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“救済者兄弟”の問題をテーマに「わたしのなかのあなた」を書いた
Jodi Picoultが今度は、
3月8日に米国発売予定の“Handle With Care”で
ロングフル・バースをテーマに。

(amazon.co.jp.では4月28日発売)

PicoultのHandle With Careのサイトにある梗概によると、

主人公夫婦に生まれた娘には骨が折れやすくなる病気があり、
生涯、次から次へと起こる骨折に苦しんで生きなければならない。

医療費がかかって生活が苦しい中、
母親は産人科医に対してロングフル・バース訴訟を起こし、
賠償金によって娘の一生の医療費を手に入れてやりたいと考える。

しかし、そのためには
妊娠中に障害を知らされていれば中絶したはずだったと
母親自身が裁判で証言しなければならない。

そんな証言を娘の耳に入れることを夫は絶対に許さない。
訴訟を起こせば夫との間は修復できなくなるだろう。

さらに彼女が訴えようとしている産科医は
ただ主治医であるだけでなく、彼女自身の親友でもあった。

……というお話のようです。


【追記】
その後、8月にこの作品を読みエントリーを立てました。
モデルになったと思われる現実の訴訟のエントリーとともに、以下に、

2009.02.19 / Top↑
以下の記事によると、
米国ではOregon州、Washington州に続き、Montana州でも
自殺幇助が合法化されたようですが、

さらにHawaii州の議会でも
合法化に向けた審議が進められているとのこと。

Hawaii Bill for Assisted Suicide Fast-Tracked, Gets House Panel Hearing in Days
LifeNews.Com, February 18, 2009


【追記】
ハワイ州の自殺幇助については、その後、続報があり、
今年の議会では審議はしないことになった、とのこと。

Hawaii won’t consider assisted suicide
AP (Honolulu advertiser.com), February 18, 2009



その他、カナダの議会にも1人の議員から
「死ぬ権利」を認めるよう法律改正を行う法案が提出されたとのこと。

以前から何度も同様の法案を出している人のようですが、
だんだんと周辺の国々の空気が変わってくると、
他の議員の反応への影響が懸念されます。



また英国では
看護協会が会員に向けて
自殺幇助に関するコンサルテーション(意見の聴取)を始めるようです。

Nurses To Be Consulted On Assisted Suicide, UK
The Medical News Today, February 17, 2009
2009.02.19 / Top↑
少年は現在17歳。

どうもイスラエル人らしいのですが、
運動と言語機能に影響するAtaxia Telangiectasiaという遺伝病の治療として
2001年にモスクワの病院で胎性ES細胞を脳と脊髄に3回注射。

最初の注射から4年後に
テルアビブの病院の医師が脳と脊髄にそれぞれ1つずつ腫瘍を見つけた。

いずれも、ちょうどES細胞を注射した場所に出来ていた。

胚や胎児の細胞を利用することの倫理問題とはまた別に
ES細胞治療の安全性に対する懸念も高まること必至。

ちなみに、この治療で少年の遺伝病が改善したかどうかについては「さだかではない」。

Stem cell ‘cure’ boy gets tumour
The BBC, February 18, 2009


2001年の段階で既にそんな治療が実施されていた……ということ自体、衝撃。

それは治療というよりも人体実験だったのでは……?
しかも子どもに……?
2009.02.18 / Top↑
ずい分と遅ればせな感じもしますが、

英国でのLuise Brownさんの誕生から30年以上、
生殖補助技術は安全だとされてきたけれど、
実は遺伝子の発現や発達パターンになんらかの異常を起こすリスクがあるのでは、と
そうした調査研究の必要を感じる研究者が増えてきている。

これは多胎児の確率が高くなるのとは、また別の話。

Picture Emerging on Genetic Risks of IVF
The NY Times, February 17, 2009

去年の11月にCDCが発表した論文では
IVFまたは精子を直接卵子に注入する技術によって生まれた子どもでは
わずかながら先天性異常リスクが高くなることが判明。

心臓の壁に穴があいているとか、口蓋裂、食道または直腸の発達不全なども。

科学者の間ではリスクがあることは共通認識になっている一方で、
そうしたリスクについて考える臨床現場の医師が少ない、
患者の側からリスクについての質問が出ることも少ないなど、
リスク議論が科学者の世界から広がっていかないことを指摘する声も。

Johns Hopkins の Andrew Feinberg 医師らが8年前、
IVFについての情報不足を懸念し癌を引き起こす遺伝子発現の変異を調べたところ、
ベックウィズ・ビーデマン症候群、アンジェルマン症候群などの遺伝疾患が生じる確率が
IVFで生まれた子どもではそれ以外の子どもよりも高かった。

遺伝子発現レベルでの変異は
このような珍しい遺伝病の他にも低体重や各種ガンの発生率とも
関連している可能性があると思われ、

胚の培養液の組成が影響しているとの見方もあるが、
クリニックでは様々な培養液が使用されており、
また使用する液を頻繁に替えているところが多いことから調査は困難。

こうしたリスクについて
「私の懸念は、情報も遺伝子発現の安定性を測るツールも不足していることだ」と
語る研究者も。

実験室で作られるマウスの胚では
遺伝子の発現に変異が起こること、
それによって行動にも変化が起こることが確認されており、
研究者は胚の操作と培養によるものだと考えている。

同じことが胚性幹細胞でも起こっている可能性が指摘されてもいるらしい。

しかし、仮に人間に同じことが言えるとしても
IVFでの遺伝子発現レベルでの変異の影響は
成人した後、時には中高年期まで形として現われてこないので把握しにくい。

その一方、
IVFで子どもを産んだ親にアンケートをとった場合には
異常を感じている親の方が回答を寄せやすい傾向もある。

英国の研究者は記事の最後で

「この分野はリスクに関する情報を必死に求めています。
私はこれまでの研究に基づいて世界中でこの問題について講演してきましたが、
IVFや関連技術で生まれた子どもたちの健康について
だんだんと悲観的な見方をするようになってきています」

       ――――――――

私は関連ニュースを見るたびに、
なぜ、こういう研究がないのか、ずっと疑問だったし、

これもまた、
「ない」研究は「ないこと」が見えないだけであり、
それがなぜ「ない」かというと
たぶん「ない」方が都合がいい研究は
誰もやりたがらないだけ……という科学の陥穽では?

ついでに考えたこととして、
ここで言われていることはクローン肉の安全性の問題にも
実は当てはまるのではないか……と。



科学情報を前にした時には
どんなに科学とテクノロジーが進んでも
「ある」研究よりも「ない」研究の方が圧倒的に多いし、
「わかる」ことよりも「わからない」ことの方が圧倒的に多いのだということを忘れずに、

そうした大きな理解の上に立って、冷静に
特定の断片情報と向かい合うことが必要なんじゃないだろうか、といつも思う。

「あると証明されていないリスク」は
決して「リスクがないことの証明」ではないのだから。
2009.02.18 / Top↑
膨大な資料なので、すぐには完了しないと思いますが、
関連リンクのエントリー・シリーズを作り、時間のある時に少しずつ
手元の紙ファイル資料をリンクで整理していこうと思います。

追加やメモの訂正など、
このシリーズのエントリーには随時変更があることをご了承ください。

メディアはURLから分かると思うので、とりあえず特記事項のみのメモで。


2006年



http://www.msnbc.msn.com/id/15517226/
(Reutersの上記論文についての報道)



2007年1月


3日
http://articles.latimes.com/2007/jan/03/nation/na-stunt3
(ニュースブレイク:父親発言)*

http://www.thestar.com/printArticle/169916
(D医師インタビュー、Sobsey 氏コメント)

4日
http://seattletimes.nwsource.com/html/health/2003508681_ashley040.html
(前日のLATimes再掲:ナゾの削除あり)




http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0701/12/lkl.01.html
(Larry King Live:D医師・Fost医師出演)




http://seattlepi.nwsource.com/local/298543_stuntedside05.html
(G,D,Wilfond医師発言、倫理委のメンバーについてG医師がウソ)

http://seattlepi.nwsource.com/local/298552_stunted05.html
(G,D,W医師発言、「リタリン、口蓋裂手術と同じ」、Ross医師コメント)

http://www.scientificamerican.com/article.cfm?id=the-pillow-angel-case--th
(W医師、Norman Fost, Joel Fraderの3人が利害関係のない専門家を装ってメールで討論、擁護)






16日
http://seattletimes.nwsource.com/html/editorialsopinion/2003526343_ashleyed16.html
(ヒステリックな擁護の社説:証明できませんが当事者が書いたもののような気がする)


2007年2月
http://www.salon.com/news/feature/2007/02/09/pillow_angel/
( 病院内部情報)



2007年3月
http://www.ama-assn.org/amednews/2007/03/12/prse0312.htm#sb1
(米国医師会会員新聞:IRBが検討したとの誤解?のもとに行われたD医師インタビュー)



【注】
メモのカッコの後に * がついているものが
「父親はソフトウエア会社の重役」という情報を含んでいる記事。
2009.02.18 / Top↑
ワクチンの安全性を監視するNPO、
the National Vaccine Information Center(NVIC)の研究者らが
インフルエンザ・ワクチンの安全性に関する論文274本を調べたところ、

