死のラインが不動だという前提があってのことなのだけれど、
なんと医学においては、そのラインが動くのだよ、と
William SaletanはWashington Post に書いています。
Denver子ども病院では
心臓の機能不全による死を宣告された乳幼児から
停止して75秒後に心臓を摘出するのをプロトコルとしているのだ、と。
別の子どもの体内に移植すれば即、正常に動き始める心臓であるわけで……。
そしてまた、以前はともかく今日では2分以上、中には5分以上経っても
外部刺激で拍動が再開するケースだってあるというのに、
2分待つという医師もいる。
60秒以上たつと心臓は自力では拍動を再開しないことが分かっているとして
75秒しか待たない、と。
1.別の子どもの体内で動いたからといって、元の患者の体内で動いたとは限らない。
2.赤ん坊の両親が蘇生を許可しないと決めたのだから、その子の心臓は死んだのである。
蘇生するかしないかだけでなく、どの時点で臓器をとってもいいかまで
それぞれの家族に決めさせればよいだろう、と。
心臓死?
それとも永続的植物状態でも?
あなたが死んだと決める時がその子の死になります、
お好みのままに──。
それによって死なせているのだ、それを認めようではないか。
その患者が「壊滅的な神経の損傷」を負っていて
事前意思や代理決定者によってインフォームドコンセントを与えているのならば
倫理的になんら問題はない。
終末期医療の延命停止と同じことに過ぎない。
脳死からの摘出と同じセーフガードがあれば濫用は防げる。
世論調査によればドナーが死んでいようがいまいが世間だって気にしていないし。
Denverチームがドナーの選別に使っている「無益futility」という基準も
これもまた定義がいかようにでも動くのではないか、とSaletanは疑問を投げかけます。
臓器の不足を補いたいために基準が緩められていくことはないのか、
我々は自分の意思で臓器提供を決めるのではないのか、とも。
心停止から75秒で心臓を「摘出」するという
「摘出」とは具体的にどの段階の行為を指すのだろう。
それともその赤ん坊の胸にメスを入れるまでが75秒なのか、
それとも75秒待ってみてから臓器摘出の決断をするのか、
いったい75秒後の「摘出」というのはどういう行為を指しているのだろう。
ドナーとなる赤ん坊もレシピアントとなる赤ん坊も既にそれぞれ手術室に運ばれて、
ドナーには臓器を保存するための薬剤の投与などの処置が既に行われ
いつでもメスが入れられる待機状態でスタッフが取り囲んで
(または既に胸を開いた状態で拍動する心臓をむき出しに)
心臓のモニターをみんなで固唾を呑んで見守りながら
止まるのは今か今かと待っている……という、恐ろしい図を頭に描いてしまった。
両親の腕の中で亡くなるという形での家族とのお別れなど
「死」の瞬間にはできないことになりそうだから、
(それとも心停止後75秒間だけ抱いていさせてくれるというのか?)
前もってまだ心臓が動いている段階で
家族はお別れをすることになるのでしょうか。
彼には婚約者がいて、ハネムーンを計画している最中でした。
数週間後には帰国することにもなっていました。
そんな時に自殺するのはおかしいと思った家族が調査をしたところ、
どうやら抗マラリア薬 mefloquine (商品名Lariam)の副作用だったらしい、と。
不安、幻覚その他、神経、身体に深刻な副作用があることが
これまでにも問題になっており、
ペンタゴンも2004年に調査を行っているし
FDAのウェブサイトにも警告が出されていて、
「Larinmを服用している患者の中には自殺を考える人もいます。
まれですが実際に自殺した報告もあります。
これらの自殺がLariamを原因とするものかどうかは分かりません」
ほとんど全ての兵士がLariamの服用を中止した方が良いほどの副作用を訴えている、と。
もともと精神的な問題のある人にLariamを処方すると副作用が起こりやすいのがわかっているのに
兵士らに抗ウツ剤が同時に処方されていることを指摘する人も。
Lariamに副作用があることは承知しているが、
兵士がアフガニスタンのような地域でマラリアにかかるリスクと比較すると
その副作用は冒す価値のあるリスクだと判断した、と。
Lariam Known to Have Side Effects
The Washington Post, October 12, 2008
一定地域への旅行者に広く使われている薬のようです。
Lariam Action USAのサイトを覗いてみたら、
仕事の出張時に飲んだLariamによって激しい神経障害が続いて、
その後の検査で脳幹の障害が明らかになったというケースまでありました。
「冒す価値のあるリスク」だと判断したからといって
慎重なモニターも副作用を防ぐ配慮も行われていないとしたら
やはり兵士はいくらでも補充可能な使い捨て資源でしかないのでしょうか。
トランスヒューマニスティックな研究の中にチラチラする
「何日も寝ずに精力的に戦い続けられる兵士を作る」といった話を思い出します。
こういう研究を本気で発注する機関や研究を行っている科学者にとって
兵士の人権というのはアリがほざくタワゴトみたいなものなのかな?
