2ntブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
2007年の10月、
Fiona Pilkingtonさん(38)は障害のある18歳の娘と車に乗り込み、
10リットルのガソリンをまいて火をつけた。

DNA診断でなければ身元確認が出来ないほどの
焼け方だったという。

この心中事件の背景が今になって明らかになった。

Fionaさんはシングルマザーで、
障害名の診断は付いていないものの排泄介護が必要なほどの知的遅れのある娘Franceccaさんと
重度の失読症のある息子の3人暮らしだった。

Franceccaさんの介護で働いていなかった。

そんな一家が、町の子どもたちのギャングの標的になった。
その一帯を跋扈する16人ほどの“ストリート・キッズ”の中には
10歳程度の少年少女も含まれているという。

(ストリート・キッズというのは、家出をして仲間でたむろしていたりする子どもたちのこと?
 それとも、ここ数年、社会問題になっている街で粗暴なギャング化した若者グループのこと?
 この親子が住んでいたのはvillageとなっているので、どちらかというと田舎のようなのですが。)

少なくとも6軒がターゲットになっていたが
母親と障害のある子ども2人の一家を
彼らはほとんど軟禁状態にして嫌がらせを尽くした。

息子は学校でナイフで脅されて小屋に閉じ込められたり、
殺してやると脅されていた。

その期間、なんと、10年間。

7年間の間に20回以上もFionaさんは警察に電話をかけ
殺してやると脅迫されていると助けを求めたが、
警察はそのたびに「カーテンを引いて、無視しなさい」と相手にしなかった。

一家がギャングに監禁状態にされていると、
近所の住民が緊急通報したこともあったが、動かなかった。

Fionaさんは地方自治体にも相談していた。
地元の国会議員に手紙を書いて、
子どもたちを守ってやることが出来ない、
ストレスで髪の毛が抜け始めた、と訴えて、やっと、
警察が重い腰を上げたが、

すでにFionaさんはギャングの襲撃のストレスから、うつ病にかかっていた。

気力が尽きてギブアップしてしまったのだろう、と
親子を助けるために途中から同居するようになったFionaさんの母親。

子どもたちの虐めが酷くなるハロウィーンやガイ・フォークス・ナイトを特に恐れていた。

ハロウィーンは10月30日。
ガイ・フォークス・ナイトは11月5日。

2007年10月の夜、娘と家族のペットのウサギを車に乗せ、
人目につかない場所でとめると、車の中にガソリンをまいて火をつけた。

Fionaさんの母親はいう
「あの子たちは、ただ、娘たちがそこにいるのが気に入らないといって、
3人をいじめたんです。他の人たちと違っているから」

今に至るまで、ギャングの子どもたちは誰一人逮捕されていない。



衝撃的な内容だけに、
この記事に寄せられたコメントがけっこうあって、

親が親としての責任を果たしていないのがいけない、
50年代、60年代に戻って、悪いことをしたらバシッと躾ければいいんだ、
いや法律が子どもに甘いのがいけない、
英国の身分階層社会に根っこがある……などなど。

でも、私は、そういう問題じゃないと思う。

前にも“すべり坂”は複合的に起こっているのではという話を
書いたばかりだけど、

生命倫理学者さんたちが繋がりに気づかないのか、敢えて目をつぶっているだけで
これこそが“科学とテクノでイケイケ”の能力至上価値観の”すべり坂“なのでは、と思う。

英国で特に先鋭的な“科学とテクノ万歳”文化の能力・知能至上主義や、
そんな価値観を基盤に置いて毎日繰り返されている「死の自己決定権」議論は
せっせと子どもたちにメッセージを送り続けている。

能力、特に知能の低い人には価値がない──。
だから尊重しなくてもいい──。


その同じ息の下から「障害児だからといって苛めるなんて……」と呆れ返るなら、
ダブルスタンダードもいいところだ。

それに、子ども自身も“科学とテクノの簡単解決”の世の中で
親の都合や好みに合わせて自由に選別され作られる、
親が望む能力を持っていることだけが価値であるような、
一定の条件を満たさなければ愛される資格のない存在にされていく。

世界中で大人の欲望のはけ口や、金儲けの道具にされていく。

大人に踏みつけにされる子どもたちが自分たちのはけ口を求める先が
大人たちから「生きるに値しない、価値の低い生を生きている人たち」
「あの人たちが社会の重荷」と名指しされている存在であることは
なんら不思議なことではないでしょう。

そして、それら全てが本当は、
大人の世界そのものが、
ごくわずかの強いものだけの都合で
大人も子どもも弱いものはみんな踏みつけられ、
使い捨てられ、見殺しにされていく世の中へと
この世界が急速に作りかえられていることの1つの現れでしかないんじゃないだろうか。

英語圏の“科学とテクノ”とその御用学問の専横の“すべり坂”は
決して“科学とテクノ”の直接の応用範囲や自殺幇助合法化の問題に限定して起こっているわけじゃない。

こんなふうに複合的に、
世の中の多くの人々の心に力だけの論理をジワジワと浸透させ、その心を蝕んでいく形で

人類はとっくに“すべり坂”を転げ始めている……という気がする。
2009.09.18 / Top↑
英国の終末期医療のクリニカル・パスLCPに関する報告書が出て、先日の医師らの告発と全く逆に「素晴らしい終末期ケア」という結果が報告されている。:どうなっているんだ?……と思って、いくつか挙げられている調査時の質問の文言を見てみたら、なんとなく、現場医師らの言う「機械的なパスの適用」というのが想像できる気がした。「患者は死ぬ時に苦しみましたか?」って、早々に重鎮静でそのまま死ぬのを待っていれば、この答えはNOだし。それで評価されても……。まぁ、報告書をちゃんと読まずに決め付けるのはよくないけど、こういうお役所の監査的調査で「いいケアが行われています」というの、ありがちなことのような気がする。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/164094.php

キャンベラ病院の強化手術コンプレックス(手術室2室)を首相と保健相がじきじきにオープン。キャンベラはelectiveな手術(医療上の必要度が低いもの)の待機期間が75日と国内で最悪のため、政府が660万ドルを投入して作ったもの。:カナダの医療は英国と似たシステムで基本無料だから、待ちリストも長い、切り捨ても過酷なんだと誰かが言っていた。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/new-theatres-to-help-cut-waiting-lists/1625936.aspx?src=enews

ペンタゴンの研究で、負傷した外部委託の兵士もケアされるように防衛基地法を見直す必要が言われている。「貧困大国アメリカ」にあった、米軍へ民間企業からのハケン兵士。
http://www.propublica.org/feature/pentagon-study-proposes-overhaul-of-defense-base-act-915

米国の医療保険制度改革論争にカーター元大統領が出てきて、「Obama大統領が黒人だから」と、ついに人種間対立の話に。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/us_and_americas/article6837637.ece?&EMC-Bltn=GEQ9FB

目覚しい経済成長の陰で、インドの子どもの半数が飢えている。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/asia/article6837585.ece?&EMC-Bltn=GEQ9FB
2009.09.17 / Top↑
いただき物の情報。
夕方いただいてから、ずっと頭から離れない。

ワシントン大学の障害学プログラムが10月9日に公開シンポをやるというのですが、
そのタイトル、「優生学と障害・ワシントンにおける歴史と遺産」。



シンポの上記公式サイトでは、

1909年に障害者などの強制的不妊手術を認める法律を通したWA州は
米国で優生法を通した2番目の州だったと述べた後で、

20世紀前半に優生学があれほど広くもてはやされたのは何故なのか?
優生学の隠れた、そして複雑な歴史は2009年においては、いかなる意味を持つのか?


共催はUW障害学プログラムとUW教務部のほかに3組織あって、

障害とビジネス・テクノロジー支援センター(DBTAC)の米国障害者法(ADA)情報センターと
遺伝学と保健医療平等センター
Trueman Katz小児生命倫理センター。

最後にさりげなくくっついているTrueman Katzセンターというのは、
あのシアトル子ども病院でDiekema医師が事実上、仕切っているセンターで、
成長抑制療法の一般化を強引に推し進めている本拠地。

その前の2つを固有名詞で書かずに、敢えて日本語にしたのは、
「障害者のテクノロジーによる支援」と「遺伝学」を日本語にしたかったから。

さらに後援団体の中で私がこだわりたいのは以下の顔ぶれ。

・マイクロソフトと並ぶシアトルの大企業、ボーイング社がらみコンピューター科学・工学関係の団体。
・テクノロジーと障害研究センター
・人間発達(Human Development)と障害センター
・遺伝科学部

このあたり、ちょっとTHニスティックな匂いが漂っているような……気のせいでしょうか。

後援は、このほかに障害関連の9団体。


いや、まさか、いくらなんでも、大学を挙げて、
そこまでやるだろうか……とは思う。

でも、先の成長抑制ワーキング・グループの議論で
UWの障害学は学問としての節操を売ったね……という偏見を私は持っていて……。
(なにしろUW障害学は、あのシンポの「成長抑制スポンサー」の1だった)

もう1つ、見過ごせない箇所に触れておくと、

午後のプログラムのモデレーター、どこかで見た名前だと思ったら、
あのDRW(元のWPAS)の弁護士Carlsonさん。

2007年5月のAshley事件の調査報告書の著者。すなわち、
シアトル子ども病院に「今後は裁判所の命令なくこのようなことは致しません」と約束させた人。

この人は、私に言わせると、
Ashley事件の真相を知りながらホッカムリして自分とWPASの節操を売っただけでなく
WA州の全障害者を手ひどく裏切って、いまや成長抑制ワーキング・グループに入り、
そ知らぬ顔で成長抑制一般化のお先棒を担いでいる人だ。

この人、どんなに良心の呵責に耐えかねているだろうと想像していたら、
今度はこんなところで大学に尻尾を振っている──。

やっぱり、匂うよ、このシンポ──。


思い出されるのは
2006年の最初のAshley論文でDiekema医師が
優生思想による障害者への強制的不妊手術に言及していること。

過去にそういう事実があったと書いた後で、
彼は次のように書いている。

…….In many cases, these individuals were capable of living independently, marrying, and raising children. These decisions were based not on the best interest of the patient but rather on the perceived interest of society and, in some cases, the interests of parents or caretakers.

The lessons of these and other abuses must be remembered, but past abuses should not dissuade us from exploring novel therapies that offer the potential for benefit.

多くのケースにおいて、これらは自立生活が出来、結婚して子どもを育てる能力のある人たちだった。こうした決定は患者の最善の利益ではなく、社会の利益と考えられたものや、時には親や介護者の利益に基づいて行われた。

これらやその他の虐待の教訓は忘れてはならないが、過去に虐待があったからといって、利益の可能性がある新しい療法を探求することを諦めてはならない

2007年1月12日のLarry King Live で
Ashleyに行われたことについて、将来の優生的な介入に繋がるとの懸念が出た時に
即座に反論したNorman Fostが言ったのは、

This claim of eugenics. Eugenics is about coercive government policy to sterilize people for fear that they would make more retarded children. That’s not what’s going on here. This is not state action. She did not have her uterus out because of fear of creating retarded children. It was done to help her, not society.

この優生学だという批判ですがね、優生学というのは知恵遅れの子どもを増やされては困るということで不妊手術をしようという政府の強制施策のことです。このケースは、そんな話じゃない。国がやっているわけじゃないんだ。Ashleyの子宮が取り出されたのは、知恵遅れの子どもが生まれては困るからじゃない。子宮摘出はAshleyを助けるために行われたのです。社会のためじゃない。


障害者本人を助けるために、その障害者本人の最善の利益にかなう形で
科学とテクノロジーで介入することは支援であって、優生思想ではない……。

「優生思想の複雑な歴史が2009年に持つ意味」って、もしかして、そういうこと──?

もしかしたら、障害者へのテクノロジー介入と優生学との切り離しの理論構築が
ここから始まろうとしているのかもしれない……なんて、

仮にも障害学主催のシンポで、まさか……よもや……とは思うけど。
これが私の妄想だったら、何よりなのだけど。
2009.09.17 / Top↑
ひさかたぶりにオーストラリアのDr. Death こと
Dr. Nitschke(いまだに発音が分からない)の話題が出てきたと思ったら、
なんともイヤな話だ、これは。

「死の自己決定権」の包囲網、ついに中国まで迫って来たか。



中国国営ラジオがやっている「家族の健康」チャンネルで来月
「尊厳ある旅立ち」という13時間の有料番組が放送される。
(有料番組というところが、いかにも富裕層ターゲット)

医師による自殺幇助に関する内容。

このプロモーションにDr. Nが手を貸すべく、
インタビューを受けて熱弁をふるったらしい。

記事のタイトルは「Dr. DeathのNitschke、TV番組前に中国に安楽死を売り込む」。

「売り込む」といわれているのは
Dr. N はExit International という会社を持っていて、
年間約83米ドルの会費で苦しまずに死ねる情報を提供しており、
中国には今後その会社の窓口を設けるだけの需要があると見込んでいるため。

中国は近年、経済成長が目覚しい。
それと同時に自殺率が上がっている。

世界でも高齢化の速度が最も早い国のひとつで
ゆりかごから墓場までの福祉ネットワークも
この20年に行われた民営化でガタガタ、先行きはまったく不透明だ。

同様に高騰する医療費に直面する米国のように、
中国も自殺幇助を選択肢として検討すべきだ、とDr. N。

Obamaケアが医療費節減のための「死の委員会」条項を含んでいる
例の共和党が流しているデマゴーグを、あたかも事実のように引っ張り出して?)