権威ある医学雑誌における論文の掲載や引用と相関関係があるのは
その論文や研究そのもののクオリティよりも
むしろ研究のスポンサーの財政規模、

製薬会社がスポンサーとなってワクチンの安全性を肯定する内容の論文が
より掲載されやすい傾向にある、と
British Medical Journalに発表した論文で。

研究者の1人は
「製薬会社がスポンサーの場合、
その研究論文の別刷りを沢山購入するし
社内で多言語に翻訳もすることも多い。
ジャーナルにとっては広告スペースの購買客でもある。

ジャーナルもそうした資金源について
全面的なディスクロージャーを行うべきだ」と。

NVICはずい分前から
連邦政府のワクチン認可と方針・摂取義務付けに
ワクチン製造元からの不適切な影響を指摘しており、
現在はヒト・パピローマウイルスに対するGardasilワクチンのリスクを調査するよう
Obama政権と議会に求めているところ、とのこと。



ヒト・パピローマ・ウイルスといえば、
ノーベル賞の選考過程にアストラゼネカの関与が疑われていたことが思い起こされます。

2月15日の朝日新聞にも取り上げられていましたが、
あまりに短期間にあまりに多くのワクチンを接種することに対する
漠然とした不安感に加えて、

英米のニュースから垣間見える
製薬会社の巨大利権を巡る人権無視、人命軽視
なりふり構わぬマーケッティング

そうした製薬会社と医師らや政府の癒着
……などなどへの不信感が、

米国の親たちのワクチン拒否の背景にあるんだろうな、とは感じているところ。


2009.02.17 / Top↑
Medical News Today の以下の記事によると
「終末期ケアの改善と患者の選択権を求めて活動するNPO」Compassion & Choices が

終末期医療の「患者中心ケア」基本7原則を提唱。


1.フォーカス。終末期医療は患者のライフ(生命・生・生活・人生)と現在の経験にフォーカスするべし。

2.自己決定。痛み・苦しみの許容範囲は人それぞれ違う。

3.自律(autonomy)。終末期医療に関する決定は自律した患者に始まり自律した患者で終わる。

4.個人的な信条。患者は道徳的な非難を浴びたり政治的な介入を受ける心配をすることなく、自分に深く根付いた価値観と信条に基づいて決定を行うように支援されなければならない。

5.インフォームド・コンセント。有効な決定を行いインフォームドコンセントを与えることができるように、患者には包括的かつ率直な情報が必要である。

6.バランス。患者は命の質と量のバランスを自分で評価し、その評価に基づいて決定を行えるように支援されなければならない。

7.告知。医療提供サイドの方針や信条が終末期の治療に関する患者の希望に影響する可能性がある場合には、患者は前もってそのことをありのままに知らされるべきである。

この7原則が謳っているのは
「自己選択がすべて」という一事なのでは?


Wesley Smithがこのニュースをブログで取り上げて、
C&Cが最終的に目指しているのは「オンデマンドの死」だと批判しています。



この記事の冒頭でSmithが指摘しているのも、
C&C が資金豊かな米国の自殺幇助合法化運動の担い手であること。

当ブログでもWA州の自殺幇助の合法化運動について当たってみた時に、
C&Cが莫大な資金をひっさげて積極的に関与していることを知ったばかりです。

しかし、その同じ団体が
ニュース記事で「終末期ケアを患者の選択権を求めるNPO」として紹介されると、
同じ7原則を読んでも読者の捉え方はずい分と違ってくるでしょう。

これもまた、情報操作と言えば言える……。
最近、日本も含めてメディアにはこういう情報操作が目に付くような気もする……。

……それとも、ニュースを読むに当たっては
背景を懐疑しつつ読まなければならない時代だということかも──?
2009.02.17 / Top↑
意思決定能力を欠いた人が終末期でもなく永続的な意識不明状態でもない場合の
後見人(guardian)による治療拒否に関する基準を
Pennsylvania上級裁判所が2月10日に示しました。

詳細をNot Dead Yet がブログでまとめています。


この記事によると、裁判所の判断の要点は次のとおり。

1.ある人物を裁判所が全権後見人(plenary guardian)に任命したとしても、病気の末期でもなく永続的な意識不明状態でもない意思決定能力のない人の治療を拒否する権限を与えるものではない。すなわち、後見人の任命はそれ自体として、このような決定をする権限を認めるものではない。

2.後見人は、病気の末期でもなく永続的な意識不明状態でもない意思決定能力のない人の生命維持治療を拒否するためには、裁判所からそれを代理人に許可する特別な命令を得なければならない。そのためには、その意思決定能力を持たない人にとって死が最善の利益であり、すなわちその状況下では延命が非人間的であることを、後見人は明白で説得力のあるエビデンスによって証明する「並々ならぬ責任(extraordinary burden)」を負っている。後見人はその意思決定能力のない人の診断、予後、苦痛その他について、具体的な医学的なエビデンスを提示しなければならない。可能であれば、治療の前または治療中に本人が望んだことについてのエビデンスも示さなければならない。その人の認知障害は基本的には考慮されるべきではない。


この基準が示された判例は
施設で暮らしている知的障害者D.L.H.を巡るもので、
経緯は大体次のようなケース。

D.L.H.が肺炎を起こして病院に入院。
この状態で特に終末期であったわけでも永続的な意識不明であったわけでもない。

呼吸を助けるべく人工呼吸器を装着しようとする病院側に対して
既に全権代理人(plenary guardian)に任命されていた両親が反対。

病院側が両親の求めを拒んで呼吸器を装着したため、
両親が裁判所に申し立てを行った。

その後、3週間の呼吸器装着でD.L.H.の肺炎は改善し、
自力呼吸が可能となった。


裁判所の意見書全文はこちら

親は全権後見人として、呼吸器を拒否する権利があると主張したようですが、
このような場合の治療拒否権限を後見人に無条件に認めない理由の1つとして
特に虐待(濫用)の可能性に言及されていることが目を引きます。

-----------------------

読んで一番強く感じたのは
前に詳しく読み込んだイリノイ州のK.E.J.の不妊手術に関する裁判所の判断と
リーズニングが非常に似ているな……ということ。

イリノイでは不妊手術を巡る判断だったので、
不妊手術の是非と、さらに、その手段の是非との2段階になっていた点が
今回よりも複雑な論理展開になっていますが、
共通しているのは、

・後見人の代理決定の範囲を限定していること。

・障害者の尊厳・身体・生命を侵害する行為を求めている側の証明責任が大きいこと。
イリノイの意見書ではheavy burden of proof となっていました。今回のペンシルバニアではextraordinary burdenとされています。

・いずれの意見書でも 後見人の主張にいちいち clear and convincing evidence の提示が求められていること。

・本人意思の尊重。
イリノイでは「知的障害がなかった場合に本人が何を望んだか」「不妊手術を望んだとしても、どんな方法を望んだか」と2段階になっており、最善の利益の検討は本人意思が確認できない場合にのみ行われる、さらに次のステップと捉えられていました。今回の判断は意見書を読み込んでいないので、果たして「最善の利益」と「本人意思」のいずれが重視されているのかは、私には今の段階では判然としません。


その他、ちょっと気になる点としては
知的障害は考慮しないとされている部分の文脈が
イマイチよく分からないことと、

もう1つ、NDYの記事を読みながら思ったのは、
知的障害のある人の事前意思書が法的にどういう意味づけをされるのか、ということ。
巧妙な後見人なら、元気なうちに書かせておくくらいのことはしかねないような……。

やはり意見書そのものを読み込んでみなければ分からないことが多そうですが
障害者の尊厳と身体への重大な侵襲に関る医療を巡る裁判所の考え方に
1つの枠組みのようなものが示されつつあるのではないでしょうか。

だとしたら、
先日のシアトル子ども病院・成長抑制ワーキング・グループの
重症障害児への成長抑制の是非については裁判所の判断を仰ぐ必要はなく
病院内倫理委員会の検討で認めても良いとする結論は
私はやはり、とうてい受け入れられないものだと思う。

もとより当ブログの検証が示しているのが、ほかならぬ、
病院内倫理委には政治的社会的文脈による利益の衝突に対する脆弱性があること、
したがって倫理委員会がセーフガードとして十分とはいえないこと……なのだとしたら、

やはり自分で意思決定できない人の命や尊厳に関わる医療については
裁判所がセーフガードとして最後の砦であってもらいたい。



【イリノイのK.E.J.ケースに関するエントリー】

2009.02.17 / Top↑
障害者への虐待を研究しているカナダ Alberta大学のSobsey教授のブログ icad の
1月29日のエントリーによると、

インドのKerala州で
知的障害のある10代の息子3人の医療費で生活が立ち行かないとして、
父親が地方自治体の長に対して3人への慈悲殺の許可を求めた、と
Times of India が報じたとのこと。