考えなければならない他の様々な問題を瑣末な事柄として脇に押しやってしまうほど
大きな政治的力動のようなものがヒモ付きのお金の動きと共に働いている……
Oregon州の尊厳死法によって医師の幇助を受けて自殺した終末期の患者の
4人に1人は鬱病や不安症だった可能性があるとのこと。
自殺幇助を希望する患者に精神疾患が疑われる場合には
精神科医や心理学者に紹介しなければならないとの規定が設けられているものの、
2007年に幇助自殺を利用した患者46人の誰一人として
精神科医や心理学者の評価を受けていない。
Study finds 1 in 4 terminally ill not getting treatment that could influence decision
U.S. News, October 8, 2008
現在Oregonに続いて自殺幇助の合法化が検討されているWashington州で
大きく報じてもらいたいものです。
こちらの訳文はその後12月12日に大幅に改定しています。
また「介護保険情報」12月号に掲載し、
コピーライトが発生していると思いますので、
こちらのエントリーの章典に引用・転載・リンクをお考えくださる方は
12月の改訂版をお使いくいただきますようお願いいたします。
きっと勇気になるんじゃないかと思うので。
大きな示唆を含んでいるのではないかと思うので。
私には次の権利があります。
・自分を大切にすること。これは決して自分本位な行いではありません。
そうするほうが、家族に良いケアができるのだから。
・周囲から反対されたとしても他の人に助けを求めること。
自分の忍耐と力r限界は自分で分かっていますから。
・介護とはまた別の自分自身の生活、その人が健康であったら送っていたはずの私自身の生活を守ること。
私はこの人のために無理のない範囲で自分にできることは全てやります。
同時に私自身のために何かをする権利も私にはあります。
・時に怒りを感じたり、落ち込んだり、他にも様々なやっかいな感情を口にすること。
・罪悪感を感じさせたり気持ちを落ち込ませたりして(時にはその両方を通じて)
身内の人間が私を操作しようとする(意識的であれ無意識であれ)のを拒むこと。
・ 私が思いやりと愛情と許しと受容を差し出している限り、
愛する人に私が私がしてあげていることに対して、
私もまた思いやりと愛情と許しと受容を与えられること。
・自分が成し遂げていることに誇りを持つこと。そして家族のニーズに応えるために
時として奮い起こしている勇気に自ら拍手を送ること。
・一人の人間としての自分を守り、自分自身のための人生を作っていく権利を守ること。
それをして初めて、家族が私のフルタイムの介護を必要としなくなった時にも
私は私のままでいられるのだから。
・この国の身体的・精神的に傷を受けた人たちを助けるため資源の開発が新たに歩みを進めていくように、
介護者を助け支えるための歩みもまた進められていくよう望み、求めること。
巻末にこの介護者の権利章典を掲げている
CARE-GIVING :Helping An Aging Loved One(Jo Horne, AARP Book, 1985)の
解説によると、多くの団体によって時間をかけて作り上げられてきたもののようです。
米国では85年に既にこんな本が出ていたことに驚き、
著者が介護者に向ける眼差しの暖かさといたわりが、じんと心に沁みました。
ここでは「家族」と訳してみました。
とりたてて深くも考えずに
「私もこの子の介護で疲れがたまっているんだから……」と口にしたら
「おいっ、“介護”という言い方はないだろう」と夫が気色ばんだ、と。
確か中学生だった。
「介護」と捉えるのは愛情がないのだろうか。
何歳から「介護」になるのだろうか。
親と子である限り、子どもがどういう状態でも、
それは「子どもの世話」であって「介護」ではないのだろうか。
その話を聞いた時に、いろんなことが頭を駆け巡った。
アン王女の肝いりで1991年に創設されたthe Princess Royal Trust for Carersのほか、
介護者支援団体がいくつかあって、
それらの共催で14年前から毎年6月に介護者週間(Carers Week)が開催されるなど
介護者支援の活動が活発に行われているのですが、
介護者(Carer)の定義を以下に。
介護者とは、金銭の支払いを受けずに、パートナー、子ども、親戚、友人または近所の人など、その人の支援なしには暮らせない人に手助けやサポートを提供している人のことである。年齢、身体的または精神的な病気、中毒や障害によるもの。介護者(carer)という言葉を、誰かの世話をすることで金銭の支払いを受ける介護労働者(care worker)や介護助手(care assistant)と混同してはならない。
子育て期が過ぎた障害者の親も
「介護者」として捉えてみれば、
「親」としてのみ考えているよりも
ずいぶんいろんなことが整理されるんじゃないでしょうか。
Inclusoin in the Art & Media of People with Disabilitis(I AM PWD)と銘打った
障害者の人権キャンペーンに乗り出すことを発表しています。
障害者の姿が見えなくなってしまっている、
限定的なステレオタイプにのっとったものが多い、として、
障害者の就労に対策を講じるというもの。
PatriciaE Bauer NEWS & COMMENTARY ON DISABILITY ISSUES
October 6, 2008
映画製作・配給側が障害者団体からの抗議を
態度を硬化させて撥ね付けているような印象があったし、
監督のStillerの発言は障害者への無理解を余計に暴露していたり、