Dr. Nは毎日10~15通、安楽死の方法についての問い合わせEメールを受け取るといい、
アジアからのメールの割合が上がってきている、
毎日1,2通は中国からメールが来る、と。

ターミナルな患者だけではなく、
50歳以上の精神状態が健全な人なら
自分の希望によって医師の自殺幇助を受けられて然りだと、
いつもの「死の自己決定権」を主張。


きっと日本からのメールもくるのでしょうね。

世界でも高齢化率がトップクラスで
経済成長は鈍っているけど、自殺率は高い。
福祉制度はコイズミ改革の民営化でガタガタ、
福祉制度だけでなく社会の仕組みそのものがガタガタ、
医療費の高騰・医療の崩壊に悩んでいる国……日本からのメールが。

何通くらいあるのかな。
やっぱり知的エリートの富裕層なのだろうなぁ……。

そのうち、日本にも来るかも。Nitschke。
いったい誰が呼ぶんだろう。やっぱり、あの人……かな。
2009.09.17 / Top↑
スウェーデンの研究で認知症患者が介護される際に身体を突っ張るのは、これまで思われてきたように用具の不都合とか身体の重みがかかるためではなくて、自分の意思がうまく伝わらなかったり、誤解されたと感じているサイン。:ああ、ありそうなことだ……と思うと同時に、そんなことすら専門家がデータで出してからでないと気がつけないような介護って、なに? と腹立たしい。それとも、よくあるように、いわゆる研究者って、介護職の人たちは何も知らないと思い込みがちなだけで、そういうこと、案外に介護現場の人たちは、とっくに分かっているんじゃないのかな。あ、分かっていない無神経な介護のプロも中にはいるから話がややこしいんだけど。でも、この問題、認知症の人や知的障害者の痛みが医療で見過ごされていることに通じていくと思うから、こういうデータで目を向けてもらえるのは悪いことではない。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/163967.php

ちょっと前から話題になっている、これまでより安全で結果信頼性の高い新しいダウン症の出生前検査に関する議論の必要を説いた論文。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/163976.php

イタリア沖で有毒廃棄物を積載した船をマフィアが爆破・沈没させた。警察の捜査を免れるため。:このブログでも取り上げた、あの「象牙海岸の悲惨」のように、先進国の有害廃棄物をアフリカなどの貧困地域に捨てに行く仕事を、なるほどマフィアが請け負っているというわけなのか……。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8257912.stm

12月の国連の地球温暖化対策で合意ができなければ、飢餓が悪化し“グローバル・ヘルスの危機”。18の国際機関が、世界中の医師らに温暖化対策を主導せよ、と、グローバル・ヘルスだから、やっぱり、これはLancetに。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8257766.stm

世界銀行が先進国は温暖化対策費を増額し、これまでのガス排出の責任を取るべき、と。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/8256961.stm

「米国ではこうなのに…」と、ことあるごとに日本で引き合いに出される薬の承認スピードが速い象徴みたいな国アメリカで、FDAの癌治療薬部門のトップが、実験段階の抗がん剤の承認スピードが遅い、お役所仕事だと非難され、“人殺し”呼ばわりまでされる事態となっている。
http://www.nytimes.com/2009/09/16/health/policy/16cancer.html?_r=1&th&emc=th

英国。去年、3人の男性教師が女子生徒と性的関係を持ったことを認めた同じ1つの中学校で、武道クラブの指導者についで教室監督者も女子生徒との関係を認めた。1つの中学で計5人も、というスキャンダル。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/education/article6836142.ece?&EMC-Bltn=9AQGEB

英国の保守党議員から、生活保護は働こうというインセンティブにならないから、制度を見直して、50万世帯以上から受給資格を剥奪して、仕事を探してもらう方向に誘導しようという案が出ているらしい。:(背景の知識を欠いている上に最初の部分だけしか呼んでいないので、ちょっと自信がない。読み間違っているかも)コイズミ時代に、こういう理屈、よく聞いたような気がするなぁ……と思って。あれから何でも「自立支援」になった。
http://www.guardian.co.uk/politics/2009/sep/15/iain-duncan-smith-welfare-reform
2009.09.16 / Top↑
米国の医療改革から、
科学とテクノによる予防医学は医療費を本当に削減するのかという疑問を考えていたところ、

数日前のローカル・ニュースにひょっこり「予防歯科」の話が登場した。

それが、まるで自分からダマシの手口を曝け出してしまう詐欺師みたいな
なんとも真っ正直な話の組み立て方だった。

大体、こんな流れ。

いつのまにか世の中に歯科医が増えて、
今では町の歯科医院の数はコンビニと同じ。

その過当競争に生き残るために、
治療と無関係な付加価値サービスで差別化を図る医院が出てきている。

しかし、ここにきて注目されているのが予防歯科。
予防歯科には医療費削減のメリットもあるといわれている。

みんなが予防歯科を受けるようになったら、
今は余っている歯科医も全員必要となるそうだ。

みんな、これを機に近所の歯医者さんへ。

あははっ。

これでは、
実際は歯科医の生き残り策としての予防歯科プロモーションだと、バレてしまう。

普通は、こういう話がホンネを覆い隠して
「予防医療には、ほら、エビデンスがこんなに」という流れに化けているものだけど、

珍しく真っ正直な話の組み立て方だったので、
ついでに、次のような素朴な疑問が頭に浮かんだ。

それ、今は必要以上にたくさんの歯医者さんがいる、ということだよね。

そして、みんなが予防で歯科にかかれば、
余っている歯医者さんが生き残れる……ということは、

裏返せば、それ、
予防歯科の医療費の増加分が余剰歯科医の生き残り費用に回るんだよね。

で、どうして予防歯科が医療費の削減になるんだろう──?


それで、さらに、そこから考えたこと。

予防歯科の予防効果エビデンスを出してくる研究というのは、
直線的な時系列でのフォローをして、
予防しない場合よりも予防した方が虫歯や入れ歯になる“確率”が低かった、とか
予防しない場合よりも予防した方がそうなるのが"遅かった"、
というデータの取り方で「予防効果がある」という話なので、

実は、そこでは「人は虫歯や入れ歯になる」ことは前提として予め織り込まれている。

だって、どんなに歯磨きを上手にして定期的に歯石をとっていても、
歳をとれば歯茎は痩せるし、歯の質だって悪くなるのだから、
予防を完璧にしたから一度も虫歯にならずに終わる人なんか、いない。たぶん。

だから、「人はもちろん虫歯や入れ歯になる」と織り込んだ上で
予防しないことに比べて確率が下がれば、または発症を遅らせることができれば
予防効果があるとされるのが、予防効果のエビデンス。

だけど、
個々の患者レベルでの時系列での確率の低下や遅れのエビデンスが
果たして、そのままマスとしての医療費削減効果のエビデンスだと言えるんだろうか。

私のイメージだと、マスとしての医療費は
時系列の直線ではなくて、むしろ円の全体という感じなのですが、

円に帯を重ねたときに上下に出っ張りがはみ出すように、

直線・時系列の予防効果エビデンスを根拠に
予防医療には円全体のマスとしての医療費削減効果があると主張するのは
先に織り込まれつつ確率の外側にあった「人は虫歯・入れ歯になるものだ」という事実が
取り残されているような気がする。

病気になることを織り込んだ上でのエビデンスを用いながら、
病気になることを織り込まない話に摩り替わっているような……。

簡単に言えば、

いくら予防して確率を下げたり遅らせたりしても、
歳をとっていけば、いつか病気にはなる。

予防のエビデンスは、その前の部分だけで話が成り立つけど、
マスとしての医療費は、後ろの部分も拾うのだから、
それを拾った上で、さらに予防にかかる医療費分もちゃんと加えて
それで差し引き計算しないと話の筋が通らないことない?

……という、とっても素朴な疑問。
これ、素人の勘違いなのかな。

まぁ、でもね、

本当の医療費削減効果は、予防歯科とか予防医療になくても、
もっと違うところにあるのかもしれない。

こんなふうにニュースキャスターが
「医療費削減効果もあるそうです」と一言さりげなく付け加えるようなことが
日常的にあちこちで繰り返されていけば

私たちの頭の中には
「医療費は削減しないといけない」というメッセージがその都度インプットされて
私たちは無意識のうちに身の周りの目に見えやすいところで
医療費の無駄や医療費を高騰させている犯人を探し始める。

私たちがいるところから見える、わかりやすい範囲で、ね。


 
2009.09.16 / Top↑
さっき、人に教えてもらったばかりなのですが、
昨日のエントリーで触れた映画「私の中のあなた」に
日本臓器移植ネットワークと骨髄移植推進財団がタイアップしています。

映画の公式HPはこちら。
http://watashino.gaga.ne.jp/

ここの「最新情報」をクリックすると、
映画の最新情報など出てこなくて、出てくるのは以下のメッセージ。

日本臓器移植ネットワークは「私の中のあなた」とタイアップしています。

あなたの意思で救える命があります。
臓器提供の意思表示にご協力を!

財団法人日本臓器移植ネットワーク

------------------

骨髄バンクは「私の中のあなた」とタイアップしています。

財団法人骨髄移植推進財団
登録をお考えの方はこちらへ

映画の公式サイトで「最新情報」をクリックしたら、これが開くんですよ。
なんで、これが「最新情報」なんだ?

それに、いったい、これは、どういうメッセージなのか。

まさか、日本臓器移植ネットワークと骨髄移植推進財団は
病気の子どもを救うために臓器目的のデザイナー・ベビーを作ることを是認するとでも?

タイアップするというのなら、
この映画に描かれている“救済者兄弟”の存在について
自分たちのスタンスを、まず明確にするべきではないのでしょうか。


もう一度声を大にして言いたい。

この物語は、単に「病気の子どもを支えあう美しい家族愛」の物語ではありません。

この映画の原作となった小説のテーマは
病気の子どもを救うために臓器目的で作られるデザイナー・ベビーの倫理性・人権です。

そして“兄弟の臓器庫”として生まれてくる“救済者兄弟”が
私たち日本人にとって、どんなに非現実的・荒唐無稽な話に思えるとしても、
これは決して小説や映画の中の作り話ではありません。

米国では現実に無規制で行われているだけでなく、
当ブログの知る限り少なくとも英国・スウェーデンでは合法化されてもいます。

法律的な背景は不明ですがスペインでも生まれています。

当ブログの知る限りの事実関係をこちらのエントリーにまとめました。
”国際水準の移植医療”の最先端で起こっていることの1つ、”救済者兄弟”の実情をぜひ知ってください。


倫理問題が指摘されていながら、
それでも世界中で着実に広がっている“救済者兄弟”の実態が
なぜ日本では広く知らされないのか。

そんな実態を知らさないまま、なぜ、
この物語が本当に問いかけている”子どもの人権”という問題が
「病気の人に臓器を」と”愛の贈り物”の話に摩り替えられてしまうのか。

先の臓器移植法改正議論と同じマヤカシがここでも起こっている──。

まさか、またしても
「ここまでするのが国際水準の移植医療。日本は遅れている」とのメッセージ?
2009.09.16 / Top↑
メディケアは腎臓移植には一回ごとに10万ドル以上を出してくれるけど、拒絶反応を抑える薬は3年間しか給付対象になっていないんだとか。その後は、月に1000ドルから3000ドルもかかる薬代が自腹になるため、飲めなくなる人がいる。するとせっかく移植した腎臓も機能しなくなって、それは、つまり次の移植を受けなさい、ということになる……。今回の医療改革でそこを変えようという話もあるらしいのだけど。:ひぇ、やっぱ移植医療ってコストが大きいんだ……。でも、誰も医療費への負担は言わない。
http://www.nytimes.com/2009/09/14/health/policy/14kidney.html?th&emc=th

こういうのも出るだろうとは思っていたけど、精神障害はグローバルな問題で、医療制度への「負担」だと。:この頃、次々に burden だと名指しされるものが増えていく。“科学とテクノの簡単解決万歳”で、いろんな人に飲ませる薬のリストがどんどん長くなる一方で、「医療制度の負担」リストもどんどん長くなる。そこに“グローバル”と、たいてい、くっついている。IHMEがLancetと一緒にやっているプロジェクトだかキャンペーンだかの名称は、たしかGlobal Burden of Diseaseだった。だから病気は全部だよ。最終的には。100%健康な人以外は「グローバルな問題で、医療制度への負担」。あ、最先端医療の対象となる病気だけは除外ね。研究に貢献できる利益があるからコストと相殺されるからね。あ、もちろん患者への利益じゃなくて、国の科学とテクノにおける国際競争力への利益。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/163822.php

米国の刑務所の受刑者は国民の中でも最も健康度が低いグループ。特にHIVとかC型肝炎の感染率が高いのは、刑務所内での医療があまりにもお粗末だから。:医療は、無言のうちに、社会が有益だと認める人だけのものとなりつつある、ということかも?
http://www.nytimes.com/2009/09/15/opinion/15tue2.html?th&emc=th

自殺するといって酔っ払って騒いでいるウツ病の妻と口論の挙句、「じゃぁ、これで死んでみろよ」と銃を妻のベッドの上に放ったら、本当に妻がその拳銃で自殺してしまった。夫はパニックして、その場で救急通報。妻の死亡が確認されて、それが自殺だということも確認されて、夫は「自殺幇助」で逮捕され、現在保釈中だと。:これも自殺幇助、あれも自殺幇助。FENやDignitasがやっていることを思えば、この夫の方がむしろ罪が軽いと思うんだけど。
http://www.myfoxorlando.com/dpp/news/brevard_news/091409_assisted_suicide_charge

英国人は自殺幇助の合法化の賛否、ほぼ半数ずつに割れている、との世論調査。近く法案が提出されるスコットランドでは反対が微妙に上回っている。:こういうの、質問の文言に問題があることが多いのに。
http://news.scotsman.com/politics/Half-of-Britons-want-assisted.5646125.jp

言語障害のある人の生活を助けるIT機器の購入費をメディケアも民間保険も給付しないという問題の指摘。高いPCはともかく、安いiPhoneもダメなんだとか。
http://www.nytimes.com/2009/09/15/technology/15speech.html?_r=1&th&emc=th

Obamaケアでの批判にも関わらず、Oregon州の医療制度に終末期医療条項を残そうとがんばっている議員さんがいるそうだ。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/163793.php

Guardianが日本のイルカ漁を非難している。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/sep/14/dolphin-slaughter-hunting-japan-taiji