Kerala州では
法律改正委員会の報告書が慈悲殺を認めるべきだとの勧告を出したばかりで

Sobsey氏は
この父親の行動もこのような動向と無関係ではあるまい、と。

自治体では
3人が必要な治療を受けられるように全力を尽くす、
そのために様々なNGOと協議を始めた、と。

Father seeks “mercy” killing
icad, January 29, 2009


しかし、これは、どう考えても
息子たちへの”慈悲”ではなく親への”慈悲”という文脈であって、

ただ、インドの貧困層のただ事でない貧困ぶりは親の責任とも言えないかもしれず、

そういう国でこれから慈悲殺が認められていくのだとすれば、
それは地方自治体や国家のための”慈悲”殺……ということになるのでは?
2009.02.16 / Top↑
米国では昨年夏に高等教育機会法が議会を通過し
(the Higher Education Opportunity Act)
12月には百万ドル単位の連邦政府からの助成金が決まったことにより、

知的障害者の大学教育へのアクセスを支援するプログラムが全米で急増中で
現在150のプログラムが存在するとのこと。

College Is Possible for Students With Intellectual Disabilities
New support programs and federal funds can help students with intellectual disabilities
The U.S. News, February 13, 2009


マサチューセッツ大学ボストン校 Institute for Community Inclusion では
この助成金を使って全国初の知的障害者の高等教育推進に向けたセンターを設立し
同時に研究協議会を作る予定とのこと。

上記リンクから同大学のICIのサイトを覗いてみたところ、
今年の1月に以下の研究結果がまとめられており、


高校卒業後の高等教育に参加した知的障害者の方が
そうでない場合に比べて職業訓練後の就労に繋がる確率が26%高い、
週の収入では73%も高いことなどが明らかに。

      ―――――

MNDの記事の中でモデルケースとして紹介されている
Massachusetts Bay Community College
The Inclusive Concurrent Enrollment Program では、

知的障害のある学生は1セメスターに1ないし2の授業を取り、
週に2,3日大学に通う。

授業は完全なインクルーシブで、知的障害のある学生には個別の支援が提供される。

背景として、米国のIDEA(障害児・者教育法)では
21歳または22歳までの個別プランによる教育に資金が提供されることも。

      ―――――

高校卒業後の高等教育を望む知的障害者に情報提供を行っているサイト、ThinkCollege. Netはこちら

      ―――――


日本でも、各種取り組みが始まりつつあるようです。

障害者問題研究 第35巻第1号(通巻129号)
特集 大学における特別な教育ニーズへの対応
2007年5月25日発行
2009.02.16 / Top↑
Wake Forest University Baptist Medical Centerの研究者が
2001年の障害児・病児のニーズ全国調査のデータを分析したところ、

障害児・病児の介護者の24%で必要なレスパイトのニーズが満たされていないこと、
民間の医療保険の人では公的な医療保険の人ほどレスパイトが得られていないこと、
特に機能が大きく低下している子どもの介護者でその傾向が顕著であること
などが分かった。

(ここで「障害児・病児」と訳している部分は
原語では「複雑な健康ニーズのある子どもたち」とされているものです)

米国小児科学会も
障害児・病児の介護者のための支援システムが整備される必要があると推奨しているが、
この結果からすると、全米で20万世帯が
十分なレスパイトケアを受けることが出来ないでいる。

その理由としては、
「利用できるサービスがない・利用のための移動が難しい」が26%
「レスパイトケアが高価すぎる」が22%
「医療上の問題」が13%

その他に、主任研究者は
介護者自身がレスパイトケアのニーズを表現しないことに注目している。
そうした支援を求めることは子どもを「棄てる」ことだと感じていたり、
レスパイトケアを支援サービスと認識していなかったりするため。

あまり注目されることのない問題だが、今後は、
障害児・病児のケアを巡る医療費・社会福祉のコスト削減に
レスパイトケアの提供がどういう影響を及ぼすか調査する必要があるだろう、と。

Caregivers Not Receiving The Help They Need
The Medical News Today, February 13, 2009


日本でも、障害児の親をただ「親」とのみ捉えるのではなく、
きちんと「介護者」と位置づけて、”親の愛情”神話から脱却し
レスパイトケアついても十分な調査・整備をしてもらいたいものです。

特に親が自分のためのサービスを利用することに関しては
社会の側が特に母親に対して心理的な規制をかけている面が大きいので、

その規制を解いていく努力が
社会の側に向けても、また介護者である親に向けても、
行われてほしいと強く願いつつ、

当ブログではいくつかのエントリーを書いてきました。




限界を迎えていながらも、なかなか家庭の外に支援を求めにくい親の複雑な気持ちを
少しでも分かってもらいたいと書いたものが以下のエントリーです。




そうした親の立場から望みたい支援のあり方を考えてみたものが以下のエントリー。




また、仕事で出会った海外の介護者支援の考え方を紹介したエントリーがこちら。

2009.02.16 / Top↑
CA州で、自閉症児の親がHMOのKaiser Permanenteを相手取り、
自閉症の治療を拒否したとして集団訴訟を起こした。

California州では
Kaiserに自閉症児を治療する法的義務があるはずだというのが原告の主張。

Kaiserサイドは
医療ケアはすべて提供していると主張し、
この訴訟は医療と教育や社会福祉との境を曖昧にするものだ、と。

Parents of autistic children sue Kaiser
The San Francisco Chronicle, February 12, 2009


障害児の療育というのは、
まさに医療と教育が重なり合うところに意味があると思うのだけれど、
(もっとも、それが上手くいっているかどうかは別問題)

その費用を巡って、
どうも、これから医療と教育がなすりあいを演じそうな気配……?

           ――――――

たしか金曜日だったと思うけど確かではないし、
番組の名前も覚えていないのですが、

地方自治体の財政状態の悪化で市民サービスが削減されているという話をNHKがやっていて、

前の鳥取県知事で現在慶應義塾大学大学院教授の片山善博氏が、

地方自治体で膨らんでいる借金というのは
決して弱い人たちを守るためにこしらえてきた借金ではなくて
むしろ要りもしないものを作って、そのために出来てきた借金なのに、
いざ財政が苦しくなると弱い人たちから犠牲にしていくというのは
自治体が自治体としての仕事をしていないのだ、と
指摘していたのが、とても印象的だった。

今しきりに言われるようになった障害児・者にかかる「社会的コスト」にしても
障害児・者と高齢者のために起こっているかのように言われる「医療費の高騰」にしても、

本当はこれと同じことが起こっているんじゃないのかなぁ……。
2009.02.15 / Top↑
英国政府はこのたび発表した児童保健医療戦略(Child Health Strategy)の一環として
2008-2011期において障害児のための予算としてプライマリー・ケア・トラスト(PCT)に
34000万ポンドを追加する、と。

それにより障害児向けにPCTに下ろされる予算は77000万ポンドに。

特記事項として

・2010年までに複雑な医療ニーズのある子ども全員に個別のケアプランを立てる。
・新たな予算のうち3000万ポンドは子どものパリアティブ・ケアに当てる。
・2009-2019年期に一連のパイロットスタディを行い、地域での小児医療の新たな監査モデルを作る。
・障害児の全国的チャリティWhizz-Kidzとthe London Strategic Health Authority,、PCT、地方自治体とのパートナーシップを築く。

具体的な資金の活用方法は各PCT次第という面もあり、
チャリティ Every Disabled Child Mattersなどでは働きかけを始めているとのこと。



他に関連記事がこちらにも。

Vision For A 21st Century Children's Health Service UK
The Medical News Today, February 13, 2009
2009.02.14 / Top↑
前のエントリーで触れた「魔法のパジャマ」について、
サイトの内容をよくよく読んでみたところ、

「どうすれば背が伸びるのか?」という箇所に書かれているのは

・このテーマに長年取り組んできた会社が韓国の大学の医学研究所と3年かけて開発したパジャマである。
・成長ホルモンの分泌を促すには熟睡することが重要である。
・今の子どもたちは睡眠不足だから快適な睡眠環境を求めている方に、このパジャマがお勧め。

そのほかの箇所を読んでも、
このパジャマに成長ホルモンの分泌を促す効果があるとは一言も書いてない。

3年もかけて開発したという「特殊バイオ繊維」については
「14種類のハーブ入り」であり
「遠赤外線放射機能」「優れた吸水・発散性→殺菌効果」「着用感のよさ」が
快適な睡眠をもたらすと書かれているのみで
その組成や特殊性についての科学的な説明は一切ない。

だから、つまりは
そこら辺のスーパーで安眠効果を謳って数千円程度で売っているパジャマと
(デザインがやたらとダサい以外に)何が違うのか、まったく分からないのですが、

でも、はじめから科学とテクノロジーの力を過信している人がうかつに読むと
「パジャマから成長ホルモンが出る」とか
「パジャマを着ることで成長ホルモンの分泌が促される」と
読者の方で勝手に思い込んでしまいかねない。

――そういう微妙な書き方なのですね。

で、この「魔法のパジャマ」のお値段、27000円なり。

このべらぼうなお値段がまた、
読者の側の勝手な思い込みを強化するのでしょう。

このエントリーを書いたことでYahoo!ブログが拾ってきたブログ記事によると
着て寝ることで倍くらいの成長ホルモンが出ると信じて実際にこのパジャマを買った人は
それほどのパジャマなら開発費がさぞかかって、このお値段になるのだろうと納得している。

ある日突然、本当に成長ホルモンが倍も分泌されるようになったら
子どもの体にどんな異変が起こるか……なんて不安はないのだろうか……。


でもね、Ashley事件におけるDiekema医師の詭弁のマヤカシだって

・この医療処置はシアトル子ども病院の倫理委員会で検討し、承認したものである。
・重症児は親にずっと赤ん坊のように面倒を見てもらうのが幸福である。
・社会の支援サービスは不十分なのだから、重症児のQOL維持のためにはお勧め。

という程度のものでしかなく、
この「魔法のパジャマ」のマヤカシとそれほど違ったものとも思えないのに

それでも世界中のいわゆる「知識人」までが
みんなして、たぶらかされてしまったのだとしたら

この「魔法のパジャマ」に騙される人を笑う資格があるのか……?
2009.02.14 / Top↑
オーストラリアの医療ジャーナリストが
インターネットのFacebookやMySpaceなどのSNSやブログに
製薬会社が一般人を装って何食わぬ顔で参加しては、
巧妙に(時として違法な)マーケッティングを行っている、と警告している。

Who Is Behind The Medicines Information On The Internet?
The Medical News Today, February 2, 2009


そういえば、前に子宮がんを予防する「HPVワクチン」を日本語で検索してみた時に
子宮がん体験者だという人のブログで妙なのがあったっけなぁ。

つい最近も、Ashley事件がらみの検索で下のようなブログが引っかかってきて

身長のすべてを知りたい(一言メッセージ:どうすれば背が大きくなるの?)