出演した俳優の中には開き直って暴言を吐く人までいたりと、
心を痛めることが多かったのですが、
決して無駄にならなかった、
こうして1つの動きを産んだのだと思うと嬉しい。
また声を上げてみよう、自分も小さな声を出してみようという勇気に繋がる。
抗議の声を受け止めて、前向きな行動につなげたハリウッドの関係者にも。
流産と胎児を傷つけるリスクが指摘されているダウン症の出生前診断が
数年のうちには採取した妊婦の血液のDNAを調べることによって
より安全、より正確に行えるようになると、
CDCが2004年に行った調査で特に子どもへの弊害の可能性が指摘されています。
Advair(ぜんそく)、Adderrallと Strattera(ADHD)、Elidel(湿疹)の無料サンプルを
もらっていた子どもは50万人に上ったとのこと。
その後皮膚がんの報告が出てきて、
FDAは因果関係を確認していないものの、
薬のラベルには警告と2歳以下は認可の対象外であることが明記された。
新薬である場合が多く、安全性が完全に確認されているとはいえないこともある。
貧困層の子どもたちと富裕層の子どもたちの間で
サンプルを受け取る確率に差は見当たらなかったが、
これは貧困層の子どもたちの方が受診する確率が低いためで、
いったん受診したら無保険の子どもたちがこうしたサンプルをもらう確率は高い。
これらサンプルのリスクと利益について更なる研究が必要」とこのたびの主任研究者。
無料サンプルの受領時には医師のサインが必要となることから、
医師と面会のきっかけを作るプロパーさんたちの口実に使われているらしく、
無料サンプルがなかったら会ってももらえないのでは、と
廃止を不安視する声がある一方、
無料サンプルがマーケッティング戦略として使われて
医師の判断に悪影響を及ぼしている……
(co-payment for prescriptions)
無保険の貧困層に無料のサンプル薬を提供することを
“報酬”であり彼らの“利益”だと都合よく解釈して
無料サンプルが貧困層の子どもたちへの体のいい「実験」に……てことは?
Washington州でも医師による積極的安楽死の法制化が検討されており、
その住民投票が11月の選挙に合わせて行われることに。
ただ単にウツ状態だというだけでも医師に致死量の薬物の処方を認めるもの。
安楽死合法化のドミノ現象が起こり一気に全米に広がることを期待する人たちが多いようです。
合法化容認を説くメッセージがTVコマーシャルで流されて、
多くの人々を洗脳しているとして、
自殺幇助が合法化されれば
保険者には自殺という格安な選択肢が与えられることになり、
貧しい人や障害のある人たちに質の高い医療を提供しようとの努力に水を指すことになる、と。
ターミナルな患者は医療全体のトリアージでは一番最初に切り捨てられて
治療は「無益」とされ、その代わりに自殺は合法ですよ、という話になるだろうし、
現にOregonでは一部高額な抗がん剤をメディケアが認めず、
その代わりのように自殺幇助なら認めますよ、という通知を受け取る患者が出てきている。
The Life Site News, September 30, 2008
少なくとも米国では、
「無益」だとして治療のみならず栄養と水分まで引き上げるのが当たり前となりつつあり、
表に出てくるのは、医療サイドと患者の家族との間で争議が起こった場合のみ。
その他の患者さんたちは家族と医師の相談によって
粛々と死なされているのではないでしょうか。
自らの死に方と死に時を自己選択するのは個人の権利である、と主張する。
その「自己選択」「自己決定」とは「それでも生きる」という選択が許されない、
つまり「死ぬ」という方向でのみ認められる「自己決定」に過ぎないのでは?
病院が「その治療は無益」と判断すれば治療も栄養の供給すら受けられないし、
高額な治療は確実に治癒できる人や自分で支払う富裕な人だけのものになっていく。
自分で支払えなくてもメディケアで自殺は可能ですよ、と耳元でささやかれるのだから、
重い障害を負い、生きるために常に医療や福祉を必要とする身となった瞬間から、
「それでも生きる」という選択肢は現実問題としてどんどん難しいものとなっていく。
「死の自己決定権」をいうのはやっぱり欺瞞だと思うし、
欺瞞だと思う。
10代の子どもを“棄て”に来る人たちがNebraska州で多発している問題を
The NY Timesが取り上げていました。
これでは「無責任な親」に「悪用」「濫用」されているとして
Nebraska議会には法律改正を求める声が上がっていますが、
様々な分野の専門家が分析しているあたりが
日本でも同じことは起こっているし当てはまるんじゃないかという気がするので、
そうした点について、以下に。
・困難な育児をしている家族への支援に途切れ目が生じている。虐待やネグレクトがあれば児童福祉が介入するし、犯罪を犯した子どもは青少年向け司法制度が対応し、親も子もカウンセリングや支援につなげられるが、そのいずれにも当てはまらない子どもたちへの手当てが抜けている。
・無保険ではないにせよ中流家庭の保険では精神科医療が充分にカバーされていないことが多く、集中的な治療や入院ができない。メディケイドの対象になる貧困家庭では、そんな低いレートで見てくれるセラピストが見つからなかったり、受診そのものに抵抗があるのではないか。
・いきなり子どもを棄てるところまで行かずとも家族支援の福祉サービスもあるのに、利用することにに思いが至らない家族もあるのではないか。
・NE州では、そうした支援サービスにたどり着きながら結果的に支援できずに終わり、子どもを“棄て”にきた養育者もあった。
