う。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/166392.php

国立心臓・肺・血液研究所(NHLBI)が大規模なDNAシークエンス・プロジェクトでワシントン大学にグラントを認めた。:WUはますますご発展です。なにしろ最先端の科学とテクノに関しては、大きな政治的な後ろ盾がある。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/166451.php

ケアホーム入所の高齢者は一人平均8種類の薬を飲んでいて、与薬ミスが10人のうち7人で起こっている。:うちの娘も抗けいれん薬を間違って飲まされたことがずっと昔にあって、胃洗浄された。あんまりだと思った。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/166437.php
2009.10.12 / Top↑
これまでに以下の2つのエントリーで取り上げてきた事件で
両親である Neumann夫妻は8月に第2級の過失致死罪で起訴されていましたが、
今後6年間に毎年30日ずつの収監と10年間の保護観察が言い渡されたようです。


この問題については検察側からも弁護側からも
州法の曖昧さが指摘されており、

今後、州議会に改正法案を提出するという議員が複数いるものの、
親のネグレクトや虐待に関する宗教的な理由の除外規定の撤廃を目指す法案が検討されている一方で、
むしろ除外規定の対象を祈りによる治療以外にも広げようとの趣旨の法案も。

米国では1982年以降、宗教上の理由で子どもに医療を受けさせなかったとして
有罪となったケースが少なくとも50例ある、とのこと。


米国の刑法のことは全く知りませんし、どういう事件だったか、もう記憶にありませんが、
つい先日も「週末ごとに刑務所に入る」という刑が下ったケースがありました。
とても柔軟な刑罰システムのようです。

この事件では、なくなった娘さんのほかにも夫婦には2人の子どもがあるから、
分割されたのは、その子育て責任への配慮でしょうか。

それにしても、
このケース、親に向ける周りの目が非常に同情的であることが、最初から解せない。

祈りで治そうと、医療によって救える病気で子どもを死なせてしまうことにも、
科学とテクノロジーで親の都合や欲望にかなった子どもを作ることにも、
米国社会は妙に寛容で、子の権利よりも親の権利を優先させているような気がする。

“プライバシー件”とはいうけれど、米国の文化の中に、
子どもを親の所有物のように考えるような部分があるのかも……?
2009.10.12 / Top↑
映画「私の中のあなた」を見るにあたって、
2年前に読んだ原作小説を再読したので、
その両方の中から、今後“救済者兄弟”の問題を考えるに当たって、
参考になるかもしれない情報をメモとして以下に。

・ まず、サラとブライアンにこのようなテクノロジーの可能性を示唆した人物は
原作でも映画でもケイトの主治医のDr. Chanceなのだけれど、
小説の方では単に「次の子どもを産んでみたら、
たまたま適合したケースもあった」という話として出てきたのに対して、
(その後、夫婦がどのように具体的な技術に行き着いたかは語られていない)

映画では直接的に「技術的に適合を保障することは可能」と医師が明言していた。
ただし、「これは法的には医師が公言してはまずいのだけど」という前置き付きで。

これまで兄弟の治療目的の臓器提供者としての遺伝子診断の利用を法的に認めていると
当ブログが読みかじった情報で確認が取れているのは英国とスウェーデンとフランス。
(ただし英国のヒト受精・胚法改正法の施行はまだだと思います)

スペインと米国で生まれているのは事実ですが、
その法律的な背景は定かではありません。
(詳細は以下のリンクに)

・映画の法廷でのサラと弁護士のやり取りの中で
骨髄提供まで白血球の提供と同じように扱われて
針の大きさだけが問題視されていたけれど、

オーストラリアの医療における子どもの権利擁護システムでは、
骨髄提供はガーディアンシップ委員会の了承を必要とする「特殊な医療」と規定されています。
それだけドナーへのリスクが大きいということであり、
映画ではアナが合併症を起こして2週間の入院を要したことによって
そのリスクを間接的に表現して終わったのが気になった。

・原作小説によると、骨髄移植に必要な費用は最低10万ドル。


2009.10.10 / Top↑
昨日、映画「私の中のあなた」を見てきました。
それで、いろんなことを考えているうちに、なんとなく
自分がとても強い予断を持って見たような釈然としない後味が残ったので、
今日もう一度いって見てきました。

まだ、いろんなものが未整理で混沌としたまま、ぐるぐるしているので、
これは、脈絡なしの、私自身のメモのようなものです。

注)もろにネタバレしています。

・原作とはずいぶん違っている点はあったけれど、全体に、1つ1つのシーンに原作の複雑な背景をコンパクトに象徴させて、あれだけの長い作品の世界をうまく描ききってあったような気がする。映画として悪くなかっただけでなく、ある意味では原作をさらに普遍化して、より親のエゴの本質に迫ってすらいるのかもしれない。この映画は「家族の物語」というよりも、「親と子の関係性」、「親であるということ」を問う物語となっているような気がする。

・ただ、そのために、逆に、アナが臓器ドナーとしてテクノロジーで作られたデザイナーベビーに設定されていることの意味が薄れてしまっているのも事実。特に日本では多くの人が、”救済者兄弟”が既に生まれている現実を知らずにこの映画を見ることを思うと、そこのところが、やっぱり、ちょっと引っかかっている。科学とテクノロジーによって親が子の生命をコントロールできるようになった時代だからこその問いが、映画ではより普遍化されて、より深く本質に近くなったともいえるけれど、時代性の中で問われている“救済者兄弟”の倫理問題そのものは逆に見えにくい。

・私がこの映画を見る前に一番引っかかっていたのは、原作で13歳だったアナがどうして11歳に変わったのかという点だった。映画はアナの訴訟を、医療における未成年の意思決定の問題というよりも、親権の及ぶ範囲の問題と捉えていると思う。カリフォルニア州では子どもが親から独立できるのは14歳からだとか、アナの医療拒否を実現するためには親権の一時停止を申し立てるとか、といった、原作にはない話が登場した。ピコーが医療決定において意思を尊重されるべきと判断される「成熟した未成年」(Diekema医師によると12歳から14歳)にアナの年齢を設定して、これを医療の問題として捉えたのに対して、映画はむしろ親権一般の問題に拡大したのではないだろうか。それもまた、テーマを“救済者兄弟”の倫理性よりも親と子の関係性へと普遍化しようとしたのだと考えると、うなずける点ではある。

・それと同じことが、裁判の結末の描き方にも言える。裁判官がアナに向かって「門限や宿題やブロッコリーを食べることについては親の言うことを聞かなければいけないとしても、あなたの身体について決定権があるのは、アナ、君自身です」と言い渡すシーンは、アナを“救済者兄弟”と人物設定したこの物語においては、不可欠なシーンだったと思う。このシーンをなくして、ケイトの死後に弁護士が届ける書類で済ませるのであれば、映画ではアナは救済者兄弟である必要はなく、たまたま遺伝子型が一致したためにドナーにされそうな妹でも良かった。逆に言えば、問題を普遍化した映画の方は、裁判の結末はエピローグで十分だったということになる。