「へぇ、こういうブログもあるのかぁ……」と思ってみていたら、
着て寝たら2,4倍もの成長ホルモンが出るという「魔法のパジャマ」だとか
背を伸ばす効果のあるエクササイズ・マシーンだとか
一日数回舌の下に吹き付ける「成長ホルモン・スプレー」だとか
いろいろと妙なものの情報も取り上げつつ、
ごく一般的な栄養とか生活習慣の情報なども織り交ぜてあって……

で、どの記事の末尾にも必ず出てくるのが

「超軽量&スタイリッシュなデザイン、
そして外から見てシークレットシューズに見えないシューズ」の
ネット販売サイトへのリンク。

すぐに「ああ、そういうサイトか」と気はつくし、
売りたいものが靴だったら、さほど害があるわけでもないかもしれないけど、

こういうものが、ごく普通の人間がやっているブログのフリをして
読者の不安を煽ったり、科学とテクノロジーを過信させたりして
一定の医薬品の需要に結びつくような情報を流すことは十分にありそうだし、

それに、この、身長を伸ばすための情報ブログだって
訪問するのは身長や成長ホルモンに興味がある人だという点は間違いないのだし
すでにしてマーケッティングの対象が絞られているという点では
“魔法の靴”以外の“魔法”を売りたい業界にとって
カモが群れをなして水浴びにやって来る池みたいなものかもしれないし……。

改めて怖い時代だなぁ……。


【追記】
その後、上記の「身長のすべてを知りたい」からリンクをたどって、びっくりしたのですが、
成長ホルモンはインターネットで買いたい放題になっていた……。知らなかった……。
2009.02.14 / Top↑
自閉症のワクチン犯人説では
発端となった論文はデータがガセだったという話が最近出ていましたが、

今度は
MMRワクチンによって子どもが自閉症になったとして
家族が連邦政府のワクチン被害賠償を求めていた3つのケースで
ワクチンが原因だとは言えないと裁判所が判断。

2007年にヒアリングが始まってから
同様の苦情が5000件も寄せられているとのことで、

今回の判断を
小児科学会は歓迎。
ワクチン犯人説を唱えるGeneration Rescue のHadley氏は非難。

この問題で創設メンバーが分裂しているAutism Speakは
「だからといって、さらなる科学的な調査の必要が否定されるものではない」。

Court Says Vaccine Not to Blame for Autism
The NY Times, February 12, 2009


前にも役員が辞任する騒ぎを紹介しましたが、
Autism Speak のようなアドボカシー団体が
こういう問題で分裂してしまうのは、なんとも悲しい。

もう一点、この記事で目に付いたこととして
連邦政府が1988年にワクチン被害への救済ファンドを作っていること。

ワクチン被害にあった子どもたちが製薬会社を訴えることなく救済されるように、
すべてのワクチンにかかる税金が、このファンドに使われるのだとか。

日本の産科医療の無過失補償制度の財源って筋が違うよね……という話を
ちょっと思い出した。
2009.02.13 / Top↑
もう、特定の分野の研究者か、よほど強い関心を持っている人以外には
興味などなくしてしまっているとしか思えないAshley事件ですが、

それでも、まだ、たま~に、どこかのブログが取り上げることがあります。

その中に、何も分析も個人的な意見もなく、
この2年間の諸々の展開にもまったく触れないままに
ただ2007年当初の記事をそのままコピペしただけという
ちょっと不可解な取り上げ方をするブログがあることに
前から気はついていたのですが、

ヘンだなぁ……と意識するようになったのは最近で、

今日また、これを見つけて、
いよいよ、これは絶対ヘンだ……と。



タイトルは
「あなたはAshley X に起こったことに同意しますか? 賛否その理由を説明してください」

長いエントリーなのですが、
実はこれは2007年1月4日のAP通信の記事全文なのです。
(コピーライトがあるから再掲禁止などと書かれている部分までコピペしてあります)

独自に書き加えられているのは冒頭のわずかな部分で
AshleyケースについてAPのLindsey Tannerがこう書いた、という説明に続いて
このケースを議論しよう。Ashley家族のブログを読もう」と書かれています。

そして、この、情報としては今さら何の意味もない記事に対して
即座に入っているコメントが1つ。

「最初は酷い親だと感じて反対だったけど、
詳しく知るにつれて子どもの最善の利益を考えているんだと分かってきました。
小さいままだったら親がずっと関って愛してやれるのだから本人のためです。
本人の同意なしに臓器をとってしまうなんて一見むごいと見えますが、
生理痛には正常な女性だって苦しみます。
障害のある女性がどう対処するというのでしょう?」

どうにも妙だよね……と思ったので、
今回はこのブログの背景をトップページから覗いてみたら、
医療機器のメーカーさんたちが集まってやっているブログでした。

どうも、ネット上で批判が書かれると、その後には
こういうブログが登場してくるように思われるのですが、
もしかしたら世論に忘れられないために、
一定の間隔で出てきているのかもしれません。

それにしても、
2007年1月16日のSeattle Times の社説もそうですが、
Ashley父や子ども病院の手が入っているのではないかと私が個人的に疑っている文章には
かならず「父親のブログを読め」と書いてあるのが、彼の肥大した自我を思わせて、笑える。

あれさえ読んでもらえば理解されないはずがないと、彼は今も信じている――。

それは、もちろん、笑い事では全然ない。
2009.02.13 / Top↑
4日に自閉症治療費めぐり保護者vs保険会社バトルのエントリーで取り上げた話題の続報。

民間の医療保険に自閉症の治療費支給を義務付ける法案が議会に提出されていましたが、
あえなく潰れたとのこと。

Autism Coverage Bill Fails
The WP, February 12, 2009


仮に1人の子どもにつき1年36000ドルまでという上限を設けたとしても
自閉症が給付対象になると総額で年に4000万ドルかかる、として
こんな経済危機のご時勢に新たな義務付けなんてカンベンしてくれと
攻勢をかけた保険会社のロビー活動が勝った、ということのようです。

最大の焦点がObama大統領の経済支援費を巡る攻防だったという
タイミングの悪さもあったのでしょうが、

上院が廃案にした直後に
折衷案を提出していたような議員までが不謹慎なジョークを飛ばしたり、

こんな経済危機の最中に障害児の治療費なんて取るに足りない“ちっこい問題”なんて……と
軽んじられ、テキトーに扱われてしまったような雰囲気と、

それに今は企業さんにまず元気になってもらわないと……と
優先順位が明らかに敷かれているような雰囲気とが
記事にはそこはかとなく漂っていて、

こういう雰囲気は今後どの国でも、強く漂ってくるんだろうな、

それと同時に「社会的コスト」を云々する声も
さらに、あちこちから耳に入るようになるんだろうな……と。
2009.02.13 / Top↑
イタリアの安楽死論争の渦中で栄養供給の管をはずされ、
9日に亡くなった永続的植物状態の女性 Eluana Englaroさんは
司法解剖の結果、
栄養供給を止められたために起きた脱水状態に起因する心臓発作で死亡したことが判明。

野党民主党が死ぬ権利に反対するベラスコーニ首相を批判すれば
ベラスコーニ首相は先週大統領が自分の命令に署名を拒否したことを批判。

最近の世論調査では
Eluanaさんの安楽死を支持する人は47%で
反対する人が47%。
残り4%はどちらとも決められない、と。

カトリック教会は改めて
原理主義的に死ぬ権利を拒否しているとの反発や
18-25歳の年齢層でEnglaroさんの安楽死を支持する意見が多かった傾向を批判。

「価値観が大きく転換している。
 確かに自由はよいことだが、一方に
 死なない、死なせないと決定する自由もあるべきである」

Italy: Autopsy shows ‘right to die’ woman died of cardiac arrest
The Adn Kronos International, February 11, 2009