・いきなり「もうこれ以上できないから、子どもを病院に棄てます」というのではなく、まずは家族や友人、近所の人やサービスに対して助けを求めて欲しい。
・子どもたちに向けて本当に強力な精神医療を行うにはNE州の予算では不足だが、所得に応じた料金設定の精神科医カウンセリングなどのサービスもある。ただ、多くの親がその存在を知らない。
息子は13歳の時には別人のように荒れて、
「何年も地獄のような年月を過ごしました。
誰に助けを求めたらいいか分からなかったし、
私のせいだと自分を責め続けていました」と父親。
同時に施設にあるレスパイト制度を父親に紹介。
数日間の入院の後、息子はこの制度で1週間施設へ。
父親も娘も再婚した妻もやっと一息つくことができて
息子のセラピーを開始することができた、と。
数年間のセラピーを経て、息子は高校卒業資格を取り、大学を目指している、と。
「親が行動さえ起こせばいいじゃないか」
「誰かに相談すればよかったじゃないか」という問題に見えるけれど、
それは端から見ている傍観者だから思えること。
子どものことは自分の責任だと考えたり自責があったりするだけでも
親の考えは内向きになりがちだし、
目の前に次々に起こる予想外の事態に対応していくのが精一杯で
吹き荒れる嵐の中を日々刻々生き延びることだけで過ぎていく「その日暮らし」。
落ち着いてものを考える余裕すらないことが多い。
親を短期間でいいから子どもから引き離してあげることが必要なんじゃないだろうか。
我が身が常に脅かされている緊張状態から解放されることで初めて
親も本来の自分を取り戻すことができるし思考力も判断力も戻ってくる。
本来持っている子どもへの愛情も確認し、
子どものためにどうするべきかを前向きに考え始めることができるようになる。
支援する側からうまく迎えに来てもらえた幸運なケースだったんじゃないだろうか。
ほっと一息ついて本来の自分を取り戻す――。
これは案外とても大切なことだったりする。
The Physician Payment Sunshine Act の提案者であるGrassley上院議員が行っている調査で
2000年から2007年の間に製薬会社からコンサルタント料として支払われていた
280万ドルを超える金額のうち120万ドルを大学に申告していなかったことが判明。
国立衛生研究所(NIH)の資金による研究においては
利益の衝突を避ける厳格なルールが敷かれているものの
実際のチェックは大学に托されているのが現状。
Cincinnati大のDr. DelBello、Harvard大のDr. Biederman, Dr. Wilensの隠蔽が明らかになり、
次期米国精神医学会会長に選出されているStanford 大のDr. Alan F. Schatzbergにも
疑惑が出てきています。
隠蔽を把握して調査した大学側に対して、
自分と製薬会社との関係によっていかに大学が利益を得てきたかを説いて正当化・抗弁、
見方によっては大学側を脅すような手紙まで書いている。
結局は同医師の名声とその名声がもたらしてくれる富に追及を緩め
結果的に隠蔽に加担した大学も同罪という印象。
連邦政府の資金による研究のパテントは大学のものとなることになった、という背景があり、
数多くの医薬品が開発されて多くの命を救うことになった一方、
大学医学部では製薬会社とのコンサルタント契約が繁盛し、
一時は21の製薬会社や医療機器会社のコンサルタントであったDr. Nemeroffは
全国的なモデルともなっていた、とのこと。
Dr. Nemeroffらが利益の衝突を隠したまま
自分が編集しているジャーナルでその製品を持ち上げていた、という話。
「この論文は金で買われた販促行為だa piece of paid marketing」とまで言っているのに、
上院議員の調査まで、そういう記録も表ざたにならなかったという事実。
その「製品」の詳細が触れられていないので、
CybernicsのHPを覗いてみたら、
胸部へのインプラントによって、てんかん発作をコントロールするVNS療法を
ウリにしている会社のようです。
最初はAshley療法のDiekema医師があちこちでワクチン関連の発言をしていることから偶然知っただけで
最初はどういう問題なのか、よく分からなかったのですが、
こういうニュースと実は無縁ではないんだろうな、と最近思えてきました。
Gates財団とのつながりの深いワシントン大学・シアトル子ども病院が
ワクチン問題に特に大きな関心を示していることも?
ランダムに抽出した1000人の成人を対象に行った意識調査によると、
回答者の24%が自閉症の原因はかつてのワクチンに含まれた防腐剤だと考えており、
ワクチンが原因かどうか分からないと答えた人が19%
ワクチンと自閉症には関連がないと答えた人は38%のみだった、とのこと。
興味深いところでは、
自閉症の人を知っている人は自閉症についての理解度が高いものの、
知っている人の方が自閉症の人を知らない人よりも
ワクチン犯人説を信じている割合が高い(21% vs17%)。
自閉症が増えているにも関らず原因が分かっていないためと思われ、
83%の人が原因と治療法の確立を国民的優先課題とすべきだと考えている。
早期介入により子どもの可能性を引き出せるとの認識のある人も80%以上に。
Florida Tech Newsroom News Release, October 3, 2008
「ワクチンは多くの命を救う優れた発明です。
インフルエンザで死ぬことだってあります。
お願いですからワクチンを受けさせてください」と
米国小児科学会が出した声明が紹介されていましたが、
未だに4人に1人がワクチン犯人説を信じているというのも
米国の医療への不信の根深さ……?