これ、制度が出来た時にニュースを読んだ記憶がある。米国のスーパーの一角にある、スーパー経営の「ウォーク・イン・クリニック」(たしか、簡単な処方なら出来るナースプラクティショナーがいるんだった)が、そこらへんの医師と変わらない医療内容で、安上がりで、結構いいよ、という話。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/14/AR2009091402162.html
2009.09.15 / Top↑
昨日のリンク集作成のための検索作業から、
シアトル子ども病院理事会メンバー以外にも、
ちょっと思いがけない事実を拾ったので、追記。

このエントリーは、
Ashley事件に、よほどマニアックな興味関心をお持ちの方以外には意味不明かもしれません。

Benjamin Wilfond医師は2006年に子ども病院に
Trueman Katz Bioethics Centerのディレクターとして着任しています。

つまり、彼は2004年のAshleyケースの検討や手術の際には、いなかったのです。

このセンターの創設(2005)の準備を率いたのはDiekema医師で
設立時から暫定的なディレクターに就任していましたが、
Wilfond医師のディレクター着任で、
Diekema医師は教育ディレクターに正式に就任。

論争当時、Wilfond医師はDiekema医師の上司であるはずなのに、
どこか弱腰で、それがずっと不可解だったのですが、これで氷解。

2007年初頭からずっとリアルタイムで情報を追いかけてきた中で
Wilfond医師について特に印象的だったのは、

彼は基本的に非常に慎重なスタンスの医師で、
“Ashley療法”論争にも身内でありながら立場を保留にしている気配があったし、
例えば2007年夏の生命倫理カンファでは、
恩師であるNorman Fost医師に批判的なニュアンスの発言もあったのに、

Ashley事件については、ある段階から、その保留を全面解除して
病院の隠蔽工作に積極的に加担するようになった、ということ。

その「ある段階」というのは、
こちらのエントリーで仮説を立ててみたように、
2007年5月にいったん違法性を認め、
今後は裁判所の命令なしには、これらの過激な療法を封印すると約束した病院が、
いつのまにかDiekema医師に押し切られたかのように、
(つまり彼の背後にいるFost医師やAshley父に押し切られて)
記者会見の約束を反故にして、強引な成長抑制療法の一般化へと舵を切った時期。

病院が成長抑制の一般化で押し切るという戦術に切り替えた以上、
ついていくしかない人がWilfond以外にも、あの成長抑制ワーキング・グループの中にいたはず。
(当初反対していたAshleyの主治医Cowen医師とかWPASのCalson弁護士とか)

今にして振り返ってみると
その時期は、ちょうど、シアトル子ども病院がゲイツ財団とのパートナーシップを
最終的に固めていく時期と合致していた……と言えないこともない。

もちろん、何度も書いているように、私は
ゲイツ財団やゲイツ夫妻がAshley事件に直接関与したとは考えていません。

なんら直接的に関係していなくても、
もともと密接な関係が既にあり、これだけ大きなお金の動きがあれば、
病院が自ら政治的な配慮をしても不思議はないと私は考えるだけです。

また、そう考えれば矛盾だらけの事件の事実関係に説明が付くということは
このブログで検証してきた通り。

まもなくワシントン大学にゲイツ財団の私設研究機関IHMEがオープンし、
子ども病院の理事会にこんなメンバーが居並ぶほど、
加速度的にゲイツ財団との関係が深まっていく時期に当たっていたとしたら、

いかに一旦は記者会見まで開いて謝罪し、
成長抑制も今後は勝手にやりませんと約束していたとしても、
Diekema医師を通じて成長抑制を一般化しろと圧力をかけてくるAshleyの父親に
そりゃ、病院も、逆らいにくいというものではないでしょうか。

もしもAshleyの父親がマイクロソフトの役員だとしたら。


それにしても、これだけ権威ある子ども病院に、
記者会見までして発表した公式見解を自ら反故にさせるとは……

恐るべし、ゲイツ慈善ネオリベ王国の無言の脅威──。
2009.09.15 / Top↑
昨日、2008年1月のDiekema講演の資料をリンク集としてまとめる作業をした際に、
たまたまシアトル子ども病院の現在の理事会(board of trustees)メンバー一覧に行き当たった。

つい先日読んだミステリーで
臓器移植の順番を金の力に明かせて、すっ飛ばした大金持ちをめぐって
「病院の理事会には彼の金持ちの友人がそろっているんだから」
一人の医師が言ったセリフが思い返されたので、

面白半分に一人ひとりネット検索で当たってみたところ、
すぐに面白半分ではすまなくなって、ヒーヒーいいながら結局、全員を検索してしまった。


右に肩書きが入っているのは病院職員。たぶん。
最後の2人は理事会の副会長と会長。

そのほか21人の理事のうち、
明らかにGates財団・Microsoftの関係者と分かる理事が3人いて、

まず、Libby Armintrout という人は、
びっくりしたぁ……。なんとBill Gates氏 の妹御


次に、Laurie Oki さんはOki財団の理事長夫人
夫はMicrosoftの草創期に国際戦略を担った立役者で、ITで億万長者になったから、
Bill Gatesと同じようにOki財団を作って慈善事業をおこなっている。

3人目はMike Delmanさんで、この人は Microsoftの役員

あと、この人も、関係筋から来ている人かも……と
可能性を考えたくなるのが、弁護士のPat Charさん。
なにしろ所属の法律事務所の名前は K&L/GATES という。

他に目に付く大物では、Mona Locke・Washington州知事夫人。

それからGloria Northcroftという人は生命科学コンサルタント、遺伝子・薬学研究分野の人らしい。
それ以外のことは分からないけど、1月のObama大統領の就任式に
シアトルからGates夫妻らと共にDC入りした1人だというから、
それなりの大物なんじゃないかと想像される。


そのほかは、ほぼ意味はないけど、せっかく調べたので分かった範囲を以下に。

Dean Allen 不動産とバイオ関係
Rhoda Altom ワシントン女性会議メンバー
Robb Bakemeier 弁護士
Joel Benoliel Costcoの法務管理部門の副社長
Jane Blair 不動産会社副社長
Julia Calhoun 小児癌の支援団体Laurel 財団の会長
Bob Flowers もと投資会社社長、妻は地元テレビ局KIRO-TV勤務
Linda Mattox 地域のボランティア
Resa Moor NPO活動、嚢胞性繊維症関係も


科学とテクノロジーと慈善資本主義によるゲイツ王国の世界制覇に向けて
子ども病院は、もう、すっかり“善意のヴォルデモートさん”の右手……いや、左手。

やっぱ右手はワシントン大学の方だよね――。


              ――――――――


Ashley事件に関していえば、
2004年の理事会メンバーは探しきれなかったものの、
2006-2007年度のメンバーを年次報告書で見ると
Okiさんは入っていますが、Gates氏の妹君もDelman氏も入っていません。

さらに、もちろん2008-2009年度の理事会メンバーに
ゲイツ財団・マイクロソフトの関係者が入っているからといって
だからAshley事件でどうだと言えるわけではありませんが、

当ブログが検証してきた
2006年のダウンタウンの建物取得とその後のリサーチセンター設立に向けた
Gates夫人の陣頭指揮による資金調達キャンペーン。
(Oki夫妻もリーダーとして、このキャンペーンに加わっています)

2007年のGates財団の資金提供によるGAPPSの立ち上げ
その後の早産・死産撲滅キャンペーンでのパートナーシップ

そして2008年のワシントン大学における
ゲイツ財団の私設医療経済学研究機関に等しいIHME創設。
(詳細は「ゲイツ財団とUW・IHME」の書庫に)

それら機関を通じての、グローバル・ヘルスにおける
ゲイツ財団・ワシントン大学・シアトル子ども病院のパートナーシップ……

……といった、大きな絵の中に、現在の、この理事会メンバーを置いて考えると、
両者の関係の深さが思われるというもの。

こうしたパートナーシップが一朝一夕に出来るものではないことを思えば、
そして、当ブログが詳細に検証してきたAshley事件の数々の矛盾・不可解を思えば、
やはりAshley事件がシアトルで起こったということの大きな意味を考えざるを得ません。
2009.09.15 / Top↑
以前、こちらのエントリーで紹介した映画「私の中のあなた」がいよいよ封切り間近で、
テレビでも予告編が流れるようになりました。

メディアでも取り上げられているようで、
某MLで、以下の中国新聞の天風録を教えてもらいました。

私の中のあなた
中国新聞、2009年9月10日

なんだかなぁ……。
やっぱり「身体の自由を奪っていく病気」に、家族が「支え合う」美しい話という
捉え方になるのかなぁ……。

それに、病気の子どもへの臓器提供を目的に
着床前遺伝子診断と体外受精によって
臓器のドナーとして適合する妹弟を生むことの倫理性には
この天風録がまったく触れていないというのは、どういうことだろう。

日本でのメディアの捉え方がとても気になってきた。
また、そのMLでのコメントを見ていると、

臓器目的で子どもを作るという行為が日本人の倫理観からあまりに遠いために、
この物語の内容は、日本では多くの人にとって「映画の上の空想」とか「映画ならではの誇張」とか
「未来の可能性のお話」としか考えられないのかもしれない……。

初めて、そう気づいて、一人でジタバタするほど焦った。

「それは違うよ。これ、英米では現実に起こっていることなんだよぉぉぉぉぉ!!!」と
みんなに大きな声で触れ歩きたい気持ちになったので、

以下、この映画の主人公アナのように、
兄姉への臓器ドナーとして遺伝子診断で生まれる子どもたちを巡って
このブログで把握している範囲の事実関係を整理してみます。

         -------

親が病気の子どもを救うために臓器目的で遺伝子診断技術を用いて生む子どものことは
英語で savior sibling と称されています。

以前の検索では「救済者兄弟」というのが一般的な日本語訳のようでしたが、
ほかの訳語もあるかもしれません。

救済者兄弟は米国では無規制。

正式に認めた世界で初めての国は英国とのこと。
2001年とされている報道と2004年とされている報道があり、
私はそこは確認していません。

子どもに命に関わる重大な病気があって
救済者兄弟を生んで臓器移植を行う以外に救う手段がない場合のみ
ヒト受精・胚機構HFEAで認めていたということで、
実際に生まれた救済者兄弟はわずかだったらしいのですが、

去年、議会でのヒト受精・胚法改正議論の中で法的にも承認され、
今後は、もっと軽症の病気でも認められるようになる可能性があります。
(改正法の施行はまだこれから)

なぜ救済者兄弟にされる子どもの人権侵害がもっと言われないのか、私はずっと疑問なのですが、
おおむね生命倫理お得意の「利益」対「害」の差し引き計算の論理で正当化されていて、
通常の生体間臓器提供では「ドナーの利益」が正当化の根拠とされてきたところ、
救済者兄弟の正当化には「家族全体の利益は子どもの利益でもある」との論理が持ち出されています。

米国でも英国でも、
生まれてくる子どもが自分の生い立ちから心理的な害をこうむる可能性は指摘されており、
この点は小説「わたしのなかのあなた」でも描かれています。

主人公アナは、自分は姉の臓器庫であると感じ、自己肯定感を持てずに苦しんでいます。

しかし、英国の去年のヒト受精・胚法改正議論の際に英国医師会から出てきた見解では、
救済者兄弟が兄や姉ほど愛されていないと感じる心理的な不全感を「仮想的な害」とし、
病気の兄弟が苦しんだり死ぬことを「リアルな害」として対置して
臓器目的での救済者兄弟を正当化していました。

また、米国のAshley事件の議論から見えてきたところでは、
子どもの医療に関する決定においては、よほど極端に子どもの利益に反しない限り
基本的には親の決定権がプライバシー権として尊重されていて、
その境界年齢が mature minor といわれる13歳前後。

その辺りの年齢から、本人の意思を重要視するべきだとされているようです。

「わたしのなかのあなた」の主人公アナが、
ちょうどこの、mature minor に設定されているところが興味深いところでもあり、

この作品が巧妙に問題の核心を避けてお茶を濁しているところでしょう。

その辺りが小説の限界なのかもしれませんが、
核心を突かなくても済む、ちょっと周辺的なところに設定された人物像というのは
ピコーのロングフルバースを扱った最新刊でも同じでした。

ネタバレになるので明かせませんが、
「わたしのなかのあなた」の作品の落としどころを考えてみても、
臓器目的で子どもを作ることそのものの倫理性は作品の中で実は問われていません。

救済者兄弟は微妙に肯定しつつ、それを前提に子どもの人権は……という
問題の収め方となっています。

読めば、それなりの納得もするかもしれないものの、
そこで終わっていいのか……という感じがする作品ではありますが、

それでも、やはり、ピコーの「わたしのなかのあなた」は
そうした行為が無規制で野放しになっている米国の実態に疑問を投げかけた作品で、
英米でこの映画を見る人たちには、こうした背景がある程度認識されているわけですが、
日本でこの映画を見る人たちは、まったくこういう背景を知らずに見るのだとすると、
それは全く見方を誤る可能性があり、ちょっと怖いなぁ……と思います。

先の臓器移植法議論でも、
英米の移植医療で何が起こっているかという実情など全く知らされないまま
「国際水準の移植医療を」としきりに言われましたが、

今回の映画も、こんなことが既に現実になっている英米の実態が知らされないまま、
映画の中だけの空想や未来の話だと受け取られて、
それを前提に日本のメディアに論じられ、
日本の世論がそれに誘導されるとしたら、

そのことの怖さは、たかが映画であっても、やはり気になる。

拙ブログで把握している範囲では
スウェーデンでも2006年に救済者兄弟を認める法律ができ、
翌2007年から実際に適用されているとのこと。

また、今日そのMLで教えてもらったのですが、
2008年10月にスペインでも初の救済者兄弟としてJavior君が生まれたという報道がありました。



このように、
「病気の子どもを救うために臓器ドナーとなるデザイナーベビーを作る」という行為は
決して映画的空想でも誇張でもなく、未来の話でもなくて、
今、世界中にじわじわと広がりつつある現実なのです。