何年も寝たきりで植物状態とされている人の
栄養と水分を停止するというと、そこには、
なんとなく「穏やかに死なせてあげる」というイメージがくっついてきますが、

脱水状態から心臓発作を起こして死に至る……とすれば
それは「穏やかに死なせてあげる」という話ではないような……。
2009.02.13 / Top↑
9日にNY Timesにダーウィンに関する社説やらOp-Edやらが並んでいたと思ったら、
今年はダーウィンの生誕200年、しかも今日がその誕生日とのこと。

そんなこととはつゆ知らず、数日前から読んでいて奇しくも今日読み終えたのが
進化から見た病気:「ダーウィン医学」のすすめ(栃内新 著)

ダーウィン医学というのは1991年に
医師ランドルフ・ネシーと進化生物学者ジョージ・ウィリアムズによって提唱された
まだ新しい学問だというのですが、

この本を読んでいると、とりたてて事新しいことを主張しているわけではなく、
実はみんなが常識として知っていることのような気もしてくる一方で、
それを新たな医学として提唱し、それによって警鐘を鳴らすことが
必然となってしまった時代背景のほうを改めて考えさせられる。

前に最相葉月さんの本で遺伝子の改変について、
ある科学者が長い進化の歴史を無視していることの不自然を指摘していたのに、
とても共感できたのですが、

「ダーウィン医学」の考え方は要するにそういう視座で、

人間とは似つかない姿から5百億年もかけて進化してきたヒトの現在ある姿は
病気や、それに抵抗する免疫システムなど良いものも悪いものもひっくるめて
一定の必然を含んでいる、と。

私は読んでいると「禍福はあざなえる縄の如し」という言葉が浮かんだ。

前からトランスヒューマニストや科学とテクノ万歳文化の人の言動には
「あのね、世の中には良いばっかりのことも悪いだけのことも、ないのよ。
何かを得ようと思ったら、何かを失わなければならないのが、この世の摂理なんだからねっ」と
オバサンはいつもつぶやいてきたし。

例えば、
案外に人間は体の中の細菌と上手く共生しているとか、
だから寄生虫の駆除に成功して「清潔すぎる」環境で子どもが育てられるようになった辺りから
アレルギーが増えてきたとか、

大きな進化の中で捉えた場合には
すべてあざなえる縄のごとき禍福なのだから
悪いものを今のようにただ闇雲に最新科学の強力で排斥するだけでは
回りまわってまた別の悪いものが出てくるのが自然の摂理……という話……と解釈した。

もう1つは、
抗生物質の発見で人類は感染症との闘いに勝利したと一度は考えられたけれど、
すぐに耐性菌が出現してきたように、
人間が進化するスピードはウィルスや細菌が進化するスピードには及ばない、という話。

次々に開発される抗がん剤にも
癌細胞のほうで分裂を繰り返すたびに遺伝子で進化して
その抗がん剤への耐性を身につけているとか、
タミフルが使われるようになってまだ10年なのに、
すでにタミフルに耐性のあるインフルエンザ・ウィルスが出現している、など。

(鶏インフルエンザの出現に驚愕したのは、ついこの前なのに、
もう変異が起って人間から人間に感染するようになるだろうという話も思い出した)

だから先端医学の強力でブルドーザーのように都合の悪いものをなぎ倒していくだけでなく
長い進化の中で病気を捉えるダーウィン医学の視点も必要なのでは、という主張は
私にはとても説得力があった。

ダーウィン医学では、薬を用いた治療についてもう一度考えることを推奨している。薬を使うなというのではなく、毒になることもある薬によって、もともと持っている身体の自然治癒能力を妨害してはいないかという観点を持つことが重要なのである。(P.58)

遺伝子の働きというのはつねに環境との相互作用で決まるものであり、特定の環境では生存に有利だった遺伝子が異なる環境のもとでは新しい病気の原因になったりすることもある。また逆に、病気を起こす原因となる遺伝子だと思われるものが、他の病気を防ぐ働きを示したりすることが見出されることもある。現時点で我々が持っている科学(医学)知識も過渡的なものであり、新しい発見の後にその誤りあるいは不完全さが明らかになることも想定する必要がある。(P.136)

複雑な体と引き換えに再生能力を失い、細胞が速やかに増殖し成長や分化する能力と引き換えに、がん化の危険性を引き受ける。驚くほどうまくできていると感嘆すると同時に、その制約の頑固さにあきれてしまう思いをすることもあるのが進化の真実だ。どんなに不都合に思えても、それを代償として手に入れた有利さが必ずあるのが進化のルールでもある。生物である以上、ヒトもこの制約から逃れることはできない。(P.154)

「代理母」による出産は生物が長い進化の時間を経て受け継いできた、遺伝子と生殖細胞の連続性を断ち切ってしまうという重大なできごとである。進化という観点から見ると、昨今の生殖補助医療は生物の連続性を無視した驚愕の医療へと発展しつつあるように思える。(P.168)

出生前診断によって、あらかじめ重篤な先天性の疾患が予想される時には、胎児および母親を含めた家族の福祉のために、産まないという選択が行われることには同情的意見が多い。しかし、出生前診断をするということは、今までならば自然選択によって行われていたことにヒトが介入し、人為選択となりうることに注意しなければならない。(P.170)

今日に至るまで38億年の間、自然選択にのみ任されてきた遺伝子の変化を、我々の技術で人為変化・人為選択できるようになったときに、何をしてよいのか、何をすべきでないのか、そうしたことをしっかりと把握する前に行動してしまうことは取り返しのつかない結果を生む恐れがある。先端医療の持つインパクトは、何億年もかけて受け継がれてきた地球における進化の連鎖を、ヒトが断ち切ってしまうことを可能とするくらい大きなものだということを認識しておく必要があるだろう。(P.171)

我々は長い進化の過程で、先祖の子孫として子の地球上に生まれてきた。そして、その長い生命の連鎖を次世代に受け渡すためには、もちろん次世代の子孫が生き延びることができるまでしっかりと育てることが必要だが、彼らが自立できるようになったならば、彼らのために地球の資源を受け渡していくこともまた必要なことなのだ。(P.189)

最後の1段はトランスヒューマニストに訓として垂れてやりたい箇所。

この前読んだ「Ashley療法は自然に反する。したがって間違っている」という批判も、
やっぱり、ただ「バカな批判」だと切り捨ててしまってはいけないものを
含んでいるのだ……と改めて思った。


このエントリーの冒頭で触れたNY Timesの記事は
いくつか読んでみたものの、
進化論に何の抵抗もない日本人としては面倒くさい感じもしたので
一応、メモとして以下に。




以上は2月9日のNY Times。



以上が2月11日のNY Times。
2009.02.12 / Top↑
前のエントリーに続いて、いただきもので
the Hastings Center Report, January-February 2009に掲載の論文
“Respecting Children with Disabilities – and their parents”
「障害のある子どもを尊重すること ――親も含めて」

著者はThe Hastings Centerの上級研究員Erik Parens

新興テクノロジーで身体を作り変えることや
新たな科学による自己理解の形成への影響などのテーマで研究している人のようです。

大まかな論旨としては、

医療技術を社会的な目的に用いることに対して
障害者自身がどのように発言してきたかを振り返ってみると、
障害の種別により、またその人の考え方や年齢によって多様であり、
十分な説明を受けた判断能力のある障害者は
そうした手術を拒否する場合もあれば自ら求める場合もある。

それならば、他に良い方法が見つからない以上、
十分なインフォームドコンセントを経たうえで
子どもと家族のことを一番把握している親に決めさせてあげればいい。

ただし、Parensは
親を尊重するということは何でも言いなりになることではない」と書き、
十分なインフォームドコンセントの必要を強調しています。

医療以外の問題解決の選択肢が本当に存在しないのかどうか。
医療を手段とする場合と、医療以外の手段を使う場合のコストはどうか。

そして、最も重要な問いとして、
親にとっては聞かれたくない、考えたくない問題であろうけれども、

あなたは子どもを1人の人として捉えるのではなく
 自分の延長・一部として捉えていませんか」と
問い、親に考えさせなければならない、と。

また、もう1つParensがこの論文で指摘しているのは、

「生後6ヶ月の赤ん坊の知的レベル」といった表現は
体の成長が本人にとっては微妙で予見不能な形で重要なものであることを
覆い隠してしまう可能性がある。
そのことも親にはきちんと認識させるべきである、と。

彼が挙げているのは
小さい頃には子どもの歌が好きだったのに、
体の成長に伴ってベートーベンのシンフォニーなどに趣味が変わった
Seshaという障害のある女の子の事例。

知的な成熟をもたらしたのが体の成長だとは限らないので
これをもって「だから体の成長が本人にとって大事」と主張することには
ちょっと無理があると思うのですが、

Seshaの事例の直後に
障害をもった人の生活がどのようなものか直接体験がある人は
このように本人にとっては体の成長が意味を持っていることを知っている、
という点を強調していることからしても、

Parensが言いたいのは
「生後6ヶ月の赤ん坊と同じ」と知的レベルを決め付けて
本来ならできたはずの(体の成長などの)体験を奪ってしまうのは感心しない、
その体験はその人の成熟に大事な意味を持っているかもしれないのだから、
ということではないかと思われます。


これらの2つは大事な指摘であり、
私もそのまま同意するのですが、

同時に、なぜ、
これらの指摘はAshleyケースにおける親と病院の判断への批判でありながら、
論文そのものの結論は「親に決めさせてあげよう」になるのかが分からない。

文脈としては上記2点はあくまでも
親へのインフォームドコンセントへの「ただし書き」といった扱いで、

結論は再び、
こうした点について、きちんとICした上であれば、
他に良い選択肢がない以上、
「社会的な目的で医療を使いたいという親の言い分は
額面どおりに受け取ってあげることが
障害のある子どもたちと親を尊重することになるだろう」と。


「他にいい選択肢がないから」と繰り返して
この人は自分の結論を正当化しているのですが、

そこを煮詰めて考えるのが、
生命倫理学の専門家である、あなたの仕事じゃないんですか──?