一部の抗がん剤など高価な治療については
NHSで受けられる地方と認められない地方ができ
地域間格差の拡大がこのところ問題視されていましたが、
富裕層の命だけを救うのかと批判が出ています。
1986年から1999年のEngland とWalesの乳がん患者の生存率を追跡調査した研究で
生存率そのものは向上しているものの
富裕層と比べて貧困層の死亡率が高いことが判明。
メディケアによる抗がん剤治療の支払いを不可とし、
医師による自殺幇助は支払いを可とする
通知を受け取るがん患者が増えているようです。
The Fox News, July 28, 2008
メディケアでカバーされる延命治療には
5年以上の生存率が5%を超えるもののみとの制約があるとのこと。
「かなり末期でも劇的な改善を見せる患者や、死を先に延ばせる患者もいるのに
州にはそういう現場の実態が見えていない」との批判が起こっているとのこと。
何度も却下される患者も。
抗がん剤によっては月に4000ドルもかかるのに対して、
自殺幇助に使われる薬物は100ドルもしない。
「生きるための治療を拒み、死ねと言われた」というのは患者の「不幸な解釈」だと主張しつつも、
「州の予算にも限界がある以上、
1人の患者に何週間、何ヶ月と巨額の医療費をかければ
その分、他の患者の治療費を奪っていることになる」とも。
新たに予防医療とコスト効率が強調されているとのこと。
いろいろな雑音が収まった中で読ませてもらうと、
その事実誤認からこそ、また様々なことが見えてくるようでもあり。
大学の授業で発表された内容に基づいたエントリーと思われます。
“Ashley療法”を考案、我が子に実施し、さらに広めようと提唱している父親と
彼に賛同して我が子にも同じことを望んでいる親たちが使っている
重症重複障害のある子どもたちへの”愛称”です。
障害があるという理由で子どもを不当に赤ちゃん扱いしているとの批判が出ており、
Pillow Angelという呼称そのものが
障害者のステレオタイプや親の決定権の問題という
この事件の本質を象徴しているので
それを広く通常受け入れられている名称だと誤解してしまうと
まったく根本的なところを見誤ってしまいます。
これは自分では何も出来ない子どもたちが置かれている、とても悲惨な状態で、それでも彼ら天使たちには苦痛や悲惨という概念すらありません。もちろん苦しみも悲しみもなく、彼らにあるのは、ただ終わりのない夢だけなのです。
頻繁に見られる重大な誤解の1つがこれですが、
重症障害があっても好みのオペラを聴くとはしゃいだり、
不快を泣いて訴えることができ、
家族の声かけに大きな笑顔を返すAshleyが
ここでも植物状態と混同されています。
そのブログに掲載されたAshleyの大きな笑顔と豊かな目の表情を見てなお、
どうしてその同じ子どもが「終わりのない夢を見ているだけ」だと考えられるのか
私には不思議でならない。
60歳になっても若々しくセクシーでいたいという自分の「夢」を語るところから話を始め、
その対極として「自分では何も出来ず何もわからない寝たきり」状態を「最悪の悪夢」と捉えてしまうのは、
とても今日的な社会の価値観をそのまま写し取っているのかもしれません。
「この決断は決して、思われているような困難なものではなかった」
「むしろ、たやすい決断だった」と繰り返し強調しているのは
彼にとっては、冷静かつ合理的なコストと利益の差し引き計算に基づく決断であり、
そういう合理的な思考に彼は価値を置く人だからです。
60歳でもセクシーでいることを無邪気に夢見るこの女性よりもさらに
科学とテクノロジーの人体への利用に対して抵抗が少ないものだろうと
私は想像しています。
「大きな乳房の不快」、「生理に伴う不快」や「成長に伴うQOLの低下」が
どうして重い障害に伴う「合併症」なのかという点も理解に苦しむのですが、
ホルモンによる成長抑制が行われた理由と目的について
「親は思春期のcomplication、特にメンスの始まりを心配していた」
「一般的な思春期の長期的complicationの軽減」と書かれており
Complicationという表現をさりげなくもぐりこませることによって
生理があたかも思春期に起こる医学的異常であるかのようなイメージ操作が行われています。
この人やその他多くの人の誤った受け止めは、
医師らの隠蔽の努力が案外に実を結んだということなのかもしれません。
1.その治療にはリスクが大きすぎる。
2.Ashley自身が選択していない。
3.両親が自分たちで担うべき責任を逃れている。
とても興味深いと思う。
「Ashley本人の利益のみが倫理判断の対象とされるべきところで
親の利益が本人の利益と混同されてしまっている」という批判なのですが、