世界で初めて救済者兄弟を認めた英国には、
日本からも問い合わせがあったという報道もあります。

一人でも多くの人が
科学とテクノロジーが世界中にどんな現実を作り出しているかを知った上で
この小説を読み、映画を見てくださるように祈ります。


【16日追記】
日本臓器移植ネットワークがこの映画とタイアップしていることについて、
その後こちらのエントリーを書きました。


【原作関連エントリー】
「わたしのなかのあなた」から
「わたしのなかのあなた」から 2
「わたしのなかのあなた」から 3
ネタバレを含みます。物語を知らずに映画を見ようと思われる方にはお勧めしません)



2009.09.15 / Top↑
自閉症スペクトラムに一般的に処方されている薬はほとんど効果なし、とシアトル子ども病院の医師ら。6月の、ちょっと古い情報です。
http://www.seattlechildrens.org/home/about_childrens/press_releases/2009/06/004759.asp

10歳から24歳の若者の死因のパターンをWHOが世界規模で調べた初めての研究。主な死因は、交通事故、周産期の問題、自殺、暴力、HIV/エイズ、結核。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/163504.php

米国企業は過去5年間、汚水防止法に平気で違反して汚水を流しているのに罰せられていない。健康被害が出ている。ある地域の住民は「ウチにはインターネットもケーブルテレビもあるのに、きれいな水が手に入らないって、なによ、それ?」と。
http://www.nytimes.com/2009/09/13/us/13water.html?_r=1&th&emc=th

英国のトップクラスの企業の役員報酬はこの1年間で上がり続けている、というGuardianの調査。
http://www.guardian.co.uk/business/2009/sep/14/executive-pay-keeps-rising

ウガンダの医療職不足が国民の余命を短くしている。政府の介入が必要、と。
http://www.guardian.co.uk/katine/2009/sep/11/health-news
2009.09.14 / Top↑
2008年1月18日のCalvin大学での講演
“Live, Jusitce, & Humility: A Bioethicist Meets the ‘Pillow Angel’"

Calvin大学サイトのDiekema講演ページ (音声聴けます)
http://www.calvin.edu/january/2008/diekema.htm
(RealAudio archive link included)

Calvin大学キャンパスTVでのインタビュー(このページにある IC812番)
http://www.calvin.edu/innercompass/icaudio_feed.xml


講演前のD医師の発言

Calvin大学同窓会雑誌でのインタビュー
http://www.calvin.edu/publications/spark/2007/winter/diekema.htm

“Pillow Angel” doctor speaks on controversial care
(The Grand Rapids PRESS January 14, 2008)
http://www.mlive.com/news/grpress/index.ssf?/base/news-40/1200321927113130.xml&coll=6

What is ethically OK in treating a disabled child? Doctor in controversial case to speak Friday
(Kalamazoo Gazett January 15, 2008)
http://www.mlive.com/features/kzgazette/index.ssf?/base/features-0/1200412252165240.xml&coll=7


講演についての報道・出席者からの報告



F.R.I.D.A. January 18, 2008 (a report of an activist who attended the lecture)
http://fridanow.blogspot.com/2008/01/michigan-activists-at-ashley-x-debate.html

the Roving Activist’s Blog January 31, 2008
(a report from a Michigan ADAPT activist who attended the lecture)
http://dread1mynproductions.com/rablog/2008/01/30/michigan-adapts-ashley-x-action/

BETHANY’S BLOG  January 19, 2008
(a blog post of someone who attended the lecture)
http://bchammer.blogspot.com/2008/01/ashley.html Ashley



Diekema医師のその他講演など(2007~2009年1月)

the Trueman Katz Bioethics Center の以下のページによると、
Diekema医師は2007年に18回の講演を行っており、そのうち少なくとも4回がAshleyケースに関するもの。
また、2008年には13回の講演を行っており、そのうち少なくとも7回がAshleyケースに関するもの。
2009年1月にもBoston子ども病院でAshley事件に関する講演を行っている。


そのうち、米国科学協会での講演アブストラクトが以下の学会プログラム6ページに。
http://www.asa3.org/ASA/meetings/georgefox2008/GeorgeFox_abstractbook.pdf#search='ASACSCA%20annual%20meeting%202008'


Diekema医師のその他の問題での発言(2008)

Willing, but waiting: Hospital ethics committees(倫理相談に関して)
AMANews, January 28, 2008
http://www.ama-assn.org/amednews/2008/01/28/prsa0128.htm

Star Pediatrician Fights Accusations of Sex Abuse (著名医師の性的虐待疑惑に関して)
The New York Times, August 6, 2008
http://www.nytimes.com/2008/08/06/us/06pediatrician.html?

Time to get tough? States increasingly offer ways to opt out of vaccine mandates
(親によるワクチン拒否の問題に関して)
By Kevin B. O’Reilly,
AMNews, September 8, 2008
http://www.ama-assn.org/amednews/2008/09/08/prsa0908.htm


2008年の論文

COMMENTARY : Public Health, Ethics, and State Compulsion
Douglas S. Diekema MD, MPH
Journal of Public Health Management & Practice
July/August 2008, Vol. 14, No. 4, P.332-334
http://www.nursingcenter.com/library/JournalArticle.asp?Article_ID=799304


それぞれに関する詳細エントリーは「Diekema講演(2008年1月)」の書庫などに。
2009.09.14 / Top↑
前のエントリーで触れた森岡正博氏の「33個めの石」の中で、
Ashley事件について触れられている。

もともと2007年に「労働新聞」に連載されたものなので、
この本の章立ては一つ一つが短い。

その2本分を使って、ごく簡単に事件を紹介し、
介護負担の軽減のためとはいえ、こんな療法を許してしまっていいのか、と
疑問を投げかけているもの。

特に印象的に感じたのは、
ラエリアンのクローン人間誕生騒ぎと、
遺伝子操作による決して成長することのないペット作りの話に続いて、
Ashley事件が取り上げられて、

それら3つの話題が「子どものいのち」という小タイトルでくくられていること。

ここで、 でも 生命 でもなく いのち とされていること。

ここのところの、えもいわれぬニュアンスに、おお……! という感じがして。
同時に、ああ、この微妙なニュアンスは英語には訳し分けられないなぁ……とも。

英語の life には、
いつも生命なのか生活なのか人生なのか、よく分からない悩ましさを感じるし、

本来は機能だけしか見ない医学モデルへの問題提起として出てきたはずの「生活の質」QOLが
いつのまにか「生きるに値するかどうか」の指標としての「生命の質」に
言葉そのものは変えずに簡単に横滑りしてしまうような危うさも最近は感じていて、

こんなふうに英語が life 1語を便利勝手に使いまわしているところに
日本語だとどれくらい多様な言葉があるか、ざっと頭に浮かんだだけでも、

生命


いのち

生気
活気
元気

一生
生涯
人生

生活
暮らし
日々の営み

これらがすべて life で表現されているのだから、
森岡氏のタイトルを「子どもの life」と訳してみたとしたら、
「別にAshleyの生命に関わるような介入をしたわけじゃない、
大げさなことを言うな、事実誤認もはなはだしい」と
Diekema医師も父親も怒るだろう。

でも、その子どもに健康上の必要があるわけでもないのに
子どもの身体に医療で手を加えることは
子どもの「生命」に関わらないとしても「いのち」に手を加えること
というのが、森岡氏の小見出し「子どものいのち」の主張だろう。

子どもの身体は、子どもの「いのち」そのものである──。

その思想を背景においてみると、先般の臓器移植法改正議論での
「まるごと成長し、まるごと死んでいく権利」という
あの森岡氏の言葉は、さらに重みが感じられる。

身体は、その人の、いのちそのもの――。

たとえ生命の営みが終わった後にも、身体にはその人のいのちが宿っているから
人々はその身体を粗末にはせず、礼を尽くして葬る。

そこにこそ、侵してはならない身体の統合性・尊厳の問題があるのでは?

そして、たぶん、これは私が勝手に思うことだけど、
生命は1人の人に1つずつしかないかもしれないけれど、
「いのち」というのは世の中の生きとし生けるものみんながその一部であるところの
失われたり、数えたりすることが出来ない、一人ひとりの人間を超えて、もっと普遍的な
大きなものなんじゃないだろうか。

大きな自然のいのちに繋がっているものとして
人の身体は、「いのち」そのものであるがゆえに、
そこに、どんな人のどんな身体であっても侵されてはならない尊厳があるのだと、と。

そういうことが、英語圏のリベラルな生命倫理イデオロギーのアンチテーゼとして
ありじゃないのかなぁ……と。

「33個めの石」でも、
国際学会の言語が英語であることによる「英語帝国主義」の問題は指摘されているし、

以前、森岡氏のブログで、
生命倫理の学会では英語圏の学者が「教えてやろう」というスタンスでくる、
内容においては対等な議論をしていても、相手のその姿勢と英語力の問題で難しい、という問題を
読んだ記憶もあるのだけれど。

         ――――――――

ところで、Ashley事件については、
「いまだ明かされていない事件の真相は細部に宿る」という事件だと私は考えているので、

Ashley事件の事実関係について森岡先生の誤解を、僭越ながら、いくつか指摘しておくと、

・2006年の11月にロイター通信がAshleyケースについて報道した時に
発達障害で寝たきりの6歳の女の子の成長を止める治療が開始された」のではなくて、
治療は2004年の夏からスタートして、この時点では、もうすぐ終わるという段階でした。
(ただし、論文と親のブログでは、エストロゲンの投与期間にほぼ1年の長さの違いがありますが)

・森岡氏は乳房芽を乳首のことだと解釈しておられるのですが、
父親のブログによると「乳首の脇にあるアーモンド大の組織」が摘出されたのであり、
乳首そのものは残されています。

・「いつまでも子どものまま生き続ける」と言う表現。
GUARDIANが使った「時の中にフリーズされた子ども」という記事タイトルや
倫理学者A. CAPLANの「ピーターパン治療」という表現など、
論争当初の報道や議論にも類似の比喩がありましたが、
ASHLEYに行われたのは、厳密には身長抑制と呼ぶべき療法であり、

その療法がもたらす結果を伝えるには、
「いつまでも子どものまま生き続ける」という表現は、誤ったイメージを与えるように思います。
むしろAshleyは「背が低いまま成熟していく」ことを人為的に強いられた、というのが正しい解釈では。
2009.09.14 / Top↑
古くからの友人が癌になった。
仲間内では一番の苦労知らずが初めて大病をして、精神的に大丈夫かと心配もしたけど、
1年間の闘病のすえ、めでたく克服して、このたび職場復帰を果たした。

本人なりには、さぞいろいろあったのだろうけど、それでも、いつからか
「なるようになるわ」とゆったり構えて淡々と治療を受けていて、
その姿には、我が友人ながら、あっぱれなヤツよ、と敬服した。

なんとか癌を克服できそうだと思えるようになった数ヶ月前から、
彼女が口癖のように言い始めたことがある。

「何が起ころうと人は前向きに生きていかなくちゃいけないものなのよ。
すべて人の幸・不幸は、心の中にあるもの。
人生に起こることに無駄なことは何一つありません。
すべては大事なことに気づかせてくれるために起こっていることなのだから」

初めてこれを聞いた時にも、ちょっと「うん……?」とは感じたのだけど、
あまり深く考えずに聞き流した。その時は、
いくらかは自分に向かって言い聞かせているのだろうな、と思ったし。

それから後、会うたびに、彼女は必ず同じ事を繰り返した。
たぶん、私以外の人にも同じことを言っているらしかった。
そして、たぶん、ほめてくれる人もあったのだろう。
聞くたびに、ちょっとずつ説教口調になった。

私は、だんだん癇に障ってきて、聞かされるたびに
ずっと昔読んだ、ある新聞の読者投稿を思い出すようになった。

長年お姑さんを介護して見送って、しっかり尽くしたので悔いはない、という女性の投書。
昔は意地悪もされたお姑さんの大便を、その人は手で受けていたという。

そして、
そんなふうに姑の大便を手で受けてまで介護する自分の姿を見て育ったから
ウチの息子たちは2人とも心優しい、いい青年に育ってくれた、
介護とは、そういうふうに心をこめて尽くすものだ……という投書──。


最後の放射線治療が終わったお祝いで
何人かの友人が集まってご飯を食べた時にも、
私の親友は闘病を語った後で、全く同じことを言った。

「人生に起こることに無駄なことは、何一つ、ありません」

今度は相手が私一人でなかったためか、小学校の先生らしく、
噛んで含めるように”上から言って聞かせる”口調になった。

う~ん……。それ、そういう口調で人に向けて言っちゃっていいかなぁ……?

あんた自身の気持ちとしては、分かる。
いったんは死を覚悟もし、辛い治療にも黙って耐えて、
そこまでの心境にたどり着いた、あんたはえらい、とも思う。

私も重い障害のある子どもの親としての人生で、そっくり同じように感じたことはある。
だから、あんたが言っていることが、たぶん人が生きるということにおいて、
1つの真理だろうというのは、私も否定しないよ。

もう1つ、人が生きるということにおいては、
いつもカタルシスの直後の、その心境に留まっていられるわけではないというのも真実だけどね。

だけど、それを自分の個人的な体験や心境として語るのと、
他人に向かって訓を垂れてみせるのとでは、話が違う。

あんた、それを、例えば、たった今、癌の再発を知らされて、
その事実をまだ受け入れかねている人に向かって、言える?

例えば、まだ小さい時に事故で親を亡くした子どもに向かって、言える?
人生で起きることには何一つ無駄なことはないのよ、
あなたが気づかないといけないことに気づかせてくれるために起こったのだから、って?

そして、その同じ言葉を
自分の責任など何もないのに重い障害を負ったまま生きていくことになった、
うちの娘に向かって、あんた、そのまま言えるの──?