・一方、映画では、子どもたち3人が親には出来なかった深さでお互いに理解しあっていた姿が、うまく描けていた。親が自分たちこそが子どもたちの一番の理解者であり、子にとって何がベストであるかを最も良く知っているのは親である自分たちだと思い込んでいるのが、いかに親の勘違いであるか、というメッセージは、小説以上に強く描き出されて妙味があった。

・その意味で、私に最も印象的で心に残るのは、多くの人が挙げている海辺のシーンよりも、ついに娘の死を受け入れた母親のサラを、幼子を抱く親のようにケイトが抱いてベッドに横たわっているシーン。これもまた、ケイトが生き延びる原作小説にはないシーンだ。臓器提供を当たり前として強要し、アナの無言の声に耳を傾けてこなかっただけではなく、実はサラは自分が一番守ろうとしたケイト自身の意思や声を最も手ひどく無視してきたのだ。それが映画では小説以上にくっきりと描き出されていた。親はいつまでも自分が子どもを守らなければならないと信じて疑わないし、そこには子への過剰な支配の可能性も潜んでいるのだけれど、実は子の方が、いつのまにか親をしのぐほどに成長していたりもする。

・物語のミステリーは、アナの訴訟はケイトがアナにやらせたことだった。小説で引っかかったことの1つは、それならば、なぜアナが思いがけない事故で脳死になった時に、ケイトは腎臓移植に同意したのか、という点だった。それも含めて、小説ではケイトの視点がエピローグまで出てこないために、ケイトは「白血病の少女」という、どこか抽象的な存在になってしまっている。その欠点が映画では補われて、むしろケイトの存在感が引き立っていた。病気を美化せず、なるべくリアルに描こうとしていた姿勢も良かった。テイラーとのエピソードは特に光って、問題は死ではなく、むしろ生なのだと感じさせた。実は小説では、テイラーの死を知ったサラは、そのことをケイトに隠す。そして、ずいぶん後になって知らされたケイトを激怒させる。これもまた、親が過剰に子どもを守ろうとする独善を描いて、とてもサラらしいエピソードだ。

・小説、映画のどちらにおいても、印象に残るのは let go という言葉。映画ではサラの妹がサラに向かって言っていた。あなたは最後まで諦めず病気の子どもを守りぬく母親を必死でやっていて、それ以外のことが目に入らなくなっているけど、あなたに必要なのは let go することだ、と。日本語にはなりにくいけれど、これは「諦める」ということではない。戸田奈津子さんは「受け入れること」と訳していた。ゆこうとするものを、無理やりにでも手元に残しておきたいと、しがみついていく自分の手を、ゆるめ、放してやること。障害のある子どもの親たちにも、子に障害がなくとも自分の力で将来の幸福を保証してやろうとして子にプレッシャーをかけ続ける親のエゴにも、何が何でも科学とテクノロジーで生も死もコントロールし欲望を満たそうとする時代の姿勢にも、おそらく、必要なのは、自分にはどうすることも出来ないことを受け入れ、しがみつこうとする手を緩め、放してみること。自分が手の中に捕まえていると思っているもの自身の力と可能性を信じて。(そして、親にとって、それは、なんと難しいことなのだろう……と、改めて考え込むのだけれど。)

・映画では、アナに訴訟を起こさせたケイトの意思がクローズアップされて、アナ自身には腎臓提供の意思があったかのように描かれてしまったけれども、原作には弁護士に問い詰められて、アナが「(提供拒否は)私自身が望んでいたことでもあったから」と認めるシーンがある。人の心は単色ではない。2つのまったく正反対の思いの間で揺らいでいたり、引き裂かれていたりする。相手への愛情が深ければ深いだけ、引き裂かれる痛みが深かったりもする。

・実は原作には、半ページにも満たない、不思議なプロローグがくっついている。3歳の時、私はmy sisterの口を枕で塞いで殺そうとした、たまたま見つけた父親に止められてベッドに戻され“何も起こらなかったのだよ”と言い聞かされた、と。このプロローグの「わたし」は、果たしてケイトなのかアナなのか……。私は、この「わたし」はケイトでもありアナでもあったと考えている。2人いずれにも相手を殺したいほどの思いが潜んでいても少しも不思議ではないし、その思いがあるからといって、2人が互いに抱いている姉妹としての愛情が嘘になるわけでもないと思う。姉妹だから、親子だから、夫婦だから、家族だから、その愛情はいつも愛するだけの単色であるわけではない。愛のステレオタイプほど、人の心の複雑さを見えにくしてしまうものはない。だからこそ、科学とテクノロジーが愛を口実に使う時には、余計に用心しなければならないのだと思う。“救済者兄弟”然り、生殖補助医療や遺伝子診断然り、Ashley事件然り、日本での子どもの脳死臓器提供議論も然り。

科学とテクノロジーは、親が子に及ぼす支配力を圧倒的に強力にしている。アナの訴訟が家族の亀裂を明らかにしたように、科学とテクノロジーの発展は親と子の間にある支配・被支配の関係を浮き彫りにしている。生命倫理は現在、親の愛を盾にとって、科学とテクノロジーの味方、親の支配の味方についてしまっているけれど、本当にそれでいいのか。アナの弁護士が言ったように、それでは誰が一体、子どもの側に立つというのか──。

沢木耕太郎氏は、原作を読まずに映画を見ろと書いているけれど、
私は日本でこの映画を見る人のうち1人でも多くが原作小説を読み、
科学とテクノロジーで生命の操作がどんどん可能になっていく今の時代性の中で
この物語の意味を考え直して欲しいと思う。




2009.10.10 / Top↑
(このエントリー、一部ネタバレを含みます)

このところ何度かエントリーで取り上げてきた映画「私の中のあなた」が
いよいよ明日封切りになります。

明日できれば見に行こうと思っているのですが、
原作小説を読んだのは2年も前のことで、
正直なところ、もうあまり覚えていないので、
この前から再読していて、やっと今日すべり込みセーフで読み終えました。

2年前は図書館で借りて翻訳「わたしのなかのあなた」を読んだのですが
その直後のクリスマスにこの本のペーパーバックをもらったので、
今回は英語で”My Sister's Keeper"を読みました。そのため、
専門用語まで調べることになるような面倒な引用をしないで済む範囲のことになりますが、

自分なりのメモの意味もあって、
映画を見る前に、ちょっと言葉にしておこうかと思って。

この2年間、米国の医療や生命倫理についていろんなことを知って、考えてきたし、
つい先日は ロングフル・バース訴訟をテーマにしたピコーの新作小説も読んだばかりだし、
やはり、このブログを始めて間もなかった初読の時とは印象がずいぶん違いました。

先日、その新作”Handle With Care“を読んだ時には
自分の個人的な問題との距離があったから前作の方が良いと感じたのかと思いましたが、
結局そうではなかったようです。