「障害児のケアは親が担うべき責任である、そこから逃れることは悪」という思い込みを投影してしまった。
そのために批判の論点が誤って理解されてしまったのではないでしょうか
「極端な話、Ashleyの体重が150キロになることがあったとしても
自分たちは絶対に娘を他人の手に托すようなことはしなかった」と書いています。
また、それを世の中に向かってわざわざ言挙げしないでいられない気持ちにするものこそ、
社会の中に様々な形で存在する、このブロガー女性の無意識と同じ規範意識であり、
「無限の愛と献身で障害のある子どもをケアする親の美しい姿」という幻想であり、
いわば社会の”美意識”なのではないでしょうか。
多くの親たちを追い詰めているのもまた、
「障害児のケアは親が担うべき責任で、そこから逃れるのは悪」との社会からのプレッシャーであり、
Ashleyの親の決断に「そこまでしてでも親がケアしようとする深い愛」を見て
感動・賞賛するのと同じ世間の“美意識”なのではないでしょうか。
世間の無責任な美意識で賞賛されることではなく、
現実の支援の手が差し伸べられることです。
そういうことのはず。
子どもの尊厳や人権を踏みにじってでも
親がさらに子どもを抱え込むための方策として考案されたのだから。
「親はどんな手段を使っても、生涯子どもを自分で抱え込め」というメッセージを送り、
「美しい障害児の親の献身」幻想をさらに強化するものなのではないでしょうか。
・これまでに同クリニックで幇助を受けて死んだ人は870人。
・そのうち100人が英国人。
・Dignitasでの自殺幇助について問い合わせてきた人の70%は2度と連絡してこない。
スイスの法律では自分の利益のための行動でない限り自殺幇助は犯罪とみなされません。
上記の記事で気になるのは
ヨーロッパ人権条約の生命の権利、プライベートで家族的な生活の権利を拡大すれば
QOLの権利をそこに含むこともできる、
そうすればQOLがもはや良くない場合に死を決定する権利も含められる、
そうあるべきだ、と主張していること。
2001年に運動神経の病気があったDianne Prettyさん
が夫に自殺を幇助してもらいたいとして法律の変更を求めたのが初めて。
Prettyさんは2002年5月にその病気が原因で死去。
享年43歳。
「なんで、そこに介護の現場の人を加えないのかなぁ」ということで、
「三好春樹とかが加わったら面白そうなのになぁ」
と具体的な名前まで頭に浮かんだ。
もうずいぶん前のことになってしまって、
「身体だけをみる医療はじいさんばあさんをあっという間に寝たきりにする、
じいさんばあさんを元気にするのは関係性をみる介護の力だ」
ということをいろんな角度から強烈に主張している人だという程度の
漠然とした理解しか残っていないのが情けなかった。
ロボットで介護現場が助かるはずだという発想に覚える違和感に
ぴったり来る文章があった。
専門的な教育を受けてもいないし意識が高くもない無資格の近所の主婦で
でも、彼女たちは差別用語同然の言葉を使いながら優れた介護をしていたと三好氏は言う。
言葉が意味ではなく、その人が向き合う姿勢を口調のうちに伝える介護現場の関係性と
そういう優れた介護者の1人Wさんの姿を描いた後で、
……現場は老人を研究対象として観察しているわけではないし、老人も客観的に存在しているのでもない。関わる人によって言うことも精神状態も多様に変わる関係的な存在なのだ。なにしろ、今夜の夜勤は誰かによって老人が変わるのだから。
工業化社会の画一的な大量生産の方法に対して
未開や原始社会の生産方法としてレヴィ・ストロースが提出した「手づくり」仕事。
食事を食べさせてくれる相手によって露骨に態度を変える。
「食事」を食べさせてくれる人とを彼女は見事にはっきり見極めて
前者の相手には何も期待せず、
余計なことはせず、言わず、相手のペースに合わせて黙々と飲み込みを続ける。
(相手は娘が自分のペースに合わせてくれているとは夢にも気付かないけれども)
やれ「そのおかずはイヤだ」の「もう一回ゴハンがいい」だのとワガママを言う。
お茶を飲む時にボコボコ吹いてふざけては
「こら、またミウちゃんがっ」とわざと叱られてみたりもする。
自分には相当に甘い相手だと読むと、
言葉もないくせに「おむすびが食べたい」と我を張って、
ついにおむすびを作らせたというエピソードもある。
こっそり手を伸ばして紐の結び目をほどき、
いたずらを仕掛けてニマニマしていることもある。
せっせと口に詰め込んでは機械的に飲み込ませる前者の人の介助かもしれないけれども
どちらが娘の身体と心をより元気にするか、どちらがより養分となるかといえば
もちろん後者の人の介助による食事に決まっている。
娘の方があっという間にロボットのような無表情になってしまうに違いない。