相手の状況によっては、自分の言葉がどんなに無神経で残酷なものになりうるか、
自分が他者の置かれた状況に対する想像力をいかに欠いているか、
あんた、ぜんぜん分かってないよ──。


……と、私はとうとう厳しい批判の言葉を吐いた。

多くの人への見舞い返しに添えた挨拶状に、彼女が全く同じ言葉を書き入れているのを読んだ時。
その挨拶状を受け取る人の中に、癌の再発におびえている人が含まれている事実を思った時。

でも、激しく批判したことで、私もまた、彼女と同じことをしたのだと思う。

友人もまた、再発の可能性におびえながら
たぶん自分自身に向かって言い聞かせるために繰り返さないではいられなかったのだろうことに、

「自分だけが苦しんでいると思うんじゃないわよ」という私自身の鬱憤を吐き出した後になってから、
やっと私も気づいたから。

あれから、とても苦い気持ちを引きずっている。

       ――――――

人は自分の経験の内側からしか、ものを見ることが出来ない。

他者には、もしかしたら、自分には想像もできない境遇や苦しみというものがあるのかもしれない、
もしかしたら、自分にできること、自分にできたことは、自分がえらかったりすごかったからではなくて、
たまたま、それができる境遇に恵まれていたからなのかもしれない……。

そんなふうに考えてみることは、誰にとっても、とても難しい。

だからこそ……という本を、読んだ。
森岡正博氏の「33個めの石」

33個めの石が、一体なんなのかは、
ミステリーのネタバレみたいなことになるので書かないけど、

33個めの石の話とは別のところで書かれている死刑廃止論の部分が、
たぶん、それと同じことを語っている。

自分は殺人被害者の遺族の憤りや処罰感情が理解できる、
自分の手で殺してやりたい、復讐してやりたいという気持ちは
ありありと想像できる、

そんなふうに自分は死刑を肯定する感情を自分の中に持ち合わせている。
その上で、理性の力でもって死刑は廃止すべきだと考える、と
森岡氏は書いている。

ぎくっとした。

私にも死刑を肯定する気持ちがあって、私は
「でも自分だったら、やっぱり殺してやりたいよね。難しい問題だけど」で止まっていたから。

「33個めの石」が象徴しているものは
その、ぎりぎりのところまで考えたつもりの自分が自分で引いた境界線から、
理性の力で、もう一歩を踏み出し、自分ではない他者の側へと視線を転じ、広げてみること。

それは、たぶん、スタノヴィッチ氏が書いていた
遺伝子に組み込まれた認知の系を理性や知性の系で超える、ということと、
きっと同じことなんだろうな、と思った。
(詳細は文末のリンクに)

世の中が自己責任や自助の論理に傾斜していく今、必要なのは、
これ以上はもういいだろう、と自分なりに考えたところから、もう一歩、
理性と知性の力によって、他者の側へと想像力の視点を踏み出し、
くいっと視点をそちら側に転じてみる……ということなのかも。

私にとっても、それができたら、
癌の闘病で1年間、自分の死と向かい合い続けた友人の言葉を
もっと余裕を持って許容することが出来たのかもしれないのだけど。


2009.09.13 / Top↑
このニュース、怖い。英国で抗肥満薬を処方されている18歳以下の子どもの数がこの7年間で、なんと15倍に
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8234484.stm

自尊心の低い人が肥満になりやすい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8248768.stm

中絶反対の活動家、ミシガン州の高校の外で中絶反対運動中に撃たれ死亡。
http://www.nytimes.com/2009/09/12/us/12slay.html?th&emc=th

経済格差と死亡率の格差の相関は、今も1900年と違わない。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8249092.stm
2009.09.12 / Top↑
Obama大統領が提案している医療制度改革案について
特に具体的なことをきちんと知っているわけではなくて、
ここしばらく毎日のようにメディアに出てくる記事を
ちらちら眺めている程度なのだけど、

大統領就任スピーチの中でObama氏が
「科学の力によって医療改革を行う」
「科学を本来いるべき場所に戻す」などと発言していたことに
就任当日から、ずっとこだわりを感じていたこともあって、
(関連エントリーの一覧はこちらに。)

最近になって、あの前アラスカ州知事のPalin氏が
Obamaケアは「死の委員会」で高齢患者を切り捨てようとしている、と
キャッチーな言葉でいっぺんにネガティブ・キャンペーンを勢いづかせてしまってから、

余計に、なんとなく、すっきりしない気分になってしまった。

じゃぁ、私自身は、この議論、どうなのよ? と考えたら、
この改革で一気にIHMEやSingerが説いているような功利主義的な医療が導入されるなら、
それはすごく怖いことだと思うし……でも、無保険者をこのまま放置していい訳もないと思うし……

訳が分からなくなってきたので、このあたりで、
ちょっと自分なりに整理してみるべく、例によって、ぐるぐるしてみる。

まず、思うのは、
ここには2つの議論の段階というのがあるのだけど、
それがごっちゃにされているのでは(もしかしたら意図的に)? ということ。

Obama改革の主眼は今回のスピーチで明確にされたように、
やっぱり無保険者が基本的な医療すら受けることが出来ない状況への対応として
国民皆保険制度を考えよう、ということなのだと思う。
これが、まず最初の第1段階。

で、それをどうやって実現するのか、という方法論が次の第2段階。

Palin氏を始め、共和党の人たちは
この第2段階の中に、高齢者切捨てだとか予算がかさむとかの問題があるから
(中絶まで公費負担だとか移民の医療費もかぶるとかの問題も)
第1段階に賛成できないと、後ろの問題を前の問題に返す形で反対しているのだけど、

じゃぁ、「無保険の人たちを助けてあげたいけど、そういうやり方では助けてあげるのは嫌だ」
「他の方法で助けてあげよう」と言っているのか……と考えた時に、

結局はそうじゃなくて、昨日のエントリーに書いたように、
彼らの価値観や姿勢そのものが
実は第1段階の目的を最初から否定してするところに立っているのだとしたら、
方法論が気に入らないというのは貧困層を助けてやるのが嫌だというホンネを
あからさまにしないためのゴマカシなのかもしれない。

もちろん、それほどコトは単純ではないかもしれないけど、
複雑な背景が分かっているわけではないから、
共和党の人たちの批判については、私に考えられるのはここまで。

ただ、私自身がこのブログをやりながら考えてきた範囲で気になるのは

第1段階の無保険の人たちを放っておくわけにいかないというのは、
まっとうな社会の考えることとして当たり前だと思うのだけど、

同時に、米国の医療制度を取り巻いている大きな絵を考えると、
すでに医療現場に相当広がっていると見える“無益な治療”論、尊厳死議論、
その背景で大活躍しているパーソン論・功利主義生命倫理の障害者切捨て理論……といった、

そういう大きな絵の中で
誰にも最低限の医療を供給する制度を作ろうと第2段階の方法論を考えようとする時に、
Obama政権が一体どこにバランスを見出そうとするのか、という点。

本当の問題は、問題を白か黒かに単純化することではなくて、
この第2の問題のところで、いかに丁寧に事実に即して考えていくかということだと思うのだけど、
私がずっと抱えている基本的な疑問は、

持続性のある医療の供給システムというのは、どこの国でも言われているように
「どうせ死が近い」高齢者と「どうせ生命の質が低い」障害者を切り捨てなければ
本当にもう無理なのだろうか、

本当に、医療制度がもたないほどコスト負担をかけているのは
高齢者と障害児・者の医療なのだろうか、ということ。

ちなみにシアトル子ども病院の2007年生命倫理カンファの講演で、
Wilfond医師は「無益な治療論」ではコストの議論が一定の比重を占めているが、
医療費全体の中では大した額ではないのだから
コストばかりを重視するのはやめよう、と主張している。

私はこのブログをやりながら、
米国のリベラルな生命倫理学は科学とテクノの御用学問だと考えるに至ったので、
そうした生命倫理の知能至上価値観に基づいた高齢者・障害者切り捨て論と
Obama大統領が「科学の力によって医療を改革する」といった言葉とが
どうしても結びついてしまう。

でも、一部のリベラルな生命倫理が説く障害者切捨て論は
「障害児・者の医療で医療制度が持たないから切り捨てましょう」と言っているわけではなく
「どうせ能力が低いのだから、生きる価値がないのだから、切り捨てましょう」と言っているのであり、
本当は主張の出発点はまるきり別問題なのに、それが都合よく医療経済学に取り込まれて
DALYだのQALYだのが、もっともらしく議論されるのも、本当は理屈がちっとも通らない。

Obama大統領の医療改革も、
結局は高齢者・障害児・者の切捨てを伴わなければ制度が維持できないという方向に向かうのだろうか。

「科学の力による医療改革」で私がまず連想するのは
予防医学の研究を進める、ということなのだけど、

予防医学の究極が不老不死なのだとすると、
「増えすぎて困るから死んでもらわないと」と切り捨てつつ
どうして高齢者を増やそうと研究に資金をつぎ込むのか
矛盾しているんじゃないかと思ってしまう。

それに、今の予防医学には、むしろ病気でないものを次々に病気にして
これまで治療の必要がなかったところに治療の必要を創出してもいて、
それが医療コストを上げる方向に向かっているという面だってある。

そうして何でも薬とテクノの簡単解決で予防・予防イケイケで
子どもたちにも高齢者にも飲ませる薬がどかどかと増えて、
または人類が未だかつて体験したことのない病気が出現したりもして、
もしかしたら予防医学をはじめとする“薬とテクノ万歳”文化が
よってたかって不健康を作り出しているのでは、と思えたりもする。

そういう報道を拾い読みしていると、
予防医学研究の推進力になっているのは、
本当はトランスヒューマニストのような純朴な科学オタクの夢想ではなくて、
たぶんマーケット拡大のビジネスチャンスに鵜の目鷹の目の人たちの方なのでは……
という気もしてくるのだけど、それは、

「科学の力による医療改革」には
医療の本来の目的とは別方向に向けて暴走型の市場原理が働く可能性が
付きまとっているということじゃないんだろうか。

そんなふうに、一方で、“科学とテクノ”研究にかかる莫大なお金と、
その1の成果を100くらいに誇大に見せかけてはビジネスに仕立て、
医療費をどんどん増大させていく人たちがいる状況があって、

しかも、その“科学とテクノ”研究の国際競争が生み出す構図は
経済のグローバリズム・ネオリベラリズムと同じ軌跡を描いて、
たぶん世界人口のほんの1%程度の“スーパー能力リッチ”な人だけが恩恵をこうむるために、
世界中のその他の人たちが能力でランク付けられ、
低位にランクする人たちは研究資材として、または医療資材として使い捨てられ、
切り捨てられていくのだとしたら、

そういう図の中で、各国の医療制度が行き詰って改革が必要だといわれ、
高齢者の終末期医療と障害児・者のコストが足を引っ張っていると
しきりに言われるのは、そうなのかな、本当に?

Obama大統領は、どこに制度持続性のバランスを見出していくのだろう?

      ―――――――――

これを書いて、日本のことを、ふっと思ったのだけど、

もしも本当に予防医学で医療費削減をするというのなら、
リハビリテーションって、ものすごく予防効果の大きい医療だと思うのだけど、どうしてやらせないんだろう?

元気高齢者にパワー・リハをせっせとやらせる介護予防だ、予防医学だと大騒ぎして
日本中の病院や施設に高価な高齢者向けの筋トレ機器を導入させる反面、

いったん病気になったり障害を負った高齢者のリハビリテーションはやらせない、というのは
予防効果のコスト効率の問題なのか、それとも市場原理のコスト効率の問題なのか……。
2009.09.12 / Top↑
「自殺防止の日」に国連の記者会見。自殺幇助に関しては、自殺1件の背後には100件の自殺未遂がある。誰でも生きているうちには自殺を考えることはあるが、実際に死ぬ人は非常に少ない。いったん自殺を考えても、多くの人は、その考えを翻している、と。
http://www.isria.com/pages/11_September_2009_22.php

英国最高裁の新しい主任判事が個人的な見解として、自殺を望む人に同情しつつ、自殺幇助合法化議論は難しい問題で、どちらが正しくどちらが間違っているということではない、と。
http://www.guardian.co.uk/society/2009/sep/11/supreme-judge-assisted-suicide-purdy

2007年に米国の病院で55歳から64歳のベビー・ブーマーズの治療に要したお金は560億ドルで、患者の治療費全体の16%。これは65歳から74歳までの前期高齢者にかかった費用とほぼ同じ。今後、BBって増加するけど? という記事。:ベビー・ブーマーズって、日本の団塊の世代と同じで、戦争で国民が多数死んで人口が減るのに備えて「産めよ増やせよ」とお尻をたたかれた親から生まれ人たちなんだったよね……。それが今になって社会のお荷物扱い……。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/163415.php

世界陸上で金メダルを取って性別査証の疑いが問題になっているSemenya選手、半陰陽だと。
http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/more_sport/athletics/article6829813.ece?&EMC-Bltn=CGMHDB
2009.09.11 / Top↑
英語ニュースでは、なかなか出くわしにくいベルギーの自殺幇助の実態。

ベルギーではターミナルな病気の人に選択肢を、と
2002年に医師による自殺幇助が合法化された。

その後の実態について行われた調査の結果が
今日、New England Journal of Medicineに掲載される。
この手の調査としては3番目。

ベルギー総人口の6割が住む Franders地域で
2007年の6月から11月までに死亡した人の死亡診断書から
6202通のサンプルをランダムにとり、
そのサンプルに関わった医師への聞き取り調査を行ったところ、
118件の自殺幇助が発見された。

急増の原因は明らかに合法化されたことと思われ、
1998年の調査時には全死亡数の1,1%だったのが
ほぼ倍の1,9%に跳ね上がっている。

(1998年には非合法の自殺幇助が行われていたのでしょうか。
非合法で1,1%というのも、かなりの高率のように思えますが)

一番多かったのは、若年層で、がん患者で、在宅での療養・看取りだった人。

やはり合法化している隣国のオランダでも同じく増加傾向にある、と研究者。

ただし、Flanders地域は言語圏・文化圏として
他の南の地域とまた違っている可能性を指摘する声もあり、
北にあるだけ、オランダと文化的に近いという解釈も。

ただ、この記事で1つ非常に気になるのは、
2008年3月にAntwerpの病院で
アルツハイマー病の78歳の作家Hugo Claus氏が安楽死したことが、
世論を2分した、と書かれていること。

アルツハイマー病で自分の意思で自殺幇助を選べるならば、
その人はターミナルな状態ではなかったのでは……?