また「総論で賛成しておいて、あとで各論になると反対」というのは
巷によくある話ではありますが、

“Ashley療法”論争に出てくる専門家の歯切れの悪さにいつも感じるのは

先に各論を並べて反対しているくせに、
その後に平気で「でも総論は賛成」とまとめることができる不思議──。
2009.02.12 / Top↑
送って下さった方があって、
Bad Clipple さんが2月4日のブログエントリーで紹介していた
Hastings Center ReportのAshley事件関連論文は以前から手元にあり、
読んでもいたのですが、なかなか頭の整理が出来ずにいました。

でも、そろそろ、まずは3本のうちの1本から。

“It’s Against Nature”というのが引用符ごと論文タイトで
書いたのはGregory E. KaebnickというHastings Center Reportの編者の1人。

2年ほど前というので“Ashley療法”論争の直後のことだと思われますが、
ある生命倫理カンファレンスでAshleyケースに関わった医師が講演した際に
聴衆の中から「この介入は自然に逆らうものである。したがって間違っている」との反論が出て

Diekema医師と思われるその講演者が
「そうは思わない」と切って捨てる場面があったとのこと。

著者のKaebnickはこの「自然に反するから間違っている」という発言を
冒頭から“バカな反論”と形容しており、

「自然」という概念の複雑さや曖昧さが理解されていない、
また自然であるかどうかが医療行為が道徳的に正しいかどうかと重なるわけではない、と
「自然に反するから成長抑制他の介入は間違っている」という批判を否定するのですが、

で、自分自身はどう思うかという話に進んで
後半にこの人が書いていることは

トランスヒューマニストたちが主張しているほど
なんでもかんでも自己選択で身体に手を加えていいとは思わない。

例えば、わざわざ愛とか社会性を排除した子どもを作ろうとすることは
人であることの本質に反する、つまり人間性に反することだからしてはならない。

しかし、それら基本的な人間性に大きく影響しない範囲で
人間の知能や記憶を強化したり長生きを目指すことはアリなのでは?

認知能力のある子どもなら
やがて自分自身の自然観、人間観を持つのだから
それまで待ってやるべきだけれども

認知能力がなく道徳的な価値観を持ち得ない子どもなら
親が決めればいいことだろう。

自分がAshleyの親の立場だったとしても
成長抑制をするとは思えないが
現実にその立場にないし
その大変さは想像もつかないから
自分にはどうしろと口を出せない。
少なくとも、当の親がやったことを批判はしない。


最後の部分は
なにもHastings Center Reportのおエラい編者でなくても
論争当時インターネットに連日書き込まれた多くの人々の感想とまったく同じであって

それが言えるのだったら
「障害のある子どもを殺す親にだって、同じことが言えるぞ」と私は思う。

それから、この人が
人間の身体に科学とテクノで手を加えるのが許される範囲を考える際に
基準にしている「人間性」とか「基本的な人間の特性」といった概念にだって
この人が前半で「自然」について言ったことはそのまま当てはまるんじゃないのか、とも。

もっとも、Diekemaみたいな詭弁の達人を相手に、
倫理カンファレンスで発言しようかというほどの人が
反論するなら、もうちょっと丁寧に突っ込まないと……とは思うから
それって単なる作戦ミスの問題に過ぎないような……。

「自然に反する」という批判に対しては
そんなことを言っていたら最初から医療なんてなかったし、
病気の人間はそのまま死ぬことになっていたんだぞ、
医療そのものが自然に逆らう試みじゃないか、と
Ashley父はブログで反論していますし、
医師らの反論も大体そんな線です。

でも、Ashleyに行われた過激な医療に関して
多くの人が「自然に反する」という言葉で表現しているのは
本当は「人の尊厳が侵されてしまっていることへの漠然とした警戒感」であって、
「人間には理屈抜きに超えてはならない一線というものがある、
あなたたちは、そこを超えてしまったのではないのか」という抵抗感を
そういう言葉で表しているんじゃないのか、と私には思える。

だから、言葉足らずであるにしても、
この著者が言うほど「バカな」発言ではないと思う。

それに、仮にも論文で、
そういう感情的な表現でもって他者の意見を一刀両断にしてしまう2チャンネル的尊大さ、
権威ある生命倫理学の専門誌の編者として、いかがなものか。
2009.02.11 / Top↑
つくづく、この人に体外受精で妊娠させた医師は、どうかしている、と思う。

あの8つ子の母親Nadya Sulemanさんには、すでに6人の子どもがいて、
すべて体外受精による妊娠だったことは既に報じられたとおりですが、

今度は、
Sulemanさん自身がかつて技術職として勤めていた精神病院で
暴動が起きた際に腰を痛めて退職し、
これまでに16万8000ドルの障害者手当てを受給していることが判明。

6人の子どもを産んだのは退職後だとのこと。

うつ病や自殺念慮を診断されたこともあるとか。

そこでメディアが
「働けないくらいの障害があるのに、
6人の子どもを産むのには障害にはならなかったのか」とか
「その障害者手当てを使ってIVFを何度もやったわけか」と突っ込んでいる模様。

また8つ子以前に生まれていた6人のうち3人に障害があることも
新たに判明。
(どういう障害かは不明)

8つ子の妊娠前から6人の子どもを養いきれずに
食糧支援フードスタンプの支給を受け、
連邦政府から生活資金の支援も受けている。

障害のある3人の子どもへの支援も別途受給。

(いくら問題ありとはいえ、
ここまでプライバシーを暴いていいのかなという疑問もありますが)

メディアははっきり書いていないけれど、
子どもへの福祉手当を狙って、もっと子どもを産みたかったのでは、との
憶測も出ているようなニュアンスも。

当人は病院から退院するとその足でテレビ番組に出演。
「お金なんてどうせただの紙切れ」と発言するなど、
受け取っているお金が福祉支給であることを認めず、
現在在籍している大学院でカウンセリングの修士号を取れれば
14人の子どもはちゃんと養っていけると豪語。

「私なりに、私の信じるところに従って、ベストを尽くします。
神さまがそれなりに助けてくださると心から信じていますから」

Beverly Hillsのクリニックだったようですが、
HPで「この世界の権威」を謳っている割りに
着床率が低くて、それだけ子宮に入れる受精卵の数が多いのだとか。




この人の場合は
無事に8つ子を産ませた病院が自分たちの手柄を自賛して
賑々しく記者会見したものだから表面化しましたが、

こういう倫理的には疑わしい生殖補助医療も
案外あちこちのクリニックで行われているのかも……。

「それもこれも患者様の自己選択でございますので」と揉み手をしつつね。


【追記】

NY times も、その後、社説でこの問題を取り上げています。

ガイドラインはあっても法的強制力がないことが問題。

保険が利かない場合が多い生殖補助医療では
なるべく妊娠の成功率を上げたい女性が沢山の受精卵を戻してもらいたいと希望する傾向があるが、
多胎児には障害を含めて健康上の問題が生じやすい。



2009.02.11 / Top↑
ただの素人の分際でエラソーなことを言って申し訳ないけど、
研究者って本当はバカなんじゃないんだろうか……と思うことがある。

反社会的な行動を取る人間が生まれるのは、いったい妊娠中の母親の何が原因なのか。
それは果たしてタバコの煙なのか酒なのかストレスなのか。
それとも遺伝なのか……というのが
人間発達を研究してきた研究者の長年の関心事なのだそうで、

ある研究者は
「遺伝か毒物か。それが問題だ」と。
(きっと当人は特段ふざけているわけじゃないんですよね。
私は、ふざけた発言だと感じるけど)

研究者のホンネとしては
対象群の胎児だけをタバコの煙に晒して
タバコの煙に触れなかったコントロール群の胎児と
成長してからの反社会的行為の発生率を比べたいところなのだけど
そんな実験は倫理的に不可能なものだから、

(いずれは倫理問題を詭弁で誤魔化して、それに近いことをやりそうな気がしますがね。
そういえば記事タイトルが示唆的で「体外受精が研究者らの新たな実験室に」)

この人たちが考えたのは
体外受精で産まれる子どもを調査しよう、と。

私はここのところの理屈が何度読んでもイマイチよく理解できないのですが、

体外受精で妊娠する女性には自分の卵子で妊娠する(つまり遺伝的繋がりがある)人と
他人の卵子の提供を受けて妊娠する(つまり胎児と遺伝的につながりのない人)とがいるので
それぞれのグループの喫煙者をより分けると、
以下の4つの群が得られるというのです。

遺伝的繋がりがあるスモーカーの子ども
遺伝的繋がりがあるノンスモーカーの子ども
遺伝的繋がりのないスモーカーの子ども
遺伝的繋がりのないノンスモーカーの子ども

その4群の子ども779人を4歳から10歳まで調べたんだそうな。
調べたのは体重と、かんしゃくを起こすとか良くケンカをするとかの問題行動。

結果は、
スモーカーの子どもは遺伝的繋がりの有無に関りなく体重が低い傾向が見られた。
問題行動が多い傾向は、
遺伝的に繋がりのあるスモーカーの母親から生まれた子どもでのみ見られた。

結論は、
反社会的行動はたぶん遺伝因子によるもので妊娠中の喫煙は無関係。

で、研究者らが言い訳のように「強調」しているのは
「行動は複雑なものだから、たぶん遺伝と経験の複合的な結果だろう」

そんなの、こんな調査をする前から社会の一般常識ですけど。

そもそも「遺伝か、それとも毒物か」という仮説の2者択一思考が
最初から間違ってるんじゃないんですか?