まさか、ここまでの“闘争”になっているとは。
“Mother Warriors: A Nation of Parents Healing Autism Against All Odds”
(母親戦士:治らないといわれる自閉症を治す親たちの国)
について語っています。
あまり女優として高い評価のある人でもなさそうだから
話題づくりということもあるのかな……などと暢気なことを考えていたのですが、
McCarthyはこれまでにも4冊の本を書いていて、
最初の3冊は妊娠中のものや息子の乳児期の子育てについてのものですが、
直前のものは今年春に刊行された“Louder Than Words: A Mother’s Journey in Healing Autism”
やはり息子の自閉症を“治した”体験を書いたもの。
どうやらワクチン拒否運動のカリスマ的存在の様子。
昨今のはしかの流行は彼女の活動のせいだという医師もいるほどだとか。
大規模な集会で演説をし、そろいの緑のTシャツを着た聴衆を熱狂させたり、
デモ行進を行うMcCarthyの姿があって
ワクチン拒否がここまで過激な闘争になっていることが衝撃的だった。
・あのワクチンから行動がおかしくなった。
・息子は自閉症というレッテルを貼られて、その中に閉じ込められているだけなのだから、私はこの子をそこから引っ張り出してみせます、と医者に言った。
・2005年から食事療法を始めて、息子の自閉症は治った。
(最初から誤診だったのでは、と指摘する医師もあるとのこと)
・デトックス、サプリ、食事療法、いろいろやっている。
・映画の「ファインディング・ニモ」を見た時に、息子が「ママ、ボクは昔ドリーみたいだったんだね」と言った。何を言ったかをすぐに忘れてしまっていた自分のことを息子は当時から自覚していたということ。そういう子どもたちが沢山いる。分かっているのに外に出てこられないだけ。それが医師にはわかっていない。
・自閉症に伴う身体症状まで「自閉症だから」で済まされてしまう。小児科医には自閉症の治し方が分からないからだ。自分たちも自閉症を治しているわけじゃない、ワクチン害を治しているだけ。
・ワクチンの成分はきっちり調べなおす必要がある。
・ワクチンが病気を防ぐ優れた発明だということは認めている。ただ、あまりにも短期間にあまりにも多くのワクチンをやりすぎる。スケジュールが過密すぎるということ。一つ一つのワクチンの調査はあっても、複数摂取についての調査はない。
・CDCのみの出資で、製薬会社からお金が出ていない調査でなければ。
・自閉症の子どものいる夫婦の8割が離婚している今、親の体験に耳を傾けて欲しい。これは本当に起こっていることなのだから。
それぞれの主張の間の繋がりがいまいち分からなくて、
どうしてもトンデモな印象を受けてしまう。
「私たちは“ロレンツォのオイル”世代。親が我が子を救うんです」
何かにすがりつきたい気分の親だって多いんだから……。
単独ワクチンの副作用研究はあっても、複数の複合的な長期的影響の研究がない、
短期間に多くのワクチンを打ちすぎるのでは、という点については、
安易に子どもたちに摂取すべきワクチンのリストに加えていいのだろうか
という点については、私もずっと感じていた疑問。
案外、その根っこにあるのは、もっと漠然とした
科学とテクノロジーで何でも簡単解決してしまおうという文化への不信だったり、
そうした文化が生む莫大な利権(その分かりやすい“象徴”がとりあえず製薬会社)や
製薬会社との癒着が取りざたされる政府や医療者への不信の方なのかもしれない。
たいていは母親が育てることになるんだろうな。
米国で子育てをされている方の記事に
生後2ヶ月めに5種類のワクチンが推奨されているという話が出ていたので、
以下にトラックバックさせてもらいました。
正直、ギブアップしたい時は、あった。
思うようにならない娘に投影していたような気がするけれど)
「お母さん、苦しいんじゃない?」
「もう1人で頑張り続けなくてもいいんだよ」と
向こうから迎えに来てくれる人がいた。
今もどこかで苦しんでいるんじゃないかと想像すると、
その頃のことが思い出されて、息が苦しくなってしまう。
決してあなたが冷たく酷い親だというわけではないのだと。
頑張れること、耐えられることには限界があるのが当たり前。
一時的にもうイヤだと考えることがあるからといって、
あなたが本当に子を憎んでいるわけでもない。
そんな思いになるほど頑張り続けたのなら、今はあなた自身に休息が必要な時。
子どもにとっても、その方がいいかもしれない。
あなたが愛情を失っていない何よりの証。
それほどの愛は、必ず子どもに伝わっている。
ちょっとだけ我が子の持つ力を信じて、
ちょっとだけプロの技量を信じて
ほんの小さなギブアップをしてみない?