自殺幇助の議論では、
アルツハイマー病の人が安易にターミナルな状態と混同されすぎていると思う。



【ベルギー関連エントリー】
ベルギーでは2002年の合法化以来2700人が幇助自殺(2009/4/4)
2009.09.11 / Top↑
たぶん総選挙の数日後だったと思うのだけど、
朝日新聞の家庭面に、ものすごく気になる記事があった。

後で切り抜いておこうと思いながら、そのまま忘れて、
たぶん、てんぷらを揚げた際に、うっかり油切りに使ってしまったらしく、
探しても、どこにも見当たらないのだけれど、

民主党の公約通りに子ども手当てが実施された場合に
世帯の家族構成ごとに、どういう家庭にとって「得」で、どういう家庭にとっては「損」かを
朝日新聞が詳しく試算していた。

え? なに、その、損得の感覚は――?
それって、おかしくない――? 

世帯ごとに支払った税金の金額以上の「得」が制度内で保障されていなければ
その施策はフェアでない、不満だ、ということになるのだったら、
どんな施策も成り立たないし、

それぞれの家計から出すのと同じだけを直接的に同一の家計に取り戻すことを
全世帯が期待するのが当たり前の前提だったら、
そもそも社会保障なんか成り立たない。

小泉政権下で障害者自立支援法が準備されていた頃、
厚労省の息がかかった学者の先生たちが障害当事者たちに向かって
しきりに説いて回った論法の中にも、この損得勘定論があった。

施設入所の障害者にどれだけお金がかかっているか総額を上げ、
それに対して在宅支援サービスにどれほどのお金が回されているかの総額を上げて、
それぞれを給付対象人数で割ってみせる。そして
「同じ障害者なのに、施設にいる人はこんなにお金を使ってもらっていて、
地域で暮らしている障害者は、これだけしか使わせてもらっていない。
これでは施設入所の障害者が得をしていて、地域の障害者は損をしている。
平等に同じお金をもらえるように制度を変える必要があると思いませんか?」という理屈。

ここに持ち出された平等論は、
いかにもノーマライゼーションの文脈で語られているように装われて見えにくいけど、
実はノーマライゼーションとはまったく無関係で、
ただ下劣な損得勘定で障害当事者の支援法批判の切り崩しが図られていただけ。

まったく当事者をバカにしてかかっているだけでなく、
そんな理屈を持ち出されたのでは福祉なんて成り立たないでしょう……と思ったので、

実際に目の前でそう説く障害当事者の学者さんに、
「でも先生、この場合の平等というのは
どんな人でも必要になった時に必要な支援を受けられることであって、
誰もが常に一律に同じ金額を使わせてもらえることではないと思うんですけど」と
正面から突っ込んでみたことがある。
返事はなかったけど。

あの時の不快感と重なるからかもしれない。
子ども手当て、さて、あなたの家庭にとっては損? それとも得?
……という問題の捉え方をする朝日新聞っておかしくない? 
ものすごく引っかかった。

財布から出しただけ同じ財布に戻せというなら、
最初から自分の財布で何もかもやればいい自助の話であって、公助なんかありえない。

あの記事を読んでから、ずっと
水際作戦で生活保護を拒まれて「おにぎりが食べたい」と書いて餓死した
あの北九州の男性のことを考えている。

もしも、あの男性が目の前にいて、
そんなことは多分ありえないだろうけど仮に率直に窮状を語ってくれたとしたら、
平気で見殺しにできる人はいないんじゃないのか……ということを考えている。

今、自分の目の前で、誰かが飢え死にしそうになって助けを求めていたら
自分だって貧乏だけど、とりあえず飢え死にするほどでないのだったら、
せめておにぎりを買うお金くらい、もしかしたら何食分かの食事代くらいは渡すと思う。
たいていの人が。

数日後に、その人がまだ困っていたら、もう一度渡してもいい。
でも、何日たっても、まだその人が困っていたら、どうだろう。
そういう人が目の前に1人ではなくて、2人いたら、3人いたら、どうだろう。

もちろん、食べ物だけでは問題の解決にはならないから
本当はもっと話は複雑なわけだけど、ものすごく基本のところでは、
公助としての社会保障とか社会のセーフティネットの基本理念の一番大切な部分というのは、
結局そういう単純なことじゃないのか……と「損得」への抵抗感から考える。

自分の財布から出たお金が
直接は見えないけど誰かそれを必要とする人のところに回っていく仕組みがあるから、
自分が必要とする時には自分も助けてもらえると安心できる。
必要としないなら、もらわなくていい。
必要としないでいられるなら、それがなによりだ。
社会保障って、そういうことじゃないのかな……。

……と、ここまで考えたところで、
Obama大統領の国民皆保険案に激烈な反対をしている人たちのホンネはたぶん
ちゃんと自前の健康保険がある自分たちが
どうして無保険者の医療費までおっかぶされないといけないのだ?
挙句に医療を選べなくなるなんて、そんなの損じゃないか……
というところなんだろうな、と。

自分たちは自分で身の始末をつけることができている。
あいつらは自分で身の始末がつけられないのなら
それは、あいつらの自己責任。
そんな連中のことまで知るか、と。

自己決定、選択の自由、損得……そういうものが寄せ集められている彼らの理屈には
自己責任による自助しかないんじゃないんだろうか。

それは、目の前で飢えている人がいたとしても、
もしかしたら「それはあなたが自分で自分を守る能力を持たないダメ人間だから」と
自己責任を説いて立ち去り、見殺しにする論理じゃないんだろうか。

Obama大統領の国民皆保険の提案に、
共和党が「高齢者を見殺しにする配給医療は社会主義医療」だと批判している背景が
無保険者なんて一部の少数の話で、保険に加入できている自分たちには関係ない、という、
クルーグマン氏が書いていた「保守ムーブメント」の人種差別意識なんだとしたら、
高齢者・障害児・者・貧困層を平気で切り捨てる感覚の根っこは、
むしろ、そちらの方にあるんじゃないだろうか。

そして、そう考えると、
施策に対する国民の反発を”損得”で懐柔・操作しようとする論理が小泉政権下で持ち込まれ、
今では新聞が施策の個人的な”損得”を検証する記事を書くところまで根付いているのだとしたら、
おむすび1つが食べられなくて飢え死にしそうな人が自分の目の前にいても、
「それは、あんたの自業自得」といって見殺しにできる人たちの論理が
日本の社会にも広がりつつあるということ……?

そして、もしも
世界中のあらゆる研究分野で猛威をふるっているらしい「英語圏のイデオロギー」というものが
そういう能力至上の自助社会の論理を根っこに持っていて、

さらに、そのイデオロギーには
“科学とテクノ”と“ネオリベ”の価値観という紐付き慈善資本主義のゼニが一緒にくっついて
世界中の特に医学を中心とする研究機関に、体内にあまねく流れていく血液のように、
流れ、浸透しているのだとしたら?

日本もそういう大きな世界規模の動きの中に置かれているのだとしたら――?
2009.09.11 / Top↑

WA州から3月に施行された尊厳死法で死者11人との報告があったことを受け、これほど利用者が少ないことは尊厳死法が危なげなく機能する証左だから、カリフォルニア州でも考えなければならない、とMercury Newsという新聞の社説。:滑り出しの数字としては、私はハイペースだと思ったんだけど。
http://www.mercurynews.com/opinion/ci_13301058

「癌の治療に使われる薬」としか書いてないのだけど、それって「抗がん剤」のこととは限らない……か? なにしろ「癌の治療に使われる薬」がアルツハイマー病の記憶力低下を改善するんだと。:な~んか、コワイな、このニュース。
http://www.medicalnewstoday.com/articles/163222.php

英国でヒト受精・胚法(たぶん改正法)の施行を前に、法改正を先取りする形で、将来の妊娠のためにもっと長く保存したいとして裁判を起こしていた夫婦に、期限切れの凍結胚を破棄しなくてもよい、と。:去年、ヒト受精・胚法の改正議論については、よく分からないままに何度も追いかけたなぁ。いろんな問題がぶっこまれた法案だった。そして、「障害児はnon-person」という発言が飛び出したのも、あの議論の中だった。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6828310.ece?&EMC-Bltn=GEKDDB

アップル社のCEO、Jobs氏が肝臓移植後、初めて公の場所に。痩せているけど元気で,
移植手術について、また仕事復帰にかける意欲を語った。:今日の英語ニュースでは、Obama演説よりも多いくらい。この人、これから臓器移植の広告塔になるんだろうな。
http://www.nytimes.com/2009/09/10/technology/companies/10apple.html?_r=1&th&emc=th

ネット上の新聞のコンテンツ有料化にお役立ちのツールをGoogleが作ったらしい。もちろん新聞社にとってお役立ち。:こちらとしては、非常に困る。
http://bits.blogs.nytimes.com/2009/09/09/google-plans-tools-to-help-news-media-charge-for-content/

町山智裕氏の本で読んだのだと思うのだけど、確かブッシュの息のかかった会社にデジタル投票の機械が発注されて、工作が行われたとか、なんとか。その会社がデジタル・投票の機械部門を他所の会社に売ったとか。それでデジタル投票の信頼性の問題について。こんな疑惑が言われながら、事実が究明されていないというのも、よく分からない。
http://www.nytimes.com/2009/09/10/opinion/10thu2.html?th&emc=th
2009.09.10 / Top↑
現場で終末期医療を担う医師らが連名で
Telegraph紙に告発の手紙を送ってきた……というのだから、
それほど目に余る事態が進行しているのでしょう。

Sentenced to death on the NHS
The Daily Telegraph, September 2, 2009


英国では
死にゆく患者の最後の時間をなるべく苦しみが少ないようにとの理念で
エビデンスに基づいて看取りの前後のケアのスタンダードな手順を定めた
クリティカル・パスthe Liverpool Care Pathway(LCP)が2003年に作られて
2004年にNICEによって推奨モデルとなった。

日本でも2005年には翻訳作業が進んでいたようなので、もうできているかもしれません。
LCPの概要と、Mari Curie緩和ケア研究所によるLCPの国際パック原文がこちらに

このLCP、現在、英国では
少なくとも300の病院、130のホスピス、560のケアホームが採用している。

本来なら、
患者の状態がいよいよ最後の看取り段階に入ったことをチームで重々確認したうえで、
通常の医療からLCPに移行することが前提になっているパスなのだが、

これがNHSでは機械的に運用され、
まだ回復の余地のある患者までがさっさとLCPを適用されて
栄養と水分、治療薬を引き上げ、鎮静させられたまま死なされている、というのが
医師らの告発の内容。

さっさと水分を引き上げたのでは高齢患者は脱水から混乱状態となり、
今度はその混乱状態に対応するための鎮静が行われてしまう。

こんなふうに機械的に沈静させてしまったのでは、
患者に回復の兆しがあったとしても把握できない。

患者に尊厳のある死を、という理念で作られたLCPが
手がかからないように患者を眠らせたまま、さっさと死なせるための自動的な手続きと化している。

機械的な手続きと化すことで現場の医療職が考えることをしなくなり、
医師らは注意深く患者の症状の変化を見守ることをやめてしまった……と。

           ――――――

そういえば、かつて「病院で死ぬということ」を書いて
日本にホスピスが一気に広がるきっかけを作った山崎章夫氏が、

ホスピスが広がるにつれて
建物とか部屋とか形とか手順とか形式的なことばかりに意識が集中するようになり、
一定の基準を満たしていたら、それがホスピスであるかのように錯覚されて、
一番肝心の緩和ケアの理念が置き去りにされるようになった、と嘆いて、
ホスピスの現場から地域医療への軸足を移すことにした、
これからは地域医療の中で緩和ケアの理念を実現していく、と
どこかで書いておられたのを読んだ記憶がある。

たぶん、自殺幇助の合法化で米国のEzekiel Emanuel医師がいう
「医師らの抵抗感が薄れて、いずれ例外がルールになる」というのは
こういうことでもあるのでしょう。


日本でも臓器移植法改定が決まった現在、小松美彦氏が書いておられたように
次なる議論は当然のことのように終末期医療の法制化に向かうのでしょう。

臓器移植法改正議論の際に、
英米を中心とする「国際水準の移植医療」で本当は何が起こっているかなど
森岡正博氏の朝日新聞の記事以外、何一つまともに報告されないまま
ただ「国際水準の移植医療」に追いつく必要だけが言われ、
世論がA案に向かって誘導されたことを考えると、

これから日本で本格化するに違いない終末期医療の自己選択の議論の前に、

「無益な治療」概念の広がり、自殺幇助議論、
小児科学会の栄養と水分の停止容認など
英米の医療で起こっている高齢者・障害児・者の切捨て、

ゲイツ財団やWHO、IHMEがグローバル・ヘルスに着々と広げていく
「価値を割り引かれる命」「コスト効率がすべて」という
功利主義・パーソン論基盤の医療基準の現実など、

「国際水準の医療」で本当は何が起こっているかを、しっかりと見すえておきたい。

「日本は遅れている。国際水準に早く追いつかなければ」という
時代錯誤の空疎なマヤカシに踊らされないように──。
2009.09.10 / Top↑
前のエントリー
「認知症の人の痛み」という医療でも介護でも見過ごされている問題に
正面から取り組むプロジェクトを紹介したので、

ついでに、今度は「コミュニケーションの廃用性」という、
これもまた、知的障害や認知障害のある人について見過ごされがちな問題について。

「介護保険情報」誌がこのところシリーズでリハビリテーションの対談をやっていて、
8月号では全国老人保健施設協会会長の川合秀治氏と
日本言語聴覚士協会会長の深浦順一氏が対談している。

「コミュニケーションの廃用性」というのは
そこで深浦氏の発言に出てきた言葉で、

コミュニケーションに障害がある方の場合、引きこもり状態になると、
コミュニケーション面での廃用性が生じるようになります。
コミュニケーションをする楽しさ。それから食べる、味わうという楽しみ。
それらがやはりいつまでも保持されるということが大変重要だと思います。
(p.25)