それにしても、この研究、わからないことだらけで、
(実は記事の書き方に問題があるのかもしれませんが)
私には調査結果と研究の結論のつながりも良くわからないのですが、それよりもなによりも

調査の始まりにある「仮説」というか調査の「目的」と
「方法」とがまったく噛みあっていなくて、

母親と胎児との遺伝的な繋がりの有無だけを区別しても、
調べたいのが反社会的行動での遺伝要因なのだったら
その母親をさらに反社会的な行動を取る人とそうでないグループとに区別しない限り
何の意味もないのでは?……と私は考えるのですが。
(それとも表に出せないだけで、実は区別していたのかしらん?)

研究者って、なんで莫大な研究費を使って
こんな無意味な調査をするんだろう……と苦笑して読み飛ばそうと思ったところで、ふと考えた。

これは案外に恐ろしい調査かも──?
だって、この調査が行われたことそのものが暗に仄めかしていませんか?

生まれた後の子どもの反社会的行動には
妊娠中の母親の行動が責任を負っている

       ↓

遺伝も含めて、反社会的な行動を取らない子どもを産む責任が母親にはある

       ↓

遺伝子操作も含めて、反社会的な行動を取らない子どもを産むために
最善の努力をする責任が母親にある


しかも、彼らが「反社会的行動」と呼ばわって調べたのは
4歳から10歳の子どもの「かんしゃく」と「頻繁なケンカ」。

まだ言葉や論理できちんと自分を説明できないこの年齢の子どもたちが
時にかんしゃくを起こしケンカをすることは
当たり前のことじゃないんでしょうか。

むしろ、自分と他者の違いを知り、自分を表現する術を学んでいくために
大事な発達段階として、かんしゃくもケンカも必要なのでは?

4歳から10歳のかんしゃくとケンカを「反社会的行動」と受け止める
人間発達の専門家・研究者って、
“もぐり”としか私には思えないのですが。

一体、この研究は本当のところ、なんなんだ──?
2009.02.10 / Top↑
イタリアで
父親の希望で永続的植物状態の女性への栄養供給を中止した病院の決定を巡って
バチカンと組んだ首相が病院に中止を止めろという命令の案を作り
すると大統領がそれに署名することを拒否する……という大騒ぎに。

イタリアでは安楽死は違法行為。
患者は治療を拒むことはできるが
意識がなくなった時に備えての事前意思の指示は認められていないとのこと。

Italy Senate debates woman’s fate
The BBC, February 9, 2009


問題の女性Eluana Englaroさんは99年に交通事故で植物状態に。

こうなったら死にたいというのが本人の意思だったとして父親が裁判所に訴え、
去年7月に裁判所は、植物状態は不可逆だとの病院の判断を認定し、
父親の言い分を認めたのだけれど、

検察側から上訴が行われて、それが11月に却下されるや
今度はイタリア保健相が全国の病院に向け
この女性の生命維持装置取り外しを禁じる命令を発令。
この命令を、また1月21日に裁判所が覆したものだから
バチカンはカンカンに。

で、女性は病院から高齢者施設に移されて、
そこの医師らが女性の栄養を金曜日からストップ
鎮静剤他、不快を取り除く以外の措置は行わない、
このままだと3~5日で亡くなるだろう、と。

一方、女性が亡くなるには2週間くらいかかる可能性を指摘する声も。

記事を読むと、
なんだか、もう女性の安楽死の問題なんだか、政治的な突っ張り合いなんだか、
混乱の極みといったふうなのですが、

Berlusconi首相はこん睡状態の患者の栄養を中止することを禁じる法律を作るといっており、
今日火曜日にも上院が投票するんだとか。

【追記】
Englaroさんは亡くなったそうです。

Italian coma battle woman dies
the BBC, February 9, 2009
2009.02.10 / Top↑
シアトル子ども病院が自ら組織して(この鉄面皮には呆れるのだけれど)
みんなで議論を行った末に(何故そんな必要があるのかよく分からない)妥協点に達したと
(WUの職員5人だけが出てきて)称するワーキング・グループが、
成長抑制の対象となる子どもの障害像の基準として挙げているのは
小山さんの報告によると、

①歩けない、②意思疎通が出来ない、③ずっとその状態が変わらない 。

②の部分は2007年以降のDiekema医師らの主張ではずっと
「重い知的障害」または「重い認知機能の障害」ということだったのに、
ここへきて「意思疎通が出来ない」と変わっていることが
ずっと、ものすごく引っかかっている。

そこで、
Ashleyとほぼ同じ障害像をもち言葉のないウチの娘との
この週末の一コマを紹介してみたい。

彼女が文字通り3度の飯より好きなものが
「おかあさんといっしょファミリーコンサート」のDVDで、
朝食後と昼食後に1回ずつ見ることになっているという話は前に書いた通り。


この土曜日の朝のこと。
目が覚めて暫くしてから
向こうを向いて横になっている娘に
「そろそろ上を向いて着替えようよ」と声をかけると
娘のパジャマの背中はきっぱりと「イヤだ」といい、布団の端っこに、じわっと逃げた。

敷布団の端を掴んだ片手に力が入って「ヤだ」とゴネつつ
目がウヒャウヒャしているのはいつものことで、
親を困らせては喜ぶヤンチャが、こともあろうに寝起きから全開になっている。

寝起きの目がどれだけキャピキャピしているかが
彼女の場合は体調のバロメーターでもあるので、
これだけウヒャウヒャしてもらえれば親もまずは安心というものなのだけど、
いつまでも、そっちを向いて寝返りを拒まれたのでは
とんと着替えができないから困る。

寝ている時の娘の身体は
あちこちをクッションやタオルで支えてポジショニングしてあるので
寝返りと一口に言っても、そう簡単なことではない。

ガリガリに細くて、特に脚は変形・硬直しているので
乱暴に扱ったり無理やり動かすとすぐに骨折してしまう(実際、もう2回も骨折している)。
そこで、体の向きを変えるための安全な動作とは
娘自身がある程度自力で身体を動かして協力してくれるタイミングに合わせて
親がそれを手伝ってやる共同作業ということになるわけで、

それが分かっているからこそ、
わざと敷布団の端っこにしがみついてゴネてみせるのが
また娘には楽しくてならん……という事情。

この土曜日は特に手ごわくて、なかなか寝返りする気になってくれなかった。

そこで母は一計。
前にも書いたようにミュウは言葉はなくとも相当に理屈ばったヤツなので
ここは正面から理屈で説得することに。

「ミュウ、いい、あのね、よ~く考えてみようよ」
ちょいと口調を改めると、
ミュウは向こうを向いたまま、目を「お?」とそばだてた。

「今から、やらなきゃならないことがいろいろあるわけだから、
アンタに協力してもらえると何かと早いと、お母さんとしては思うんだよね。
だって、ほら今から、まず着替えないといけないじゃん」

ふむふむ……とマジに聞いている。

「それから車椅子に座るでしょ。
朝の薬を飲んで……」

この辺り、明らかに頭にその段取りを思い浮かべつつ、

「……お父さんとお茶を飲んだら、みんなで朝ごはんだよね」

目がだんだんと輝いてくる。

「で、ゴハンを食べたら……おかあさんといっしょのDV……」

顔全体が「キャァー!」と弾けたかと思うと、皆まで言わせず、
次の瞬間、さっと自力で上を向いた。

親の手伝いなんぞ不要な、すばらしい寝返り。おみごと──。

「さ、おかあさん、早く。早く着替えちゃおーよ!」
今度は全身をばっこんばっこん弾ませて、催促かよ……。
なんちゅう現金なやっちゃ……。


──こんなウチの子のコミュニケーション能力。
親から見たら、時に「うざい」と感じるほどに高いのですが、

娘が入所している重心施設のスタッフの中にも
上記の親との会話とまったく同じように娘とコミュニケートできる人が沢山いる一方で
「この子はどうせ何も分からない」と思いこんでいる人も(決して多くはないけれど)複数います。

あんまり気が進まないのだけど事実だから書いてしまうと、その中の1人は発達小児科の専門医です。

Ashleyのあんな大きな笑顔の写真を見て
「生後3ヶ月の赤ん坊と同じで何も分からない」というDiekema医師らの
何の根拠もない“アセスメント”に疑いを感じないでいられる人が

このエントリーを読んだ後でウチの娘を実際に目の当たりにしたとしたら、きっと
「な~んだ、親が勝手に自分の子は分かると思い込んでいるだけで
本当はこの子、何も分からないに決まってるよ」と考えるだろうと思います。



――こんなウチの娘は

シアトル子ども病院の成長抑制ワーキンググループの
「意思疎通ができない」子どもという”基準”に

当てはまるんでしょうか──?
当てはまらないのでしょうか──?