むしろ、今回、再読しながら感じたのは、
実は“My Sister's Keeper” も “Handle With Care”も
同じ鋳型にはめて作られた、いってみれば、同じ1つの物語なのだな、ということ。

それほど、この2つの物語、人物造形が全く同じ。
そして、その造形は、といえば、実は、日本でもおなじみの、
あの「美しい障害児の家族像」のステレオタイプに他ならない。

そして、そのステレオタイプこそが、どうやらPicoultにとって、
テーマである問題との直面を部分的に回避する仕掛けにもなっている。

例えば、2作とも母親はこれ以上求めることが出来ないほど自己犠牲的、献身的です。
病気の娘のケアのために、惜しげもなく仕事をなげうって専業母となった。
そのことを悔いてなどいない。
自分の身体がどんなに疲れ果てていようと、
常に病気の娘のケアにはこれ以上ない献身を注ぐ。
専門家をしのぐ知識と技術を身につけて、
娘の危機には、医療職に対して臆せずに命令を下すほど毅然と対処する。

(私はピコーの好む、病院で母親が医療職に指示を飛ばす場面を読むたびに、
実際にこの通りの態度をとってみな、看護師からも医師からも、
どんな仕打ちが帰ってくることやら……と苦々しい。もしかして日本だから?)

そんな母親の行動や決断がたとえ愚かであったとしても、
それは決して自分のエゴや都合ではなく、
ひとえに娘への愛情の深さゆえのことなのです。

デザイナー・ベビーを作って、その子どもの臓器提供を当然視するとか
自分の子どもの目の前で「生まれないほうが良かった命だ」と主張するといった行動をとる母親が
それでも大衆向けミステリーの作中人物として読者に許容されるためには
これ以外の母親像はありえないでしょう。

(この「病気や障害のある子に向ける親の深い愛」物語が批判封じに有効……とは
また、なにやら”Ashley療法”擁護論を彷彿とさせますが……)

それに対するに、母親ほど直接的に献身しないだけ、冷静で客観的な判断ができる、
そのために妻と対立しても娘の側に立とうとする父親。

そして、病気の子どもは、いずれも美しく、機知に富んで賢明で健気で素直。
そう、まるで、天使のように。

しかし、作者がまったく問題から逃げてしまっているというわけではなく、
挿入される数々のエピソードや周辺的な登場人物の造形によって
ピコーなりに“救済者兄弟”やロングフル・バース訴訟までやる親の愛情のあり方に
否定的なメッセージを送っています。

それが、「わたしのなかのあなた」では兄のジェシーの放火であり、
”Handle With Care“では妹の過食症でした。

そして「わたしのなかのあなた」の癲癇発作を隠して生きてきた弁護士であり、
生まれるなり養子に出された自分は誰にも愛される資格がないと感じて、
生母を捜し求めている、“Handle With Care”の弁護士であり、
病気の兄弟の死がトラウマになっている産科医の夫でした。

そして、その2作ともに、ミステリー作品の宿命でもある
読者をあっといわせる“どんでん返し”の結末が伝えようとしているメッセージは
作中の多くのエピソードと同じく「人の生き死には人智を越えたところにある」ということ。

2作とも、大きな倫理問題を取り上げながら、
正面から取り組むことが出来ずに、家族愛の物語に逃げてしまってはいますが、
全体のトーンとメッセージは、やはり
生や死を科学と技術でコントロールできるようになったというだけで、
子の生や死を親がコントロールしようとすることへの懐疑なのだと思います。

弁護士の癲癇を知った恋人が言った
You don’t love someone because they’re perfect.
You love them in spite of the fact that they’re not.

「人を愛するのは、その人がパーフェクトだからじゃない。
パーフェクトでないにもかかわらず、愛するのよ」
という言葉のように。

母親のサラが物語の終盤で言った
I realize then that we never have children, we receive them.
「子どもは“作る”ものじゃないのね。子どもは“受け取る”ものなんだわ」
という言葉のように。

そして、私にとって最もずしんと重く響いたエピソードは初読の時と同じで、
サラとブライアン夫婦がずっと若い時に旅先で出会った、占い師の言葉だった。

運勢は粘土と同じで作り変えることが出来るけど、
人が作り変えることができるのは自分の未来だけ──。


【追記】
その後、映画を見て書いたエントリーこちら

             ――――――

ついでに、先日見つけた服部弘一郎という映画評論家の映画レビューを以下に。


この人は、前にエントリーを立てた沢木耕太郎氏のレビューと違って、
救済者兄弟が現実であることをちゃんと知っていて、
冒頭でわざわざsavior sibling という英語まで使って説明している。

それでいて、どうして、次のような一文が書けるのだろう?

この映画の中で問われているのは「私は何のために生まれ、何のために今ここに存在しているのか?」という人間にとって根源的な問題だ。

それらしい言葉を適当に弄ぶのも、たいがいにするがいい。

誰もが自分なりに生きていく過程で自由に問うことを許されているはずの、
その“根源的な問い”を

生まれる前から他者に規定され、奪われてしまっている“救済者兄弟”の倫理性をこそ
この物語で、我々は考えなければならないのではないのか?

“救済者兄弟”が既に生まれている現実から目を背けないのであれば──。



【原作関連エントリー】
「わたしのなかのあなた」から
「わたしのなかのあなた」から 2
「わたしのなかのあなた」から 3
ネタバレを含みます。物語を知らずに映画を見ようと思われる方にはお勧めしません)



2009.10.08 / Top↑
前のエントリーの続きです)


このように、この論文は冒頭で、
personの定義次第だとして、重度知的障害者の基本的人権を崩してしまうのですから、

この後でプライバシー権、生殖権、親が子どもを育てる権利を次々に論じたり
これまで当ブログでもまとめてきたサイケヴィッチ判決ストランク判決など、
様々な判例を引き合いに出して長大な論文に仕立て上げているのは
みんな、議論をそれらしく見せるための単なるゴタクに等しい。

それらゴタクとコケオドシを剥ぎ取って裸にすれば、要するに

重度知的障害児・者は non-person であり、我々とは違うのだから、
我々には極端な選択肢も彼らにとっては妥当な選択肢であり得る。
親の理由によっては諸々の条件を勘案して不妊手術を許可してもかまわない

(Our everyday life experiences may not be sufficient in cases involving people who are different from ourselves. P.315)

この論文、これだけのことを強引に言い続けて、ここまでで既に35ページなのですが、
実は、この35ページは、ただの序章。

論文の主眼は、最後の5ページ、最終章にあるらしくて、
そこでは”Ashley療法”に限定した議論が行われます。

そこで主張されているのは、

現在の法的ドクトリンのままでは、
親が“Ashley療法”に関して最善の利益の証明責任を果たすことは不可能で、
子どもを保護する責務を負った裁判所が“Ashley療法”を認めることはありえない。

For a court to legally approve of the application of the “Ashley Treatment” there needs to be a flexible, yet constitutional model in place that does not create confusing legal precedent.