コミュニケーションの廃用性──。

それは物理的な引きこもりだけでなく、
精神的な引きこもりでも起こると思う。

抵抗するすべがない身となり、
尊厳のない扱いをされたり機械的な介護を受け続けたような時に、
表情を失い、しゃべらなくなる高齢者や重症障害者は少なくない。

それが認知機能や身体機能の衰えだと誤って判断されているようにも思うのだけど、
実は自分の尊厳をせめて守ろうとする精神的な閉じこもりであったり、
または人として扱われ、人として他者とかかわることに対する諦めであったり、
……ということだってあるはずだ。

それは外から来る刺激に対して心を閉ざし、
自分の中に引きこもってしまうことなのだから、
ここでも、いわば、心の動きに廃用が起こってきてもおかしくはないという気がする。

「廃用性」ということとは、ちょっと違うのだけれど、
言葉を持たない重症重複障害児を見ていても、
コミュニケーションを諦めてしまっている子どもは少なくない。

早いうちから微妙で繊細な信号を周囲にしっかり受け止めてもらえる子どもは
受け止めてもらえることに自信を得て、「分かってもらえる」と周囲への信頼を育て、
どんどん自分から声を出したり、目や顔の表情や手や足で意思を発信していくし、
周囲とのやり取りの中で徐々にその方法にも工夫がされ、
その子なりの意思表示の方法ができていくのだけど、

逆に、
弱いながら自分なりに信号を発しているのに受け止めてもらえない体験を重ねると、
その子はだんだんと思いを表現したり、意思を訴えることをしなくなる。
表情が乏しくなり、一方的にされるがままに甘んじて
周囲は、それによって、本当に何も分かっていない子どもだとの誤解を深くするという
とても不幸な状況だ。

身体障害のない、あるいは軽い子どもであれば、
言葉がなくても自分で行動して思いを実現させようとすることもできるのだけど、
寝たきりの重症児では、誰かがまず近くに来てくれて、
自分とちゃんと向き合ってくれなければ何も始まらない。

せっかく側に来てくれても、
ちゃっちゃっと無言でオムツを替えて去っていかれたのでは
誰もこなかったのと同じこと。

彼らは、それほど、はなはだしく受身で“あなた次第”の状況に置かれている。

様々な職員のケアを受ける入所施設の重症児・者たちを見ていると、
彼らが職員一人ひとりの姿勢を実に見事に見抜き、
相手によって的確に対応を変えることに
私はいつも舌を巻いてしまう。

「この人は自分のことを“どうせ何もわからない”と思っているから、
この人には言っても伝わらない」と読むと、
彼らは何も求めず、何も訴えず、ただされるがままになって、
本当に“何も分からない重症児・者”という役どころに甘んじるのだけど、

「この人なら、言えば分かろうとしてくれる」と思えるスタッフがやってきた時には、
にわかに顔や目に生き生きとした表情を浮かべて、
そのスタッフに向かって、大いに声を出し、手を振って訴え始める。

面白いのは、後者のスタッフは前者のスタッフが見えていないことに気づいているけど、
前者のスタッフは、自分が見えていないことにも、
自分が見えていないことを見ている人がいることにも気づいていないこと。

「どうせこの子は何も分からない」と決め付けているために、
呼んでいる声にも、周囲の会話に応じている目の動きにも気がつかない人は
親の中にだっていないわけではない。


アルベルタ大学のBrown準教授のワークショップ
認知症の人の痛みのわかりにくさについて指摘されていることは
障害のために言葉を持たない人のコミュニケーション能力についても
実はそのまま当てはまる。

重症児を対象にホルモン大量投与による成長抑制療法を
一般化しようと目論んでいるDiekema医師やFost医師らは、
対象児の条件の中にコミュニケーションが取れないことを含めているし、

シャイボ事件の判断においても、パーソン論においても
言葉を持たないことが、あまりにも安易に
意識がないことのエビデンスに使われてしまっているけど、

言葉がないから、どうせ分からないから、
人格ではないとか、殺してもいいとか議論する前に、
障害ために言葉を持たない人のコミュニケーション能力や意識状態について、
その廃用性の懸念も含めて、もっとしっかりと調査・研究されるべきではないんでしょうか。

ここでもまた、
行われることのない研究は、それが“ない”という事実が見えにくいために、
それが、“何故ないのか”まで覆い隠されてしまっているけれども──。




【関連エントリー・A事件でのコミュニケーションの問題】
Ashleyの眼差し
Ashleyのカメラ目線
Anne McDonaldさんの記事
Singerへの、ある母親の反論
2009.09.10 / Top↑
Obama大統領が水曜日の夜、医療保険制度改革についてスピーチするんだとか。:詳しいことを知らないから何とも言えないけど、共和党のネガティブキャンペーンにも根拠のないデマゴーグの匂いがするし、反面、無益な治療法とか子どもの栄養と水分の停止方針とかQALYだのDALYだの、米国の医療の中に既に高齢者と障害児・者切り捨ての方向性は出来てしまっているみたいに感じるので、そこのところでObamaケアは具体的にどういうバランスをとるんだろう……というのが気になっている。(これは、でも、たぶん米国だけじゃない。科学とテクノのネオリベの勢いに世界中が引きずられて、そこから逃れられる国は、たぶん、もうない?)
http://www.nytimes.com/2009/09/09/opinion/09smith.html?_r=1&th&emc=th

ADHDの患者は脳で特定のたんぱく質が欠けていて、報酬とかモチベーションの感覚が経験できないと、米国の研究者。:うつ病に関しても脳内に化学的な変化が起きていると言われて、だから、その化学変化に対応する薬で治ると言われていたけど、私はずっと「それがうつ病になった結果として脳内に起こっている変化に過ぎなくて、実は原因ではない可能性というのは、どうやって否定できるんだろう」という素人の素朴な疑問を引きずっている。あ、この研究がその特定のたんぱく質の不在をADHDの直接的な原因としているわけではなさそうなのだけど。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8243354.stm

背の高い人のほうが人生に対する満足度が高いんだと。ただし、世間が正常と捉える一定の高さまで。:ほんっとーに、もう、こういう仮説をせっせと立てては次から次へと調査してみようという科学とテクノの研究者の方々の頭の動きと、それをまた、イチイチ取り上げて騒ぐBBCにも、いいかげん、ウンザリなのだけど、こういうのが、いったい何のための”科学的エビデンス”だというんだろう……と考えたら、やっぱりデザイナー・ベイビーを正当化するためのエビデンス作り?? 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/8245032.stm

日本の弁当文化が米国に。健康的な内容と、一定の分量で収められる、というところが評価されているみたいなのだけど、子供向けに、ウサギの形の卵焼きとか、そういうのもウケているらしい。でも、この弁当の写真、なんかが微妙に違って、おいしそうだと思えない。食文化が違うから当たり前といえば当たり前なんだけど、多分、カラフルすぎる。もうちょっと茶色っぽい方がおいしそうに見える気がするのは、日本のしょうゆ文化?
http://www.nytimes.com/2009/09/09/dining/09bento.html?_r=1&th&emc=th
2009.09.09 / Top↑
前のエントリーで紹介した「高齢者入所施設における痛みマネジメント戦略」を以下に。

コピーライトの問題からすると、
勝手にこんなふうに翻訳転載していいのかどうか……という懸念はあるのですが……。
(それを言えば、このブログのエントリーの大半はコピーライト違反ですよねぇ……)

とりあえず、仮訳として。


痛みに気づく
高齢者入所施設における痛みマネジメント戦略

(1)顔の表情

・ ちょっと顔をしかめる。悲しそうなおびえた顔つき。
・難しい顔つき。額のシワ、目をつぶっている。きつくつぶっている。
・顔をゆがめる表情
・せわしなく瞬きをする

(2)言葉に出したり、声を出して訴える

・ため息をつく、うめき声、うなり声
・口の中でぶつぶつ言う、節をつけて声を出す、大きな声を出して何かを求める
・大きな呼吸音
・助けてくれと求める
・言葉の暴力

(3)身体の動き

・こわばって緊張した姿勢、防御
・ごそごそして、じっとしていない
・ひたすら歩きまわったり身体を揺らす行動の増加
・身体の動きが限定されてくる
・歩幅や動き方に変化がある

(4)対人関係の変化

・攻撃的、好戦的になる、ケアを拒む
・人とのやりとりが減る
・社会的適応性が下がる、場を乱すような行為
・ひきこもり

(5)行動パターンやルーティーンの変化

・食べ物を拒否する、食欲の変化
・休息している時間が長くなる
・睡眠や急速のパターンが変わる。
・いつもやっていることを突然やめる
・徘徊が増える

(6)精神状態の変化

・通常の認知状態が悪化する
・泣いたり涙を流す
・混乱が増す
・腹を立てやすくなり、落ち着きをなくす


【注】
入所者の中には非常に強い痛みによる行動をほとんど見せない人がいること、
中には全く見せない人もいること、

また痛み以外の理由でこのような行動を見せる入所者もいることは
念頭においておきましょう。

P. 32
Observing and Talking About Pain Behaviors: A Workshop for Family Members of People with Dementia
University of Alberta, Edmonton, Canada
January 2008

ただし、この戦略は、
2002年のThe American Geriatrics Society(AGS)の
高齢者の継続的な痛みに関する委員会のガイドラインを

2007年にオーストラリア痛み学会が
「高齢者の入所施設における痛み・マネジメント戦略」として刊行したものを、

アルベルタ大学作業療法学科がオーストラリア痛み学会から使用許可を受けて
Brown準教授のプロジェクトに転載しているもの。
2009.09.09 / Top↑
カナダのAlberta大学といえば哲学とか障害学のWilson教授、Sobsey教授が
当ブログではおなじみですが、

当ブログが継続的に考えている問題のひとつ、
言葉で意思や痛みを表現することが難しい人の医療の問題を
ここしばらく(こことかこことかで)、また取り上げていたところ、

例によって“必然としか思えない偶然”が起こり、たまたま面白い情報に出くわしたので、
今回は同大・作業療法学科のCary Brown 準教授のプロジェクトをご紹介。



認知症の人の痛みに気づくために、
その典型的な痛み行動について理解を深めるオンライン・ワークショップです。

サイトを訪れると、まず池の水面に散り敷いた落ち葉の写真に出会います。
落ち葉によって水面下で起きていることは覆い隠されてしまっています。
それと同じように、認知症の人々が経験している痛みの深さを知ることも難しい

「あなたはアルツハイマー病または認知症の人をケアしていますか?
 その人に痛みがある時に、あなたは気づけますか?」

認知症患者で見過ごされている最も一般的な痛みは、
関節炎、糖尿病による神経障害、骨折、筋肉の拘縮、打ち身、腹痛、口腔潰瘍など。

このサイトで出来ることとしては、
まず、以下の内容について、
さらに細かく立てられたテーマごとにBrown氏の講義を聞くことが出来ます。

・認知症と痛みに関する情報
・認知症の人の痛みに気づくためのツール
・理解しておいて医療職との意思疎通に役立てたい用語集

次に、自分で家族介護者を対象に同じワークショップを開催しようと考える専門職向けに
Observing & Talking About Painというワークショップ開催のための
計画の立て方、予算の組み方から参加者募集の方法、
ポスター案、準備の手順などのアドバイスに始まり、

当日のパワーポイントのシートと配布資料、
プレゼンの内容と時間配分といったワークショップの内容に関する一切合財、

事後の反省のためのチェックシートなど、
誰でも簡単にワークショップが開催できるだけの懇切な材料がそろっています。

特にプレゼンの内容と配布資料が非常に詳細なので、
この資料をダウンロードして読むだけでも、家族介護者はもちろん、
専門職にも十分に学ぶところが多いでしょう。

プレゼンの内容を以下に取りまとめてみます。

プレゼン内容1 「痛みはない」という神話について

なぜ認知症の人の痛みは理解されないのか?

・メディアが情報を流さない。
テレビでも新聞・雑誌でも高齢者が痛みに苦しむ姿に接することが少ない。

・言葉を話せない人は理解されにくい。

・痛みは加齢につきもので「つきあっていく」しかないと社会が受け止めている。

・認知症と診断されると、認知症にばかり目を奪われて、それ以外の問題が意識から漏れる。
また痛みは、高血圧などのように可視化できないので把握されにくい。

・行為には解釈が必要で、
言葉を持たない誰かの行為を正しく解釈することは、
その人と長く一緒にいる人でなければ困難。
その人を知らなければ送っているサインを誤解してしまう。

・身体をゆするとか、激しく何かを叩くといった行為の多くは
論理的に痛みとつなげて考えられることがない。

プレゼン内容2 なぜ認知症の人に痛みがあるのか?