その複雑な思いに寄り添いながら
上手に支援への最初の一歩を踏み出させてあげること、
福岡で母親が発達障害のある息子を殺した事件について
ネット上で「殺すぐらいならギブアップしろ」という意見をいくつか見て違和感を覚え、
それがどこから来るのかをずっと考えています。
「殺すぐらいならギブアップしろ」という人は、
たぶん「親の愛情が最初からないから殺す」または「親が愛情を失ったから殺す」と
考えているのではないでしょうか。
もちろん、そういう親もいるかもしれないのだけれど、
私はむしろ、愛情があるからこそ抱え込んでしまって
どうしていいかわからないところに追い詰められたり、
逃げ場がないまま、しんどさに擦り切れ、燃え尽きて殺してしまう親のことを考えてしまう。
そういう場合、
「虐待したり殺すよりは」と考えてギブアップできるような親なら
最初から殺さずに済むんじゃないか、
簡単にギブアップできないからこそ
殺すところまで追い詰められてしまうんじゃないか、
なぜならギブアップして我が子を完全に他人に託してしまうためには
どこかで「他人に託してもこの子は大丈夫だ」と思えなければならないのだけど、
「この子は自分が」「私でなければ」と思い込んでいるからこそ抱え込むのだし、
また抱え込んでいる腕をわずかに緩めて、ちょっと他人に托してみる体験がないかぎり
「自分でなくても大丈夫」ということも知りようがないのだから、
腕を緩めてみる人はどんどん支援サービスを利用するのに抵抗がなくなる一方で
抱え込んでいる人ほど、より深く抱え込むしかないところへ追い込まれるジレンマもある。
そもそも
ギブアップするためには「ギブアップ」という声を上げなければならないわけだけど
それ自体が「助けて」と意思表示をすることでもあって、
それができる人なら大抵は、もっと以前の段階で
もっと身近なところで「助けて」という声を上げられるんじゃないだろうか。
産んだ以上は愛情さえあればどんなことでも耐えられるはず、
それが出来ないなら、いっそ完全にギブアップして棄てろ、と
全部かゼロかの2者択一しか許さない狭量な社会よりも、
むしろ、その2つの間にある無数の種類の負担や痛みをきめ細かく支え柔軟な支援体制で
様々な形の「小さなギブアップ」が許される懐の深い社会の方が
親も肩の力を抜いて長く頑張ることができるだろうし、
親と子の関係も風通しのよいものとなり、
子どもの幸せにも繋がるんじゃないだろうか。
自分の辛さや限界と子どもへの想いの板ばさみの中にいる親は
完全にギブアップして子どもを棄てるなんて恐ろしいことができないからこそ、
殺すほどに思いつめるのだから、
むしろ
時にギブアップしたいと感じるのは誰にでもある自然なことであり、
早めに支援を求めて「小さなギブアップ」をしてかまわないこと、
それで逆に親と子の関係が大切に守られることだってあること、
頑張りすぎてしまって限界が来そうな時には
親と子の関係を大切にするためにこそ「小さなギブアップ」を許容する社会の懐の深さと
それでOKなんだよというメッセージが
苦しくなる前の段階から親に充分に送られることが必要なんじゃないだろうか。
そうして上手に他人の手を借りて、
いわば「小さなギブアップ」をいろんな形で繰り返しながら
親が子どもを育て続けることができるなら
最後の最後の大きなギブアップを避けられる人はもっといるんじゃないだろうか。
いつでも「小さなギブアップ」が許される
きめ細かい柔軟な支援が整っている社会の方が
親も安心してゆったりと子どものケアを続けられるし
(なにより安心して産めるし)
結局は社会のコストもかからないのではないだろうか。
子育てが困難な親に子どもを州に託すことを認める法律によって
子どもを“棄てる”人が相次ぎ、問題になっています。
日本で言えば「こうのとりのゆりかご」と同じ制度と思われますが
米国では実際のポストを設置するのではなく、
所定の病院で受け入れることを法律で明示してあるようです。
文書にサインして子どもを州の福祉局に託すという仕組み。
この法律の下では理由を求められることはなく、
罪に問われることもありません。
もともと乳児殺しの予防という意味合いの法律なので
他の州では1歳未満としているのに対し
Nebraska州だけは年齢制限を設けずに7月に同法を施行。
(福祉局の担当権限により事実上は17歳まで)
特に9月24日(水)には午後5時からの4時間に
3人の父親が子どもを連れてきて、
そのうちの1人は1歳から17歳までの9人の子どもを置いていった、と。
親も後見人もいない18歳の男性がこの法律の元での保護を求めて
自らやってきたというケースも。
9月23日から30日までの間にこの問題で14本の記事がありました。
それらの内容をまとめてあるChicago Tribuneのブログ記事も参考に
いくつか気になる詳細を拾っておくと、
有効な支援に結びついていなかった。
(父親に虐待と薬物中毒があり叔母が養育しているが
本人も粗暴で精神科を受診させたが薬を飲もうとしない、
警察に相談したが犯罪を犯すまでは手が出せないと言われた、など)
施設に入れるか里親を見つけるか裁判所が判断することに。
母親は2007年2月に急性脳出血で死亡、後に10人の子どもが残された。
34歳の父親には失業、立ち退き命令、公共料金未払いの前歴があり、
また心理士から常識を欠いていると判断されている。
18際の娘をのぞく9人を連れてきた父親は
これ以上育てられないと警察に話した、と。
子どもたちについては州議会が特別な予算を組んだが
親族から協力の申し出も出ている。
こうした”濫用”の多発を受けて州議会が同法の見直しを検討しているようですが、
法律を改正して機会をシャットダウンするだけでは解決したことにはならないのでは?
それが「役に立たなかった」り、実際の支援に結びついていなかったことが
私にはとても気にかかります。
そこから繋げることのできる実際の支援が用意されていなければ
その窓口は行政が仕事をしているというアリバイに過ぎないのに……といつも思う。
Triage (Chicago Tribune health care blog) by Judith Graham, September 28, 2008
The Omaha World-Herald, September 28, 2008
(Safe Haven Lawの適用を受けた家族のプロフィールがまとめられています)