すなわち、裁判所が“Ashley療法”を認めるためには
柔軟で、なおかつ憲法にのっとった新しい基準が必要なのである。

This Note argues that courts should not automatically reject a request to administer the “Ashley Treatment” without performing an intensive factual inquiry into whether the “Ashley Treatment” presents a legally permissible treatment option that is in the best interests of the child.

裁判所は親からのAshley療法の要望を自動的に却下するのではなく、
Ashley療法が子どもの最善の利益にかなう療法として法的に認められる治療かどうかを
個別の事例の事実に基づいて検証すべきである。

これまでの章で検証してきたように、
重症児は我々一般とは別の世界に住んでいるのだから、

Dresserの「改定最善の利益」分析ツールやElizabeth Scottの「自律モデル」を採用すれば、
憲法で保障された人権を尊重しつつ、その子どもが住んでいる世界を十分に理解し、
(the small subjective world in which the incompetent person lives)

家族全体の利益その他を多面的に考慮した上で
我々の場合には極端な選択となることが彼らには理にかなっていると判断することは可能なはずである。

(この正当化の論理、どこか”救済者兄弟”の正当化論に通じますね。
 家族全体の利益は、その子どもの利益でもある、という……)

そこで、結論。

If the parents have presented sufficient clear and convincing evidence before a court showing that administering the “Ashley Treatment” is more important to the child than her fundamental interest in procreation and bodily integrity, then the request is extreme, but nonetheless reasonable, and courts should carefully examine whether the procedure is permissible in the particular case.

基本的な生殖における利益や身体の統合性よりもAshley療法の方がその子どもにとって重要だと
親が明白で説得力のある議論をすれば、たとえ極端なことだとしても
裁判所は認めたっていいじゃないか……と。

どうやら、この論文が延々40ページを費やして言いたかったのは

”Ashley療法”が向上させる子どものQOLは
基本的な人権や尊厳や身体の統合性よりも重要なのだ。

今のままの基準でAshley療法に裁判所がGOを出せないなら、
新しい基準を採用して、Ashley療法を法的に認めろ。


……ということは、
これを書いた人も、もしかしたら、いるかもしれない“書かせた人”も
Ashley療法が法的に認められるものではないと、承知しているわけですね。

(もしかしたら、すでに裁判所が却下した事例があるのかも……?)

「それなら”Ashley療法”はやっていはいけなかったんですね……」と
すっこむのが理にかなった判断というものだろうに、

この論文は不思議なことに、
「それなら、裁判所が”Ashley療法”を認めるには、何が必要なのか?」という発想をする。

そして、裁判所にAshley療法を認めさせるための新基準を打ち出すべく、
まずはパーソン論を持ち出して、重症の知的障害者には
憲法や国連障害者権利条約で保障された基本的人権まで否定してかかる……。

(国連障害者人権条約は、障害当事者サイドからの”A療法批判”で、よく言及されていましたしね)


この論文の論理展開の決定的な転回点は
「重症の知的障害のある人は一般の人間とは別の世界の住人である」という線引きで、
Diekema医師の“Ashley療法”正当化ロジックと奇妙なほどの重なりを見せています。

また、重症児が住んでいるのも重症児に必要なのも家族との「小さな世界」……というのも
2007年の論争でDiekema医師が繰り返していた主張でもあります。

(そういえば、この論文、イントロダクションでいきなり、
2007年1月のLarry King Live での同医師の当該発言を長々と引用しています)

Ashley事件の背後にうごめいている意図と力とは、いったい、どういうものなのか……?


2009.10.08 / Top↑
「成長抑制は障害児の尊厳を侵すものだ」との批判に対して、
Ashley事件の立役者であるDiekema、Fost両医師が今年6月に書いた成長抑制論文
「“尊厳”は定義なく使っても“無益な概念”だ」と一蹴していることから、

このところ“尊厳”が、ずっと気になっていて
大統領生命倫理評議会の「人間の尊厳と生命倫理」という報告書をめくってみたりしたところ、
(各章が長いのと難解なので、最初のところで止まってしまっていますが)

「これはあくまでも道徳的な議論なんですよ」というカムフラージュの陰で、
知的能力の低い人の“尊厳”や”道徳的地位”と見せかけて、否定されているのは実は“人権”なのではという
疑問が沸いてきていたのですが、

なんと、

“道徳的な”議論ではなく法律的な議論において、パーソン論を根拠に
憲法が万民に保障する基本的な権利から重度の知的障害者を除外する論文に出くわしてしまいました。

議論の流れとしては、十分に予測できたものなのだけど、
現実に出てくると、やはり大きな衝撃を受けます。

しかも、これが“Ashley療法”を法的に妥当とするために新たな基準を提言する論文だというのが、
また、なんというか、実に象徴的というか……。

問題の論文は以下のもので、去年9月の発表。

Revisiting the legal standards that govern requests to sterilize profoundly incompetent children:
in light of the “Ashley Treatment,” is a new standard appropriate?
Christine Ryan,
Fordham Law Review, September 26, 2008


タイトルは
はなはだしく自己決定能力を欠いた子どもの不妊手術の要望を規制する法的基準を再考する:
“Ashley療法”に照らして、新たな基準は妥当か?

40ページにも及ぶ、この長大な論文は
35ページまでの知的障害者の不妊手術に関する法的原理の検証と、
最後5ページの”Ashley療法”の考察に分かれており、

35ページまでの大まかな論旨は、

現在、重い知的障害のある子どもの不妊手術の要望を検討する際に
裁判所が用いている基準は「代理決定」原則と「本人の最善の利益」原則の2つで
この2つをミックスしたハイブリッドの判断がされるのが通例だが、
(確かに当ブログで詳細に読んだイリノイのK.E.J.ケースがそうでした)

実際には前者の原則で「本人が意思決定できたとしたら何を望んだか」を
推測することが誰にとっても不可能であるばかりか、
最初から一度も意思決定能力がなかった子どもには当てはまらない。

結局は「代理決定原則」といっても実際には「最善の利益原則」でしかなく、

判事の道徳観、価値観によって左右されているのが実情で、
これまでの諸々の判例を見ても一貫した判断が行われているとは言いがたい。

そこで、新たな基準として、Rebecca Dresserの「改定最善の利益」を採用してはどうか。

Dresserがいうように、もともと、重い知的障害のある人は”我々とは違う世界の住人”なのだから、
我々には極端な選択肢だとしても、彼らにとっては理にかなった選択肢、ということもありうる。

重い知的障害のある人の最善の利益を検討するに当たっては、
彼らが住んでいる小さな世界の内面をなるべく正確に探りつつ、
医療だけでなく心理的・社会的など外在的な要因を広く含めて検討してはどうか。
(例えば家族全体の利益とか、社会が受ける利益とか)

そこには子どもに保障された権利と、親に保障された権利の衝突が生じるが、
そもそも、親になるためには最低限の子育ての責任を担う能力が前提条件なのだから、
重症の知的障害のある人の生殖権は法的に認める必要がなく、
(Ryanは根拠として、Elizabeth Scottの「自律モデル」なるものを引っ張ってきています)