認知症の人の痛みには身体的な要因か心理的な要因、またはその両方による場合がある。

例えば認知症の人が熱いコーヒーで口の中をやけどしてしまった場合に、
そのことを言葉で伝えることが出来なければ家族にはわからないし、
口の痛みを訴えることが出来たとしても、
それがコーヒーによるものだということを本人が忘れていれば
家族に理由を説明することが出来ない。
ものを食べようとしない本人を心配する家族は
口の中のやけどに気づかないまま食事を勧め、
オヤツを食べさせようとする。
それに抵抗する本人がやがて攻撃的になったり、
自分のうちに閉じこもってしまうと、
それが家族や医療職の目に脈絡のない行動と映ってしまう。

身体的な要因としては

・痛みを認識して表現することの問題
・事故や転倒(気づかないことが多い)
・口腔内の痛み(歯痛、潰瘍)
・活動性の低下(便秘、動かないための関節のこわばり、圧迫創、筋肉や関節の拘縮、事故や転倒)
(事故や転倒には周囲が気づかないことが多く、本人も忘れていたりする)

身体的な要因と心理的な要因が重なったものとして

・痛みを訴えると、自立生活が出来ないとみなされてしまうのではと恐れて言わない

・すぐに薬を処方されて中毒にされるのではないか、との恐れ。
これは本人だけでなく家族や医療関係者にもある重大な懸念ではあり、
実際に正しい知識を欠いた医療職が多いのも実情。
これについては最新のガイドラインをワークショップ内で別途解説する。

・痛みは認知症の人のQOLや機能の維持向上に重要な問題だということが
周囲の人たちに認識されていない。

・認知症の人の痛みに対応するための方針が未だに確立されていない。

プレゼン内容3 痛みを見つけるヒント

認知症の人の一般的な痛み行動とは
・顔の表情
・言葉で訴える、声を出す
・身体の動き
・日々の行動の変化
・考えと感情の変化

(ここで、米国老年医学会とオーストラリア痛み学会の作成・刊行による
「痛みに気づく - 高齢者入所施設における痛みのマネジメント戦略」が紹介されます。
これは、別途、次のエントリーに)

プレゼン内容4 痛みを見つける具体的な方法 PAINAD ツールの紹介

PAINADとは、上記で解説された項目ごとに認知症の人を観察し、
0から2点でその結果を記入していくアセスメント・シート。

このチェックを定期的に行うことで、
高齢者入所施設で入所者の痛みを早期に把握し、対応しようと
アルベルタ大作業療法学科が提唱しているもの。
(これも、興味ある方はワークショップ開催資料をダウンロードすると、たぶん33ページ辺りに)

プレゼン内容5 痛みへの対応

認知症の人の家族がPAINADを利用する場合の使い方を説明。
それ以外に家族が気をつけることが出来る点としては、

・その人が座ったり寝たりしている姿勢で
圧迫されているところ、こすれてしまうところがないかチェックする。
頻繁に体位交換を行う。

・セラピストの指導を受けて、家族みんなで腕や足をいっぱいまで伸ばしてあげる。

・乾燥肌は痛みに繋がるので、毎日のケアの中にローションの塗布を取り入れる。

・脱水も痛みに繋がるので、その人にとって必要な1日の水分量を医療職に確認する。

・ セラピストの指導を受けて、安全なトランスファーの方法を身につける。
2009.09.09 / Top↑
骨粗しょう症──。

言われてみれば、これもまた突然どこからか登場したと思うや、
急速に認知されて、知らない人がないほど、いきなりポピュラーになった病気ですね。

最近では骨粗しょう症の前段階の骨減少症もれっきとした病気となって、
世界中で何百万という主に女性が
「あなた、骨減少症がありますからお薬を飲みましょう」と
勧められているのだそうで、

去年、WHOが
骨の減少に治療を開始すべきタイミングを計算するオンライン・ツールFRAXを作った。
(今年のうちに改訂版が公表される予定)

しかし、こうした一連の流れに対して、気になる指摘が出てきている。

まず、FRAXを作ったのが、
そもそもの初めに「骨減少症」を病気として扱うアイデアを出したWHOの委員会だということ。

しかも、その委員会には、
1994年に初めて30歳女性の正常骨密度を定義した製薬会社から資金が提供されている。

FRAXの計算式は明かされておらず、外部の研究者によって検証するすべがない。

家族の病歴など骨密度以外の要因をカウントする点は評価できるものの
ビタミンD不足や運動不足、骨が脆くなるリスクのある抗てんかん薬や抗ウツ薬の服用は
カウントされていないなどの欠陥がある。

(抗うつ薬には骨密度を下げる副作用があったんですね。知りませんでした。
 じゃぁ、女性の更年期治療で、骨減少症治療薬と抗ウツ薬と一緒に処方されると、
それは効果が相殺されているってことになるんでしょうか)

米国のFRAXガイドラインでは
今後10年間に股関節の骨折が起きる確率が3%を超える場合または
股関節、脊柱、肩、手首で骨折が起きる確立の合計が20%を超える場合に
薬物治療の目安としているが、

ある医師に言わせると、
心臓病の治療の目安は今後10年で心臓発作が起きる確率が20%から30%になった時だから
心臓発作よりも股関節の骨折の方が重大な事態だとでもいうのか、と。

(これは、まぁ、治療薬の副作用のインパクトが圧倒的に違うから、
ちょっと言いがかり的な感じもしますが、言わんとしていることは分かりやすいですね。

リスクさえ小さければ、確率をずらりと並べて人の恐怖をあおり、
薬物治療の対象となる病気を増やし続けていいのか、という問題提起だと思うので)

しかも、FRAXのガイドラインは国によって違っていて、
その理由は「国によって医療コストが違うから」。

またFRAX以前に、骨減少症で薬を飲ませることそのものに
効果よりも害の方が大きいとの批判もあって、

去年、British Medical Journalに 骨粗しょう症の薬の分析論文を書いた
Drl Alonso-Coelloの結論は、骨減少症の女性にはおおむね効果がなく飲む必要がない。

骨減少症で処方される薬には胃腸障害その他の副作用が知られている。

Merck社のFosamaxには
副作用で顎の骨が溶けた患者から何百もの訴訟が起きている。

そもそも、30歳の女性の正常骨密度を定義して、
それを基準に骨減少症を診断すること自体におかしな点があって、

人間の骨は加齢とともに減少するものなのだから、
30をかなり過ぎれば誰もが骨減少症の患者ということになる。
それは、ちょうど30歳以上の女性にシワができたから
その人には「皮膚障害がある」と診断するようなものではないか、との批判も。

しかし、いまや世界中の医師らの診察室や薬局やショッピングモールやジムに
製薬会社のお金で骨密度測定器がせっせと設置されている。

そして、2003年以降、骨減少治療薬の年間売り上げは倍増して今や83億ドル。

「もちろん悪いのは医師らですが、
女性は治療に同意する前にリスクについて自分でちゃんと勉強した方がいい」と、ある医師。

Spits Form Over How to Address Bone Loss
The New York Times, September 7, 2009


30以上の女性にシワができたといって、
その人には「皮膚障害がある」と診断し薬を飲ませる……といったようなこと、
最近、予防医療という名目で実はあちこちで起きていませんかね、そういえば──?

           ――――――

ちなみに、このエントリーを書くための検索過程で
医療コンサル企業の日本支社による2007年7月の
「骨減少症及び骨粗しょう症」についてのレポート概要ページを見つけたのですが、
そこに、以下のような記述が。

骨粗鬆症の有病者数の増加、著しく高い罹患率、死亡率、
および医療制度にかかるコストの認識が改善していることを考慮すると、
その予防と治療には相当なビジネスチャンスが存在する。

http://www.dresources.jp/servis/treatment/OsteopeniaOsteoporosis.html

最初は、「ビジネスチャンス」に目を奪われたのだけど、

次に「著しく高い罹患率」てな、
加齢によって起こる自然現象に病名をつければ、そりゃ、罹患率は著しく高いでしょうよ
(そういえばオシッコが近くなるのも最近は病気らしいしね)……と思い、

さらに、そこで思ったのだけど、
「骨粗しょう症の死亡率」って、一体……?

骨粗しょう症と診断された高齢者が転んで骨折する 
(もしかしたら、骨粗しょう症でない人でも骨折するような転倒状況だったかもしれないけど)

高齢者なので一気に身体を動かすことが難しくなり寝たきりになる

廃用性症候群が進み、体力低下

何かの弾みに感染症を起こす

抵抗力がなくなっているので治療の甲斐なく死亡

例えば、こういう転機をたどると、
それは「骨粗しょう症の死亡率」としてカウントされるってこと?

(じゃぁ、オシッコが近くて夜中に起きて熟睡できにくくて注意力が低下している人が
たまたま交通事故に会ったら、それは「排尿障害の死亡率」にカウントされるのかな)

で、そういう牽強付会でもって宣伝されることによって
「骨粗しょう症ってな怖い病気なんだ、治療が必要なんだ、病院へ行かなくっちゃ」と
世間の人たちが考え始めることが、この人たちの言う、

「医療制度にかかるコストの認識が改善している」ということ──?
2009.09.09 / Top↑
【9月10日追記】

後から見つけた情報の方が重要だったので、
冒頭に追記します。


こちらのプロ・ライフ系のブログ記事によると、
ワシントン州の保健局からの最初の報告があり、
3月の尊厳死法施行からこれまでに医師からの処方薬を受け取った人は28人とのこと。

――追記終わり――


今年3月に施行になったWAの尊厳死法については
第1例と第2例までの詳細報道を当ブログで拾い、
その後7月段階で医師会新聞の報告で5人という数字が出ていましたが、

以下の続報があり、
同法を利用して服毒自殺した人が11人に。

そのほかに5人が薬物を受け取りながら
飲まずに亡くなった、とのこと。

(この場合の薬のトラッキングや回収がどうなっているのかが
私はずっと気になっているところなのですが、
記事には言及ありません)



たった半年で11人、
処方を受けたのが少なくとも16人というのは、
滑り出しとして、かなりのハイペースなのでは?

今回も第1例、第2例と同じく、C&Cからの報告とあって、
その11人の背景にC&Cの積極的な“支援”があったのだろうことが推測されます。




そのほか「尊厳死」の書庫に多数あります。
2009.09.09 / Top↑
パンツをはいて逮捕・起訴されたスーダンの女性ジャーナリストの裁判で、Lubna Husseinさん(34)は逮捕時のパンツをはいて出廷。鞭打ちの刑は免れたものの命じられた罰金の支払いを拒否して収監された。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/africa/article6825035.ece?&EMC-Bltn=CDQHCB

英国法務大臣Jack Straw氏が自殺幇助に関して法律を改正することに反対のスタンスを表明。理由は、やはり濫用、虐待に繋がることの懸念。ただし、現在法律適用基準の明確化作業を進めている公訴局長の仕事に対して、法務大臣として影響力を行使することはない、と、あくまでも個人的な見解。
http://www.christian.org.uk/news/20090907/straw-i-oppose-assisted-suicide/

動物に結核を起こすウイルスが前立腺がんと関係しているんだと。それで前立腺がんのワクチンが出来る希望が。:このところ、関連の話題が続く。前立腺がんは予防医療の次なる大きなターゲットらしい。ワクチンが出来たら、全男児への接種が義務付けられるのかしら。製薬会社は、きっと義務化に向けてロビー活動を展開する。開発費を回収しなくちゃいけないし。
http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/health/article6825335.ece?&EMC-Bltn=CDQHCB

ノロウィルスの爆発的流行で豪キャンベラのナーシング・ホームと保育所が軒並み閉鎖に。:昨日NHKの「クローズアップ現代」が除草剤が効かない“スーパー雑草”の問題を取り上げていたけど、ダーウィン医学がいっている通り、人間がいくら科学とテクノで浅知恵をめぐらせたところで自然との闘いには勝てないんじゃないか、ノロウィルスが強力になったり、鳥インフルに続いて豚インフルが出てきたり、スーパー雑草が出てきたり、こういった諸々の現象は結局、自然の方が遺伝子の変異の速度を上げて人間の遺伝子操作技術を凌駕しているという、実は1つの現象で、単に現れ方が違っているだけなんじゃないのか……と、素人頭で考えた。
http://www.canberratimes.com.au/news/local/news/general/nursing-home-in-lockdown-as-gastro-sweeps-canberra/1617303.aspx?src=enews

米国のスクール・ディストリクトによっては赤字が大きすぎて連邦政府の助成金では追いつかず、更なる人員削減で教室は込み合い、不慣れな学年を教えなければならない先生たちも。:その「込み合う」教室が、もしかしたら日本よりもはるかにゆとりがあるサイズだったりして……。
http://www.nytimes.com/2009/09/08/education/08school.html?_r=1&th&emc=th

Ryu Murakamiって、あの村上龍? NYTに「どんな政府も問題を解決なんかしてくれないと日本人はやっと悟りつつある。やっと日本人が成人した」と。
http://www.nytimes.com/2009/09/08/opinion/08murakami.html?_r=1&th&emc=th

マイケル・ジャクソンがやっと埋葬された。なかなか戻してもらえないというところまで読んだ脳が戻っているのかどうか気になって、最後まで読んでしまったけど、結局、記事には出ていなかった。
http://www.guardian.co.uk/music/2009/sep/04/michael-jackson-buried-los-angeles
2009.09.08 / Top↑
前のエントリーの最後にリンクした
Dr. EmanuelのLancet論文を、ちらっと覗いてみた。

長文なので、本当にちらっと覗いただけなのだけど、
Peter Singerの論考どころじゃない話がわんさと目に付きそうだったので、
とりあえず、怖くなって、そこでやめた。

もしかしたら世界の医療の大きな流れは
このブログで考えてきたより、もっともっと怖いところに、とっくに進んでいるのかも?

なにしろ、その「ちらっと」によると、

Singerが持ち出していたQALY(Quality Adjusted Life Years)は
現在のところ英国のNICEと米国Oregon州のメディケイド給付の基準として採用されていて、

例えば、移動機能に障害がある人の場合、
障害がない人の寿命の0.85掛けの計算となるのだそうな。

しかし、車椅子を使いこなして自由に移動できる人にとっては
障害のない人とQOLは変わらないはずだという問題がある、
また人を平等に扱うという点でも、最も恵まれない人を優先しない点でも
道徳的な問題がある、とDr. Eは指摘しています。

またDALY(Disability Adjusted Life Years)はWHOが賛同している基準で
(WHOはDALYの推進機関IHMEともゲイツ財団ともオトモダチだしね)
例えば目の見えない人の寿命は障害のない人の0.6掛けの計算。

Dr. EはDALYの問題点について
社会に貢献する年齢層を優先するやり方が妥当ではない、
という点を1つ挙げているのですが

もう1つ、非常に興味深い指摘をしていて、
その、給与を稼ぎ、家族の介護をする世代を優先する姿勢が
Seattleの透析の優先順位と同一のものだ、と。

Seattleの……。
Seattle……ゲイツ財団……ワシントン大学(シアトル子ども病院)……IHME……DALY。
繋がりますなぁ。Seattleゲイツ・グローバルヘルス王国の中で。
(詳細は「ゲイツ財団とUW・IHME」の書庫に)

で、この論文は、
いまだ人生を生きていない、これから生きるという健康な若年層を優先すべきだ、と
主張するものらしいのですが、

まともに読んでみたら、きっとSingerの主張どころか
もっともっと肝が冷えそうな気がするので、
気力体力がもっともっと充実するまで
ちょっと棚上げしておく。

すごく気にはなるのだけど……。
2009.09.08 / Top↑