2009.02.09 / Top↑
先天的な視覚障害者で作家のStephen Kuusisto氏が
自身のブログでAshley事件の最近の展開を取り上げて
いくつか鋭い指摘をしています。

まず、シアトル子ども病院で成長抑制が強引に正当化されようとしている事実に注意を喚起し、

障害学の学者や障害者の人権アドボケイトがきちんと議論に含まれていないと
小山さんと同じ点を指摘。

それ自体はこれまで繰り返されてきたことではあるが、
医療のフリをした相対論というポストモダンなヤリクチで正当化させるには
今回の問題は倫理の侵犯が大きすぎる、とも。


Microsoftの社員であるAshleyの父親が効率の名の下に
人体実験を進めるべく倫理の捉え方を変えようと動いているのは明らかだが

(彼は子ども病院の2つのシンポも父親の意向を受けて出てきたものだと捉えています。
 私はむしろ病院の隠蔽の必要と父親の利害が一致して出てきたものだと解釈していますが)

小さければケアしやすいし、本人にはどうせ分からない、という理屈は
そもそも現象論であって倫理の議論ではないのに、
学者や医師らがこれほど易々とそれに乗ってしまうのは興味深い、
まるで催眠術だ、と。

そして、優生の歴史においても
このような理由付けによって人体実験が許されてきたのだと警告。

ちょっと面白いこととして
個人的に知っている医師の何人かがオフレコで
「成長抑制はsniff testを通らない」と言っているとのこと。

(臨床実験をやってデータをとっても効果が実証できないという意味だろうと思うのですが
sniff testというのがよく分かりません。どなたかご教示ください)



この人がAshleyの父親をMicrosoftの社員だと断定している根拠が気になるのですが、

「まるで催眠術だ」というのは本当に言い得て妙。
もちろん政治的な圧力を感じていれば学者も医師もさぞ催眠術が効きやすかろうというものですが、

特にDiekema医師がしゃべると、
なぜか聴く人が簡単にたぶらかされてしまうらしいのも確か。
その辺りが稀代のペテン師の天分じゃないかと私は前々から感じています。

その天分がAshley父の政治的影響力やAshley療法一般化への熱意とタグを組むと
これは恐ろしいことになるのではないかとも書いてきたのですが、
どうやら、当ブログが危惧した通りのことが起こりつつあるような……。

しかし、なにより
小山さんが当日行ってくださったばかりか詳細な報告を書いてくださったお陰で
当事者の人たちから少しずつ批判が出てきていること、

そうした当事者の人たちが
重症重複障害児の尊厳の侵害を自分たち自身の尊厳と同じ問題と受け止め、
線引きをせずに問題視してくれていることが、とても、とても、嬉しい。
2009.02.09 / Top↑
8つ子を産んだ母 Nadya Sulemanさんが
6日にテレビのインタビューに応じて語ったところによると、

今回生まれた8つ子以外の6人もすべて
友人男性の精子の提供を受け体外受精で産んだ、

しかも体外受精のたびに6個の胚を子宮に戻してもらった、
今回も6個で頼んだ、と。

「だって賭けですから」。

関与したのは同じ1人の医師とのこと。

倫理学者らからの強い批判を受け、
California州の医療委員会が調査に乗り出すことに。

米国には受精後に子宮に戻す胚の数について法的な規制はないが
この母親の年齢の場合だと通常2~3個が常識的とされている。

California Medical Board Probes octuplet birth
Yahoo! News, AP, February 6, 2009


ここでも Art Caplan が登場して
多胎児では障害が起こる可能性が高くなるのが分かっていながら
こういうことをするのは倫理にもとるとコメントしています。

Caplanはじめ、倫理学者からも医師からも批判の声が上がっていたのは同じことなんだけど、
どうしてAshley事件では州が調査に乗り出さなかったのか……。

いや、州の保健局はいったんは調査を明言もしたし、
医師らには懲罰の可能性もあるとまで言っていながら
なんで、そのままにしてしまったのかなぁ……。

やっぱりWashington州だったからなんだろうなぁ……。


それにしても、お医者さんたち、
親が言うことだからって何でもかんでも言うなりにならないでくださいっ。
2009.02.07 / Top↑
動物を人間に必要な医薬品の製造工場として使おうという長年の夢がかなった、
大層めでたいニュース。

遺伝子操作を行って、
珍しい血液の遺伝病の治療に使われる薬の成分を乳の中に分泌するヤギを作り、
その乳から取り出した成分から製造された薬を今回初めてFDAが認可した。

もともと一般向けの記事でもあり、
なんとなく理解はできるのですが、
文系頭がいいかげんなことを解説してはいけないし、
正確にまとめようと細部をシコシコ読むのも面倒なので、

詳細はこちらの記事に。



こういうのに対して、
Peter Singer とかトランスヒューマニストは
ヤギの尊厳を侵しているという抗議はしないのかな。
2009.02.07 / Top↑
California州在住の弁護士John West氏が
回想録The Last Goodnights: Assisting My Parents With Their Suicides を出版、
その中で10年前に両親の自殺を幇助したことを明かしたとのこと。

以下の記事では、West氏の出版を受けて
終末期の自己選択のアドボケイト団体 Compassion & Choicesの代表Barbara Lee氏が

West氏のように、死んでいく者を手助けする行為は
合法的な医療決定の延長線上に最後の選択肢として位置づけるべきこと。

合法化で規制されないために、却って水面下での危険な自殺幇助がはびこっている。

West氏はresourcefulな(知識と、たぶん人脈もある?)弁護士だから効き目のある薬を手に入れることができて
両親によい死に方をさせてあげることが出来たけれど

たいていの家族はそれほどラッキーではないのだから

合法化されたOregon, Washingtonそれから現在裁判所が審議中のMontana以外の
47州では、そういう家族は差別されていることになる。

オープンで透明性のある合法な自殺幇助以外には
誰もが死に際してあらゆる選択肢と平等な機会を与えられることにはならない。

「知識も人脈もある人にしかそういう薬が手に入らないのは平等じゃないから
誰でも手に入るようにしましょう」って、
ものすごく妙な理屈じゃないでしょうか??


New Book Shows Need For Death With Dignity Laws
The Medical News Today, February 4, 2009/02/07


検索してみたら、著者のWest氏は1月4日にABCの番組に出演していました。
(以下の記事にビデオ)



父親は世界的に高名な精神科医、
母親も著名な心理学者。

10年前の1998年、父親は癌で余命6ヶ月と宣告され
同じ頃に母親はアルツハイマーだと判明した。

まず父親が息子に自殺したいと自分の計画を打ち明け、手助けを求めたので
息子は「数種類の錠剤のカクテルを作り」ある晩、父親はそれを1つずつ飲んだ。
翌朝、父親は死んでいたが、息子以外は癌による死を疑うことはなかった。

その後、今度は母親が
長年連れ添ってきた夫が死んで心がつぶれてウツ状態だから
死にたいので手伝ってほしい、と。

それで、ある晩、家族が寝静まった後で
息子は「母親の世話をした」と。

West氏はこの事実を10年間、妹たちにも隠し通してきたのだけれど、
このたび回想録で告白したのは
自殺幇助を合法化すべきだと訴えるため。

ABCのインタビュアーは
「こういうことをした人は、ふつう
他の人に同じことをするなというんじゃないかと思うけど、
あなたは同じことを勧めるんですか?」

「私と同じことをしなくてもいいようにするべきだと言いたいのです」

当ブログでもすっかりおなじみになったArt Caplanがコメントで
「自殺幇助の合法化は滑り坂だ」と。

「愛ゆえに行った行為が罪に問われるのは理不尽」とWest氏は言っていて、

”Ashley療法”論争でも「親が愛ゆえに行ったことだから外野が口を出すな」というのは
目にも耳にもタコが出来るほど繰り返された擁護論だったのですが、

世の中には「愛ゆえに」愚かしく残忍な行為が繰り返されているのでは――?

            ------

もう1つ、どうにも解せないのは、
この記事の冒頭部分にも、
「West氏はターミナルな病気の両親が自殺するのを手伝った」と書かれていること。

癌で余命6ヶ月と宣告されたという父親はともかく
母親は息子に自殺幇助を頼めるくらいなのだから
アルツハイマーがターミナルな状態であったはずはなく
話の内容からすれば、夫の死後のウツ状態から死を望んだのだと思われ、
こちらのケースを「ターミナルな病気」とするのは不正確でしょう。

どうも自殺幇助を巡るメディアの記事には
こういう不正確な記述が目に付くことが気になります。
2009.02.07 / Top↑