一定のセーフガードさえあれば、限られたケースでは、慎重な検討を経た上で
はなはだしく自己決定権を欠いた子どもへの不妊手術は認められて良い。


しかし、なんといっても、この論文がすごいのは、こうした本題に入る前の段階で
憲法が万人に保障している基本的権利から重症の知的障害者を除外してみせること。

また、その根拠がパーソン論だというのだから、ぶったまげてしまう。

問題の箇所は、ⅠのA「個人の権利の憲法による保障」で、

合衆国憲法は“いかなる州も
いかなるpersonからも生命、自由、財産をしかるべき法の手続きなしに奪ってはならない”と規定している、と述べた後で、

しかし、personとして道徳的な地位が認められるには一定の条件があり、
この規定ははなはだしく知的能力を欠いたnon-personには当てはまらない、と主張する。

さらに、

より包摂的な定義として、社会と最高裁は
全ての生きている人間に道徳的な地位が付与されると認めてきたし
国連障害者の権利条約は障害のある子どもにも障害のない子どもと同じ権利があるとし、
personには生まれた瞬間から憲法上の保護が付与されると規定する、と述べた後で、

”しかし、これらの定義では意識があることがパーソンであることの最低の条件となっており、
永続的植物状態やこん睡状態にある人は除外されている”、と主張。

ここで要注意点として指摘しておきたいのは、
当ブログが何度も指摘してきたパーソン論のマヤカシが起こっていること。

著者は、重症の知的障害と植物状態やこん睡状態とを(わざと?)混同しているように思われますが、

しかし、重症の知的障害児は“意識がない”わけではないので、著者の論法では、
国連障害者人権条約が保障する健常児と同じ権利の対象から
重症の知的障害者が除外されることにはなりません。

そもそも、憲法が万人に保障する基本的な人権を否定する論拠になるほどに
パーソン論がいつから世の中のスタンダードとして受け入れられたというのだろう。


次のエントリーに続きます)
2009.10.08 / Top↑
自殺に使われると知りながら
医師がターミナルな患者に毒物を渡したら犯罪になるのかどうか
法の明確化を求めて、コネチカット州の医師らが裁判所に提訴。

代表者の Dr. Gary Blickは
「これは自殺の話じゃない、思いやり・共感の話だ」と。

検察側は
CT州の法は自殺幇助を明確に違法行為と規定している、と。


【10月19日続報】
特に新展開というわけでもないようですが、

2009.10.08 / Top↑
リビング・ウィル(事前指示)が、まさか、こんな使われ方をするとは……。

Kerrie Wooltortonさん26歳は
子どもができないことに悩んでウツ状態となり、
これまでに9回も自殺未遂を繰り返してきた。
(人格障害があったとする記事も)

9月に、今回は、自宅で毒物を飲み、救急車を呼んだが、
病院に着いた時にも意識はあって、医師の顔を見るや手紙を渡した。

それは彼女のリビング・ウィルで、
安楽ケア以外、命を救うための治療は拒否するとの意思が表示されていた。

救急車を呼んだのは、一人で苦しみながら死にたくなかったから。

本人の意思が明確であり、治療を拒否する能力があると思われる以上、
この事前指示に従わずに治療すればassault(暴行?)の罪に問われる、として
医師らは治療せずに、Wooltortonさんを死なせた。

しかし、Wooltortonさんがウツ状態だったことから、
両親や他の専門家から、意思決定能力を認めたことに対する疑問の声も上がっている。

両親は、医師は救命するべきだったとして、病院を訴えることを検討中。

リビング・ウィル(事前指示)は2005年のMental Capacity Act(MCA)後に導入された制度で
医事委員会GMCは事前指示に従わない医師は除名処分にするとの方針を出しており、

MCA以前であれば、Wooltortonさんのようなケースは救命されていた、という専門家もいるが、
もちろん、リビング・ウィルがこのような使われ方をしたのは初めてと思われ、

Andy Burnham保健相も
リビング・ウィルも事前指示もこのような目的のものではないので、
法律の変更が必要だと警告している。

ある医師は「このままだとリビング・ウィルが”裏口・自殺補助”に使われてしまう」と。





自殺幇助問題では、そろそろ新しい死に方も
もう出尽くしただろうとばかり思っていましたが

いや、びっくりしました。


社会のありとあらゆる仕組みは、
人の命は尊重されるべきであり、人は勝手に死んではならないという
前提にのっかって機能している。

そこに、
人は一定の条件を満たせば自分で死にたい時に死にたい方法で死んでもいいという
「死の自己決定権」という全く想定外の概念がどこからともなく出てきたことで、
思いがけない問題がこうして次々に起こってくる。

その概念がたった1つ出てきただけで、
誰も想定しなかった死に方をする人が次々に出てきて、
法律や制度のほうが追いついていくことが出来ないまま既成事実化していく。

まるで、最先端の科学とテクノが新しい薬や技術を生み出すと、
それまで誰も想定しなかったような倫理問題が発生するのだけど、
それでも法も制度も追いつくことが出来ないために
人の命や身体の尊厳が踏みにじられていくのをとめることが出来ないで
既成事実化していくのと同じように……。

それにしても、このすべり坂、
いったい、どこまで行くのでしょう?
2009.10.06 / Top↑
今月の始め(というのは、ここ数日のことになりますね)
53歳のデンマーク人男性Kaj Guldbechさんが
スイスのDignitasで医師の幇助を受けて自殺。

その模様が録画され、日曜日にデンマークのテレビで放送されています。

デンマークでは自殺幇助は違法行為。

2000年からすい臓がんを患っていたGuldbeckさんは
番組の中で、自殺幇助を禁じた法律を動物福祉法に引き比べて、
「私が自分の所有する動物に人間と同じ扱いをしたら、虐待ということになる」と。
(これは「死の自己決定権」ロビーの定番の主張の1つです)

番組での映像では、Guldbeckさんがスイスまで行く様子、
Dignitasで医師と話す様子、スタッフから鎮静剤をもらい、
最初の毒物をくださいというところ、その後、涙ながらに別れを告げて、
2度目最後の毒物を求めるシーンと続き、いったん映像が途切れたあとで、
Dignitasから棺が担ぎ出されるシーンまで。

G氏の死の瞬間は映っていません。

同行したのは、Flemming Scholaart氏。
EVDというデンマークの死の自己決定権アドボケイト団体の会長です。

ターミナルな患者への医師による自殺幇助を求めて活動してきましたが、
政治的な批判圧力が大きくなって2年前に自殺幇助支持を取りやめたという経緯が。

しかし、ここに来て、Guldbeck氏に同行して、
(記事にはありませんが、おそらくテレビ放映の段取りをつけたのも彼でしょう)

Dignitasへ行くのに8万クローネもかけなければならなかった
なんてグロテスクな死に方なんだろうということをテレビ放映で見せたかった、
こんなことをしなくても自分の国で死ねるようにするべきだ、と。

デンマークの保健相と議会の大多数は
自殺幇助合法化はルーティーンとなって最後の手段ではなくなる、
消極的安楽死のみを認める現在の法律で十分に終末期と慢性的な痛みに対応できる、とする
倫理会議のガイドラインを支持している、とのこと。

Assisted suicide TV programme reopens debate
The Copenhagen Post, October 5, 2009


しかし、この国でも、
死の自己決定権ロビーが活発化しそうな気配――。
2009.10.06 / Top↑
WHOの「早産の負担」研究。毎年、世界中で生まれる新生児の10人に1人は早産で、生後1ヶ月以内に死亡するケースの4分の1が早産に関連した原因によるもの。:早産撲滅はなんといってもゲイツ財団とシアトル子ども病院の最重要課題の1つですから。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/04/AR2009100401880.html

財政破綻の緊急事態を宣言したカリフォルニア州で、福祉予算がカットされ、低所得の高齢者50万人が影響を受ける。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/166064.php

米国退職者協会AARPが医療改革を巡って、メディケア対象の65歳以上と以下で真っ二つに割れている。:前にこちらの補遺で拾ったけど、AARPがObama政権の医療改革がんを支持したことで、既に6万人の会員が退会している。
http://www.nytimes.com/2009/10/04/health/policy/04aarp.html?th&emc=th

英国NHSの実験で、痩せた人に現金又はクーポン券のご褒美を出したら、食事療法の2倍の効果があった。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6861154.ece?&EMC-Bltn=EBK9JB

インドのスラムでは年間200万人の子どもたちが死んでいく。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/oct/04/india-slums-children-death-rate

Save the Childrenによると、世界中で毎年5歳以下の子どもが900万人も死んでいる。各国が考えているよりもはるかに少ない400億ドルあれば、たくさんの子どもが救えるのに、と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/8289950.stm
2009.10.05 / Top↑

親の貧困によって満足に教育を受けられないどころか
将来の生活のメドさえ覚束ない子どもたちが増えて、
セーフティネットが十分でないために親の貧困が子ども世代で再生産されていく。

このままでは社会の活力そのものが失われてしまうので、
「子どもを育てる責任は親ではなく社会にある」
「子育て支援、家庭支援は社会の“負担”ではなく将来への“投資”である」という
ヨーロッパの姿勢に学び、

人生のスタート時の教育の機会均等を支えるセーフティネットの必要と
そのために相応の支出をする覚悟を日本国民のコンセンサスとしていかなければならない
……という番組のメッセージそのものには大いに賛同するのだけれど、

そのコンセンサスを得るための議論の中に、
なんだかなぁ……と、強い抵抗を覚えた部分があって、

「教育を社会の負担ではなく未来への投資と考える」という話の流れで
「国民全体の能力が上がれば国としての生産力が向上するのだから」
という話が出てきたこと。

これ、本当に、そうなんだろうか──。

実は、これと全く同じことをトランスヒューマニストたちが言っていて、
それをAshley事件の直後に読んで以来、私はずっと疑問を引きずっている。

例えば、Ramez NaamというTHニストの著作を取り上げたこちらのエントリーから
彼の言葉を一部取り出してみると、

記憶力がよくて頭の回転が速い人は高収入を得ることができ、社会全体の生産性向上にも寄与すると考えられる。人間の学習思考能力や、対人関係能力を増進させるようなテクニックとは、私たちの問題解決能力や科学的な大発見をする力を高め、よい成果が得られるようにしてくれるものだ。早く知識を身につけられる科学者は、専門分野の最先端に立てる。医師や看護師が長時間疲れることなく働ければ、患者を扱う上でエラーを犯すこともほとんどなくなる。頭のよいエンジニアはよりよい製品を生み出して、生活を豊かにしてくれる。頭のよいプログラマーは、よりよいソフトウエアをつくる。頭のよい建築家はよい建物を設計する。頭のよい生物学者は新しい薬剤を開発する。こうして社会全体が豊かになっていくのではないだろうか。
「超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会」(p.67,68)

トランスヒューマニストの目指すユートピアはつまるところ「天才だらけの世の中」ということで、

厳密には「不老不死の天才」なのだけど、
彼らは天才だらけになれば、それだけ早く不老不死が実現できると信じているので、
とりあえず、まずは「天才だらけの世の中」。

だから、みんなで”科学とテクノ”で頭が良い不老不死の超人類となって、ハッピーになりましょう、
というのがTHの主張するところ。

昨日の番組で出てきた「能力」も
「産業構造を重厚長大の製造業から知識産業へと転換する必要がある」という文脈だったから
基本的には「知能」だったのでしょう。

でも、私には、
「国民みんなの頭がよくなれば国としての生産力が上がる」という直線的な帰納には
「予防医学でどんどん病気を予防して不老不死を追及すれば
医療費は削減できる」という直線的な思考に似た落とし穴があるような気がする。
つまり、直線でしかない、という意味の

予防医学が直線的に医療費削減に繋がるという考えが、
誰もがいつかは病気になって、いつかは死ぬという事実をカウントしていないように、

みんなが頭さえ良くなれば生産性が向上して社会が豊かになりハッピーになれるという考えは
人間の能力の多様さや、人間社会の複雑さを度外視していると思うし、
そもそも天才だけの世の中なんて、そんなものは社会として機能できないと思う。

しかも、ただ現実には、たぶん、そうはならないというだけで終わらないから困るのは、

予防医学でイケイケの価値誘導によって
老化が自己責任で予防すべき病気にされていくのと同じ弊害が
「国民みんなの頭がよくなれば国としての生産力が上がる」という価値誘導には
生じるはずじゃないのか、ということ。

実際、トランスヒューマニストたちには知能が低いことへの嫌悪感が強く、
それが知的障害者への蔑視、誤解、偏見、切捨ての理論化に繋がっているし、

いまや野火のように世界中に広がっていく
「一定の能力を失ったら、生きていることは尊厳がない」とする「死の自己決定権」文化の根っこも、
そういう能力至上の価値観に繋がっているような気がするし……

……ということを考えていたら、
番組で「国民の能力が上がれば生産力が向上する」と発言した人は
それに続けて「能力の高い人が雇われないわけがないんだから」と言った。

これもまた、Naamが言っているのと同じことなのだけど、本当に、そうなのか──?
能力さえ高ければ、失業もしないし、高収入を約束されるのか──?

じゃぁ、今、失業している人たちは
規制緩和で雇用形態が変わって非正規労働者が増えたという施策上の問題や
暴走型のマネーゲーム資本主義がとうとう崩壊して
未曾有の世界的経済危機を引き起こしたこととは無関係に、
能力が低いから雇われていないだけで、個人の問題なのか──?

自己責任論を否定するところから出発したはずの教育の機会均等と、
それを実現するためのセーフティネット充実の話が、
どうして、こんなふうに、ぐるっと一回転して、
いつのまにか自己責任論になってしまうのだろう。

セーフティネットが機能していないために
子どもから教育の機会均等が奪われて貧困が再生産されているという話が
ひょいっと「社会的利益vs社会的コスト」や「自己責任」の話に摩り替わったようで、

どこかで、
セーフティネットに乗せてもらうためにも
乗せてもらうことによって社会に貢献できる可能性という一定の資格が
問われる議論に摩り替わっていきそうな危うさを感じたのと同時に、
(例えば、将来の医療費削減に結びつかないリハビリは、もはや認められないように)

でも、格差を広げてきたのも、弱者を見殺しにしてきたのも、
元凶は、そういう論理そのものじゃないのか……と考えて、ふいに気づいた。

この人は「重厚長大の製造業から知識産業への産業構造の転換が必要」と言っていた。
そのためには国民の能力を上げる必要があるんだと。

その“知識産業”というのは、
やっぱり“科学とテクノ”のことなんじゃないでしょうか?

科学とテクノの国際競争に打って出て生き残り、勝ち進むために
日本でも科学とテクノの国際競争力を身につけることが必要で、
そのための人材が必要なのだ、とこの人は言っている?

でも、それ自体が、当ブログで何度も書いてきたように、
すなわち、科学とテクノのグローバリゼーション、
ネオリベラリズムが既に起こっているということなのだとしたら、

そんな利権構造の影で、
利益優先・人名軽視の人体実験まがいやデータの改ざん、
研究者や官僚と“科学とテクノ”企業の癒着を起こしているのも、

多くの国の純朴な国民を「もっと頭が良く、もっと健康に、もっと長生きに」と煽っては
科学とテクノの消費者に仕立て上げて食い物にしているのも、

貧困国の人たちはもちろん、富裕な国の貧困家庭の子供たちや
世界中の障害者や高齢者を切り捨てていこうとしているのも、
正にその、科学とテクノのグローバリゼーション・ネオリベそのものなのであって、

その科学とテクノのグローバリゼーション・ネオリベに生き残るために
わが国でも国民の知能を上げる必要があるから
だから教育に投資しましょう、というのは
いったい、どれだけ倒錯したセーフティネットの話なのだろう。

しかも、この人は同時に
「高齢者も含めて、物言えぬ人たちを守るためのセーフティネットが必要」だとも
主張していたものだから、こっちの頭は混乱してしまう。

もしかしたら、この人は経済上のセーフティネットと、
今の科学とテクノの利権構造の中で起こっていることとが繋がっていないんだろうか。

もしかしたら、今の時代、
経済的なセーフティネットが不十分なまま、
同時に科学とテクノのセーフティネットが2重に必要な事態となっているのだけど、

まだ誰も、そちらのセーフティネットの不備には気づいていないだけだったりして……?
2009.10.05 / Top↑
Obama政権の医療制度改革案を潰すために、保険会社、製薬会社、病院などの利権がらみの抵抗勢力がここ数ヶ月にロビー活動に費やした資金は3億8000万ドル。下院議員一人に3人のロビー担当者が付いて、せっせと献金している。:米国の医療費を吊り上げているカラクリは、本当はこういうところにあると分かっている人が本当はたくさんいるはずなのに。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/oct/01/lobbyists-millions-obama-healthcare-reform

この前から出ているヒザ治療用のパッドの認可時に、科学的エビデンスに基づいた判断ではなく、政治家からの圧力に屈したことをFDAが認めた。実験的な治療の有効性についての判断は、政治的なロビー活動の及ばないものにすべき、と。
http://www.nytimes.com/2009/10/03/opinion/03sat3.html?_r=1&th&emc=th

英国で過去5年間に生まれた赤ちゃんはおそらく100歳まで生きるだろう、との予測がLancetに。20世紀が所得の分配の世紀だったとすれば、21世紀は労働の分配の世紀になるだろう、と。西側福祉国家には大きな難題、とも。:頭に浮かぶのは、やっぱりベーシックインカム。よく知らないままだけど。
http://www.guardian.co.uk/society/2009/oct/02/babies-likely-to-live-to-100

経済危機で、米国で教育と福祉での予算削減が増えている。これはDCで教員のリストラに保護者が不安を募らせている、という記事。:緊急事態を宣言したカリフォルニア州では、在宅介護サービスのカットに利用者からの憤りの声が起きているというニュースも、何度か見たし。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/01/AR2009100103995.html

これまでヒットラーの頭蓋骨の一部とされてきたもの(弾丸の跡がある)は、DNAを調査したところ、40代の女性のものと判明。自殺説に唱えられてきた疑問が裏付けられた?
http://www.guardian.co.uk/world/2009/sep/27/adolf-hitler-suicide-skull-fragment
2009.10.03 / Top↑
9月14日、英国内務省から「ヘイト・クライム行動計画」が発表されています。
政府内の部局をまたいで、こうした行動計画が策定されたのは初めてとのこと。
計画の表紙にも、わざわざ cross governmentと銘打たれています。

この計画について報じたMencapのサイトでは、
10年にも渡るギャングの嫌がらせで障害のある娘を連れて母親が自殺した先日の痛ましい事件に触れて
ちょうど、この事件の捜査が進められている最中の行動計画の発表だったと述べています。

行動計画の原文はこちら。
Hate Crime – The Cross Government Action Plan


計画では主要な目標として3点を挙げていて、

1)被害者と地域の人たちの犯罪司法に対する信頼を高める。
2)ヘイト・クライムが起こること、エスカレートすることを予防する。
3)被害者支援と、そうした支援へのアクセス

これらの目標は、以下のような現状の課題に対応するべく設定されたもの。

・ヘイト・クライムは通報されにくい。
・加害者が捕まって罰せられることが少ない。
・インターネットで差別感情があおられている。
・介入と予防。
・ヘイト・クライムの性質と程度に関するエビデンスが少ない。
・対応部署が複数の分野にまたがっていること。
・被害者へのエンパワメントと支援。

なぜヘイトクライムが通報されにくいのかという問題について
行動計画の分析では

・あまりにも頻繁に起こるので、いちいち通報できない。
・起こっていること自体はさほど深刻でなかったり、犯罪でない。
・通報すると仕返しされたり、エスカレートする。
・警察には何も出来ない、または
・出来ることがあったとしても、警察サイドに偏見があったり、
被害者の気持ちを理解しなかったり、信頼に足る仕事ぶりでなかったりする。

行動計画の冒頭、内務大臣の序文があって、
その一部でゴチック体を用いて強調しつつ、以下のように書かれています。

我々は皆さんに通報してもらえるだけの信頼と、
被害者へのエンパワメントを目指します。

通報するにはどうすればよいか誰でもわかるように、
また誰にでも通報するための手段があるようにします。


Mencapのニュースレターによると、
この行動計画策定の準備段階で、上院議会で、 Di Lofthouseという知的障害のある人が
以下のような体験を語ったとのこと。

ギャングの一団に、自宅の郵便受けに犬の糞を詰め込まれた。
窓ガラスを割られ、
お前のような人間は生まれてもその場で殺すべきだと書いた手紙が送られてきた。

とうとう夜も眠れなくなり、うつ状態になった。
最後には自殺しようとまでした。

そうした犯罪を通報できなかったのは、
誰も私の言うことなど聞いてくれないと思ったから。

行動計画が出てきたことそのものは当然、高く評価すべきことだとは思うのだけど、

Diさんの体験を読んで、改めて内務大臣の序文を振り返ると、
「皆さんに通報してもらえるだけの信頼」という言葉は、なんだか空々しい。

ギャングがDiさんに送ってきたメッセージこそ、
米国に並んで“科学とテクノ簡単解決万歳”文化の最先端を行く英国社会が
その文化が内包する「能力、なかんずく知能が何よりも大事な価値」との価値観を通して
障害のある国民に向かって送っているメッセージそのものではないのか。

お前のような障害者は、
生まれてきてはいけないんだよ──。

生まれてきても、殺されるべきなんだ。
生きるに値しない命なんだから──。


2009.10.03 / Top↑
米国のナーシングホームで、高齢者と一緒に犯罪歴のある精神障害者が入所させられていて、その暴力によって高齢者が死亡するという事件が相次いでいる。:この話題は前にもエントリー立てたけど、平気で同室にできる神経が分からない。
http://www.chicagotribune.com/health/chi-nursinghome1-ledeallsep29,0,357882.story

英国ブラウン首相がニーズの高い高齢者には無料で介護を届けると名言。アルツハイマー病協会が歓迎している。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/165779.php

ブラウン首相の無料の在宅介護サービス明言に、高齢者チャリティKing's Fundは、歓迎しつつ、疑問も呈している。:英国は介護に関する緑書でNHSの介護版NCSを創設する方向を打ち出したばかり。仕事で緑書の概要はちょろっと読んでまとめているので、アップ可能な時期になったら、これもアップしよう。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/165791.php

出産時に酸素が不十分な状態になった新生児に低体温療法が行われると、脳に損傷を受けずに救命される可能性が高くなる。:こういう研究もあるのだということに救われる。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8283738.stm

米国の医療改革議論で、民主党案に反対の人たちは政府が患者と医師の間に口を挟むなといいながら、同時に公的医療保険で中絶費用を負担するなと主張するのは、自分たちこそ政府が患者の自由な選択を阻めと言っているじゃないか、とNYTの社説。:中絶費用そのものは医療費全体の中で何ほどのものでもないと思うので、公費負担が許せない人たちにとって、それはコストの問題ではなくて原理原則の問題なわけですよね。……てことは、障害者・高齢者にかかる医療コストも、実はコストの問題ではなくて原理原則の問題なのかな……。
http://www.nytimes.com/2009/10/01/opinion/01thu1.html?th&emc=th

英国で、保育所で働く女性を含む3人が、それぞれ子どもを性的に虐待しては写真や映像をインターネットで送りあっていたとして逮捕され、その裁判。個人的に3人はあったこともなく、SNSで知り合ったという。犯行は9ヶ月間のことなのに犠牲者の数、送られた写真やメールの数に唖然とする。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/8284192.stm
2009.10.02 / Top↑
CNN記事




その他メディア




Ashley父の反応

In the media
The Ashley Treatment, March 12, 2008


トランスヒューマニストらの反応

Ashley X parents speak out and defend their actions
Sentient Developments, March 13, 2008

Ashley X’s Parents Declare Treatment a Success
Institute for Ethics and Emerging Technologies, March 16, 2008


障害者アドボケイトからの反応


ACTION ALERT…More Ashley X
F.R.I.D.A. March 12, 2008

Ashley Treatment: First Year Anniversary
Bad Cripple, March 12, 2008
2009.10.02 / Top↑
米国の医療制度改革論争に絡んで、
NY Timesにスイスの医療制度が取り上げられていたので、
ちょっと貴重な情報だと思って読んでみた。


スイスの医療は、英国をはじめ多くのヨーロッパの国々と同じく
国民全員に無料で提供される。

しかもスイスでは、英国と違って、政府による“配給”は一切なし。
医師が必要だと判断した医療を受けることが出来る。
患者は医師を自由に選ぶことが出来る。
制度がちゃんと機能していて、長い待機もない。

それを可能にしている要因はいくつもあって、
まず政府が薬価、治療費用、医療機器の値段をコントロールしていること。
(NYTの記事は、この点について米国ではゼッタイに無理だというトーンで書いている)

国民が納める保険料がかなりの高額であること。
医療保険料が所得の8%を超えると国からの補助があり、
全世帯の35~40%が補助を受けている。

過剰な受診を抑制するインセンティブとして自己負担割合は高めに設定されており
チューリッヒの4人家族で年間13000ドル程度に上る。

国民はおおむね自国の医療制度に満足しているが、
医師や病院サイドには持ち出しが大きいとの不満がある。


……概要、こんなところでしょうか。

なんとなく、読みながら思ったのは、
国民全員に無料で医療を提供する国で自殺幇助合法化が進んでいくのかな……。

そういえばオランダは世界で一番人口密度の高い国だと
どこかで読んだような気もする……。

でも、もし、そうなのだとすれば、
国民から「死の自己決定権」を望む声が自発的に起こってきたから
国として、その声がマジョリティになったと判断し、検討の結果、合法化した……というのは
結局のところ、壮大なフィクションなのでは……?

それとも、国家規模の催眠術というか……?
2009.10.02 / Top↑
カナダの自殺幇助合法化議論については、
当ブログでも最近、以下のエントリーがありますが、


いよいよ下院での審議が始まった模様で、
このところニュースが増えてきています。

そんな中、2人の医師が記者会見を開いて強い懸念を表明しました。
自殺幇助が合法化されれば医療が受けにくくなる患者が出る、というのが主な主張ですが、

2人のうちの1人は緩和ケアの専門医で、
以前スイスで働いたことがあり、そのときの経験から懸念を語っています。

Dr. Jose Pereiraによると、
スイスの病院で自殺幇助が受けられることになるや、わずか数ヶ月のうちに
地域の緩和ケア・サービスが閉鎖され、病院の緩和ケア専門医の数も減らされた、と。

もう1人の医師とも、
今回の法案は用語や条件の設定が曖昧であると具体的な欠陥を指摘して批判、

自殺幇助や安楽死ではなく、
尊厳のある生に向けた医療の質の向上を考えるべきだ、と主張。


また、この記事の情報で目に付いた点として、
冒頭のリンクにあるようにケベックの医師会が7月に合法化を支持しているのですが、
8月に100人のケベック州の医師らが見直しを求める意見書を医師会に提出していること。

そういえば、記者会見した医師の一人が
「こんな法律が出来たら“医師はそういうことはしません”と言えなくなる」とも。


Doctors decry euthanasia bill
CBC, October 1, 2009
2009.10.02 / Top↑